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Wikipediaより |
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| アメリカ合衆国の映画監督、脚本家、プロデューサー。のちにイギリスに移住した。彼は映画史における最も偉大で影響力のある映画製作者の一人として度々、言及されている。彼の作品の多くは幅広いジャンルの長編小説や短編小説の翻案・脚色であり。リアリズム、ブラックユーモア、ユニークな撮影手法、大規模な舞台装置、そして刺激的な音楽手法で有名である。 |
| Wikipediaより引用 |
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| 経歴 |
| 1928'7'26 |
ニューヨーク州マンハッタンで誕生 |
| 1945 |
ウィリアム・ハワード・タフト高校を卒業
卒業後ニューヨーク市立大学シティカレッジに入学するが、すぐに中退し、雑誌『ルック』の写真家として働く
『ルック』に載った自身のフォト・ストーリーを元に、短編ドキュメンタリー『拳闘試合の日』を製作し、この成功で映画の道に入る。 |
| 1951 |
ルース・ソボトゥカと再婚 |
| 1954 |
ジェームズ・B・ハリスと組み、ハリス=キューブリック・プロダクションズを設立。
ルース・ソボトゥカと離婚 |
| 1955 |
スザンヌ・クリスチャンと再婚 |
| 1961 |
イギリスに移住 |
| 1999'3'7 |
ハートフォードシャーの自宅で心臓発作で70歳で死去。
次回作として準備されていた「A.I.」はスピルバーグが引き継いで完成 |
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私がキューブリック作品と出会ったのは1980年代の終わり。名画座にかかっていた2001年宇宙の旅から。正直この作品はあまりに衝撃が高く、観終えてから椅子から立ち上がれなかった。こんな哲学的なものを映画に出来るのか?という感動と、映画とはどれだけ奥深いものかと思い知ったことから。
名画座を含めて映画館で観たのは2001年宇宙の旅(都合4回観てる)以外ではフルメタル・ジャケットとアイズ ワイド シャットのみで、あとはビデオだが、どれを観ても映画的な面白さをふんだんに与えてくれたことと、何より映画の面白さを与えてくれたことから、最も敬愛する監督の一人となった。
マイ・ベスト・オブ・ベストで言っても2001年宇宙の旅、博士の異常な愛情、フルメタル・ジャケットの3作ある。もちろんこれが最大のお薦め。痛烈な社会風刺と、映画の構造の面白さはどんな時代になっても色あせない。
一般的にはシャイニングも有名な作品の一つ。ジャック・ニコルソンの怪演や双子の登場シーンやエレベーターのシーンは数多くの映画でリスペクトを受けている。
時計じかけのオレンジも原作よりも映画の方が有名な作品となった。これも管理社会に対する社会風刺として |
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| アイズ ワイド シャット |
1999ゴールデン・グローブ音楽賞
1999キネマ旬報外国映画第8位 |
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スタンリー・キューブリック
ヤン・ハーラン(製)
スタンリー・キューブリック(脚) |
| トム・クルーズ |
| ニコール・キッドマン |
| シドニー・ポラック |
| トッド・フィールド |
| マリー・リチャードソン |
| アラン・カミング |
| マディソン・エジントン |
| トーマス・ギブソン |
| レイド・セルベッジア |
| リーリー・ソビエスキー |
| ヴィネッサ・ショウ |
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| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 2 |
3 |
4 |
2 |
3 |
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ニューヨークに住む内科医のウィリアム・ハーフォード(クルーズ)とその妻アリス(キッドマン)は、仕事も順調で、幸せに暮らしていた。だが、ある日アリスはウィリアムへ「過去に心が奪われた男性がいて、求められたらすべてを捨ててもいいと思った」ともらす。それをきっかけに性の妄想にとり憑かれていったウィリアムは、夜の街を徘徊する。やがて、昔の友人に誘われるまま、秘密の乱交パーティに潜入するのだが…
巨匠キューブリックの遺作となった作品で、この撮影時間は徹底的な秘密主義の元、極めて長時間に及んだという。実際いきなり“キューブリックの新作です”と突然アナウンスされた記憶もある(クルーズとキッドマンは15ヶ月以上も本作のために拘束され、ギネスにも載っている)。更にこの作品を最後に、クルーズとキッドマンは夫婦生活を解消するに至る…様々な物議を醸した作品。
実はこの作品は私のサイト開設当時に観た作品で、場合によってはこれが一番最初のレビューになっていたのかも知れないのだが、とてもじゃないが、この作品について何か書くことが出来るとは自分でも信じられなかった。
何を書いて良いのか分からないのだ。面白くない訳じゃない。だけど、一体これを通して監督は何を言いたかったのか、何を描こうとしたのか、全くそれが見えてこない。それを言う前に監督は他界してしまうし…
実の話、今でも何をレビューして良いのか、皆目検討が付かないと言うのが本音。
…駄目だ。やっぱり何を書いて良いか分からない。もう一度、この作品を観直してみて、そこで何かメッセージを受け取ることが出来た時に、改めて筆を取らせてもらうことにする。
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| 製作年 |
1999 |
| 製作会社 |
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| ジャンル |
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| 売り上げ |
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| 原作 |
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| 歴史地域 |
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| 関連 |
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| EYES WIDE OPEN―スタンリー・キューブリックと「アイズワイドシャット」 |
<A> |
<楽> |
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| フルメタル・ジャケット |
1987米アカデミー脚色賞
1987ゴールデン・グローブ助演男優賞(アーメイ)
1988キネマ旬報外国映画第2位 |
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スタンリー・キューブリック
マイケル・ハー
ヤン・ハーラン(製)
スタンリー・キューブリック
マイケル・ハー
グスタフ・ハスフォード(脚) |
| マシュー・モディーン |
| アダム・ボールドウィン |
| ヴィンセント・ドノフリオ |
| R・リー・アーメイ |
| ドリアン・ヘアウッド |
| アーリス・ハワード |
| ケヴィン・メイジャー・ハワード |
| エド・オロス |
| ジョン・テリー |
| キーロン・ジェッキニス |
| カーク・テイラー |
| ティム・コルチェリ |
| ブルース・ボア |
| サル・ロペス |
