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1951年 ロバート・ワイズ(監) |
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突如、ワシントンに1機の円盤が飛来し宇宙人が降り立った。政府に保護された宇宙人クラートゥ(レニー)は、自分が地球に来た目的は地球人の未来を懸念し、人類に核兵器の放棄を要求するためだと言う。そして宇宙の平和を訴える為に地球の代表者との会談を希望するが、為政者達の力では実現しないと知ったクラートゥは逃走し一般市民の中に紛れ込むのだった。そこで一般の地球人達の生活を目の当たりにするクラートゥ。だがやがて彼を追う政府の手により追いつめられていく… ハリー=ベイツの短編小説「来訪者」の映画化。 数々の画期的試みを盛り込んだ、映画にとってもエポック・メイクな作品である。この時代にこれだけの作品が作れたとは信じられないほど。当時赤狩りの真っ只中にあって、核による軍拡競争を否定したこと。主人公を人間ではなく宇宙人の方に取ったこと。エイリアンは地球を攻めてくるものだと言う概念を破壊したこと。何よりSF映画にこれだけの完成度を持たせたと言うこと。どれを取っても「よくぞ作った」と思わされる出来である。 ただ残念なことにこういう作り方は続かず、次はキューブリックの『2001年宇宙の旅』(1968)まで待たねばならず、更に真の意味でSFが認められるまでにはスピルバーグを待つことになるが、それだけに早すぎた大傑作と言えるだろう(本作と『禁断の惑星』の2作は本当に勿体ない作品だ)。直接的な平和への強いメッセージと、まるで現代そのものが不安を感じさせるような効果音の入れ方といい、本当にすごい作品だ。 宇宙人クラトゥがやってきた目的は人類に警告を発することなのだが、彼にとっての本当の目的というのはむしろ平和的に地球人を知るために来たわけであり、町にとけ込んで一般の視点から人間を見ようとしているのが特徴。むしろ彼を追う人間の方が非情であり、その中で頼れる人物や、愛すべき人物を見出していくと言うクラトゥの視線で物語が進行するのは素晴らしい。後に小説や漫画と言った媒体でこのパターンを何度か見たことがあるが、それらもこれがオリジナルなんじゃないかな?更に彼が本当の力を見せ、地球の全ての電気を止めてしまった時、「病院や今飛んでいる飛行機だけは除く」と言っている。自分を殺そうとした(事実殺されてるんだけど)人間に対するこの寛大且つ人道的な措置にはほとほと感心。よくもこんな台詞を使わせたものだ。 一方、劇中のSF的要素に目を向けると、これはこの時代だから致し方ない部分なのだろうが、特撮部分はチャチ。受け手側のイメージで補足しないと理解できない部分も多い。まあ、これもそれだけ受け手の方のレベルを信用していると言うことでもあり、小気味よし。それになんと言ってもあのゴートの存在は大きい。あの存在だけで他の全ての要素に目を瞑っても良いくらい。無機的な、圧倒的な力を表現する最もうってつけな存在だった。 この作品はビデオで観ることになったのだが、てっきり私は宇宙人によって全ての電力が止められてしまい、そこで生き残りを賭けた闘争劇が演じられるのとばかり思っていた。綺麗に、そして気持ちの良い裏切られ方をした作品。勿論最高点は当然。 それと驚かされるのは、直接的な政治的主張だった。この時代レッド・パージが吹き荒れているハリウッドにおいて、それを超えた平和への直接的な言及は、SFだからこそできたこととも言える。ワイズ監督の慧眼をここにも見ることができよう。 ところでこの原題「The Day the Earth Stood Still」はTV版『エヴァンゲリオン』でパクられていて、題を見て思わず喜んでしまった記憶も… |
クラートゥ | → | |||
【くらーとぅ】 | ||||
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クラートゥ・バラダ・ニクトゥ | → | |||
【くらーとぅ-ばらだ-にくとぅ】 | ||||
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ゴート | → | |||
【ごーと】 | ||||
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ヘレン | → | |||
【へれん】 | ||||
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ボビー | → | |||
【ぼびー】 | ||||
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遊星よりの物体X |
1951年 クリスチャン=ネイビー(監) ケネス=トビー、マーガレット=シェリダン、ロバート=コーンスウェイト |
北極にある極地科学研究所から航空機らしいものが墜落した事を告げられ、司令部からヘンドリー大尉(トビー)が派遣される。調査隊を組織したヘンドリーは氷に埋もれた円盤を発見したが、それを掘り出すことには失敗。ただそこから放り出された“物体”を持ち帰る。だがその“物体”は生きていた。研究所の中で覚醒したそれは研究所を襲っていく… ジョン=W=キャンベル・Jrの「影が行く」を基にハワード=ホークスが製作した50年代SF映画の代表傑作。後にジョン=カーペンター監督によるリメイク『遊星からの物体X』(1982)が作られ、すっかりそちらにお株を奪われた感があるが、こちらはSFホラー映画の原点とも言える名作で、後のSF映画の元とも言える。日本においても大ヒットし、多くのメディアに多大な影響を及ぼす。それをようやくビデオにて鑑賞。ここに来るまでが長かったなあ。 まあ、さすがに50年代SFと言ったところで、“物体”が人間だったり、科学的考証がやや貧弱だったりと言う部分は確かにあるが、スピーディな展開と、どんな状況に置かれても決してあきらめない人間側の努力が非常に好感持てる作りになっている…さすがホークス製作。作りは殆ど西部劇と変わってない(笑) SFホラー作品で重要となるのは、いかにキャラクターを孤立した状況に置けるのか、と言う点にかかっているが、限定された基地の中、しかも周りは零下20度を越える世界で、人間にとって外に出る時間が限られていると言う状況をここで作り出したのは見事だった。当然登場する人間も限定されるが、その中での“物体”に対する関わり方をそれぞれの立場で主張すると言う演出も見事だ。 監督のナイビーは長年ハワード=ホークス作品の編集を手がけた人物(ホークス監督の『赤い河』(1948)で編集賞にもノミネートされている)だが、クレジットこそされてないが、本作も重要な部分はホークスが演出したと言われている。ディミトリ=ティオムキンによるスコアも不気味さが強調されていて良し。 |
キャリントン | → | |||
【きゃりんとん】 | ||||
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ニッキー | → | |||
【にっきー】 | ||||
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物体X | → | |||
【ぶったい-えっくす】 | ||||
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ヘンドリー | → | |||
【へんどりー】 | ||||
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1951年 エドガー=G=ウルマー(監) ロバート=クラーク、マーガレット=フィールド、レイモンド=ボンド |
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アメリカの天文台で地球に急接近する謎の巨大天体が発見された。“惑星X”と命名されたそれは3週間後に地球に最接近する。地球上で最も惑星Xと接近する地点とされるベリー島で観測を続けているエリオット教授(ボンド)を取材するため現地へ飛んだ教アメリカ人記者のローレンス(クラーク)は、沼地にてロケット型の奇妙な物体を発見するのだが… 1950年代になって低予算のSF映画が量産されることになった。奇しくもこの年がその元年と言うことで、『遊星よりの物体X』が公開されている。その陰に隠れてしまってか、あまり話題になることのない作品(出来も出来だし)。 僅か5日で作られたと言うだけあって、撮影がかなりいい加減とか、ストーリーが破綻してるとか、大変大味な作品には違いないが(それで点数は低いけど)。時間軸をずらした演出と言い、霧を使った撮影など結構味があるのも事実。なんと言っても一目見たら爆笑決定のあの宇宙人の顔がとても良い。 あの宇宙人の顔なんだが、ちょっとよく見てみると、平面的なのっぺりした表情とか、どこを見てるのか分からない一重まぶたの目とか、なんか東洋人っぽいんだよな。1950年に始まった朝鮮戦争か、その前の太平洋戦争が某かの影響を与えてるんだろうか?…もっと悪く考えてみると、ハリウッド作品は日本人をエイリアン的に描くことが多い気がするけど、これはそのまんま日本人に当てはめてるとか…考え過ぎか? この宇宙人、割と人(?)が良いみたいで、ブーン、ブーンと唸るだけで何を考えてるのか分からないまま、ふらふらと主人公達に近寄ってきたり、主人公のクラークがバルブを操作しないと生きていけないとか、挙げ句の果てに悪い科学者に利用されそうになったりと、トホホぶりが笑えるが、最後に地球人を洗脳して利用すると言った凶悪ぶりも見せてくれる…結局簡単に退治されてしまうのだが…宇宙を旅して地球に降りてくるだけの宇宙船をもちながら、とてもこの宇宙人、文明を持ってるように思えないのがミソなんだろうな。 B級好きな人にはかなりお薦めの作品。 |
