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| デヴィッド・ヴェンドとも。 | |||||||||||||||||||||||
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| 2021 | 帰ってきたムッソリーニ オリジナル脚本 | |
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| 2015 | 帰ってきたヒトラー 監督 | |
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| 帰ってきたヒトラー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 1945年防空壕で自殺したはずのヒトラー(マスッチ)がガソリンまみれで目を覚ました時。そこは2011年のベルリンだった。目に付いたキオスクでそのことを知ったヒトラーの元に現れたのは、テレビ局を馘になったルポライターのファビアン・ザヴァツキ(ブッシュ)だった。偶然カメラに写ったヒトラーをコメディアンとしてスカウトして、もう一花咲かせようとするザヴァツキの提案に乗るヒトラー。二人はドイツ中を旅しながらその姿をビデオに収めていくのだが… ティムール・ヴェルメシュによる同名小説の映画化作品。 小説版の方は知らないまま鑑賞。当初私はこの作品、現代に蘇ったヒトラーが昔の記憶を引きずったまま、ずれた言動を繰り返してそれがコメディになってしまう作品とばかり思っていた。言うなれば『オースティン・パワーズ』(1997)のようなノリノリのコメディ、もしくは『プロデューサーズ』(1968)の劇中劇「ヒトラーの春」のような作品になるかと思ってたのだが、実際に観て非常に驚いた。 確かにこれ、コメディには違いないのだが、素直に笑えるようなコメディじゃ無い。むしろ観てるだけで薄ら寒くなり、笑っておく以外対処できないという、ブラックコメディとして考えるべき作品だろう。 ここに登場するヒトラーは予想と大分違っていた。やたら存在感がでかい大男で、他の人たちを見下ろしてるという点もあるけど、何より情報分析をしっかり行い、ドイツの国民が本音で何を求めているのか、ピンポイントで把握して、それを口にするという、非常にクレバーな存在として描いているのが一番で、ヒトラーによって次々本音を引き出される人々の姿を観ることが本作の最大の面白さとなる。 第二次大戦で日本と同じく連合国に負けたドイツは、その後の対処が日本とは大きく異なることをことある度に聞かされた。戦後処理でひたすらユダヤ人に謝罪し、過去自分たちがどれだけ酷いことをしたかをちゃんと表明しつつ、この歴史を絶対に繰り返さないと、幾たびも世界に向けて発信し続けた。更に難民を積極的に受け入れる度量の深さもあるし、リサイクル運動を積極的に行い、脱原発の最先端を行ってると言うことで、特定の政治信条を持つ方々からはドイツはユートピアのように言われることがある(当たり前だが、それだけでこの国を見ると大きく誤ることにはなる。基本的に国益第一にしてきたからこその反映なのだから)。 そんな理想国家ドイツに住む人は、どれだけの聖人君子だ? そんな事は無いのである。本音はどんな国どんな時代でも変わらない。自分が手を伸ばせる範囲で理解できる社会を求めているだけである。 自分が理解できない若しくは困難なものはエイリアンとして排除しようとするし、手のひらサイズの幸せを阻むものを容赦なく攻撃する。 そんな当たり前の姿がここには映し出されている。 そしてそんな本音を言う当たり前の姿を捉えることこそが本作の目的であり、そこが「とりあえず笑っておくしかない」とするブラックコメディとなりえる部分でもある。 結局この作品は、ヒトラーという存在を通して、今のドイツ国民の本音を語らせると言う内容だと思って良い。ラストシーンがなんだか有耶無耶になってるのも、これからこの光景を観続けなければならないのですよ。という監督のメッセージと捉えれば納得も行く。 細かいところだが、原作にはなかったが、ヒトラーが犬を銃で撃ってしまったことが非難の対象となるシーンは、実はヒトラー自身が1933年に定めた「ライヒ動物保護法」に違反している。これも映画でのパロディ的お遊びだが、甦ったヒトラーを非難するのは、過去のユダヤ人殺しではなく犬殺しのためという皮肉も込められている。 |
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