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| ★★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 5 |
5 |
5 |
5 |
5 |
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ヴェトナム戦争へ投入されるべく養成される新兵達、その中で情け容赦ない教官ハートマン(アーメイ)にしごかれるジョーカー(モディーン)ら。その中で一人、落ちこぼれたレナード(ドノフリオ)。やることなすこと失敗続きのレナードだったのだが、意外にも銃の扱いにかけては人並み以上の才能を発揮するのだった。だが、そのことが悲劇を呼ぶ…そしてその苦い思い出を胸にヴェトナムに従軍報道員として参加したジョーカーだが、そこで地獄のような光景を見ることになる…
報道員としてヴェトナムを転戦したグスタフ・ハスフォードによる小説を8年ぶりにメガフォンを取るキューブリック監督がブラック・ジョークを込めて描いた戦争映画。
後で書くことにするが、私にとってこの映画は最高!と言うのと同時に、苦い思い出をもたらしてくれた映画でもあり、この映画のことを思い起こすとしみじみしてしまう。
この映画は2部構成で、一部は訓練所での過酷な訓練を通して、そして二部は実際の戦場における、そのどちらも主人公ジョーカーの極限の恐怖体験を描いている。
『プラトーン』(1986)以来、ヴェトナム戦争について描いた映画は多数作られていたが、本作はその中でもかなり特異な位置づけになるのではないだろうか?観る前はあのキューブリックが流行に乗るなんて随分堕ちたもんだ。と思ったものだが、観た途端、その考えは捨てた。これは確かにヴェトナム戦争を題材にこそしているが、むしろこれは人の内面に関わるもの、哲学的なものに関わっている。
私なりにこの映画を通して感じることは、「超人願望の実現」が極めてリアルな状況下で語られているように思われたと言うこと。その“超人”に人間を変えてくれるのが銃の存在である。表題『フルメタル・ジャケット』と言うのは銃の弾丸(徹甲弾)のこと。
前半部分、ここでは何をしても上手くいかないレナードが、銃に関しては人並み以上の才能を発揮している。それによって彼は立ち直るのだが、ここでは、彼にとってはむしろ落ちこぼれのままの方が幸せだったのかも知れない。彼は人より優れている自分の才能に依存する。しかし、それは人殺しの道具だ。結局彼は自分は人殺しになる以外の方法がないことを知ってしまった。自分の存在意義が人殺しをするため、しかも元々が気弱で、平和主義な人間がそのような運命を背負わせられるという事は、あまりにも重すぎた。結果、彼は人殺しとしてだけ人に認められる自分というのを認められず、自死を選ぶ。彼の初めて得たアイデンティティ、彼の愛してやまない銃によって、ある意味超人願望を最大に満たして死んでいった。
中盤以降、主人公のジョーカーが平和のシンボル(カラスの足跡)と「BORN TO KiLL」という文字を同時にヘルメットに付けているのは、前半と後半とをつなぐキー・アイテムなのかもしれない。
そして後半、スナイパーによって無惨にも仲間達が撃たれ続ける絶望的な状況の中、見つけたスナイパーは年端もいかぬ少女だったと言うオチの強烈さと同時にあっけなさ。物理的な力を持たぬ少女が、銃を手にした途端、海兵隊の猛者どもを次々と薙ぎ倒していく“超人”になり得たのだから。彼女はおそらくは戦争してない時は町に住む普通の少女だろう。あるいは農民かも知れない。しかし、そんな彼女が銃を手にした途端、海兵隊をなぎ倒す戦士へと変貌するのだ。恐ろしい。
前半と後半。そのどちらにもキー・アイテムとなっているのは銃である。
動物学者コンラート=ローレンツによる人間の定義は、「いきなり大鴉の嘴を与えられてしまった鳩である」だそうだが、これはまさしく武器の使用によって、人間は本来人間が持つべきではない力を得てしまった。と言うことを指している。そこから、これは戦争映画ではない。銃と人間の関係を通し、動物としてあまりに強大な力を持ちすぎた人間という者に対する強烈な皮肉を込めた映画に私には思える。『博士の異常な愛情』で人を超えた力を笑いと狂気に託したキューブリックはここでは戦争という狂気に、人間性を託したのではないだろうか?
この映画は勿論ストーリーだけではない。部屋自体が発光している真っ白い部屋や長ーい廊下など、キューブリックお得意の映像手法が取られているし、歌が又良い。最初の訓練の時の歌、よくあのまま映画で流せたものだと感心するが、それだけでなく冒頭部分で徹底的に汚い歌詞の歌を歌わせておいて、ラストでアメリカの子供用に作られた「ミッキーマウス・マーチ」を歌わせるという演出は極めて皮肉っぽい。
ところでこの映画だが、映画好きの友人と共に劇場まで観に行った。そしてその感想はまるっきり逆のものだった。私は衝撃を受け続け、食い入るように画面に見入っている間、友人は隣で事もあろうに鼾までかいていた。そして観終わった後、二人で激論を交わし、その結果私は上記の結論を導き出し、替わりとして友人を一人失うことになった。
ある意味、この映画は映画の批評の楽しさを最初に気付かせてくれた映画であり、同時に、苦い思い出も作ってくれた映画である。
一応本作は前年の『プラトーン』(1986)流行りのヴェトナム戦争を題材とした作品だが(同年に『ハンバーガー・ヒル』(1987)も公開されている)、キューブリック監督は飛行機嫌いのため、全部イギリス国内で撮影されたのだという。しかも完璧主義のキューブリックだけに、入念に撮影され、撮影期間は丸一年以上。一日かけて1シーンどころか1ショットさえOK取れなかった時まであったという。
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| 製作年 |
1987 |
| 製作会社 |
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| ジャンル |
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| 売り上げ |
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| 原作 |
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| 歴史地域 |
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| 関連 |
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| シャイニング |
| 1980ゴールデン・ラズベリー ワースト主演女優賞(デュヴァル)、ワースト監督賞(キューブリック) |
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スタンリー・キューブリック
ヤン・ハーラン(製)
スタンリー・キューブリック
ダイアン・ジョンソン(脚)
ジャック・ニコルソン
シェリー・デュヴァル
ダニー・ロイド
スキャットマン・クローザース
バリー・ネルソン
フィリップ・ストーン
ジョー・ターケル
アン・ジャクソン |
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| ★★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
5 |
5 |
5 |
5 |
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冬の間閉鎖されるオーバールック・ホテルに、管理人としてやってきた一家。夫のジャック(ニコルソン)は冬の間に戯曲を書こうと意気込んでくるのだが、戯曲はなかなか完成させられず、苛立ちが増していく。息子のダニー(ロイド)はこのホテルの雰囲気にただならぬものを感じ取るのだが、その時には既に…REDRUMの意味が分かる時…
