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カン・ジェギュ
Kang Je-gyu


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1962 12'23 安養で誕生

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タイトル
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物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

ブラザーフッド
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★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1950年のソウル。靴磨きをしながら弟のジンソク(ウォンビン)を大学に行かせ、自分も靴屋を開くことを目標にしているジンテ(チャン)は婚約者ヨンシン(ウンジュ)と母親と共に働いていた。しかし、6月25日。北朝鮮軍が38度線を越え、朝鮮戦争が始まって生活は一変する。無理矢理徴兵されたジンテとジンソク。ジンソクを守るべく、自ら進んで危険な任務に志願するジンテは次々と軍功を挙げていく。それに従い、兄弟仲にも亀裂が入っていく。尚この題は原題『太極旗を翻して』の翻案。
 かつて『シュリ』(1999)を観た時、正直
失笑もので、そのカン監督の作品と言うことで、全然期待してなかった。それでも観に行ったのは簡単で、戦争映画が結構好きな方で、しかも朝鮮戦争について描かれていた作品は今まで殆ど観たことがなかったから(強いて言えば、私が観たのは『M★A★S★H』(1970)のみ。しかしこれは戦争そのものについて描いてなかった)。
 しかし、
これは大当たり。色々な意味で驚かされた。
 少々長くなるが、書きたい放題書かせてもらおう。
 まず、この作品、世界に向けて発信という割には、歴史的な点で不親切な点が多い。特に朝鮮戦争の歴史的な部分は、当然知ってるものとして描かれているかのようだ。それで一応朝鮮戦争について。これはそもそも日本にその責任の一端はある。
太平洋戦争時点で朝鮮を支配していたのが日本だった。だが日本が戦争に負け、日帝時代が去ると、それで完全独立は果たせなかった。北からはソ連が、南からはアメリカがその経済復興を助けるという名目で入り込んできてしまったのだ。結果、イデオロギーは二分。アメリカ、ソ連共に手を引くつもりはなかったため、国内の混乱を防ぐため、いわゆる38度線で北の北朝鮮と南の大韓民国という二つの国に分けてしまった。これが悲劇の始まり。たまたま住んでいるところが違うと言うだけで全く違う価値観を持つ国に取り込まれてしまうのだから。そして1950年6月25日。北朝鮮軍が38度線を越えて進撃。準備の整っていなかった韓国側は敗走を続け、結果、首都ソウルまでがあっという間に北朝鮮に蹂躙されることになる。9月末までには北朝鮮軍は韓国のほぼ全域を手中にした。だが、北朝鮮の進撃はそこまで。国連の承認を得ることで、アメリカを始めとした国々が一挙に参戦したのだ。大量物量作戦を展開する国連・韓国連合軍はそれまで奪われていた地域を全て取り戻したのみならず、今度は北朝鮮側に攻め込む(これが日本の特需を生み、現代の繁栄を築いたのだから皮肉と言えば皮肉な話だ)。逆に韓国によってあわや統一?と思われた時、今度は中国が参戦(ソ連と中国の関係はややこしいが、ここではまだ関係がさほど悪化してなかったことも幸いした)。戦いはそのまま泥沼状態になってしまった。殆ど代理戦争のような状態で、終始展開していたのがこの朝鮮戦争の特徴だった。そして1953年7月27日に、これ以上の消耗戦は出来ないと判断した両国政府(及び支援国首脳)によって、休戦協定が結ばれている。ここで重要なのは、あくまでこれは和解ではなく、休戦であること。実は韓国と北朝鮮は未だに戦争の真っ最中なのだ。
 それから50年が経過。50年と言えば、人の一生を考えると長い年月だが、政治的な意味合いではそうでもない。何せ未だに戦争が続いているのだから。そんな中で作られた作品だった。
 ところで戦争映画とカテゴライズされるものについて考えてみたい。
他の娯楽映画と戦争映画はどこか違った部分がある場合が多い。一つにはプロパガンダに使われやすいこと。特に戦争中などには数多くの戦意高揚のための国策映画として戦争映画はたくさん作られてきた。そしてもう一つは、戦争の虚しさを強調する場合。反省をこめて、あるいは戦争とはきれい事ではないと言うことをを伝えるメッセージ性を持たせる事が多い。本作の位置づけとしては後者の方にあるが、その作り方が面白い。
