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マーティン・マクドナー
Martin McDonagh

Martin McDonagh
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鑑賞本数 合計点 平均点
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_(書籍)

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2022 イニシェリン島の精霊 監督・脚本
2021
2020
2019
2018
2017 スリー・ビルボード 監督・製作・脚本
2016 ナショナル・シアター・ライヴ2017/ハングメン 脚本
2015
2014
2013
2012 セブン・サイコパス 監督・製作・脚本
2011 ザ・ガード 〜西部の相棒〜 製作総指揮
2010
2009
2008 ヒットマンズ・レクイエム 監督・脚本
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1975
1974
1973
1972
1971
1970 3'26 ロンドンで誕生

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イニシェリン島の精霊
2022NY批評家協会主演男優賞(ファレル)、脚本賞
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グレアム・ブロードベント
ピート・チャーニン
ダニエル・バトセク
オリー・マッデン
ダーモット・マキヨン
ベン・ナイト(製)
マーティン・マクドナー(脚)

コリン・ファレル
パードリック
ブレンダン・グリーソン
コルム
ケリー・コンドン
シボーン
バリー・キオガン
ドミニク
ゲイリー・ライドン

パット・ショート
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1923年、アイルランド島近海の孤島イニシェリン島で牛乳絞りの仕事をしているパードリック(ファレル)の唯一の楽しみは親友のコルム(グリーソン)とパブで飲むことだった。今日もいつも通りコルムを誘いに来たのだが、突然一方的に絶縁を宣言されてしまう。理由もわからず激しく動揺するパードリック。許してもらおうとしつこく話しかけるも、余計にコルムを怒らせてしまい、ついにはこれ以上つきまとうなら自分の指を切り落とすと言われてしまう。

 2017年に、全く期待せずに観に行って驚いた名作『スリー・ビルボード』のマクドナー監督の最新作。それを知ったら絶対に観に行かねばならぬと思った作品だった。
 二人の男の仲違いの話とだけ情報を入れて観に行ったが、受け止めかねているというのが正直な感想でもある。
 一応ネットなどを用いてその真相を探ってみたが、明確に納得できる記述が見当たらない。そのため、勝手な想像で書かせてもらおう。
 本作のメインストーリーは前述したとおり二人の男の仲違いの話である。舞台となるイニシェリン島は架空の島だが、海を挟んだ西側にはアイルランドの首都ダブリンがあって、大きな音が鳴り響くとイニシェリン島にも聞こえるくらいに近い(地図で調べたら、この舞台となっているアラン諸島は全く逆の西側の島だった)。主人公であるパードリックは善良ではあるが、自分と家族と飼っている家畜についてくらいしか考えることのない人物で(ロバの糞の話を二時間喋ることくらいしか話題がない)、狭いこの島の中でそれなりに満足して生きていた。対してコルムは楽器を演奏するだけでなく作曲も行っており、更にアイルランド本当から彼を慕って音楽学校の生徒がやってくることもあって、かなり才能豊かな人物であることが分かる。
 そんな才能あるコルムはこれまでパードリックの退屈な話にずっと付き合ってきたが、その話に我慢できなくなって絶交したというのが表向きのストーリーとなる。実際、人生をよりよく生きたいと思ってる人間にとって、退屈さをなんとも思わない人間と付き合うのは時間の無駄だけでなく、自分自身を駄目にしてしまうような気にさせられるので、コルムがパードリックにうんざりしてるのは理解出来る。ただそれで終わっていればコメディとして観られる作品なのだが、そのすれ違いがどんどんずれていき、やがて完全に離れていく。命のやりとりに近いところまで行くので、後半は観ていてきつくなってくる。途中まではコミカルで笑えるところもあったのだが、最後の方はかなりどんよりした気分にさせられてしまう。
 ただ、だからといって面白くない訳では全くない。ぐいぐい引き込まれる。演出的にも優れた作品だ。
 それで本作を大人の喧嘩というだけで観ても良いのだが、もう少し違ったことも考えられる。
 この作品の場所と時を考えてみると、1923年のアイルランドというのがこの作品の舞台で、海を越えたダブリンでは砲撃が起こっている。これは理由があって、この時に確かにアイルランドは散発的な内乱が起こっている。それは2年前の1921年にアイルランドから北アイルランドが分離し、イギリスに属したことから、北アイルランドを巡って侃々諤々の議論が起こっていて、北アイルランドをアイルランドに奪回することを主張する過激派のIRAはイギリスや北アイルランドでテロ行為を行っていたが、啓蒙活動としてダブリンでもテロを起こしていた。実際それは劇中でも語られている。
 コルムの家には様々な世界のお土産のようなものが多数あったことから(日本の能面まであった)、コルムはおそらく音楽家としてかつて世界を巡ってきた人物なのだろう。だからこそ国際問題としてのアイルランドを深く考えている。この問題を非常に深い愁いを覚えていた。祖国アイルランドが分割されたことに悲しみを覚えていたということが一面にあり、それに対して何にも考えてないパードリックに大変な苛つきを覚えていた。何を喋っても反応がない上に、ロバの糞の話を延々と聞かされるのは流石にきついだろう。
 コルムが指を切り落としたのは、自分自身が祖国のために何が出来るかを考えた時、今の自分が何も出来ないという無力感で、無力な自分が何を出来るのかと考えた結果、最も好きなものを封印しようと考えたのではないだろうか?それ自体がアイルランド紛争に何らかの影響を及ぼす訳ではない。ただ、何の意味がないと言われても責任を取らねばならないという彼なりのけじめだった。
 と、いう意味もあるだろう。
 またもう一つ。この二人の関係がアイルランド紛争そのものを示しているという可能性もある。コルムは葛藤を経て今はイギリス領となった北アイルランドを示し、パードリックは、それに対して政治のことも何も考えず、勝手にやってろと見放したアイルランドに対応するとしたら、これは監督なりのアイルランド紛争の元を描こうとしたものかもしれない。