1980年全米興行成績10位。スタンリー・キューブリックによるスティーヴン・キング原作小説の完全映画化。
…と、言えれば良いんだけど、その実情は、キングの原作を下敷きにしたキューブリック独自の解釈による、いわば『キューブリック版・シャイニング』。
事実原作者のキングはこの作品を称し、「エンジンの積んでないスポーツカーだ」と酷評。後にキングの肝いりで『キング版シャイニング』(1997)を作り上げるに至る(まあ、2時間程度であれだけの厚みを持つ作品を完全映画化出来る訳ないんだけど)。これはキング自身が、自分自身の過去の体験を投影したのに、キューブリックはそれをすっぱり切ってしまったからだとも言われている。思い入れがたっぷりある分、美しさは認めてもこれが自作の映画化とは思いたくなかったのかも。そういえばダニーのイマジナリーフレンドも登場してないし。
原作を読み始めたら止まらなくなり、殆ど丸一日を費やして読み切り、その後悪夢にうなされた経験を持つ身としては、ストーリー的にはちょっと首を傾げる部分もあるにはあるが、この作品にはそれ以上のパワーがある。キューブリックは確かに期待に充分応えてくれていた。
閉鎖空間の中で徐々におかしくなっていくジャックを演じるニコルソン(そうか。この人もジャックか)のド迫力は白眉ものだが、ジャックの子ダニー役のダニー=ロイドも又上手い。彼にしか見えない友達トニーを、指と声色で演じ分けたあの演技は凄いものだ。
エレベーターから溢れる血。「Who are you?」の双子の不気味さ(これが後に大林宣彦の『漂流教室』(1987)でへたくそにパクられた時はあの作品に怒り狂った)と、ラスト近くで一瞬挿入される二人の末路。ホテルのロビーで行われるダンスの華々しさと儚さ。全てが美しく、そして不気味。この動的な画面の美しさはキューブリックの巧さを際だたせている。
「REDRUM」の意味が分かる時の謎解きの方法も良い(キング版だとあっけなさ過ぎ)。鏡とはこう言う時に使って欲しい。
それと、この作品の主役にニコルソンを抜擢したのは大成功。徐々におかしくなっていく課程と言い(私自身、仕事で忙しくなると、だんだん行動が彼に似てくる気がするのだが…「仕事ばかりで遊ばない。甘崎はいつか気が狂う」)、最後に完全にイッてしまったあのぞっとするほどの笑顔と言い、もう彼こそ、最高の演技者だ!ニコルソン自身もこれまでのキャリアにサイコパス役という見事な演技を加えることが出来た。
ここまで褒めちぎってきたけど、一つ本作品には減点してしまう部分がある。何故ラストを改変してしまった?原作は凄い派手な終わり方していて、こっちの方が映画向きって気がしたんだけど、それを回避してしまったのはちょっとマイナスっぽい。最後にホテルの写真にニコルソンを映すと言う事をやりたかったんだろうけど、そこがどうにも消化不良。折角苦労してホテルまでやってきたハローランがあっけなく殺されてしまうのも嫌な感じ。あれだけ派手に盛り上げておいて、あの終わり方だと、欲求不満になるよ。
ところで、この作品で、知りたいことが一つある。ジャックの妻がジャックのタイプした紙をめくってみるシーンでどの紙にも、同じ文句が書かれているんだけど、あれって本当に全部タイプしたんだろうか?完璧主義のキューブリックならやりそうな気がするんだけど…そこまで無駄な事をするかな?誰か知ってる人はいないかな?(後にジョークグッズとして本当にこの本が売られたのだとか)。
ラストは『家』(1976)っぽいが、それは狙ってのことかな?
あと、一つだけ言いたい。
この年のアカデミー選考委員は腑抜けだ!
“All work and no play makes Jack a dull boy” |
| 製作年 |
1980 |
| 製作会社 |
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| ジャンル |
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| 売り上げ |
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| 原作 |
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| 歴史地域 |
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| 関連 |
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バリー・リンドン
Barry Lyndon |
1975米アカデミー撮影賞、音楽賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、作品賞、監督賞(キューブリック)、脚色賞
1975英アカデミー監督賞(キューブリック)、撮影賞、作品賞
1975全米批評家協会撮影賞
1975LA批評家協会撮影賞 |
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スタンリー・キューブリック
ヤン・ハーラン
バーナード・ウィリアムズ(製)
スタンリー・キューブリック(脚)
ライアン・オニール
マリサ・ベレンソン
パトリック・マギー
スティーヴン・バーコフ
マーレイ・メルヴィン
ハーディ・クリューガー
レナード・ロシター
アンドレ・モレル |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
4 |
5 |
3 |
4 |
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《第1部 レイモンド・バリーが如何様にしてバリー・リンドンの暮しと称号をわがものとするに至ったか》 恋敵を決闘で撃ち殺してしまったレイモンド・バリー(オニール)は警察に捕まる前に故郷のアイルランドからダブリンへと向かった。途中追い剥ぎに会って全財産を奪われてしまったものの、生来の楽天的性格もあり、途中寄った村で英国軍の兵隊募集に応じ、軍隊へと入隊。大陸でフランス軍と戦ったが、やがて脱走。今度はプロシア軍に捕まり、強制入隊させられるのだが、今度はそこで頭角を表していく。やがてオーストリア貴族シュバリエ(マギー)に見いだされてコンビの賭博士となるのだった。そしてレディ・リンドン(ベレンソン)との出会いまでの、彼の数奇な運命を描く。
《第2部 バリー・リンドンの身にふりかかりし不幸と災難の数々》 レディと結婚し、晴れて貴族となり、名前もバリー・リンドンとなったバリーの幸福と、レディの前夫との子ブリンドン卿(ヴィタリ)との確執を描く。
ウィリアム・メイクピース・サッカレーのピカレスク小説の映画化で、一人の人間が味わった数奇な運命を描いた作品。莫大な製作費を投入したという撮影の上手さは折り紙付きで、この年のアカデミー技術部門を全てさらってしまった。
これは極めてレビューのしにくい作品だ。面白い部分は多数あるのだが、それを説明するのはかなり困難な上に、作品そのものが長い上に主人公バリーの行動が状況に翻弄されるだけで一貫性がなく、観ていても物語にのめりこむと言った内容ではない。それに主人公バリー役のオニールの演技がオーバー気味。ちょっと引く内容であるのは確かである。なんでキューブリックがこんなのを?とは思わせるのだが、しかしそれでもしっかり映画として観させてくれるのは、やはり演出の凄さだろう。
とにかくこの作品は美しい。画面一つ一つがまるで芸術品のよう。特に白色の演出がこれほど見事に映えた作品はない。それこそドレスの白さや、化粧を施した顔の白さ、城の内部が持つ持つ無機的な白さ…それらを統括して、これらは“光の白さ”と言うこともできよう。特にキューブリックがこだわりにこだわったと言う光の演出は突出してる。有名な話だが、この作品の夜の撮影では照明を使わず、NASAが月面探査に用いたドイツのツァイス社の特性レンズを使用し、ロウソクの光だけで人物を撮影したという。それだけでなく、木もれ日までも演出している昼間の撮影を推したい。こんなに明るい中でこんなに残酷なことが行われている。世界はこんなに美しいのに、人間の行いはなんて醜く愚かなのか…もうそれだけでもこの作品は声を大にして「素晴らしい!」と言ってしまえるほど(しかし、キューブリック自身はこのチャレンジを自分なりには納得してなかったらしく、次作から再びサウンドステージへと戻している)。
