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ネメシュ・ラースロー
Nemes Laszlo

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鑑賞本数 合計点 平均点
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wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
2016
2015 サウルの息子 監督・脚本
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1980
1979
1978
1977 2'18 ブダペストで誕生

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サウルの息子 2015
2015米アカデミー外国語映画賞
2015カンヌ国際映画祭グランプリ、
パルム・ドール
2015NY批評家協会新人監督賞
2015LA批評家協会外国映画賞
2015ゴールデン・グローブ外国語映画賞
2015インディペンデント・スピリット外国映画賞
2015放送映画批評家協会外国語映画賞
2015
セザール外国映画賞
2016英アカデミー外国語映画賞

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ライナ・ガーボル
シポシュ・ガーボル(製)
ネメシュ・ラースロー
クララ・ロワイエ(脚)
ルーリグ・ゲーザ
モルナール・レヴェンテ
ユルス・レチン
トッド・シャルモン
ジョーテール・シャーンドル
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1944年。アウシュビッツ=ビルケナウ収容所で同胞のユダヤ人をガス室送りし、その後処理をするユダヤ人“ゾンダーコマンド”の一員サウル(ゲーザ)は、ガス室送りとなった一人の少年にまだ息があることを知った。医師の元へと連れて行こうとするサウルだが、甲斐無くすぐさまその少年は射殺されてしまう。その処置を任されtサウルは、せめてこの少年だけは正式な作法に則ったユダヤ式の葬儀を行いたいと考え、収容所の中のラビを探す。
 2015年に数々の話題をさらい、
カンヌ映画祭、アカデミー外国語映画賞を得たハンガリー製の作品。是非観たいと思いつつ、なかなか観る機会に恵まれなかったのだが、実際に観たら、聞きしに勝るとんでもない作品だった。
 オープニングからもう嫌な描写が延々と続く。特に冒頭の、サウルがガス室前で無表情な顔でうつむく中、背後から聞こえるうめき声は夢に出てきそうなレベルの気分悪さ。
 これだけで、
「こりゃとんでもない作品だぞ」と居住まいを正したものだが、それからなんだかよく分からない展開が続く。
 主人公サウルがユダヤ人であり、ガス室送りになった同胞を“処理”する係なのは分かるが、それは生き残るための駆け引きをして同胞を裏切ることでこの地位を得たの?なんで赤の他人を「息子」と言い張ってる?など、実際よく分からなかった。
 それで話の中でも細かい説明はあまりなく、状況描写から読み取るしかないのだが、段々分かってくるのは、サウルが属するゾンダーコマンドなるものは、別段ユダヤ人を裏切る組織ではなく、ドイツ士官から命じられた役目であり、数日〜数ヶ月で確実に処刑される立場にあるということが見えてくる。
 そこら辺が理解できたあたりで、やっとこの物語の方向性が見えてきた気がする。
 だが物語展開になかなか納得がいかない。サウルが死んだ少年を自分の子どもと主張する根拠は不明だし、誘われているゾンダーコマンドの脱走計画に参加しようとしないのか?逃げるチャンスもあるのに、一か八か逃亡しようとか考えなかったの?最後に出会う少年は何?とか、とてももやもやしたものが残る。

 しかしながら、観てる間分からなかったのだが、観終えてしばし考えつつ、ようやく自分なりに納得がいった。
 ここでのサウルの立ち位置とは、既に自らを死んだ者として自らを処している。確実に殺されることが分かった立場で、自分が何をすべきか。その極限の精神を描こうとしていたと言う事だった。
生きる事を放棄した時、一体何を希望とすべきなのか?と言う点について描こうとしたのだろう。
 サウルにとって、最後に残された希望とは、
自らが生きていたという証であり、それをこの世界の人と、信仰上、神にそれを見ていてほしいという願いだけ。
 サウルが一人の少年をユダヤ教の儀式に則って埋葬しようとしたのは、神に対して誠実たらんとしたこと。こんなに困難なことを、行ったと言う事を、他の誰でもなく、神に伝えようとしたことであり、同時に、他のユダヤ人から蔑まれるゾンダーコマンドの中にも誠実な人間がいると言うことを示すことで、自分が生きていたということを印象づけると言う事もあった。普通に生きている限り、絶対に到達できない境地に立っての行動だったということである。
 そして最後の最後、ギリギリの願いが断たれた時、サウルが森で出会った一人の少年。彼は収容所近くに住む一般の少年だと思われる。勿論サウルとはなんの関係も持たない人物だが、彼に目撃されたことによって、少なくとも収容所の外の人間に
「私はここに生きている」と言う事を見せる事が出来た。それが最後のサウルの希望が叶えられたという事になる。
 ただ自分の姿を見てもらうだけが最後に残された希望であり、それを叶えるためだけで一本映画を作るってとんでもない物語である。
 こんな映画が作れたと言う事だけでもとんでもない事。よくぞこんなもん作ってくれたもんだと心底感心できた。

 …初見でその事を全く理解できなかった自らの不明が悔やまれるが、映画を観て、しばらくしてその理由が分かって急に評価が上がるという珍しい作品となった。

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