コマンチェロ
The Comancheros |
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ジョージ・シャーマン(製)
ジェームズ・エドワード・グラント
クレア・ハフェーカー(脚)
スチュアート・ホイットマン
ジョン・ウェイン
リー・マーヴィン
アイナ・バリン
ブルース・キャボット
ネヘミア・パーソフ
マイケル・アンサラ
ハリー・ケリー・Jr
ジャック・イーラム |
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| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
3 |
3 |
3 |
3 |
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| 癌で亡くなる6ヶ月前に公開されました。撮影中、カーティスは体調を崩していましたが、カーティスが体調不良で撮影できない日は、主演のジョン・ウェインが監督を引き継ぎました。ウェインは共同監督としてクレジットされることを望まなかったのです。 |
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俺たちは天使じゃない
We're No Angels |
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パット・ダガン(製)
ロナルド・マクドゥガル(脚)
ハンフリー・ボガート
アルド・レイ
ピーター・ユスティノフ
レオ・G・キャロル
ジョーン・ベネット
グロリア・タルボット
ベイジル・ラスボーン |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
4 |
3 |
3 |
4 |
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フランス領の刑務所“悪魔島”刑務所を脱獄したジョゼフ、ジュール、アルベールの3人組は近くの港町に辿り着き、そこで着る物や金を調達しようととある雑貨屋に押し入った。しかし経営不振で閑古鳥が鳴くその店の主人や娘の恋の行方に同情し、事もあろうに居候を決め込んで主人たちを助けて行く。折しもその日はクリスマス・イブ。3人はそれぞれの犯罪の才能を駆使して豪華な食事を揃え、店の家族には“あなたたちは天使よ”と感謝されてしまうのだった。だが、幸せなその夜に現れた店のオーナーのあまりの横暴ぶりに怒りを覚えた三人は…
南国ののどかな港町を舞台に、囚人達がおりなすコメディ。囚人の代表ボギーことハンフリー・ボガードが決して渋さを失わないまま上手くコミカルさを演出していたし、他の二人もそれぞれにきちんと見せ場があって、とても心地よい気分にさせてくれた。
凶悪犯でありながらも悪に徹することが出来ず、結局人助けをしてしまう三人の囚人達。前半はその課程に費やされる。この辺りの展開がやや冗長っぽい感じではあるが、逆にそれが個々のキャラクターの性格把握を容易にしてくれている。
問題は彼らの人助けの方法って言うのがえらく短絡的というか直結的というか、悪者を排除して終わる。と言うのはちょっと不満。ねちっこく虐めるとか、最後に店から蹴り飛ばして「もう来るんじゃねえ」とか啖呵を切って終わるとかの方がすかっとした気分にさせてくれただろうに。「殺ったのは俺たちじゃなくて蛇の方だ」と言うのも言い訳がましい感じ。まあ、確かにこの描写はスマートには違いないけど。
後は船に乗るだけ。そうすれば晴れて自由の身、と言うところで刑務所の中の快適さを思い出して語り合い、三人揃って刑務所の方に向かうラストシーンはなかなか良い演出。更に一人一人の頭の上に天使の輪が一つ一つ灯っていき、最後に蛇のバスケットの上にも輪が灯る。結局天使は3人じゃなくて4人だった訳か。
ところでここで何故“天使”と付くのか、ちょっとくだらないことを考えた。この作品は良くあるパターンとは異なり、彼らは誰一人自分の恋物語を成就させることなく、結局イザベルの恋を忘れさせ、新しい恋に導いている。そう言う意味ではキューピット役、つまり天使ってことになるんだろう。
結局この作品を総称すると、とてもオシャレな作品だと言って差し支えない。
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エジプト人
The Egyptian |
| 1954米アカデミー撮影賞 |
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ダリル・F・ザナック(製)
フィリップ・ダン
ケイシー・ロビンソン(脚)
エドマンド・パードム
ヴィクター・マチュア
ジーン・シモンズ
ジーン・ティアニー
マイケル・ワイルディング
ピーター・ユスティノフ
マイケル・アンサラ
ジョン・キャラダイン
カール・ベントン・リード |
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| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