宇宙人 | → | |||
【うちゅう-じん】 | ||||
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エニ | → | |||
【えに】 | ||||
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エリオット | → | |||
【えりおっと】 | ||||
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ジョン | → | |||
【じょん】 | ||||
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ベリー島 | → | |||
【べりー-とう】 | ||||
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惑星X | → | |||
【わくせい-えっくす】 | ||||
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クラシックモンスターDVD-BOX |
1953年 ユージン・ローリー(監) |
南極で行われた核実験。だがそれは氷河の中より恐竜リドサウルスを蘇えらせてしまったのだ。最初にリドサウルスを発見した科学者のネズビット(クリスチャン)は知り合った女性考古学者のリー、そして考古学の権威ユルソン教授と共にその恐ろしさを世間にアピールする。最初誰も信じていなかったが、放射能を帯びた恐竜の目撃例が続き、ついにリドサウルスはニューヨークへ上陸、街中を恐怖に陥れる… 1953年というのは名作映画が目白押しの年だが、怪獣映画においても特筆されるべき年。本作の登場は怪獣映画の新しい境地を内外に知らしめ、それまで細々と作られていた特撮作品が以降一気に増えてくれた。翌年に公開されることになる『ゴジラ』にも関連を持っている。 特撮好きな人間であれば本作のことを聞くことは多いだろう。レイ=ハリーハウゼンの実質的なデビュー作であるのみならず、翌年に日本で公開される『ゴジラ』(1954)とよく似た作品として。この作品が『ゴジラ』の元ネタとなったのではないかとはよく言われることだが、それほどにこの2作はよく似ている。 面白いので類似点を並べてみたい。 ・太古の恐竜が水爆によって目覚めた。 ・最初の内、怪獣は限られたものだけに目撃され、それを主張した人間は変人扱いされる。 ・怪獣は都市を目指して海からやってくる。 ・二足歩行する。 ・そのものが持つ破壊力のみならず、副次的な放射能によっても人間は被害を受ける。 ・通常の兵器では倒すことが出来ず、科学者の考案した兵器により、しかもその当の発案した科学者自身の特攻に近い攻撃によって怪獣は倒される。 …確かによく似てる部分はたくさんある。そのどちらにも原水爆に対する危機感というのが根底にあるのも確かだろう。 では、逆に似てない部分を考えてみよう。 ・原子怪獣リドサウルスは恐竜然としたシルエットを崩さないのに対し、ゴジラはむしろ人間の形態に似ている…これが日米の特撮の大きな違いとなる。オブライエンによって怪獣が映画に登場した時、その怪獣は、コングや等身大の怪獣などいくつかの例外はあるものの、アニメーションによって動かされていた。そのオブライエンの弟子であるハリーハウゼンが作るのだから、当然怪獣はアニメーション合成によってなされることになる。それはまさに芸術的と言って良い出来で、このなめらかな動きと言い、質の高さと言い今でも感心するが、一方日本ではその当時アニメーション合成に割ける予算がなかったのと、技術力も不足していたため、基本的に合成は最小限度。コマ撮りもなるだけ避け、人間が着ぐるみの中にはいることになった。技術的には確かに劣っていたかも知れない。だがこれが日本の特撮の数々の傑作を生むことになるのだし、海外に誇れる日本映画はここから生まれた。 ・そして重要なのは、ゴジラが“荒ぶる神”であったのに対し、リドサウルスはあくまで大きなトカゲに過ぎなかったこと。形が似ていても、ここが一番の問題だった。結果本作は数多ある特撮映画の一つに数えられるに過ぎないのに対し、『ゴジラ』(1954)は特撮映画を代表する一本へとなった(蛇足だが、『GODJILLA』(1998)は『ゴジラ』よりもむしろ本作をベースにしたような印象を受けてしまう)。 形がいくら似ていても、怪獣に魂があるかどうかと言う点が違っているため、全く違う作品になってしまう。どちらも原子をもてあそんだ人間の悪行の因果話には違いないが、それに懲罰を与えるのは自然であるか、神であるかという点に国際性の違いも感じられる(それが神の使いであるとするのならば、それを退治してはいけないというのが西洋にはある)。 ・後は怪獣を倒す科学者の個性の問題かな?主人公は怪獣だが、脇を固める人間のドラマも大切。本作はどっちかというとかなりステロタイプなドラマで仕上げたけど、日本でのあの芹沢博士は静かな狂気を体現していた。あの強烈すぎる個性がゴジラに負けない人間ドラマを作り上げていたと言うこと。 これは作り方の違いであり、そのどちらが正しいとか間違っているとかではない。事実、本作のヒットによりハリウッドに怪獣映画のブームを巻き起こすことが出来たのだし(50年代に量産されたハリウッド製SF映画は本作に負うところが大きい)、一方のゴジラは今も尚続く息の長いシリーズとなっていった。映画史においてはどちらも重要な作品であることは確かだろう。 尚、本作は特撮担当のハリーハウゼンの実質的なデビューとなるのだが、彼には子供の頃からの友人こそがレイ=ブラッドベリ(私の最も敬愛する作家の一人)。二人とも映画に対する情熱を持っていたため、ブラッドベリは快く自分の名前を出すことを了解したそうだ(原作はブラッドベリの短編「霧笛」となっているが、あくまで下敷きであり、映画の内容そのものは随分変化してる)。 |
サーグッド | → | |||
【さーぐっど】 | ||||
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ジョージ | → | |||
【じょーじ】 | ||||
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ジョン | → | |||
【じょん】 | ||||
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トム | → | |||
【とむ】 | ||||
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リー | → | |||
【りー】 | ||||
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リドサウルス | → | |||
【りど-さうるす】 | ||||
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1954年 ジョセフ・M・ニューマン(監) レックス=リーズン、フェイス=ドマーグ、ジェフ=モロー、ラッセル=ジョンソン |
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物理学者のカル・ミッチャム博士(リーズン)は謎の科学者エセクターに招かれ、砂漠の中にある研究所にやってきた。最高級の研究設備と世界最高峰の頭脳が集まる研究所。だが、何かがおかしい。彼と同様に研究ルース=アダムス博士と共に研究所を逃げ出したミッチャムだが、宇宙船に乗って彼らを追ってきたエセクターにより拉致され、未知の惑星メタルーナへと連れて行かれる。実はメタルーナは敵星ザーゴンとの戦いで疲弊しきっており、ミッチャム博士の研究成果を欲しがっていたのだ。 50年代を代表するSF映画の一本。前々から観たい観たいと思っていただけに、レンタルビデオ店で発見した時は喜んだ。あのメタルーナ・ミュータントと初めて出会える!その期待感は大きかった。 …だけど。 うーん。何というか…期待していたものとは明らかに違っていた。これが50年代SFテイストと言われればそのまんまだけど、ほぼ同時期に公開された『禁断の惑星』(1956)(調べたらこれは2年後だった)が見事にはまった分、この変な感覚には首を傾げてしまう。古いタイプのSF小説を元としている事は分かるし、それなりにストーリーは悪くないんだけど、なんだかなあって感じ。 私が想像していたのはもっと派手なもので、メタルーナ・ミュータントが大挙して押し寄せると言ったタイプの、いわばSF西部劇だったんだけど、そうじゃなかった。むしろドラマ性の方に重点を置いたものだった。ところがどうにも薄っぺらい感じが拭えない。メタルーナ・ミュータントも思ったほど出てこなかったし…(多分これなんだろうな。私がはまれなかったのは) ネットを見ていて、その理由は解明された。実はメタルーナ・ミュータントは、撮影が終わった後にプロデューサーにより付け足しを命じられたために登場することになった存在で、ストーリーにはあんまり絡んでこないとのこと。なるほどねえ。 脳剥き出し、腰に原子マークと言う特異な形状のメタルーナ・ミュータントのデザインはこれ又その筋では有名なこの年公開の『大アマゾンの半魚人』(1954)をデザインしたパトリック(ちなみに女性)で、怪獣好きな人間の目にとっては見事な造形だった。 設定上のアラは言い出してもきりがないけど、一つだけ。 ミッチャム博士は鉛からウラニウムを作る研究をしていたと言う事だが、技術上の問題を無視すれば、数式上ではそれは可能。ただし、問題が一つだけある。鉛からウラン235を生成させるエネルギーの方が生成したウラン235の発するエネルギーよりはるかに大きいという… |