 これらは勝手な妄想に過ぎないので、真相が分かれば書き直す予定。
 他にこの島に住む精霊のことや妹のことなども、色々謎めいたキーワードが多いから、その辺すっきりした解釈を読んでみたいものだ。
製作年 2022
製作会社
ジャンル
売り上げ
原作
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歴史地域
関連
キーワード
スリー・ビルボード
2017米アカデミー主演女優賞(マクドーマンド)、助演男優賞(ロックウェル)、作品賞、脚本賞、作曲賞、編集賞
2017英アカデミー作品賞、主演女優賞(マクドーマンド)、助演男優賞(ロックウェル)、脚本賞、英国作品賞、助演男優賞(ハレルソン)、監督賞、撮影賞、編集賞
2017ヴェネツィア国際映画祭脚本賞
2017ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(マクドーマンド)、助演男優賞(マクドーマンド)、脚本賞、
監督賞
2018
日本アカデミー外国作品賞
<A> <楽>
グレアム・ブロードベント
ピート・チャーニン
マーティン・マクドナー
バーゲン・スワンソン
ダーモット・マキヨン
ローズ・ガーネット
デヴィッド・コス
ダニエル・バトセク(製)
マーティン・マクドナー(脚)
フランシス・マクドーマンド
ウディ・ハレルソン
サム・ロックウェル
アビー・コーニッシュ
ジョン・ホークス
ピーター・ディンクレイジ
ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ
ルーカス・ヘッジズ
ケリー・コンドン
ダレル・ブリット=ギブソン
ジェリコ・イヴァネク
キャスリン・ニュートン
サマラ・ウィーヴィング
クラーク・ピータース
サンディ・マーティン
アマンダ・ウォーレン
マラヤ・リヴェラ・ドリュー
ブレンダン・セクストン三世
ジェリー・ウィンセット
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 ミズーリ州エビング。七ヶ月前に一人の少女がレイプされ殺された。遅々として進まぬ捜査に、少女の母ミルドレッド・ヘイズ(マクドーマンド)は自宅近くの三つの看板に「娘はレイプされて焼き殺された(Raped While Dying)」「未だに犯人が捕まらない(And Still No Arrests?)」「どうして、ウィロビー署長?(How Come, Chief Willoughby?)」というメッセージを張り出した。これによって街は大騒ぎとなってしまう。
 レイプ犯罪に対して意外な行動を取った母親を描いた作品で、多くのアメリカに根ざす問題を直視した、とても社会的な話に仕上げられている。