3 |
3 |
2 |
3 |
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紀元前14世紀エジプト。数奇な運命を経て医師となった青年シヌヒ(バードム)は、この世界に神は一人しかいないという確信を持っていたが、多神教の周囲の人々に合わせて生活を送っていた。そんなある日、一神教の予言者アクナトン(ワイルディング)の命を救ったが、そのアクナトンがエジプトの王になり…
1954年全米興行成績4位。
“古代エジプト”の信仰観はどうか?と言われると、イメージとしては素朴な信仰であり、多神教であると答えたくなるのだが、実際には国家としての古代エジプトはとても長く続いているため、その間に主神もいくつも代わってるし、一貫した神話も存在しない。私たちがよく知る神話は、ある特定の年代にのみ知られたもの。だからこそとにかく複雑。
ただ、その中にあって、一つ大きな宗教観をもたらした王がいる。エジプト第17王朝の王アメンホテップ3世の息子。そもそもアメンホテップ4世として第18王朝の王として即位したのだが、その後イクン・アトン(イクナトーン、この映画ではアクナトン)と改名し、神は太陽神アテン一人だけであると宣言してしまった。エジプト唯一の唯一神信仰の第18王朝を作った初の宗教改革下として知られる人物である。
資料が少ないために謎めいた人物だが、だからこそ、小説などで取り上げられることもあって、ミカ・ワルタリによって、一種のファンタジー小説として描かれたイクン・アトン像を映画化したのが本作。
小説の作り方としては、「クォ・ヴァディス」や「ポンペイ最後の日」などと同じく、実在の王と少し関わりを持つ人物を設定し、その第三者の目を通して王を描くと言った風情。実際前述の二作品とほとんど物語自体まで変わってないような?そんな感じ。
舞台が古代のエジプトということで、かなりエキゾチックさが増しているので、その辺が見所だが、後に“やっちまった作品”となった『クレオパトラ』(1963)を先行するような作品になってしまった。役者の好演に助けられてはいるものの、現代の目から見る限りはやっぱり失敗作に思えてしまう。意気は高いが全般的にそれを支えるだけのものが無かったというか。カーティス監督は結構好きなんだけど、この作品に関しては、監督を引き受けるべきではなかったと思う。
本作は色々ゴシップも多いことでも知られている。主人公シヌヒは元々マーロン・ブランドがキャスティングされていたのだが、いつもの喧嘩によってその役を蹴ってしまうとか、魔性の女性ネフェル役をマリリン・モンローが切望したが、プロデューサのダリル・F・ザナックがごり押しして当時の愛人ベラ・ダーヴィにしてしまったとか。そんなゴシップも足を引っ張ってしまったかもしれん。 |
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ミルドレッド・ピアース Mildred Pierce |
1945米アカデミー主演女優賞(クロフォード)、作品賞、助演女優賞(アーデン、ブライス)、脚色賞、撮影賞
1996アメリカ国立映画登録簿新規登録 |
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ジェリー・ウォルド(製)
ロナルド・マクドゥガル(脚)
ジョーン・クロフォード
アン・ブライス
ジャック・カーソン
ザカリー・スコット
イヴ・アーデン
ブルース・ベネット |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
4 |
4 |
4 |
4 |
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| カーティスは当初、バーバラ・スタンウィックを候補に挙げていた。しかし、当時2年間映画出演から遠ざかっていたクロフォードは、この役を掴むために全力を尽くした。大スターとしては珍しく、彼女はカーティスのオーディションを受けることさえ申し出た。彼女は既に「マイク・カーティス氏は私を嫌っている…あの大きな肩は要らない」とカーティスが言ったことを承知していた。カーティスが感情的なシーンを朗読している最中、クロフォードは彼女の演技に圧倒され、涙を流した。そして「愛しているよ、ベイビー」と言ったのだ。 |
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ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ
Yankee Doodle Dandy |
1942米アカデミー主演男優賞(キャグニー)、ミュージカル映画音楽賞、録音賞、作品賞、助演男優賞(ヒューストン)、監督賞、原案賞、編集賞
1942NY批評家協会男優賞(キャグニー)
1993アメリカフィルム登録簿登録 |
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ジャック・L・ワーナー