エセクター | → | |||
【えせくたー】 | ||||
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カル | → | |||
【かる】 | ||||
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ゼーゴン | → | |||
【ぜーごん】 | ||||
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メタルナ・ミュータント | → |
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【めたるな-みゅーたんと】 | ||||||
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ルース | → | |||
【るーす】 | ||||
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惑星メタルーナ | → | |||
【わくせい-めたるーな】 | ||||
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1954年 ジャック・アーノルド(監) |
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アマゾンの奥地“ブラック・ラグーン”と呼ばれる秘境で発見された手の化石。そこにはなんとヒレが付いていた。海洋生物学者のマイア(モレノ)は助手のデヴィッド(カールソン)、やはり助手でデヴィッドの恋人のケイとリード博士(デニング)、そして何人かの現地スタッフと共に“ブラック・ラグーン”に向かう。しかしなんとそこには本当に半魚人が生息していたのだ… 50年代に量産されたハリウッドSF作品の代表するモンスターとは何だろうか?そう問われたら、いくつかのモンスターが思い浮かぶが(日本まで合わせたら絶対トップはゴジラになるだろうけど)、多分その最上位に位置するのがこの半魚人と言うことになるだろう。スマートかつセンシビルな造形は本当に素晴らしいが、それだけじゃない。人間の身体に合わせたこいつは、本当に良く動く。まさかこんなスーツを着込んで泳げる(しかも潜水までできる)なんて凄すぎ(体型から分かると思うが、このスーツには酸素ボンベが積まれておらず、中には潜水の記録保持者、元海兵隊員のリコウ=ブラウニングと言う人物が入っていたそうだ)。海中から泳ぐケイの下からその姿を窺うシーンの素晴らしさよ!これだけの演出を魅せてくれただけで、この作品はもう絶対肯定!(こいつは3Dで撮影されたそうで、是非そちらで観てみたい) 当時も今も、モンスターものの作品は進みすぎた科学への警鐘というものが内包される。本作においてそれは、平和にひっそりと暮らしていた半魚人の巣に土足で科学者が入り込み、「科学の進歩」の名の下に、銛を撃ち込むは、痺れ薬をかますわ、の人間側の身勝手さがよく現れていた。半魚人の方こそ迷惑千万だったんだよな。反撃して当然って事か…その辺もヒットの理由なんだろう。2本の続編が出来たことも、頷ける出来だったよ。 |
カール | → | |||
【かーる】 | ||||
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ケイ | → | |||
【けい】 | ||||
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デヴィッド | → | |||
【でう゛ぃっど】 | ||||
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半魚人 | → | |||
【はん-ぎょ-じん】 | ||||
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ブラック・ラグーン | → | |||
【ぶらっく-らぐーん】 | ||||
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クラシック・モンスター DVD Limited BOX |
1954年 ゴードン・ダグラス(監) |
ニューメキシコの砂漠。原因不明の失踪事件が相次ぎ、その調査のため派遣された警官のベンの前に、巨大な蟻が出現する。これが原爆実験により出現したことを看破した科学者達により、掃討作戦が展開される。だが、駆除が成功したと思われた直後、巣穴から新しい女王蟻が消えた!と言う衝撃の事実が… 特撮作品としては古典的名作に入る一本。 出来映えはとても良く、『エイリアン2』(1986)や『スターシップ・トゥルーパーズ』、そしてハリウッド版の『GODZILLA』(1998)と言ったハリウッドSF作品のみならず、日本においても『ラドン』などにその影響が窺えるし、SFパニック作品の嚆矢として、映画史に残る名作と言っても良い。 ストーリーも起伏に富んでいるし、『キング・コング(1933)』のような二重構造と、二つの盛り上がり(この作品においては最初の巣穴の突入と、ラストの大都市での攻防)、それをつなぐ中盤の緊張感を配すると言ったバランスも良し。造形などはいかにも手作り風だが、それも味を感じられて好感を持つ(まあ、確かにラドン抜きでメガヌロンしか出てこない『空の大怪獣ラドン』(1956)と言う気もせんではないけど(笑))。 本作品が後のSF作品、もしくは怪獣もの特撮の嚆矢と言って良いのだが、それだけに純粋な形での日米特撮の特徴というもの違いを考えるにはぴったりの素材となっている。 日米の特撮の違いというと、先ず怪獣というもののとらえ方の違いがある。 日本における怪獣の捉え方は、いみじくも同じ年に製作された『ゴジラ』(1954)において円谷英二が明確に打ち出したように、“天災”が具現化した形として捉えられている。それと重要なのは、日本では様々な自然現象は神懸かり的なものとして捉えられていると言う点も大きい(地震は鯰が起こすものだとか、あるいは地竜が暴れているものとされているし、風や雷はそれぞれ「風神」「雷神」が起こすものとなる。暴風を「神風」などと言う場合もある)。乱暴な三段論法で言ってしまえば、「怪獣は天変地異を起こす存在」→「天変地異は神懸かり的なもの」→「怪獣は神的なもの」となっていく。いわば怪獣は神秘的存在であり、人の力をはるかに超えたもの。そして単体で現れるのが特徴づけられる(いみじくも金子修介監督が『大怪獣総攻撃』(2001)で打ち上げた“ゴジラは英霊の集合体”と言った突飛な理論が、実は一番良く怪獣という存在を捉えている)。 一方、ハリウッド製特撮で現れる怪獣は面白いことに、大抵科学の申し子として捉えられているのが特徴。本作で登場する蟻の群は日本の『ゴジラ』(1954)同様放射能実験によって生み出されたものだが、ゴジラほどの圧倒的迫力を持っているわけではないのは、結局彼らは人間によって完全に分析されてしまっているからに他ならない。この蟻たちは、巨大さはともかくとして、完璧な化学的理論が適用されているし、その理論通りに繁殖し、撃退方法も考案される。人間の科学によって生み出された以上、人間の科学によって分析され得る存在なのだ。 日本の特撮における怪獣は異形の存在であるに関わらず、明確に怪獣の側に感情移入が出来るが、ハリウッド特撮においては、完璧に主人公は人間の側にあり、怪獣には一片の感情移入も許されない。それ故にこそ、虐殺が可能となっている。その姿勢の違いと言っても良い。大体この映画の原題『THEM!』にしても、名前を敢えて廃することによっていかにも、恐怖のみの存在、そして滅ぼされるべき存在として出ているではないか。彼らは分析された“種”としての名前しか与えられず、固有名詞を許されていない。日本の特撮では「彼」と言われる怪獣がハリウッドだと「それ」もしくは「それら」になっている。 これらはあくまで姿勢の違いと言うだけで、どちらが良い悪いと言う問題ではない。そのどちらにも味はあるし、むしろこの姿勢の違いがあるからこそ、圧倒的予算の差があるにも拘わらず、日本の特撮の持ち味が活かされているのだろう。違いがあるから良いのだ。 今から考えると、ハリウッド版『GODZILLA』(1998)はその架け橋となるべく、エポックメイキングな作品になり得たのかも知れない。ただ、ご存じの通りこれはハリウッドの方に偏りすぎてしまったため、ゴジラはあくまで科学で分析できる存在になったし、子供も産む(まさしく本作の影響丸見え)、ハリウッド版ゴジラは「彼女」(だろ?)ではなく、やはり「それ」でしかなかったわけだ。逆に考えれば、本当にあの作品が日米特撮の架け橋になっていたとするなら、日本の特撮は廃れてしまったかも知れない…そうすると、あの作品は明らかに失敗だったからよかったのかなあ? |