そう考えてみると、オーバーなオニールの演技も、人間の愚かさを演出しようとして。と思えてくるから面白い。あるいはキューブリックはそれを狙ったのかも知れない。そもそもオニールは演技下手で知られ、オニール自身はこれで本格的な演技派に転向しようと言う狙いがあったらしい。尤も、彼の願いとは異なり、オニールの出演した映画の中でも最もヘタクソな作品と言われるようになってしまったのが皮肉な話だ(後に、この演技下手こそが実はドキュメンタリータッチを構成する要素とまで言われるようになるのだが)。これまでのキューブリック作品とはまるで毛色が違っていたが、登場するキャラが主人公を含め全員極めつきの俗物ということで、人間の存在の小ささや、空虚感の演出は見事な出来と言ってしまえるだろう。
この作品のレビューを閉じるに当たり、映画評論家ドナルド・リチーによる、最も説得力のある言葉を紹介しておこう。「この映画はつまらない。しかし、それこそがこの作品を理解する大きなヒントだ」。
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| 製作年 |
1975 |
| 製作会社 |
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| ジャンル |
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| 売り上げ |
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| 原作 |
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| 歴史地域 |
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| 関連 |
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時計じかけのオレンジ
A Clockwork Orange |
1971米アカデミー作品賞、監督賞(キューブリック)、脚色賞、編集賞
1971NY批評家協会作品賞、監督賞(キューブリック)
1972英アカデミー作品賞、脚本賞、撮影賞
1972キネマ旬報外国映画第4位 |
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スタンリー・キューブリック
サイ・リトヴィノフ
マックス・L・ラーブ
バーナード・ウィリアムズ(製)
スタンリー・キューブリック(脚) |
| マルコム・マクダウェル |
| パトリック・マギー |
| エイドリアン・コリ |
| オーブリー・スミス |
| マイケル・ベイツ |
| スティーヴン・バーコフ |
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| ★★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 5 |
5 |
5 |
5 |
5 |
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「ウルトラバイオレンス」という言葉を生む。評論家にも評価はまっぷたつに分かれる。
この年に『ダーティ・ハリー』や『フレンチ・コネクション』が公開。徹底した権力批判が前面に出ているところが面白い。
『2001年』で肯定的な未来を描いたキューブリックが全く逆にディストピアを描いたところに特徴がある。
「時計仕掛けのオレンジ」とはロンドン下町コクニーの言い回しで「奇怪な」とか言う意味。
原作者のバージェス自身、「自分の意思による行為として選ばれた暴力の方が、善あるいは無害なものになるように調節された世界よりは良い」と発言している。
MGMのテーマソングとも言える「雨に唄えば」が極めて皮肉に歌われている。
キューブリックはこの作品以後30年間イギリスを離れる。
未来の話とされているが、現代の街角と大して変わらない。これは現実との地続きを強調するため。
現在アメリカの刑務所は受刑者でパンク寸前だが、まさしく本作はそれを指摘している。
文明そのものが恐怖を作り上げる。というのはキューブリックの一貫したテーマ。
洗脳マシーンは実は「MKウルトラ計画」としてアメリカ政府は実際にこれを使って実験を行っていたという事実もある。 |
| 製作年 |
1971 |
| 製作会社 |
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| ジャンル |
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| 売り上げ |
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| 原作 |
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| 歴史地域 |
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| 関連 |
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| 2001年宇宙の旅 |
1968米アカデミー特殊視覚効果賞、監督賞(キューブリック)、脚本賞(キューブリック、クラーク)、美術監督・装置賞
1968英アカデミー撮影賞、美術賞、音響賞、作品賞
1968キネマ旬報外国映画第5位 |
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スタンリー・キューブリック(製)
スタンリー・キューブリック
アーサー・C・クラーク(脚) |
| ケア・デュリア |
| ゲイリー・ロックウッド |
| ウィリアム・シルヴェスター |
| ダニエル・リクター |
| レナード・ロシター |
| マーガレット・タイザック |
| ロバート・ビーティ |
| ショーン・サリヴァン |
| アラン・ギフォード |
| ダグラス・レイン |
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月面で見つかった1×4×9の立方体をした謎の物体。モノリスと名付けられたそれを発掘した途端、強力な電波が土星に向かって放射された。その電波を調査するため、宇宙船ディスカバリーが派遣される。航海途中でコンピュータに不審な点を見付けた船長ボーマンは、船の徹底的な捜査を行うことを決定する。だが、その意図を知り、自分が不審を持たれていることに感づいたディスカバリーのコンピュータ「HAL」は…
1968年とは映画史において、特にSF作品で画期的作品が作られていることで知られるが、その中でもとびきりの作品。何から何まで画期的な作品だったことで知られる作品。この作品によって以降のSFムーブメントそのものが変化し、更に撮影技術の面から映画が語られるようになったのも本作からである。ただし、それは売れることには直結せず、莫大な製作費を回収するまで5年もの年月がかかり、更にこの興行的失敗によって製作会社はSFに二の足を踏むことになるという負の遺産をも残してしまった。早すぎた傑作だった訳である。
私にとって映画とは何か。と尋ねられたら、まず最初にこの映画を観たときの衝撃を語ることになるだろう。そう。この映画こそ、私が映画にのめり込むきっかけを作ってくれた最初の作品である(既にアニメについては『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)があったけど)。少なくとも、数多くSF作品を観てきて、これほど難解でしかも引きつけられる作品は他にはない。