ハル・B・ウォリス
ウィリアム・キャグニー(製)
ロバート・バックナー
エドモンド・ジョセフ(脚) |
| ジェームズ・キャグニー |
| ウォルター・ヒューストン |
| ジョーン・レスリー |
| ローズマリー・デキャンプ |
| ジーン・キャグニー |
| アイリーン・マニング |
| リチャード・ウォーフ |
| S・Z・サカール |
| ウォルター・キャトレット |
| フランセス・ラングフォード |
| エディ・フォイ・Jr |
| ジョージ・トビアス |
| ダグラス・クロフト |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
5 |
4 |
3 |
4 |
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1937年、10年ぶりに舞台に帰ってきたコーハン(キャグニー)は舞台の上でルーズヴェルト大統領を演じるのだが、なんとその大統領自身からホワイトハウスへの招待の電報が届いた。そこでコーハンは大統領と対面し、自分が歩んだ道を語る。ボードビリアンの両親により旅から旅への子供時代。後に結婚することになる好きになった歌手の卵メーリー(レスリー)のために大ばくちを打ち、舞台で勝手に自作の歌を歌わせたお陰で数年間どん底を味わったこと。盟友サム・H・ハリス(ウォーフ)とめぐり会いと、その確執。そして奇跡のカム・バックの事を…
ブロードウェイ史上最も多才と言われ、俳優として初めて名誉勲章を受けた音楽家のジョージ・M・コーハンの伝記。1942年全米興行成績3位。コンピュータによりカラー化してテレビで放映された最初の作品でもある。ワーナー・ブラザースにとって、この映画は同社史上最大の興行成績となった。
本作はコーハンの伝記であると共にアメリカのボードビルの歴史就中アメリカ史の一側面を描いた作品で、資料としての意味合いはとても高い。一応ジャンルとしてはミュージカルになるが、実際に行われたミュージカルの舞台を再現したと言う事で、むしろ純粋な伝記であり、ミュージカルにはこういう作り方も出来る。という一つの可能性を切り開いた作品として見ることも出来よう。主人公となったコーハンが存命と言うこともあり、この時代に作られたにしては、着眼点がとても面白い。
アメリカの歴史は、その一側面として芸人の歴史でもある。広大な大地を持ち、歴史を持たないアメリカにとって、芸とはヨーロッパのものとは異なり、祭りではなく、純粋な娯楽として進化していった。なにせ広大な土地を耕さねばならない人々である。乏しい娯楽を何よりも楽しみにしていただろう。そのような人達に笑ってもらうために芸は作られ、芸人は研ぎ澄まされていく。
だが、歴史が進むに連れ、芸というのも様変わりしていく。大衆が最も必要なものであるという認識は一部特権階級の人々が作り出す幻影にもなっていった。劇中戦意高揚のために芸が使われているシーンも見受けられるが、まさしく芸とは、別な意味で見えない力を持ったものとして利用されてもきたのだ。
そして映画の発達に連れ、ボードビルは娯楽のトップから引き落とされていく…一人の芸人を丁寧に描くだけでも様々な側面を推測させられて楽しい。特に本作はつなぎの上手さによって、しっかり歴史を感じさせられる作品だ。
本作の場合、主役にキャグニーを持ってきたのも大きいだろう。元々はアステアが演じるはずだったとも聞いているが、アステアだったらもっと軽快に、現実離れした話に落ち着いただろうから、むしろキャグニーのようなギラギラした人物によって演じられることで、本作は本当の意味でリアリティを持つことが出来るようになったとも言えよう。
主演のキャグニーはそれまで数々のギャング映画で有名になった人物で、彼の演じるベイビー・フェイスは後のギャング映画では欠かせない人物描写となったが、キャグニー自身はそれをあまり好ましく思っていなかったらしく、本作のことを「生涯の誇りであり、一番好きな出演作」だと語っているほど(キャグニーがこの話を受けたきっかけは共産党院疑惑を払拭するためだったともいうが)。その意味でこれこそがキャグニー自身の本来の姿だったのかもしれない。
ローズヴェルトはこの当時車いす生活を送っていたが、一般にはそれは伏せられていたため、ここでのローズヴェルトは椅子に座りっぱなし。
完成時にコーハン自身は存命だったが病気で、病室で試写を観るが、見終わって絶賛したという。
アカデミー授賞式でのキャグニーのスピーチは名スピーチの一つ。それは「映画は観客のもの」というものだった。 |
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カサブランカ
Casablanca |
| 1943米アカデミー作品賞、監督賞、脚色賞、主演男優賞(ボガート)、助演男優賞(レインズ)、撮影賞、作曲賞、劇・喜劇映画音楽賞、編集賞 |
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ハル・B・ウォリス(製)
ジュリアス・J・エプスタイン
フィリップ・G・エプスタイン
ハワード・コッチ(脚)