大蟻 | → | |||
【おお-あり】 | ||||
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パトリシア | → | |||
【ぱとりしあ】 | ||||
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ハロルド | → | |||
【はろるど】 | ||||
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ベン | → | |||
【べん】 | ||||
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水爆と深海の怪物 | 1955年 ロバート・ゴードン(監) |
北太平洋航行中の船が遭難した。救助された乗組員によると、巨大な怪物に襲われたと言う。乗組員の言葉を人々は信じなかったのだが、唯一それを信じて調査する海軍のピート中佐は、これが太平洋における過度の水爆実験により、巨大化した深海のタコが、食物を求めて出現したのだ。と言う確信を得る。そしてとうとうサンフランシスコに上陸する巨大タコ… 『原子怪獣現わる』(1953)に続くハリーハウゼンによるモデルアニメーション作品。テーマおよび物語はまさに『原子怪獣現わる』そのまんま(つまりは『ゴジラ』(1954)と同じと言うこと)なのだが、出てくるモンスターがタコというのが特徴。タコというのは英語でdevil fishと呼ばれる位だから、欧米人には生理的嫌悪を及ぼす存在らしく、多くのパニック映画で用いられているが(東宝の『フランケンシュタインの怪物 サンダ対ガイラ』(1966)の海外ヴァージョンではラストに大ダコが現れてるのもその配慮か?)、やはりタコと言えば、これに尽きる。 モデルアニメーションで動くタコは予算の都合で6本脚になってしまったそうだが、それを感じさせないダイナミックな動きは特撮ファンには感涙もの。ゴールデンゲート・ブリッジに巻き付くあの脚の描写を見よ!二本脚怪獣には到底見られない複雑な動きを見事に演出してくれていた。 ああ言うねばねばしたものが画面一杯に出てくるのが恐怖の対象となるのは、納得できるなあ。 ストーリー展開はまあベタベタっぽいし(ロマンスを絡めて危機で絆が強まるってのはアメリカらしい)、タコの最後がちょっとあっけない感じも受けるが、力一杯“頑張ってますよ”って主張が演出面で見られるので、それでOKって感じ。 |
大蛸 | → | |||
【おお-だこ】 | ||||
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ゴールデン・ゲート・ブリッジ | → | |||
【ごーるでん-げーと-ぶりっじ】 | ||||
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ジョン | → | |||
【じょん】 | ||||
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ピート | → | |||
【ぴーと】 | ||||
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レスリー | → | |||
【れすりー】 | ||||
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1956年 ロジャー・コーマン(監) |
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宇宙科学者のアンダーソン博士(ヴァン・クリーフ)は偶然、金星の生物と電波で交信することに成功する。彼らの力を借り、地球を理想の形に改善できると信じる博士だったが、金星人は既に種族絶滅の危機を迎えており、地球への侵略を企てていたのだ。彼らの善意を信じ、地球侵略に手を貸すことになったアンダーソン博士だったが、親友のネルソン博士(グレイヴス)を裏切ったことで、侵略者のロボットとなった妻ジョーン(フレーザー)を自らの手で殺してしまう… B級映画の配給及び製作で知られるロジャー=コーマンだが、何本かの作品を監督もしている(勿論全部B級)。彼が監督した作品を経て、メジャーとなった役者も多い。本作も後にマカロニでメジャーとなるグレイヴス(TV版『スパイ大作戦』)、やヴァン・クリーフなど、今から考えるととても豪華な布陣で作られていることに気付く。 何せSF映画のモンスターとして超有名な金星ガニ(知る人ぞ知る名造型師のポール=ブレイズデルによる造型で、日本名の命名は大伴昌司)を見たい見たいと思っていた訳だが、先日やっとそのお顔を拝見することが出来た(実際には『インベージョン・アース』(1987)で断片的には見ているが)。協力してくださった方々には感謝を! ストーリーは本当にベタベタの侵略もので(でも主人公格4人の内3人も死んでしまうんだよな)、全然動かない金星ガニに突っ込んで、死ぬ演技をする役者さんとかには苦笑を覚えるし、バズーカでさえダメージを与えられない彼女(!)を倒すのが、何の変哲もないガスバーナーだとか、ラストに強引に論理的なナレーションを入れてるとか、妙なずれっぷりが笑えるが、これもコーマンらしさってところだろう。 ちなみに設定を見てみると、この金星ガニ、金星に生えてるキノコの知能が発達したもので、既に絶滅寸前で9体しか残ってない。更にとてもそうは見えないが、女性なのだそうだ。変に細かい設定があるのも本作の特徴かな? |
金星ガニ | → | |||
【きんせい-がに】 | ||||
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ジョーン | → | |||
【じょーん】 | ||||
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トム | → | |||
【とむ】 | ||||
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ポール | → | |||
【ぽーる】 | ||||
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1956年 フレッド・マクロード・ウィルコックス(監) |
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西暦2200年、十数年前突然連絡を絶った植民惑星アルテア4の調査に向かうに到着したアダムス船長(ニールセン)率いる宇宙船C-57-Dクルー達。アルテア4に着陸した彼らは調査隊の生き残りであるモービアス博士に出会う。博士はこの惑星は危険であるとクルー達に警告するのだが… MGMが手がけた初のSF大作で、最初のワイドスクリーンSF(イドの怪物が実体化した際、ライオンの形をしているのはこのためらしい)。シェイクスピアの「テンペスト」をベースに、潜在意識の根源的衝動をモンスターとした深い内容を持つ作品。 これには正直ビックリした。1956年と言えば、ハリウッドではまだ原子怪獣とかの見た目から作り物としか思えない化け物が闊歩し続けていた時代だ(決して嫌いなわけではないが)。『スター・ウォーズ』(1977)に遡る事20年、『猿の惑星』(1968)や『2001年宇宙の旅』(1968)からしても10年以上も前。そんな時代にこれ程完成されたSF映画がハリウッドで作られていたとは。 確かにSFXと言うにはお粗末な部分はあるけど、アニメーション合成など、当時の技術でここまで出来たのか。と目を見張らせるし、その見せ方も巧い。アイディアだって、現代に決して劣っていない(小説だってSFが人間の精神世界まで入ってきたのはいくつかの例外はあるけど、70年代になってからだ)。それに魅力的なキャラクター達。ロビーという素晴らしいロボットの存在。もう脱帽もの、と言うより、これ程素晴らしい作品をこの時代に作る事が出来たハリウッドの力というものにほとほと感服する。確かに金をかけた割りに当時は受けなかったそうだけど、この作品はあまりにも早すぎたのだ。この作品を受けいれるまでに時代の方が遅れすぎていた。結局受けいれられたのは劇中の万能ロボット“ロビー”だけだった(ロビーのブリキのおもちゃは日本にもあり、マニア垂涎の的だそうだ)。 物語は後年のテレビシリーズ『スター・トレック』の先取りと言った感じで、内容やアイディアなど、むしろTV作品に与えた影響の方が大きかった事を窺わせる(事実TVシリーズの『トワイライト・ゾーン』では本作のSFXを流用した作品もあるそうだ)。この時代に精神世界の話を出してしまうと言うのは卓越した脚本だったぞ。 それにしても勿体ない。この時代にこれだけの作品を作っておきながら、本格的な宇宙もののSFが作られるまで、10年を要したというのが…実に勿体ない。仮にこれが受けいれられていたら、ハリウッドの映画はもっと早く進歩を遂げていただろうに。結果として、『2001年宇宙の旅』以前に、本当の意味で大人の鑑賞に堪えることが出来るのは『地球の静止する日』(1951)と本作くらいだ。 |