 ここでの問題点は少し分けて考える必要がある。
 何故なら、本作で描かれているのは、
アメリカが昔から持っていた差別構造という側面の他に、その差別をなんとかしようとして、それでもなんともならないという構造、そして現在新しく起こっている差別の構造が複雑に絡み合っているから。まさしく現代で作られる意味のある作品なのだ。

 そういった啓蒙作品は映画の中でこれまで数多く作られてきた。
 特に移民で構成されるアメリカの中にあって、ハリウッドはほとんど全ての時代を通してレイシズムと戦い続けてきたし、その他様々な差別問題についても俎上に上げられてきた。恐らくはこれからもずっとその戦いは続くだろう。
 そこで問題とされるのが偽善性というやつ。主題が良くても、道徳性を高めた結果、いかにも教科書的なものになってしまったり、一方的に社会的強者が弱者に手をさしのべるというものになってしまったりする。
 その中で強者も弱者も無く、人は人であり、悩みながら解決を見つけていくしかないという作品も出ている。過去オスカーを取ったハギス監督作品の『クラッシュ』(2005)なんかは、差別するものとされるものの境界線が曖昧で、差別する側も正義になり得るし、差別される側が純粋ではないと示したりもしていた。
 本作はそれと同様、差別する側とされる側の境界をかなり曖昧にして、どちらにもなり得る人間性を突き詰めていく。

 主人公となるミルドレッドは、娘を失って、その犯人も捕まえられないと言う事で被差別側に立つはずなのだが、話の中で、実は彼女も又これまで散々差別的な行いをしてきたことや、犯人を捜す過程で多くの人たちを踏み台にしている。
 一方、もう一人の主人公とも言えるのがジェイソン・ディクソン巡査。彼は最初からレイシストとして登場し、差別的言動を繰り返すのだが、彼が差別的なのは結局人生何もかも上手くいかず、性的マイノリティにある自分を強く見せようとしてのことだとわかる。
 この二人だけでなく、登場人物は誰しも多かれ少なかれ被差別者でありつつ差別者でもあるという側面を持っている。
 それは人間誰しもが持つ感情であるとして、否定をしてないところが本作の特徴とも言えるだろう。
 その前提の上で、人はどう生きるべきなのかということを示す。

 それが何かと言えば、“赦すこと”と言って良かろう。

 赦すとは又偽善的な言葉だとも思えるのだが、何故人を赦さねばならないのかというと、そうしないと人は復讐だけに留まって、憎む以外の感情を持つ事が出来なくなる。死ぬまで憎みだけで生きていくのか?と問いかけられている。
 実際ミルドレッドは、自分の行いによって警察署長のウィロビーを自殺に追い込んでしまったことを後悔するシーンがあるし、警察署を燃やした後で、本当に自分に嫌悪感を持ってるようなシーンもある。復讐に駆られて行き着くところまで行くと、どれだけ虚しいかを知ってしまうのだ。対してジェイソンは自分が正義を行っていると信じて暴力沙汰を繰り返してきたが、いざ自分が被害者になった時に、自分が差別していた人から赦されることで、初めて赦すことの強さを体験する。
 すぐにそれが分かった訳では無く、その後も色々過ちを繰り返していくのだが、徐々にこれまでの自分を振り返ることが多くなっていき、最終的に、恨みや憎しみを抱きつつも、それでも新しい一歩を踏み出すことができるようになる。

 自分の人生を生きるためには、赦すことが第一歩である。本作の出した結論は、非常に普遍的な重要な意味合いを持っている。

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