| 帰ってきたムッソリーニ |
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マルコ・コーエン
ベネデット・アビブ
ファブリツィオ・ドンヴィート
フェルディナンド・ボニファッツィ
ダニエル・カンポス・パヴォンチェッリ(製)
ニコラ・グアリャノーネ
ルカ・ミニエーロ(脚)
マッシモ・ポポリツィオ
フランク・マターノ
ステファニア・ロッカ
ジョエレ・ディックス
エレオノーラ・ベルカミーノ
アリエッラ・レッジョ
マッシモ・デ・ロレンツォ
ジャンカルロ・ラッティ |
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| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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4 |
3 |
2 |
3 |
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2017年のローマ。突然空からベニート・ムッソリーニ(ポポリツィオ)が落ちてきた。1945年の処刑の直前の記憶しかないムッソリーニは、変わり果てた街に驚き戸惑う。それでも親切な売店の店主から店番代わりに寝泊まりの場所を与えられ、そこで新聞を読みあさって今が2017年である事、自分が死んでからのイタリアの歴史を理解する。一方、テレビ局を解雇された映像監督のアンドレア・カナレッティ(マタノ)は、ヤケクソのあまりに広場でビデオを撮っていたところ、その編集時にムッソリーニそっくりな人物が写っていることを知り、彼をそっくりさんとして売り出すことを考え、彼を探し出す。素材撮影のため、これまでムッソリーニがいた町々を巡っていく。
もしヒトラーが現代に蘇ったら?というシミュレーションを描いた2015年に作られた『帰ってきたヒトラー』(2015)は衝撃的な作品だった。ヒトラーなら現代を見てこういう反応をするのではないかというシミュレーションで、現代を徹底して皮肉ったあの作りは、映画本来の持つ挑戦的なものも含め、色々考えさせられたものだ。あのラストになんとなく納得いかないも野を感じたお陰で原作まで読んだが、ますます映画の作りの上手さを再認識したものだ。
その後、ほぼ全く同じタイトルでムッソリーニ版があると知り、その内に見ようと思ってたんだが、その「その内」を待ってたら8年以上も経ってしまった。
で、観た素直な感想は「なんだこりゃ?」だった。
これ、『帰ってきたヒトラー』のヒトラーをムッソリーニに変えただけで、物語をほとんど変えてない。なんのために作ったのか全くの不明だった。
ムッソリーニを出すんだったら、ムッソリーニならではの物語が必要だったはず。それこそ最も有名な逆さ吊りの写真から窺える国民の恨みとか、あるいはそれ以前の熱狂とか、ヒトラーとは違う要素が多いはずである。ドイツに利用されてしまったことの反省などもあって然りだが、それさえない。単に独裁者という括りでヒトラーと同じ事をしてるだけ。
『帰ってきたヒトラー』自体は好きなので、本作もその意味では悪いとは思わないのだが、ちょっと馬鹿にされた気にされてしまう。
工夫不足も甚だしい。 |
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