本作は難解そのものであり、一回観ただけでは何がなにやら分からないもの。私にとっては、たまたまリバイバル映画で劇場で本作を観て、なにやら分からない衝撃を受けた後、ビデオを観て、と小説を読むことで、やっとある程度まで理解できたと言うだけに過ぎない。
冒頭の猿人が道具を使うシーン、骨を宇宙に放り投げ、それが宇宙船になるシーン。冒頭部分は我知らずもの凄い感激を覚えたものだし、本編最初の食事シーンに始まり、途中の緻密な宇宙船描写やウィットの利いた会話など、そしてあの衝撃のラストと映像の流入も、最早関心の領域を越え、感動の範疇に入っている。宇宙船の理に適った構造も、随分後になってから知ったものだ(この映画の訓練風景をNASAが参考にしたと言う笑い話もある)。特撮部分の予算は膨大なもので、なんと650万ドル。総製作費の60%以上だったという。
本作品を俯瞰すると、二つの事件が並行して起こっていことが分かる。モノリスに始まる地球外知的生命体とのファースト・コンタクトもの(正確には違うけど)と、コンピュータの反乱もの。この二つの一見別々に見えるストーリーが絡み合っているのだが、その指向は「知恵」と言うキー・ワードにまとめられていることに気付かされる。
本作品はアーサー・C・クラークの書いたプロットをキューブリックが自分なりにアレンジして脚本化し、更にそれをクラークが小説にしている。結構複雑な経緯で映画と小説が出来ているのだが、実はこれは相互補完する形で作られている。映画で分からない所は小説で。と言う形を取っているので、映画単体として観るだけでなく、小説を読んでこそ、本当にこの映画観た。と言えるだろう。考えてみればメディア・ミックスの本当に最初の作品なのかも知れない。色々な意味でエポック・メイキングだった。
この映画でいつまでも印象に残っているのは、本編最初と最後に出てくる食事シーン。「本物に近いですよ」というあの食べ物がどんな味なのか、ずーっと知りたかった。それにあの真っ白い部屋でのボーマンの孤独な食事風景。見事にはまっている。
ちなみに公開当時、ボーマンの見た映像流入シーンは、特にヒッピー連中に受け入れられたそうだ。何でもLSDをキメてあの映像を観ると、トリップできるそうで。妙な使われ方をしたもんだ。
この当時としては画期的すぎるこの映画(撮影も、それまでリア・プロジェクシェンと呼ばれている、俳優の後ろにスクリーンを置いて、裏側から背景を投射する方法を敢えて採らず、前から投射した映像に人間(この場合猿だが)を重ねるフロント・プロジェクション方式を採用している)は、多大な金額を用いることになったが、一番最初にここまで完璧なものを出されたとあっては、後の映画人が大変だっただろう。
SF作品はどうしても説明過剰となる傾向があるが、ほとんど一切の説明を省き、視聴者に委ねて、しかも傑作となった本作に敵う作品は存在しないと断じて良かろう。
最後に、冒頭の質問「私にとって映画とは何か」という問いに敢えて答えるならば、「衝撃だ」と答えよう。この映画で受けた衝撃を忘れないように。
徹底した秘密主義で知られるキューブリックだが、それは本作から始まったようなもので、本作公開までは一切の写真を公表せず、3点のイラストだけで宣伝を行ったと言うことでも知られている。又、本作はいくつものバージョンで知られるが、今現在観られる最も長いのは143分(これが現在のスタンダード)だが、たった四日間、ワールド・プレミア上映されたバージョンはなんと171分あったという。
本作の特撮は後に『サイレント・ランニング』を撮ることとなるダグラス・トランブル。
ほんとかどうかは分からないけど、本作のアート・ディレクターにキューブリックは日本の手塚治虫を指名した。だが、丁度その頃虫プロ経営が大変な時期で(事実その後倒産してる)、この作品のために一年間イギリスに呼ばねばならないと聞かされたため、丁重に「残念ですが、私には260人ほどに食べさせねばならない責任があるので」と断ったそうな。勿体ない話だが、これには更に続きがあり、キューブリックから「そんなにたくさんのご家族がいるとは知りませんでした」との返事が届いたとか。(本人がそんなことを書いていた)
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キューブリック・ミステリー―『2001年宇宙の旅』論 |
| <A> |
<楽> |
1990年
浜野 保樹 |
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博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか
Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb |
1964米アカデミー作品賞、主演男優賞(セラーズ)、監督賞(キューブリック)、脚色賞
1964英アカデミー作品賞、美術賞、国連賞、国内男優賞(セラーズ)、国外男優賞(ヘイドン)、脚本賞
1964NY批評家協会監督賞(キューブリック) |
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ヴィクター・リンドン(製)
スタンリー・キューブリック
ピーター・ジョージ
テリー・サザーン(脚)
ピーター・セラーズ
ジョージ・C・スコット
スターリング・ヘイドン
キーナン・ウィン
スリム・ピケンズ
ピーター・ブル
トレイシー・リード
ジェームズ・アール・ジョーンズ |
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| ★★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 5 |
5 |
5 |
5 |
5 |
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アメリカ軍基地の司令官タージントン将軍(スコット)が、突如ソ連の核基地の爆撃指令を発した。司令官の狂気を知った副官のマンドレーク英国大佐(セラーズ)は、司令官リッパーを止めようとするが逆に監禁されてしまう。大統領(セラーズ)は、ソ連と連絡を取って事態の収拾を図ろうとするが、ホワイトハウスは混乱の渦に飲み込まれてしまう。刻一刻と世界の終わりが迫る中、人類の未来を語るストレンジラヴ(セラーズ)博士の提案とは…
天才キューブリックがブラックな笑いと共に世に送り出した名作(オリジナルは空軍将校のピーター・ジョージが描いた、極めて真面目な政治劇だったそうだ)。内容は実に濃く、ホラーに近いブラックユーモア作で平和に対する強烈なメッセージ性をも包含している。
この作品が公開された当時はまさに東西冷戦華やかしかりし日で、東西陣営とも競うように核爆弾を作りあっていた時代なのだが、その中にあってこのような作品を作り上げてしまったキューブリックの力量にはただただ感心するばかり。
テーマと言い構成と言い凄いのだが、ここではセラーズが無茶苦茶にはまっていた。気弱な大統領、冷静ながら災難に巻き込まれ、混乱する英国大佐、そして強烈な個性を持つストレンジラヴ博士と、異なる三つの役柄をキチンと演じ分けている(当初は爆撃機の機長も務める予定だったらしい。これが実現していれば…)。「顔のない役者」(セラーズは役によってキャラクターを完全に使い分けることが出来るため、敬意を込めてこのように呼ばれている)の面目躍如たるところ。特にストレンジラヴ博士の個性は凄まじく、あのどっか精神がぶっ飛んでしまったような話しぶりとか、アルカイックな笑みとか、奇矯な行動とか、つい真似をしたくなる。「ドゥ、ドゥ、ドゥームズデイ・プロジェクト」とかのしゃべり方とか、勝手に動こうとする片手をばんばん叩く仕草とか、なんと言っても「総統、歩けます!」とか…(学校の教室で映画の話をしていてこれを真似したら、回り中が引いた)。不謹慎ながら、車椅子の天才物理学者ホーキング博士を見る度に「あ、ストレンジラヴ博士」と思ってしまうのを止めることが出来ない(笑)。
ホワイトハウスの中でのソ連大使の行動も自国の国粋主義そのまんま。そんな彼らをまとめようとしてまとめきれない気弱な大統領役もセラーズはよくこなしていた。