IQ増幅トレーニングマシーン | → | |||
【あい-きゅー-ぞうふく-とれーにんぐ-ましーん】 | ||||
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アルタ | → | |||
【あるた】 | ||||
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アルテア4 | → | |||
【あるてあ-ふぉー】 | ||||
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イドの怪物 | → | |||
【いど-の-かいぶつ】 | ||||
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クレール人 | → | |||
【くれーる-じん】 | ||||
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クレストロン継電器 | → | |||
【くりすとろん-けい-でん-き】 | ||||
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C-57-D | → | |||
【しー-ふぃふてぃ-せぶん-でぃー】 | ||||
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ジョン | → | |||
【じょん】 | ||||
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モービアス | → | |||
【もーびあす】 | ||||
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ロビー | → | ||||
【ろびー】 | |||||
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1956年 フレッド・F・シアーズ(監) |
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科学者のラス(マーロウ)は新兵器の研究中、空飛ぶ円盤と遭遇する。円盤を見たという彼の主張は取り上げられなかったのだが、その円盤はやがて陸軍基地へと降下。基地に対して攻撃をかけてきた。基地は壊滅し、ラスと新妻のキャロルは基地に閉じこめられてしまう。やがて助けられたラスは円盤の真意を知るまで攻撃を止めるように主張するのだが… これも1950年代ハリウッド特撮を語る上で欠かせない作品。丸みを帯びた宇宙人のデザイン(正確に言えば装甲だが)や、ストップウォッチアニメーションで動く円盤の動きの良さもあるが(カクカク動くんだけど、特撮ファンにとってはこれが楽しいのよ。更に円盤の突撃による建物崩壊までアニメーションで作られているという凝りよう)、何の躊躇もなく地球を襲撃してくる宇宙人というストレートな侵略ものの作品というのが、かえって新鮮に思える。下手に捻るよりもこういうのの方がより宇宙人の恐ろしさを示していて、格好良い特撮を観たいという、特に日本人には好印象を持たれるのだろう。実際これはかなり燃えるよ。 …しかし、これが作られた時代というものも合わせて考えてみると、これは冷戦下での共産主義との戦いというのを念頭に置いているのではないか?という、うがった見方も出来る。実際、宇宙人がアメリカを攻撃する際、基地などの戦略的優位点だけでなく、わざわざワシントン記念塔などの象徴的建物を選んで攻撃しているとか、“世界規模での頭脳を集めた”と言いつつ、それらが全員アメリカ人だったり。そうそう、宇宙人が用いている脳波走査も当時恐怖の対象とされていた共産主義国家による洗脳を示しているような気にさせられる。 『禁断の惑星』(1956)と並ぶ1950年代の傑作SF作品として記憶に留めるべき作品で、この作品にインスパイアされた映画は数多い。 |
オペレーション・スカイフック | → | |||
【おぺれーしょん-すかいふっく】 | ||||
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キャロル | → | |||
【きゃろる】 | ||||
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ハンレイ | → | |||
【はんれい】 | ||||
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フーライト | → | |||
【ふーらいと】 | ||||
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防御シールド | → | |||
【ぼうぎょ-しーるど】 | ||||
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ラス | → | |||
【らす】 | ||||
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1957年 バート・I・ゴードン(監) |
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グレン=マニング陸軍大佐(ランガン)は、プルトニウム爆弾の演習中、たまたま墜落してしまった飛行機を助けようとしたところ、爆風に巻き込まれてしまう。奇跡的に助かったが、全身大やけどを負った彼は、甲状腺の異常によって何と巨大化してしまう。婚約者のキャロル(ダウンズ)と医師団の献身的な努力にもかかわらず、巨大化を止めることは出来ず、とうとう巨人となってしまう。絶望したマニングは病院を脱走するが… SF映画の古典的名作と言われる本作。その後多くの模倣映画(テレビも含め)が作られるほどだから、アイディアは確かに良かったと思うし、その功績は私も認めたいと思う。 ただ、残念なことに、ストーリーそのもののバランスがあまり良くない。巨大化して凶暴化するのならば、主人公マニング大佐の描写をもう少し突っ込むべきだったのでは? “巨大化してしまった”存在としての、哀しみの演出が中途半端で、更に凶暴化してからは弱い怪獣ものになってしまった。哀しい存在として、あるいは極端に強いか凶暴なキャラクターとして突出させればもう少し良くなったんじゃないかな?救いようのないラストを活かす方法を考えて欲しかった。 もう少し色々な部分で努力すべき作品だったと思える。 B級感溢れる特撮部分はかなり頑張ってると思うし、あの巨大注射器はかなり笑えた(あそこであの注射器を人間に対して投げつけなければ救いがあったんだが)。 後に東宝で作られる『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965)とか、あるいはほとんどストーリーまで同じの「ウルトラQ」の一編「変身」方が遙かに完成度が上だぞ。日本のテレビに負けるような作品だったわけか…いや、この作品があったからこそ、出来たんだろうけどね。 |
キャロル | → | |||
【きゃろる】 | ||||
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グレン | → | |||
【ぐれん】 | ||||
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腰布 | → | |||
【こし-ぬの】 | ||||
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注射器 | → | |||
【ちゅうしゃ-き】 | ||||
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1957年 アーノルド・レイヴェン(監) |
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海軍の海上への降下訓練を行う兵士と、ボートの乗組員が海上で失踪した事件が起こる。カリフォルニアの海軍基地では調査に乗り出すが、犠牲は民間人にまで及ぶようになった。そして明かとなった、原爆実験により呼び覚まされた太古の巨大な軟体動物の群が海中に潜んでいるのが発見される。水路を塞き止め怪物の巣の壊滅を図る海軍だが、サンプルとして海軍研究室に捕獲されていた怪物の卵が孵化しようとしていた… 元々日本では『大怪獣メギラ』という題で短縮版を劇場公開した作品。メギラと(勝手に)日本で呼ばれているこの怪獣の姿は秀逸で、海外物のSF作品の紹介記事を見ると、『大アマゾンの半魚人』の半魚人や『宇宙水爆戦』のメタルナ・ミュータントなどと共に必ず紹介されているほどメジャー。残念ながらその本物に出会うことは今まで無く、これを観るのはとても楽しみにしていた。 ただ、実際に見てみると、この怪獣、それほど迫力がある訳じゃなかったな。ウルトラマンとかでテレビシリーズで出ても、多分このままじゃ見劣りしてしまうって感じ。大体怪獣の名前自体、「メギラ」ではなかった。 劇中ではクレイカと呼ばれていたこの怪獣はカタツムリの突然変異体という位置づけで、名前自体、単体の名前ではなく、種としての名前だった。しかも人間対怪獣の息詰まる戦いと言うより、彼らは本当に単なる動物の一種で、巣ごと人間に駆除されて終わり(最後に一波乱起こしてはいるけど)…ちょっと寂しい。 前に『放射能X』のレビューでも言及したのだが、アメリカ産のSF作品で出てくる怪獣は、戦う対象ではなく、駆除する対象でしかない場合が多い。こんな所でも日米のSF作品の違い、怪獣の捉え方の違いを感じさせられることとなった。 |
