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1974 | 12'15 死去 | |
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | 将軍たちの夜 監督 | |
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | さよならをもう一度 監督・製作 | |
1960 | ||
1959 | ||
1958 | 旅 監督・製作 | |
1957 | うたかたの恋 監督 | |
1956 | 追想 監督 | |
1955 | 愛情は深い海の如く 監督・製作 | |
1954 | ||
1953 | 想い出 監督・製作 | |
1952 | ||
1951 | 暁前の決断 監督 | |
1950 | ||
1949 | ||
1948 | 私は殺される 監督 | |
蛇の穴 監督 | ||
1947 | 朝はまだ来ない 監督・製作 | |
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | 純愛の誓い 監督 | |
1941 | ||
1940 | 凡てこの世も天国も 監督 | |
栄光の都 監督 | ||
1939 | 戦慄のスパイ網 監督 | |
1938 | 黄昏 監督 | |
犯罪博士 監督・製作 | ||
1937 | トヴァリッチ 監督 | |
1936 | ||
1935 | 最後の戦闘機 監督 | |
うたかたの戀 監督 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | 女人禁制 監督・脚本 | |
今宵こそは 監督 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | ||
1907 | ||
1906 | ||
1905 | ||
1904 | ||
1903 | ||
1902 | 5'10 キエフで誕生 |
将軍たちの夜 The Night of the Generals |
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オトゥールは猟奇殺人を繰り返すナチスの将校を冷酷に演じている | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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さよならをもう一度 Goodbye Again |
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1961カンヌ国際映画祭男優賞(パーキンス)、パルム・ドール(リトヴァク) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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社会的に成功を収めているお互い独身のロジェ=デマレ(モンタン)とポーラ(バーグマン)は、長い間恋人生活を続けていた。だが、最近は特にロジェは忙しくなってきており、二人の仲はすれ違いが多くなってしまった。そんな時、室内装飾の仕事で訪れた屋敷でポーラは一人の青年フィリップ(パーキンス)と出会うのだった。やがてポーラとフィリップは結ばれ、それを知ったロジェは… サガンの「ブラームスはお好き」の映画化。ドロドロした人間関係をさらりとした大人の恋愛にして描いた作品。登場人物のほとんどはアメリカ人だけど、この辺のあっさり感がフランス風って奴かな? 一つ問題あるとすれば、私はメロドラマが嫌いという点にだけあるだろう。いくら良い作品でも、観ているうちにどうにも苛ついてしまい、素直に観られなかったからなあ。 モンタン、バーグマンともに熟練の演技を見せてくれるが、元々二枚目青年としてデビューしたはずのパーキンスは、一世一代の名演を見せたヒッチコックの『サイコ』(1960)のお陰で、文字通りサイコっぽい演技が好評を受けてしまい、この話でも、最初は好青年に見えていながら、実はかなり自意識過剰気味で、やっぱり精神的にかなりアブない人間として描かれてしまった。力演だけにこれが致命打になり、以降パーキンスはこの手の役ばかりを振られるようになってしまった。彼のフィルモグラフィとして考えるなら、残念な話である。 |
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追想 Anastasia |
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1956米アカデミー主演女優賞(バーグマン)、劇・喜劇音楽賞 1956NY批評家協会女優賞(バーグマン) 1956ゴールデン・グローブ女優賞(バーグマン) |
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ロシア革命で処刑されたロマノフ王朝の皇女アナスタシアが生きているとの噂が囁かれていた頃のパリ。亡命中のロシア将軍ボーニン(ブリンナー)は、記憶を失い街中を彷徨う女アンナ(バーグマン)を発見し彼女をアナスタシアに仕立て上げようと画策する。帝政ロシア時代のアナスタシアを知る人々との接見を記憶喪失を理由に切り抜けたが、コペンハーゲンに亡命中の皇太后ドワガー(エイズ)との接見で両者は失われた過去の血の繋がりを確信して行く… 言ってはなんだが、よくあるタイプの恋愛劇。『マイ・フェア・レディ』(1964)に似た形式で、終わり方もそれに似ている感じ(と言ってもこっちの方が先なんだけどね)。そう言う意味ではさほど言うべきところはない。 だが、この作品、カメラ・ワークがもの凄い。いや、これだけのキャラクターを活かす方法をよく知っていると言うべきか。バーグマン、ブリンナー、そしてヘイズはとにかくキャラが立っていて、それらが一堂に介し、会話をやり取りする。それだけで充分な存在感を醸しているのだが、それだけではない。リトヴァク監督、実はキャラクターを不在にすることで、その存在を更に浮き出させるという、極めて高度な撮り方を行っている。 なにせ、ブリンナー、バーグマン共に存在感の固まりのようなキャラクター。彼らがたとえ出てこなかったとしても、その存在感は持続する。それを端的に表したのはベッドルームでの二人の会話だが、カメラは基本的に二人のベッドルームの間にあるホテルの広間だけをカメラは映し続ける。彼らの存在感は声だけ。だが、その声の何と立っていたことか。二人がそこにいる。それがはっきりと分かる巧い撮り方だった。 それにラスト。殆ど喋っているのはヘイズのみ。バーグマンもブリンナーも全く登場せず、他者から「いなくなった」とだけ告げられる。手に手を取り合って駆け落ちする二人の姿も観てみたかった気がするが、それを視聴者の想像力に任せてしまった所が凄い。勿論これは、二人が居なくなったことをヘイズが充分カバーできた所に追う所が大きいけど。キャラクターを映さず、しかもその存在感をますます強調する。映画にはこんな映し方もあるんだね。いや、勉強になった。 ロッセリーニ監督との不倫のため(『無防備都市』(1945)と『戦火のかなた』(1946)を観てロッセリーニの大ファンとなったバーグマンはついに夫と子供を捨ててイタリアでロッセリーニと結婚してしまう)バーグマンのハリウッド復帰第1作となった本作だが、ここで見事オスカーを手にして名誉を回復したと言う事でも有名な作品(本来ジェニファー・ジョーンズがアナスタシアを演じるはずだったが、リトヴァク監督が強引にバーグマンを据えた)バーグマンの人気にも支えられたか、1957年の全米興行成績は8位と健闘している。 |
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