話はホワイトハウス、空軍基地、そして一気の爆撃機の機内と言う三つの場所で同時進行し、それぞれが混乱しているのだが、その中でも笑いを取ることは忘れないし(真面目になればなるほどお笑いになる場合があることをここで知った)、しかもこれだけの混乱の中、何とか事態が沈静化してほっとした所で本当に核爆弾が落っこちてしまうと言うオチが強烈。全てが滅びゆかんと言うときに隠しカメラでホワイトハウス内部のあちこちを撮りまくるソ連大使の嬉しそうな顔も良い。
そして最後の人を食った歌。これで間違いなくキューブリックは天才であることを認めた。映画の中に様々な狂気を表現し、それをきっちりと笑いに徹した作品に仕上げた監督に惜しみない拍手を送りたい。ただ、題材が題材であり、しかも東京オリンピックにわき返る日本ではこのブラックユーモアは理解されることなく、記録的な不入りだったとか。
ところでこの作品のオリジナル題は「Dr.Strangelove」つまり邦題にして『異常愛博士』と言うことになるが、それをこんな邦題にしてしまったのは明らかに誤訳。しかし、敢えてそれを超えた名訳と言いたい。
付記。
拙掲示板への投稿で、大変ためになるものがあった。
このStrangeloveというのは「性倒錯者」と言う意味を持たせたのではないか。と言うもの。それでキャラクターは何らかの性的意味合いを持つ。劇中のスコット演じるジャック・D・リッパー将軍は「切り裂きジャック」Jack
the Ripper)を。セラーズ演じるマンドレークは強壮剤の「マンドレイク」(マンドラゴラ)から。バック=タージソンは直訳すると「後ろで膨張する」。マーキンは女性器。デサデスキ大使はマルキ=ド=サドを。と言った具合。
更にあの水爆落下でのロデオはまさに“牡”の象徴であり、ストレンジラヴ博士の「立てます!」は…なるほどなるほど(これからあれを真似するのをよそうと今思った)。
とすると、『博士の異常な愛情』と言うのは、まさに言い得て妙の訳だという事になる。
ジョゼフ=キャンベルによれば、動物共同体における雄というのは、雌に対し自分の地位を明確化すべく(そして時間がありあまっているから)殊更戦いを行おうとする動物なのだそうだ(「強い雄」の子孫を残すため、遺伝子がそうさせるとも言われているけど)。それならば戦争というのは究極の愛の形なのかも知れない。欧米においては大地が女性名詞を持っているのも、それで頷ける。 しかるに、水爆投下というのは大地に対するレイプに他ならないのであり、しかもそれは「子孫を残す」方向にはいかない。まさに「異常愛」なんだな。
改めてキューブリック監督の卓見には頭が下がる。
脚本のテリー・サザーンはキャンディ(1968)の原作者。
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ロリータ
Lolita |
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ジェームズ・B・ハリス(製)
ウラジミール・ナボコフ(脚) |
| ジェームズ・メイソン |
| スー・リオン |
| シェリー・ウィンタース |
| ピーター・セラーズ |
| マリアン・ストーン |
| ロイス・マクスウェル |
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| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
3 |
4 |
2 |
3 |
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休暇で夏を過ごそうと田舎町にやって来たハンバート・ハンバート(メイソン)。下宿先に一軒の家を定めるのだが、そこで出会った少女ロリータ(リオン)に心を奪われてしまう。ロリータと一緒にいたいがためだけにロリータの母で未亡人のシャーロット(ウィンターズ)と結婚するのだが、やがて夫が娘を愛してる事を知ったシャーロットは逆上し、道に飛び出して事故死してしまう。ハンバートはロリータを連れて車で旅に出るのだが、行く先々で出会う謎の男クィルティ(セラーズ)に振り回され続ける。
ロリコンの語源ともなったウラジミール・ナボコフの原作の映画化作品で、それまでアメリカを活動拠点としていたキューブリックがイギリスに渡って作り上げた作品。ナボコフ自身が脚本を書いてるため、原作には忠実な作品となった。
ただ、何か乗り切れなさを感じてしまった。
結局それはロリータを演じたリオンのせいなのかも知れない。“魔性の魅力を秘めた少女”を演じるには荷が勝ちすぎたか。メイソン、セラーズと言った脇を固める人物の演技が見事だっただけに、そこが惜しい。尤も、ロリータの年齢を上げたのは実は検閲コードに引っかからないための苦肉の策だったらしいが…
結局この作品はロリータ役のリオンではなく、セラーズを観るための映画なのかも知れない。
ただ、何はなくとも、やはりキューブリック。エンディングにつながるオープニングは面白い試みだった。これは割合映画ではよく使われる手法なのだが、本作では、原作では殆ど目立たないクィルティの存在感を浮きだたせ、まるで最初から三角関係のように見させている。故にこそ、ラストのクィルティ殺害は、あたかもハンバートの近親憎悪のように見えてしまう。自分自身に対する鉄槌と言う感じ。
当時極めて寄生の強いハリウッド映画にあって、本作の製作が出来たと言うだけで快挙なのかもしれない。 |
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スパルタカス
Spartacus |
1960米アカデミー助演女優賞(ユスティノフ)、撮影賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、劇・喜劇映画音楽賞、編集賞
1960英アカデミー作品賞
1960ゴールデン・グローブ作品賞 |
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エドワード・ルイス
カーク・ダグラス(製)
ダルトン・トランボ(脚)
カーク・ダグラス
ローレンス・オリヴィエ
チャールズ・ロートン
ジーン・シモンズ
ピーター・ユスティノフ
トニー・カーティス
ジョン・ギャヴィン
ウディ・ストロード
ジョアンナ・バーンズ
ニナ・フォック |
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| ★★★★☆ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
3 |
5 |
5 |
4 |
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紀元前1世紀、ローマ共和国が隆盛を誇っていた時代。この当時ローマ市民の最大の娯楽は剣闘士同士が戦うことを観ることだった。そしてその剣闘士を育てる養成所に一人の奴隷が連れてこられた。スパルタカス(ダグラス)というその奴隷は剣の使い方も女さえも知らなかったが、そこで自らの才能を開花させていく。彼の初めての女性である女奴隷のバリニア(シモンズ)が連れ去られることを知ったスパルタカスは思わず反逆を起こすのだが、やがてそれはローマそのものをも脅かす大規模な反乱へと変わっていく。一方ローマの政界ではクラサスとグラッカス(ロートン)の主動権争いにより、この事件への対応が遅れ、ついに主導権を握ったグラッカスは部下グラブラス(ドール)を奴隷軍攻撃に派遣し友人ジュリアス・シーザー(ギャビン)を守備隊長に任命していた…
1962年全米興行成績1位。ローマ史に名を残した奴隷の反乱“スパルタクスの乱”を映画化した作品で、本作を壮大な作品に仕上げたキューブリックは、それまでの“面白い視点で作品を作る”監督から、押しも押されぬ一流監督へと躍進した。