ハンフリー・ボガート
イングリッド・バーグマン
ポール・ヘンリード
クロード・レインズ
コンラート・ファイト
ピーター・ローレ
シドニー・グリーンストリート
ドゥーリイ・ウィルソン
モンテ・ブルー
マルセル・ダリオ |
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| ★★★★☆ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
5 |
4 |
4 |
4 |
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1940年のフランス領モロッコのカサブランカ。ここはドイツに敗戦したフランスを逃れ、自由を求めて渡米しようとする人々でごった返していた。そんな中、カサブランカでナイトクラブを経営するリック(ボガート)の元へ、ナチの手を逃れてここまでやって来た抵抗運動の指導者が現れる。だがその人物の妻は、かつてパリでリックと恋に落ちたイルザ(バーグマン)だったのだ…かつてイルザと分かれ、虚無的に生きてきたリックの人生に再び灯が灯る…
元は第二次大戦下でのプロパガンダ映画として作られた作品だが、その出来の良さから名作と呼ばれるに至った作品。
基本的に私はメロドラマが嫌い。特にそれが不倫と関わっていたりすると、どうにも引いてしまう。正直な話、本作も基本的なストーリー自体は食指をそそる程でなかった。大体反ナチ闘士の亡命を助けるという設定がいかにも過ぎるし、そこにメロドラマを加えるのも嫌味。
その方面にそそられることがないとは言っても、本作の場合、それ以外が凄く良かった。台詞の一つ一つが名言で(口説き文句としてはもはや冗談の域にはいるほどの名言「君の瞳に乾杯」であれ、「そんな昔のことは忘れた」「そんな先のことは分からない」とかね)、更にカメラ・ワークの巧さ。息詰まる緊張感。監督の力量にはそのまんま感動を覚えてしまう。冒頭のモンタージュから流れるように入ってくるオープニング。バーグマン演じるイルザがカサブランカにやってきて酒場のピアニストに「時の過ぎゆくまま」をリクエストし、その途端にボガート扮するリックが「その曲はやめろと言っただろう」と言って入ってくるのも名シーンの一つだろう。それでもやっぱり特にラストシーンの男二人が肩を並べて去っていくシーンはそれだけで感動ものだった。
本作はボギーの代表作と言われているが、むしろ本作は署長を演じるレインズの巧さが光る(ラストシーンの「美しい友情のはじまりだな」は本作を総括するにピッタリの台詞だ)。更にローレやヘンリード、ファイトと言った芸達者を加え、キャラ立ちに関しては本当に見事。それにバーグマンの清楚さが際だっていた。モノクロームの画面に最も映える白一色で登場したのは、特に目を引くシーンだ(ちなみにこの時バーグマンが付けていた幅広の帽子は後に「カサブランカ」という名称を与えられたとか)。
後で知ったことだが、本作の撮影には並々ならぬ苦労を強いられたそうだ。
そもそも本作はハワード・ホークスが監督するはずだったのだが、メロドラマを嫌うホークスはカーティスが監督する予定だった『ヨーク軍曹』を自分で監督すると言いだし、本作をカーティスに任せてしまったという。
更に本作はWBが製作したのだが、WBの中ではぴったりしたキャスティングが出来ず、他のスタジオから俳優を借りまくることになる(例えばバーグマンはセルズニックから、ウィルソンをパラマウントから、ファイトをMGMから)。又、脚本も苦労の連続をカーティス監督に強いることとなる。撮影のその日その日で脚本を読み直し、決定した部分だけをメモにして毎回役者に配っていたと言う。更にどうしてもラストシーンをどうするか、監督自身に分からず、最終的に絞り込んだ二通りのラストを考え(一つはリックとイルザをくっつける内容になっていたはず)、そのどちらも撮ってから、良い方を残そうと考えていたらしい(ただ、最初の撮影があまりにも良すぎたためもう一種類のラストは撮られずじまいとなる)。主人公のシーンだけでなく、群衆シーンについても相当の苦労があったようだが、これをきちんと演出したのは、実はこの作品でオープニングおよび群衆シーンを演出したのは、実はドン=シーゲルだったとか。こんな所にも才能が見える。
それだけ苦労したため、本作が拍手喝采をもって迎えられるとは思わなかったのはなによりこの作品に携わった人たちで、主演のバーグマンは、そんなことは絶対にないと思っていただけにアカデミー受賞を聞いて大変驚いたそうな(そりゃ自分自身、ラストに誰と一緒になるのか分からないんだから、優柔不断さは素で出せただろう)。
多分その緊張感が上手くはまったために本作は名作となり得たのだろう。映画における奇跡とは、この作品において体現されている。
ハインリヒ・シュトラッサー少佐役のコンラッド・ファイトはかつてイギリスに亡命中のポール・ヘンリードの身元保証人となったという。 |
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「君の瞳に乾杯」Here's lookng at you, kid.