 そもそも戦争映画を描く場合、その監督がどの程度対象となっている戦争を理解しているかが問題となる。これは
知識としてのみではなく、感情面からも考えねばならない。邦画で戦争を描いたもので駄作が多いのは、監督や脚本、そして観る側も「平和は素晴らしい。平和こそ守るべきものだ」という思考停止に陥ってしまうため、戦争はその面でしか観られなくなってしまっている。それがあまりにも強く出過ぎるため、違った作り方をしようとしても、平和のアンチテーゼとしかならない。結局良質な作品を作りにくい状態にある。特に日本とイタリアが作った第2次世界大戦を題材とした映画、それにアメリカの作ったヴェトナム戦争を題材とした映画は、未だに束縛から逃れていない事を感じさせられる(よく観てみると、第2次世界大戦とヴェトナム戦争の映画は全然作りが違うことに気づくと思う)。結局の話、戦争を未だに消化できていないのだと思える。そう言う面から考えると、本作は見事に消化しきっていた。これだけ全編に渡ってイデオロギー色の強い発言ばかりなのに、実際そのイデオロギーには背景が無い。ただ都合で喋っているだけ。同じ民族が殺し合うために、訳の分からない思想にすがろうとしているだけだった。それを正確に見事に捉えていた。
 正直、『シュリ』
単純な北朝鮮=悪の構図だったので、これもそうだと思っていた。北朝鮮を悪に仕上げ、それをうち倒すことで結束する。と言う図式だったと思っていたのだが、それが全く違っていて、不意打ちを食らわされた気になった。ここには北朝鮮も韓国もない。ただ状況によって殺し合う。それだけでなく、銃後では、北朝鮮占領時に協力したと言うことで、市民をあっけなく殺していく軍部の描写まである。主人公の一人が北朝鮮に寝返りまでする。決して韓国の軍を美化するわけでなく、イデオロギーなどもただの付け合わせにしてしまっている。今の時代(しかも未だ戦争中)でここまで思想部分で達観できた映画が作れるとは思ってもみなかった…あるいは80年代中盤まで軍事政権が続いたのも、何らかの影響を持っているのかも知れないな。
 更に、この映画は戦争映画にカテゴライズされることになるだろうが、戦争映画にしては、えらい大胆な作り方をしている。戦争映画で必要なものは戦闘シーンだけでないのだ。
上層部の思惑というものが普通描写されるものだ。戦争前夜から今の戦局がどうなっているのか、そして戦後処理をどうするのか。その辺の戦略的、政治的な描写がない戦争映画はほとんど無い。ところがこの映画には本当に全くそれがなかった…おいおい
 戦局描写も政治的駆け引きもない戦争映画。そんなものが今まであったか?
 …いや、あるのはあるのだ。充分それでもやっていけるのが。ただし、それは前線に立つ兵士の物語でなく、主に銃後で生きる市民の物語として。この場合、派手さはない代わりに極限状態にある人間ドラマを描写しやすいと言う利点があり、結構数多く作られている
(『ひまわり』(1970)なんかがそうだけど、考えてみると『風と共に去りぬ』(1939)だって『カサブランカ』(1942)だってそうだ)
 つまり、通常銃後の物語として語られていた物語を最前線に持って行ってしまったと言うことになる。なんと大胆な。そして、なんと面白い試みだったのか。しかもちゃんと成功してる。
 そう言う意味で本作は二重に驚かされた作品となった。これは本当に凄い作品だと思う。
 …なんだかこれだけ書いておいて、肝心な前線の物語を今まで全然書いてなかったけど、
それはまあ、ちょっと…と言うことで(笑)
 ここまで褒めておいて言うのもなんだが、敢えて問題点をいくつか。
 流石に近年の韓国は潤沢な資金を用いて映画撮れるので羨ましい限りだけど、手を抜けるところは徹底的に手を抜いてる。セットが丸分かりのシーンがいくつも出てくるし、特に
戦闘中以外の描写は見事なくらいにチープ
 CG多用が目を引くが、ハリウッドではもはや使われていないほどの世代の若いCGだったため、合成が丸分かり…っつーか、
煙が煙に見えない
 途中でジンテの婚約者ヨンシンが打たれるシーンがあったが、
腹に仕込んだ血糊を出すパイプが見える。
 根本的なところなのだが、朝鮮戦争が韓国と北朝鮮のみの戦いになっていて、アメリカとソ連の姿が全く見えてこない。北朝鮮のソウル占領以降はアメリカが中心となっていたはずなんだが。
 いや、良い部分は結構あったよ。CGとは思えない、どう見ても火薬爆発の衝撃で吹っ飛んでるとしか見えない人間がいたりとか(この見極めは簡単で、前方にスライディングとか宙返りをしてる場合、自分で飛んでると分かるのだが、この映画の場合、横に吹っ飛んでいった兵士がいた)、ウジの描写とか、自分で頭吹っ飛ばした人間の横に脳みそのかけらが置いてあったりとか…よくやるよ。