本作は単体の映画としてならば、褒めるべきところが多い。歴史的な見地から見ても、微に入り細にいたりリアリティを出しているし(キューブリックの完璧主義を表す良い素材だ)、物語そのものをドラマティックではなく、冷静に作っているのも非常に好感度が高い。仮に前年に公開された『ベン・ハー』(1959)と較べても、それは明らか。ほとんど同じ時代を描いた作品だが、色遣いの違いだけでもずいぶんと差異を感じる事が出来る。本作は明らかに色彩的に落ち着いている、と言うか、ぶっちゃけ泥臭い色遣いをしているし、ドラマティックな演出を可能な限り抑えようと苦心しているのが分かる。
これはキューブリックの姿勢そのものなのだろう。戦争をモティーフとした史実を映画にする場合、最後に戦いを持って行き、そこでの特撮やら人海戦術に重点を置き、そこに感動的な演出を加える作りが多いが、キューブリックの場合、それを可能な限り避け、むしろ政治情勢や醒めた人間の感情を重点に描いている。その姿勢は冷徹な事実を積み重ね、過剰な感情移入を避けようとしているようだ。
スパルタカス率いる剣闘士達の乱についても、下から見た構図で決してスパルタカスをヒーローにはしてない。スパルタカス本人は単に勢いで反乱を起こしてしまっただけで、別段リーダーになろうと思っていないし、戸惑い続けるが、止めることも出来ない。そんな複雑な立場だし、ローマの上から見た冷徹な現実をそこに重ねることによって、絶望的な戦いがそのまま絶望である如く描かれている。これだけのエンターテインメント作をここまで冷徹に描いたのはキューブリックならでは。物語としても破綻なくまとめられているのが大変嬉しい。
ただ一方、これは映画の作りとしては一つ致命的な部分がある。つまり、決定的に盛り上がりが足りないのだ。これだけの予算と人員を用いて、実は驚くほど見せ場が少ない。そりゃ確かに見せ場と言える部分は多いのだが、『ベン・ハー』と言えば、直ぐさま「奴隷船」「戦車競技」と言えるのに、本作では「う〜ん」と唸ってしまう。言ってしまえばそれだけメリハリが少ないと言うこと。私なんぞはそれでも良いと思うのだが、長時間の作品だけに、ちょっときついと思うのも事実。それでもキューブリックらしからず、ラストはきちんと感動的なシーンにしてくれてるけど。
それに、本作はダグラスが自分用に企画したものなのだが、根本的に「スパルタカスがこんなに年食ってるか!」と言いたくなるのが致し方ない所。ダグラスは製作に専念し、もうちっと若い役者に演らせるべきだったんじゃないかな?他は全てOK!なんだけど、キャラだけがどうしても受け入れられず。その分だけ点数が低くなってしまった。
本作は他にもゴシップで有名になった作品でもある。
そもそも本作は製作がカーク・ダグラスだったが、本人は『ベン・ハー』出演を希望していたのにワイラーから拒絶されてしまったため、その恨みもあって本作を作った。その分思い入れが強かったようで、当初監督だったアンソニー・マンと激しくぶつかって降板させてしまい(マンは直後に『シマロン』の撮影に向かう)、代わりに前に『突撃』で仕事をしたキューブリックを監督に推した。そしてダグラスはもう一つ、この時代赤狩りにあってハリウッドから追放同然の状態にあったダルトン・トランボに、実名で脚本を依頼した(これまでにも変名ではいくつかの作品の脚本を書いている)。本作が実はそれまでハリウッドを吹き荒れていた赤狩りに一石を投じる役割を果たした。確かにトランボの特徴とも言える弱者の視点を持ち込み、現実との関わりを持ち込む特徴は実によく出ていた。
ちなみにオリヴィエが奴隷役のカーティスを誘惑する場面で「お前はカタツムリと牡蠣のどっちが好きか。わしはどちらもいける」と言うシーンは検閲でカット。後に1991年の復元版で復活したが、オリジナルの音声が紛失していたので、アンソニー・ホプキンスが吹き替えたという。
本作の脚本にトランボを起用したのはダグラス自身で、それまで偽名で脚本を書き続けていたトランボの名前を脚本に記載することを決定した。2012年のインタビューでダグラスは「私は85本以上の映画を作ってきたが、最も誇りに思っているのはブラックリストを破ったことだ」と語っている。 |
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突撃
Paths of Glory |
| 1957英アカデミー作品賞 |
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ジェームズ・B・ハリス(製)
スタンリー・キューブリック
カルダー・ウィリンガム(脚)
ジム・トンプソン
カーク・ダグラス
ラルフ・ミーカー
アドルフ・マンジュー
ジョージ・マクレディ
ウェイン・モリス
リチャード・アンダーソン
ティモシー・ケリー
スザンヌ・クリスチャン
バート・フリード |
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| ★★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 5 |
4 |
5 |
5 |
5 |
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1915年9月。西部戦線でのドイツ軍とフランス軍の戦いは塹壕戦となり、膠着状態に落ち込んでいた。そんな時、フランス軍の701歩兵連隊に師団長のミロー将軍(マクレディ)から、難攻不落のアント・ヒルを48時間以内に占拠すべしと直に突撃命令が下った。その無謀な作戦に元列椀弁護士だった連隊長のダックス大佐(ダグラス)は激しく抗議したが、解任をちらつかされ、部下と共に死ぬことを選択する。案の定、フランス軍は完敗を喫し、生き残った701歩兵連隊は全員逮捕されてしまった。しかもその中からスケープゴートとして3人を選び、銃殺すると告げられる…
1930年代に描かれたハンコリー・コップの実話を元にした小説を映画化。この映画化はキューブリックの悲願だったが、内容があまりにも過激なため、どの製作会社も買ってくれず、自主製作もやむなし。と判断しかけていたそうだが(事実前年の『現金に体を張れ』はそうやって映画化した)、脚本を読んで感動したカーク・ダグラスが自ら主演を買って出、ユナイテッド・アーティスツに企画を持ち込んで完成の日の目を見せることが出来たという曰く付きの作品(とはいえ資金は100万ドル。そうは見えないけど、実はかなりの低予算映画なのだ)。無慈悲で残酷な戦争の側面を描いた妥協のない描写はヨーロッパの一部と米軍基地内での劇場での上映が禁止されたほどだという。
キューブリックは数いくつかの反戦映画を作っている。例えば『博士の異常な愛情』(1964)や『フルメタル・ジャケット』(1987)があるものの、そのどちらもかなりの変化球で描写されており、その中で、多分唯一ストレートに戦争を描いたのは本作のみ。だけど、この作品も改めて考えると、本当にストレートなのだろうか?むしろ監督の皮肉に満ちた思いが垣間見えるような気がする。悪い言い方なのだが、それは“ユーモア”として感じ取れてしまう。
現実とのギャップこそがユーモアというのならば、本作は本当にブラックジョーク。
監督の戦争描写に共通するのは、“狂気”であろう。本作の場合、それは上司の無体な命令という形で表される。自分の保身のため部下を死地に向かわせ、しかもその責任を当の命がけで戦った兵士に負わせてしまう。設定だけで言えば、まるでコメディだ…いや、実際これがサラリーマンであれば本当のコメディになるし、邦画だったら、その手の作品に枚挙に暇がないほど。だけど、本作の舞台は会社ではなく戦場である。軍隊では「行け」と言われたら行かなければならないし、「死ね」と言われたら死なねばならない…何とも辛い立場である。
しかし彼らは決して国の駒ではない。確かに崇高な使命がある訳でも無いし、やさぐれてしまう人間もいる。だけど、それぞれに人生を背負って生きているのだし、一人一人、死にたくない。という切実な思いもある。その命を理不尽な理由で奪ってしまうのが軍隊というものだ。その皮肉が思いっきり込められているお陰で本作も苦々しいユーモアのセンスも感じられてしまうのだ。
…しかし、そうすると、本当に大まじめに演じているダグラスがとても浮いて見えてしまうのは致し方ない所か?(多分製作者だけにダグラスが我を張ったんじゃないかな?)