ガイル | → | |||
【がいる】 | ||||
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クレイカ | → | |||
【くれいか】 | ||||
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ジェス | → | |||
【じぇす】 | ||||
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ジョン | → | |||
【じょん】 | ||||
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ミミ | → | |||
【みみ】 | ||||
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メギラ | → | |||
【めぎら】 | ||||
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地球へ2千万マイル |
1957年 ネイザン・ジュラン(監) |
金星探査船XY21は、帰還途中に隕石の衝突により、イタリアはシシリア島にある漁村の沖合いに墜落する。それを発見した漁師達はその宇宙船から二人の男を救出するが、その一方の科学者は残ったカルダー大佐(ホッパー)に研究ノートを渡して息絶えてしまう。好奇心満点の少年ぺぺは海岸に打ち上げられた残骸を手に取っている内におかしなカプセルを発見。早速ローマから来ていた医者のレオナルド(パグリア)にそれを売ってしまう。カプセルから取り出された緑色の(?)胎児状の生物は地球の大気に触れることで急速に成長していく。博士と娘のマリザ(テイラー)はその生物をローマに運ぼうとするのだが、更に大きく成長したイーミアは檻を破って脱走してしまう。駆けつけたカルダー大佐を初めとする捕獲チームが早速作戦を展開するが… かつて日本でのタイトルは『金星竜イーマ』。ジュラン監督がハリーハウゼンと組んで作り上げたSF怪獣もの作品で、日本で「怪獣図鑑」なるものが出版されると、大抵載ってるほどの知名度を持ったメジャーなモンスターが特徴の作品だ。しかし、本作は日本では未公開作品として扱われているのがなんとも残念な作品。 モンスターの形状と、宇宙からやってきた怪獣が暴れ回る。と言う先入観をもたれやすいので、単なるB級SF作品として片づけられがちなのだが、実際はこれは深い物語展開で、素晴らしい出来の作品。 造形の良さは折り紙付きだが、クレイアニメーションによって動く(これをハリーハウゼン自身が「ダイナメーション」と名付けるのは翌年の『シンドバッド 7回目の航海』(1958)から)イーミアの姿は、姿の不気味さとは裏腹に、大変繊細な動きを見せている。最初にカプセルから誕生するシーンも、眠そうな目を開け、明るすぎると又目を閉じ、それから目をこすってからもう一度目を開ける…そんな細やかな動作をしっかりやってくれていたし、何より、このイーミアは、全編を通して、一度も自分から攻撃を仕掛けることはなかったというのが特徴的。イーミアが戦うのは人間の側が攻撃をした時、それを振り払うためだけで行われている。 このシーンで特徴的なのは牧場のシーンだろう。トラックから逃げたイーミアはどこに逃げたらいいのか分からず、とりあえず広い場所の牧場に逃げていった。そこで草を噛んでいた羊たちはバラバラに逃げるのだが、一匹だけ逃げ遅れた羊がいた。そこに近づくイーミアの動作は傍目から観ても、大変優しげなのだ。しかし、それも番犬と農場主の銃によって追い払われることになるわけだが、不思議な魅力を感じさせられるシーンだったといえよう。 そして一旦捕まってしまったものの、電気ショックに耐えられずに再び逃亡。この辺りから体の大きさは巨大となり、象と戦ったりするが、ここも実写とアニメーションの合成が小気味良い。流石ハリーハウゼン!と言いたいくらいに感動的だ。最後は廃墟となったコロッセウムの最も高いところに上ったイーミアに銃弾の雨が降りかかり、落下してついに死亡する。 これを通して思うことは、この作品はハリーハウゼンの師匠であるオブライエンが手がけた『キング・コング』(1933)との共通性だ。 訳も分からず自分のすみかから強引に引っ張ってこられ、右往左往してる内に人間が勝手に攻撃してくる。それを避けているだけなのに、世間はその存在を「悪」と見なし、攻撃する。全くの人間の都合で連れてこられた上に攻撃されるというモンスターの存在意義というものがよく現れている(これは『フランケンシュタイン』(1931)でも使われた手法)。流石に師匠だけあって、相当にインスパイアされていたのだろう。最後の高所からの転落まで合わせてるし(笑)。これはハリーハウゼンが作り上げたSF版『キング・コング』と言っても良い。悲しく、そして素晴らしい物語だよ。 最後にイーミアをこの地球に持ってきたカルダー大佐が「いつの時代も進歩への道はとてつもなく険しい」とか言ってたが、「それってあなたの責任じゃないですか?」とツッコミを入れたくなるのはともかく(笑) |
イーミア | → | |||
【いーみあ】 | ||||
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XY21 | → | |||
【えっくす-わい-とぅえんてぃ-わん】 | ||||
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カルダー大佐 | → | |||
【かるだー-たいさ】 | ||||
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ペペ | → | |||
【ぺぺ】 | ||||
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マリザ | → | |||
【まりざ】 | ||||
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レオナルド | → | |||
【れおなるど】 | ||||
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1958年 エドワード・バーンズ(監) ビル・ウィリアムズ、リン・トーマス、ロバート・エリス、ポール・フリース |
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人工衛星のスペースマスター号が宇宙から回収されたが、そこには微細な生物と見られるものが付着していた。生物学者のチャールズ=ポマー教授はそのサンプルを自宅に持ち帰りって分析を続け、それを「ブラッド・ラスト(血のさび)」と命名する。そしてブラッド・ラストの培養に成功するのだが、逆に肉食生物に進化したブラッド・ラストによって食い殺されてしまった。それを知った国家安全局はジョン=ハンド(ウィリアムズ)とジョー=ラティガン(ロバート=エリス)を派遣する。ブラッド・ラストが火に弱いことを突き止めた二人は研究所を一掃するが、ポマー教授が残した音声テープから、博士は殺される前に女性と接触していたことを知る。その頃、当のその女性リン=トーマス(グリーリング)は国外旅行に出ようとしていた… ハリウッドB級作とはこれだ!と言い切ってしまうほど気持ちの良いB級作品。とにかく低予算、早撮り、役者も新人ばかりという、ここまでやるとかえって小気味よくなるほど。 実際物語としても、世界を覆い尽くすほどの宇宙生物のパニック…と言う訳でなく、感染した女性が誤解から逃げ回るという、それだけの話で、設定も大変いい加減。見せ場はラストの飛行機の中で、これは結構緊張感があったが、それだってセット丸分かりのチープさ。モンスターであるブラッド・ラストに至っては、ぶよぶよの固まりを動かしてるだけ。 それが悪いと言うつもりはない。元々B級作品ってこういうものだから(そもそもB級作品の定義というのは、他のちゃんとした作品の併映が前提で、それ専門のBスタジオで撮られたもの)。逆に割り切ってみれば、大変楽しい作品である。 ただ、設定はどうだろうか? そもそも宇宙から来た危険な細菌を研究所から持ち出して家で研究するという時点で、もはやリアリティのかけらも見えないし、感染したリンはそこら中触れ回ってるから、既に全米が感染してるってことになるんだが…ま、その辺も味って奴か? |
ジョー | → | |||
【じょー】 | ||||
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ジョン | → | |||
【じょん】 | ||||
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スペースマスター号 | → | |||
