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1991 | 5'26 死去 | |
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1971 | ヘレンに何が起こったのか? 美術 | |
1970 | ||
1969 | ||
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1965 | ||
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1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | 大海獣ビヒモス 監督・脚本 | |
怪獣ゴルゴ 監督 | ||
1958 | ニューヨークの怪人 監督 | |
暁の暴動 脚本 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | 原子怪獣現わる 監督・脚本 | |
1952 | ||
1951 | ||
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1903 | 4'8 カルコフで誕生 |
怪獣ゴルゴ Gorgo |
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内容は、自然の摂理に人間が介入しすぎるとどうなるか。と言うテーマがある。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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原子怪獣現わる The Beast from 20,000 Fathoms |
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南極で行われた核実験。だがそれは氷河の中より恐竜リドサウルスを蘇えらせてしまったのだ。最初にリドサウルスを発見した科学者のネズビット(クリスチャン)は知り合った女性考古学者のリー、そして考古学の権威ユルソン教授と共にその恐ろしさを世間にアピールする。最初誰も信じていなかったが、放射能を帯びた恐竜の目撃例が続き、ついにリドサウルスはニューヨークへ上陸、街中を恐怖に陥れる… 1953年というのは名作映画が目白押しの年だが、怪獣映画においても特筆されるべき年。本作の登場は怪獣映画の新しい境地を内外に知らしめ、それまで細々と作られていた特撮作品が以降一気に増えてくれた。 特撮好きな人間であれば本作のことを聞くことは多いだろう。レイ・ハリーハウゼンの実質的なデビュー作であるのみならず、翌年に日本で公開される『ゴジラ』(1954)とよく似た作品として。この作品が『ゴジラ』の元ネタとなったのではないかとはよく言われることだが、それほどにこの2作はよく似ている。 面白いので類似点を並べてみたい。 ・太古の恐竜が原子爆弾(ゴジラは水爆)によって目覚めた。 ・最初の内、怪獣は限られたものだけに目撃され、それを主張した人間は変人扱いされる。 ・怪獣は都市を目指して海からやってくる。 ・二足歩行する。 ・そのものが持つ破壊力のみならず、副次的な放射能によっても人間は被害を受ける。 ・通常の兵器では倒すことが出来ず、科学者の考案した兵器により、しかもその当の発案した科学者自身の特攻に近い攻撃によって怪獣は倒される。 …確かによく似てる部分はたくさんある。そのどちらにも原水爆に対する危機感というのが根底にあるのも確かだろう。 では、逆に似てない部分を考えてみよう。 ・原子怪獣リドサウルスは恐竜然としたシルエットを崩さないのに対し、ゴジラはむしろ人間の形態に似ている…これが日米の特撮の大きな違いとなる。オブライエンによって怪獣が映画に登場した時、その怪獣は、コングや等身大の怪獣などいくつかの例外はあるものの、アニメーションによって動かされていた。そのオブライエンの弟子であるハリーハウゼンが作るのだから、当然怪獣はアニメーション合成によってなされることになる。それはまさに芸術的と言って良い出来で、このなめらかな動きと言い、質の高さと言い今でも感心するが、一方日本ではその当時アニメーション合成に割ける予算がなかったのと、技術力も不足していたため、基本的に合成は最小限度。コマ撮りもなるだけ避け、人間が着ぐるみの中にはいることになった。技術的には確かに劣っていたかも知れない。だがこれが日本の特撮の数々の傑作を生むことになるのだし、海外に誇れる日本映画はここから生まれた。 ・そして重要なのは、ゴジラが“荒ぶる神”であったのに対し、リドサウルスはあくまで大きなトカゲに過ぎなかったこと。たとえ形が似ていても、ここが一番の問題だった。結果、本作は数多ある特撮映画の一つに数えられるに過ぎないのに対し、『ゴジラ』は特撮映画を代表する一本へとなった(蛇足だが、『GODZILLA ゴジラ』(1998)は『ゴジラ』よりもむしろ本作をベースにしたような印象を受けてしまう)。 形がいくら似ていても、怪獣に魂があるかどうかと言う点が違っているため、全く違う作品になってしまう。どちらも原子をもてあそんだ人間の悪行の因果話には違いないが、それに懲罰を与えるのは自然であるか、神であるかという点に国際性の違いも感じられる(それが神の使いであるとするのならば、それを退治してはいけないというのが西洋にはある)。 ・後は怪獣を倒す科学者の個性の問題かな?主人公は怪獣だが、脇を固める人間のドラマも大切。本作はどっちかというとかなりステロタイプなドラマで仕上げたけど、日本でのあの芹沢博士は静かな狂気を体現していた。あの強烈すぎる個性がゴジラに負けない人間ドラマを作り上げていたと言うこと。 これは作り方の違いであり、そのどちらが正しいとか間違っているとかではない。事実、本作のヒットによりハリウッドに怪獣映画のブームを巻き起こすことが出来たのだし(50年代に量産されたハリウッド製SF映画は本作に負うところが大きい)、一方のゴジラは今も尚続く息の長いシリーズとなっていった。映画史においてはどちらも重要な作品であることは確かだろう。 尚、本作は特撮担当のハリーハウゼンの実質的なデビューとなるのだが、彼には子供の頃からの友人こそがレイ=ブラッドベリ(私の最も敬愛する作家の一人)。二人とも映画に対する情熱を持っていたため、ブラッドベリは快く自分の名前を出すことを了解したそうだ(原作はブラッドベリの短編「霧笛」となっているが、あくまで下敷きであり、映画の内容そのものは随分変化してる)。 |
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