それにしても本作の描写は際だってる。前半部分の塹壕戦の描写は容赦ない殺戮シーンだが、捕虜の女性にそれまで野卑な言葉を投げかけていた兵士が、その歌声に徐々に涙を見せる描写。兵士一人一人が“駒”から“人間”に戻るシーンの描写が凄い。そして再び“駒”に戻され、処刑場にひかれていく兵士達のうつろな表情…どれ一つ取っても、まさに才気煥発。驚くべき描写である。
尚、最後のもの悲しい歌声を聞かせてくれた少女は後のキューブリック夫人のクリスティアーヌ。このシーンはキューブリック作品の中でも最も情緒的なシーンだった。
1976年までフランスで上映禁止だった。興行的には振るわなかったものの、その後、偉大な反戦映画の1つとなる。 |
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現金に体を張れ
The Killing |
| 1956英アカデミー作品賞 |
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ジェームズ・B・ハリス(製)
スタンリー・キューブリック(脚)
スターリング・ヘイドン
マリー・ウィンザー
コリーン・グレイ
ヴィンセント・エドワーズ
ジェイ・C・フリッペン
テッド・デ・コルシア
ティモシー・ケリー
エリシャ・クック・Jr |
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| ★★★★☆ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
4 |
5 |
4 |
4 |
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刑務所を出たジョニー(ヘイドン)は刑務所の中でも犯罪計画を練り上げており、保護観察の間にその計画を実行に移す。ジョニーが計画したのは競馬場の売上金。競馬場の職員を含めた6人の男を仲間に引き入れ、計画を実行に移す。陽動作戦と群衆の大衆心理まで顧慮された計画は完璧に見えた。だが、当日になって計画を知った仲間の一人ジョージの妻が横取りを考え、更に実行犯の一人でライフル担当のニッキがしくじった。思いもよらない事態へとなるが…
探偵小説作家ライオネル=ホワイトの「完全なる消散」の映画化でキューブリック監督のメジャー第2作目にして出世作となった。作品自体は自主製作に近いが、UAからの後援を受けて製作される。
完全犯罪を目指したピカレスク・ロマン作。
こう言った泥棒をモティーフとした作品は二つの方向性があると思う。
一つにはこの手の作品はキャラクタ性を立たせるか、演出を派手にすることに目が行ってしまうパターンで、ハリウッド製のほとんどはこちら。謎めいたストーリーや意外性などを盛り込みやすいため、エンターテインメントとしては優れているが、個人プレーの方に重点が置かれるので、肝心な設定のプロットや、計画の破たんに対するフォローが全然できていない作品が多い。それこそいくらでも挙げられるけど、古くは『おしゃれ泥棒』(1966)がそうだし、アニメだが『ルパン三世』シリーズなんかはまさにこれに当たるはず)。
もう一方はベクトルが別で、実行に至る過程を丁寧に描き、いざ実行に当たり予定外の出来事にどう対処するかを描くパターン。計画から実行、失敗に至るまでを緻密に描くことになるが、この場合は話のかなりの部分が打ち合わせになってしまうため、コントロールが難しい特徴あり。近年では『スコア』(2001)なんかがそうだろう。
この二つのパターンは相対するものではないので、ほとんどの場合はそのどちらも含ませようとするものだが(『エントラップメント』(1999)なんかはそのどちらも含む作品としてとらえられる)、あくまでプロットに重きを置いた後者の代表作と言えるのが本作と言えるだろう。
本作はストイックなまでに演出の派手さを排して会話を重要視しているのだが、その打ち合わせ自体にドラマ性を持たせているため、それだけでも緊張感が途切れない。見事な時間把握と会話のテンポの良さ、それにどんな人間にも裏があると言う事実をここで叩き込み、実行に至っては思わぬハプニングがどんどん起こってくる。なるほど打ち合わせがしっかりしているからこそ、こう言うハプニングも映えるのだ。ラストの虚しさの雰囲気も含め、キューブリックの巧さに改めて感心させられる。
これほどの作品がこの時代に作られたのだから、こう言った作品がもっとたくさん出てよさそうなもんだが。
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非情の罠
Killer's Kiss |
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モリス・ブーゼル(製)
スタンリー・キューブリック
ハワード・O・サックラー(脚) |
| フランク・シルヴェラ |
| ジャミー・スミス |
| アイリーン・ケイン |
| ジェリー・ジャレット |
| ルース・ソボトゥカ |
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| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
3 |
4 |
3 |
3 |
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恐怖と欲望
Fear and Desire |
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スタンリー・キューブリック(製)
ハワード・サックラー(脚) |
| ケネス・ハープ |
| フランク・シルヴェラ |
| ポール・マザースキー |
| スティーヴ・コイト |
| ヴァージニア・リース |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 5 |
3 |
4 |
5 |
4 |
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| 製作年 |
1953 |
| 製作会社 |
自主製作 |
| ジャンル |
戦争(不明) |
| 売り上げ |
$33,000 |
| 原作 |
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| 歴史地域 |
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| 関連 |
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ページトップへ
| 著作 |
評伝 |
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EYES WIDE OPEN―スタンリー・キューブリックと
「アイズワイドシャット」(1999) |
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| フレデリック ラファエル |
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| Kubrick(1989) |
<A> |
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| ミシェル・シマン |
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| ザ・キューブリック―知られざる秘かな愉しみ方(1999) |
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| 映画監督 スタンリー・キューブリック(2004) |
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| キューブリック映画の音楽的世界(2007) |
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<楽> |
| 明石 政紀 |
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| キューブリック・ミステリー―『2001年宇宙の旅』論(1990) |
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| 浜野 保樹 |
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|
| ザ・コンプリート キューブリック全書(2001) |
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| スタンリー・キューブリック 映画ポスター・アーカイヴ 宣伝ポスターまでもコントロールした男(2022) |
<A> |
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| 井上由一 |
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| スタンリー・キューブリック―期待の映像作家シリーズ(1999) |
<A> |
<楽> |
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| スタンリー・キューブリック―写真で見るその人生(2004) |
<A> |
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| スタンリー・キューブリック ドラマ&影:写真1945‐1950(2005) |
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