【すぺーす-ますたー-ごう】 | ||||
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チャールズ | → | |||
【ちゃーるず】 | ||||
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ブラッド・ラスト | → | |||
【ぶらっど-らすと】 | ||||
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リン | → | |||
【りん】 | ||||
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恐怖の火星探検 | 1958年 エドワード・L・カーン(監) |
かつて全滅した火星探検隊の責任で地球に送られ、軍事裁判を受けようとしているカラザース大佐を移送する宇宙船チャレンジ142号。だが、この船には探検隊を全滅に追いやった吸血獣も潜んでいたのだ。通常武器が効かないモンスターは乗員を次々に殺しながら階層式の船内を昇ってくる… 1950年代の古典SFの傑作の一本。尤も、これを“傑作”たらしめているのはむしろ後年の『エイリアン』(1979)に影響を与えた映画としてだろう。一体のモンスターが宇宙船の中で徐々に迫ってくる描写のみならず、ダクトやエアロックを用いたアクションなど、共通点が多い(何でも『エイリアン』公開時は本作の盗作ではないかと騒がれもした)。この緊張感は確かによく似てる。 たださすが50年代SFだけあって、設定や描写などかなりアラも多い。宇宙船内で拳銃を撃つのみならず、手榴弾やバズーカ砲まで出てくるし、怪物の撃退のために原子炉まで開放するという無茶苦茶さ。一体何をしに来たんだろう?と思わせるほど。実はそれが本作の魅力でもあるんだが… 本作のクリーチャーデザインは金星ガニや大頭人のデザイナーとして有名なポール=ブレイズデル。醜悪ながら魅力あるデザインに仕上がっている。 |
ヴァン・ヒューゼン | → | |||
【う゛ぁん-ひゅーぜん】 | ||||
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エドワード | → | |||
【えどわーど】 | ||||
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ショーン | → | |||
【しょーん】 | ||||
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弾丸を使うモンスターは一種類しかいない | → | ヴァン・ヒューゼン | ||
【だんがん-を-つかう-もんすたー-は-いっしゅるい-しか-いない】 | ||||
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チャレンジ142号 | → | |||
【ちゃれんじ-わん-ふぉー-つー】 | ||||
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チャレンジ141号 | → | |||
【ちゃれんじ-わん-ふぉー-わん】 | ||||
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モンスター | → | |||
【もんすたー】 | ||||
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1958年 アーサー・クラブトゥリー |
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原子力発電所を中に持つ空軍基地近くにあるカナダの町では不審な死亡事故が続発していた。何故か被害者は脳みそが全部吸い出されているのだ。その不気味な事件に、原因は基地が導入した新型の無線機が発する強力な電波にあるのではないかという町の住民からの主張で、カミングス少佐(トンプソン)は調査を開始したのだが、その延長線上に浮かんだのは脳医学を研究するウォルゲート教授だった。たまたまウォルゲートの助手をしている恋人のバーバラに、その研究の資料を取ってくるように頼むのだが… 50年代ハリウッドSFは、量産されたB級ムービーとして一時代を築いた。有名なものは日本でも結構紹介されているのだが、とにかく数が多いため、日本では観られないものが数多く残っている。昔はビデオレンタル店にこっそりと隠れるように置かれていることもあったのだが、DVD時代に入ると、全然観られなくなってしまった。 でも近年、そういった50年代SFがちょくちょく安価でDVDソフト化されるようにもなってきた。ジャンル映画好きとしてはうれしい時代になってきたのだが、本作もその一本で、これまで存在は知られていたし、パートパートは目にすることもあったのだが(『インベージョン・アース』とか)、まさかのDVD化。前々から観たいと切望していただけに、一も二もなく購入決定。 この作品を観たかったというのは、私が大好きなマンガ「宇宙家族カールビンソン」に登場するリスのターくんという人物(?)の存在があったからだった。マンガを知っている人には言うまでもないが、このキャラは脳髄と神経節だけのキャラで、まさしくそのアップはホラーそのものなのだが、劇中ではいつも酷い目に遭わされ続けるいじられキャラだった。その元ネタがこの映画だったと聞いていたから。是非ターくんの元キャラを観たいものだと思い続けていつの間にか20年以上。まさしく待ちに待っていた作品だった。 で、一見。 少なくとも、B級好きならまず楽しめる作品ではある。どっちかというと、真面目に観るよりネタとして観られる人だったら。なんせ人の脳髄が這い回って襲ってくる。その描写があるだけでも、どれだけおぞましいかが分かろうというもの。しかもそれが潰れてぶちゅっと体液(?)をまき散らせてみたりと、ゲテモノ好きにはたまらない描写が目白押しだ。 這い回る脳の描写もなかなか素晴らしく、ストップモーションアニメが気持ちの悪さとコミカルさを上手く描写していたし、モノクロだけに、陰影が実に上手い。 だけど、本作で「良い」と言えるのはそこまで。物語を構成する設定があまりにもお粗末すぎるのだ。そりゃこの時代の作品にリアリティとか緻密な設定とか求めるのは無理かもしれないけど、これはひどい。 本作は原子力発電所ありきの話なのだが、他のモンスター映画のように原子力の力でモンスターが誕生するのではなく、単純に巨大な電力発電としか見ていない。それはある意味では新しい観点ではある。だけど、だからといってそれを単なる電気を作る施設と見るのはあまりに不用意ではないだろうか。 あのラストは、確かに怪物を消し去るには重要だったかもしれないけど、その後この辺一帯に何が起こったのかを考えると、かえって恐ろしい気がする。 |
ウォルゲート | → | |||
【うぉるげーと】 | ||||
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カスパー | → | |||
【かすぱー】 | ||||
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カミングス | → | |||
【かみんぐす】 | ||||
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チェスター | → | |||
【ちぇすたー】 | ||||
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バーバラ | → | |||
【ばーばら】 | ||||
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1959年 ロイ・デル・ルース(監) |
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新婚旅行中に夫ポールに失踪されてしまった新妻のジェーン(ガーランド)は、僅かな手がかりを元に沼地にある研究所を突き止める。彼女はそこで出会ったシンクレア博士より、ポールが交通事故で受けた傷を治すため、ワニの体液を注入されていたと言う事実を知らされる。しかし、治療の副作用で徐々にワニと化すポール…最後の方法としてギリギリまで放射線を当てると言う治療がなされるのだが… その手の映画の記事などでは結構紹介されることの多いワニ人間。人間の体にワニの頭が載っていると言う愛敬のある姿のスチールを見たと言う人も多いと思うのだが、実際に動いているのを見ると…うーん。「ウルトラQ」の話の一編って感じの作品で、出来そのものも今ひとつ。 ラストにほんのちょっとしか登場しないワニ人間はラバースーツが見え見えで、頭以外は完全に人間。それも逃げ回っている内に沼にはまっておだぶつという展開。造形そのものは結構微笑ましいんだから、それを演技でフォローして欲しかったな。 むしろ徐々に変化していく夫を甲斐甲斐しく見守るガーランドや、ワニに手首を食いちぎられ、奇行を繰り返す男を演じたチャイニーJrの方がキャラとしては立っていた。 |
ジョイス | → | |||
【じょいす】 | ||||
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ポール | → | |||