 本作は設定で観るべき作品なのかも…
言い直そう。設定で観ても、面白い作品だということ。

 

シュリ 1999
2000日本アカデミー外国作品賞
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★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 2002年のワールドッカップのため南北朝鮮統一チームが結成され、南北交流試合開催のニュースに韓国は沸いていた。はアクアショップを経営する恋人イ・ミョンヒョン(キム・ユンジン)との結婚を1カ月後に控えた情報部員ユ・ジョンウォン(ハン・ソッキュ)は、謎の多い北朝鮮の女工作員イ・バンヒを追っていた。そんな矢先、驚異的な液体爆弾CTXが強奪される。情報部の最高機密が盗まれたことにショックを受けるジョンウォンは、情報部内部に密通者がいるのではないかと疑うのだが…タイトルの“シュリ”とはそもそも朝鮮半島に住んでいる川魚で、澄んだ水の中でしか生きられない魚のこと。ここでは韓国に潜入する北朝鮮スパイのコード・ネームとして用いられている。
 急速な民主化を進める韓国は、文化面で大変力を入れ、特に映画については国がバックアップして多くの作品が作られるようになった。その結果、急速に映画の練度は増していったが、それを端的に示したのが本作だった。
韓国本国ではタイタニック(1997)を超える人気を誇り、日本でもヒットを記録。本作を境に、韓国映画も多く日本に紹介されるようになる。
 そう言う意味で本作は記念すべき作品とも言える。韓国からの留学生はこの作品を絶賛していたし、せっかくだから流行りは押さえておこうという思いから観に行った作品だが、のっけから疑問符が山ほど…
 冒頭北朝鮮のスパイ養成が描かれていたが、これが又、全然リアリティが感じられない。おそらく、死をも通り過ぎた厳しい訓練ってのを演出しようとしたのだろうが、
スパイ一人養成するのにどれだけ金かかると思ってる?あの訓練じゃ、偶然の事故で最高のスパイ候補が死んでしまうぞ(「リング・ワールド」みたいに、“幸運”をも重要視してるってなら別だが)
 んでもって、仲間の死体を乗り越えてまで韓国に潜入したイが疑似恋愛にのめり込んでほだされてしまったってのは、ストーリーとしてはくだらないけど必要なんだろう
(日本のくのいちはそう言う訓練もしたそうなんだけどね)。でもなあ、その恋愛ってのがトレンディ・ドラマ風なのは感心しない。もうちょっとこの辺はドロドロさせてこそ意味が感じられるのに。
 ただこの物語で一番の疑問点は韓国情報部のあまりの杜撰さ。
 
無線の盗聴器が仕掛けられてるのを全く探知できない本部の描写とか、犯人の家をあれだけの数で取り囲んでおいてあっけなく犯人を逃がしてしまうとか、あっけなく自殺を許してしまうとか…こりゃ「KCIAは馬鹿の集まりです」と言ってるようなもんじゃないのか?(これをハード・ドラマとして捉えられる韓国の国民性が凄い)
 ただ、演出に関しては確かに見事だと思う。あれだけの爆発を町中でできるのは日本では考えられないし、ヘリコプターがちゃんと着陸してもくれるし
(これ又日本では難しいんだよね)。韓国って、やっぱり映画作りに関しては羨ましい国なんだな。
 それに、本作の本当の面白さというのは、今現在朝鮮半島が抱えている問題を共有してのことなんだろう。ぬるま湯のような安全な日本にあっては北の恐怖の切実さってのは本当の意味では分からないからなあ。

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