「そんな昔のことは忘れた」「そんな先のことは分からない」
「美しい友情のはじまりだな」 |
ロビンフッドの冒険
The Adventures of Robin Hood |
| 2004サターンDVDクラシック映画リリース賞 |
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ウィリアム・キーリー(共)
ハル・B・ウォリス(製)
ノーマン・ライリー・レイン
シートン・I・ミラー(脚)
エロール・フリン
オリヴィア・デ・ハヴィランド
クロード・レインズ
ベイジル・ラスボーン
パトリック・ノウルズ
ユージン・パレット
アラン・ヘイル
メルヴィル・クーパー
イアン・ハンター
ウナ・オコナー
ハーバート・マンディン
モンタギュー・ラヴ |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
4 |
5 |
3 |
4 |
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十字軍に従軍し、行方不明となってしまったリチャード王に代わり、摂政の王弟ジョン(レインズ)が国を治めていたが、サクソン人嫌いのジョンはことごとくサクソン人を迫害する。そんな悪政に対し敢然と立ち上がったのはサクソン貴族の一人ロビン=フッド(フリン)。彼は領地を捨て、シャーウッドの森に仲間と共に潜伏し、ノルマン人を次々と襲う。貴族を襲っては、財宝を掠奪し、1/3を貧民達に与えるという義賊ぶりに、ジョンに対し不満を持つ人物が次々とシャーウッドの森に集結していく。そんな時、ジョンはロビンを罠にかけ、ついに捕らえることに成功するが、かねてからサクソン人に同情的だったマリアン姫(デ・ハヴィランド)はこっそりとロビンを逃がしてしまう…
数あるロビンフッド伝説の映画化の中では最も成功したと言われるのが本作。
日本でも古くから白波五人男や国定忠治と言った義賊(?)を好む風潮があるが、イギリスでもそう言う人物は存在する。それが伝説的な義賊ロビン=フッド。実在したかどうかはよく分かっていないそうだが、悪政によって抑圧された民衆によって作り上げられた伝説の英雄である。
イギリスと日本は島国という点で似ているが、日本との大きな違いはイギリスの場合は民族問題というのが歴史にずっと横たわっていること。この狭い国の中でも、民族は多岐に渡り、イギリス国内の紛争の大部分は民族紛争であったりもする。現代も尚アイルランド人とブリテン人との諍いは続いているが、これが時代をさかのぼると、ウェールズ人やスコットランド人なども登場し、更に時代をさかのぼると、ノルマン人とサクソン人との争い、更にその前になるとチュートン人やデーン人との争いや、ローマ人の征服など。政治のみならず民族の移動が大変多く、とにかく複雑。イギリスの歴史物の作品を見る場合、それなりに身構えないと訳分からなくなるが、お陰で色々詳しくなった。
本作の場合、いわゆるノルマン・コンクエストによって外来のノルマン人によって征服されたブリテンが舞台。ノルマン人はそれまで争いの絶えなかったブリテンに安定した政治をもたらしはしたが、一方では在郷人であるサクソン人をことごとく迫害した。それがサクソン人民衆によってロビンという英雄を呼んだと言うことになるのだろう。
ロビンフッドは時代に即した一種のおとぎ話ではあるが、映画にする場合、これを単なるおとぎ話ではなく、民族紛争なども絡めたリアルな話にしてしまう傾向がある。真面目な映画人が色々頭を捻るのだろうが、問題はその大半が全然面白くない。という事実。陰々滅々としたストーリーと、複雑に絡む民族問題を映画で出されても、なかなか理解出来ないというのが事実であろう(それに大半は想像だし)。
結局本作の最大の売りは、それらをすっぱりと切り捨て、善玉と悪玉を明確化させることによって完全な娯楽作品としておとぎ話に近いお噺に徹したこと。実際これくらいがいちばん分かりやすいのだな(脚本の方はかえって大変だったかも知れないけど)。
最初期のカラー映画というのに、今観ても実に新鮮。演出に関しては現代でも充分通用するほどだし(事実初見ではてっきりもっと遙か後に作られたものだと思った)、チャンバラに徹した殺陣も明確で良い。何より観ていて楽しいのが最大の利点。この手の作品は見せ場でワクワクさせて、しっかり笑わせてくれれば、それが何よりであることを改めて感じさせられる。
すっとぼけた感じのフリンがとても楽しそうに演じているのも良い。フリンのお陰でロビンはどことなく人を食った快男児として仕上げられてる。上手く噛み合った作品とも言えよう。
歴史映画に興味ある人の入門編として、文句なくお薦め出来る良作。
本作はたまたま『風と共に去りぬ』監督中で空き時間があったジョージ・キューカーが洞窟シーンを監督していたという。 |
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