【ぽーる】 | ||||
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マーク | → | |||
【まーく】 | ||||
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マノン | → | |||
【まのん】 | ||||
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ワニ人間 | → | |||
【わに-にんげん】 | ||||
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巨大アメーバの惑星&恐怖の火星探検 |
1959年 イブ=メルキオール(監) ジェラルド=モーア、レス=トレイメン、ノーラ=ヘイドン |
61日間連絡を絶っていた世界初の火星探査ロケットが地球に帰還した。だが4人いた隊員も生存者は僅かに2人。しかも隊長であるオバニオン大佐(モーア)は奇妙な肉腫に冒されていた。残った女性隊員アイリス(ヘイデン)が語ったのは、火星での恐ろしい体験談だった… B級SF作品の監督や脚本(後に小説家に転向)を手がけるメルキオール監督のデビュー作。製作期間は僅かに10日と言う極端な早撮りで作られた作品ながら、実に魅力的なSF作品に仕上がっている(特に怪獣好きな人間にはつとに有名)。 物語の構成はエンカウント→逃げる→エンカウント→…と言う、次々と現れるモンスターにどう対処するか。と言う古典的且つ、アニメ的な演出だが、結構これが心地良い。ストーリーは二の次で、怪獣をどう演出するかに特化してる点が大変よろしい。 最初に登場するのが食肉植物。触手を揺らめかせながら登場人物を絡め取り、本体に引き寄せてくる。ただ、引き寄せられたからすぐに食われるのか、と言うとさにあらずで、捕まったキャラクターは叫んで暴れるだけ。こいつは超音波銃で撃退。 次はいよいよお待ちかねのコーモリグモ。最初立木だと思って枝を切ったらいきなり暴れ出す。なんと身の丈40フィート…って、12メートル?そんなに小さかった?だったら上見りゃすぐに分かっただろうに。気付けよ!こいつも例の超音波銃をばしばし撃ち込んだら、目を潰されて退場(しかし文字通りコウモリとクモを合わせたようなこのデザインは今見ても素晴らしい)。 そこで帰ろうとするが、特殊な力場が宇宙船の周りに張られていて帰還を果たせず。 その後、性懲りもなくまたまた探検に出かけると、そこには湖があり、ゴムボートを出してえっちらえっちら漕いでいくと、そこには何と超近代的な都市が!…火星に水あったりそんな都市を今までどうして見つけられなかった?とか、どう見ても立体感のない書き割りの都市だとかは言ってはいけない。そして湖を割って登場する表題の巨大アメーバ。肉まんみたいなのの上に一つ目がぎょろぎょろ回る奴で、大急ぎで逃げる隊員を取り込んでしまい、更にロケットにまとわりつく。こいつは宇宙船に電流を流すことで撃退…宇宙船の周りに電流を流すって、凄い用意が良いよな。 そしてついに姿を表した目を三つ持つ火星人の声が響く。「地球人は戦争ばかりしてる好戦的な種族だから、もう火星には来るな」と言う…だったら最初っから言ってれば良かったんじゃないか? …言わば、アラしかない作品なんだけど、だからこそ魅力がある作品というのも確かにあるんだ。改めてそれを感じさせられた。 ただ一つ文句を言わせてもらうと、舞台が火星だから、赤いフィルターをかけて撮影してるので、全部観終える頃には目が無茶苦茶疲れると言うところか。本作をご覧になる方がおられたら、充分注意されたし。 |
アイリス | → | |||
【あいりす】 | ||||
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音波銃 | → | |||
【おんぱ-じゅう】 | ||||
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火星人 | → | |||
【かせい-じん】 | ||||
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巨大アメーバ | → | |||
【きょだい-あめーば】 | ||||
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コーモリグモ | → | |||
【こーもりぐも】 | ||||
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サム | → | |||
【さむ】 | ||||
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食肉植物 | → | |||
【しょくにく-しょくぶつ】 | ||||
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セオドア | → | |||
【せおどあ】 | ||||
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トム | → | |||
【とむ】 | ||||
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ロケットシップMR1 | → | |||
【ろけっと-しっぷ-えむ-あーる-わん】 | ||||
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1970年。ゴビ砂漠で隕石が発見された。調査した国際惑星調査連盟は、この隕石が金星からきたものであり、そしてその中には磁気コイルが組み込まれている事を発見するのだった。科学者会議で金星訪問が決定し、国際的な調査隊が組織された。コスモクラトール号に乗り込んだ8人の調査隊が派遣されるが… スナニスワフ・レムの原作「金星応答せず」をポーランドと東ドイツが合作したという異色作で、出演者もソ連を初めとし、ポーランド、アメリカ、ドイツ、インド、中国、ケニア、日本(谷洋子)と多彩なメンバーを誇る、SFとしては超大作にして異色作。 レムのSF作品は全般的にペシミスティックな内容が特徴だが、映画化した本作も作り方は設定は大変面白い。科学によって統一された地球を舞台とし、国際協調による科学万能主義の内容の要に前半部分で思わせておいて…というどんでん返しがなかなか心地良い。金星文明の崩壊を前にして、見かけの国際協調が実はとんでもなく儚いものであることまで浮き彫りにしており、SFの体裁を取っていながら、当時の国際社会の現実に即した皮肉な内容になってるのが特徴。適当にひねりが利いているので、かなり楽しめる。 物語も、危機の連続を知恵と勇気で乗り越えていくという、ウェルメイドな物語とはいえ、科学的な見地から考えられているのでそれが嬉しいし、今から観るとちょっと安っぽいとは言え、特撮の力の入り具合も嬉しくなってくる作品。特撮とか科学的考証に時間割かれてしまい、演出がちょっとたるいが、それもご愛敬って所だろう。 …そう言えば、考えてみると、この作品の大まかなストーリーフローは金星に行って何にもしないで帰ってくるだけ…とは言っちゃ行けないか? 版元の問題もあってDVD化は難しい作品のようだが、ジャンル映画好きな人間には是非観て欲しい作品。 |
アルセニエフ | → | |||
【あるせにえふ】 | ||||
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オメガ | → | |||
【おめが】 | ||||
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コスモクラトール | → | |||
【こすもくらとーる】 | ||||
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シカルナ | → | |||
【しかるな】 | ||||
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スミコ | → | |||
【すみこ】 | ||||
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ソウティック | → | |||
【そうてぃっく】 | ||||
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タルア | → | |||
【たるあ】 | ||||
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チェン・イー | → | |||
【ちぇん-いー】 | ||||
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ブリンクマン | → | |||
【ぶりんくまん】 | ||||
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ホーリング | → | |||
【ほーりんぐ】 | ||||
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