アリー(オートゥイユ)は会社ではエリート・サラリーマンではあるが、家ではだらしない夫で、ついに妻ジュリー(ミュウ・ミュウ)が二人の娘と出て行ってしまっている。そして娘が遊びに来る日まで忘れてしまい、慌てて雨の中を駅に向かう途中、犬を跳ねてしまう。その犬を連れていたのはダウン症のダウン症のジョルジュ(デュケンヌ)で、実は施設から家族を捜しに抜け出してしまったというのだ。仕方なく犬とジョルジュを家に連れて帰る。どうしてもママに会いたいと言い張るジョルジュに負け、仕方なくしばしジョルジュにつきあうことになったアリーだが…
ダウン症の、いわば“大きな子供”に振り回されていく内に、人間性を取り戻していく主人公という、一種ありきたりな物語で、大変物語はベタなもの。物語にリアリティもあまり無いし、実際にこれを観て「感動した」という人はあまりいないのかも知れない。出来としても完成度としても、『レインマン』(1988)や『I am Sam アイ・アム・サム』(2001)には敵わない。
…と、悪いところを並べてみたが、実際は、私はこの作品が無性に好き。リアリティや物語の良さよりも、ここに登場するジョルジュがとても愛おしい。精神病を演じる役者は数多くおり、これを演じきるのが一流の証のように思われているが、このジョルジュ役のデュケンヌは群を抜いている。そりゃ本物だからその通りとはいえ、細かい仕草や表情やら、彼が演じるととても自然体。むしろ、よくこれだけ監督の指示を受けての演技が出来るものだと感心を通り越して感激してしまった。
ダウン症の人は本当の意味で憎まれる事が少ないのは、彼らは極めて人生にポジティヴな考え方をしているから。ダウン症の人と一緒にいると、色々大変な事も多いけど(特に下の世話とか顔を常に拭いてやらないと涎でべちゃべちゃになる事とか)、相手が素直に好意を持ってくれる事がストレートに伝わってくるので、それで結構癒される事が多い。これは実生活でもそうなので、これをテーマにした作品は結構多いもの。
ところが本作の場合、ちょっと違っている。一見パターンに見えるのだが、実はジョルジュはかなり汚い。物理的なものではなく、全て自分の思い通りにならないと機嫌が悪くなるし、ちょっとしたことでも泣きわめく。だけど勿論それらはダウン症に見られる特有の症状ではあるが、画一的でないのは、実はジョルジュはそれを武器にする事をよく知っているのでは?と思わせる描写が多いのだ。ダウン症と言っても色々あるもんだね。こんな表裏のある人もいるんだ。と思わせる描写が本作の魅力。実際にダウン症を知っている目から見ると、これはとてもユニークな造形なのだ。それが出来るのはデュケンヌが本当のダウン症であるという事実をふまえてこそなのだろう。
それでラスト。普通のパターン的感動に持ち込んだ…と思った途端、ジョルジュのダイブという衝撃的な描写があって、どきっとした。物語的にも現実にもこれは普通あり得ない。それが物語というものなのだ。
だが結果的に、ジョルジュがいなくなって初めてアリーは彼の存在価値を知る。あのラスト、釈然としない所があるんだが、逆にそれを超えて受け入れていくアリーの姿がとても良い。むしろあの部分があったからこそ、本作は思い出に残る作品となっている。
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