息子の部屋 2001 |
2001カンヌ国際映画祭パルム・ドール(モレッティ)
2001ヨーロッパ映画作品賞 |
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アンジェロ・バルバガッロ(製)
ハイドラン・シュリーフ(脚) |
ナンニ・モレッティ |
ラウラ・モランテ |
ジャスミン・トリンカ |
ジュゼッペ・サンフェリーチェ |
シルヴィオ・オルランド |
クラウディア・デラ・セタ |
ステファノ・アコルシ |
ソフィア・ヴィジリア |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
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3 |
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イタリアの精神科医ジョヴァンニ(モレッティ)はダイビング中の水難事故で息子のアンドレア(サンフェリーチェ)を失った。それまで平穏無事に過ごしてきたジョヴァンニと妻パオラ(モランテ)の気持ちはすれ違うようになり、娘のイレーネ(トリンカ)も又、失恋で精神的に追いつめられていく。一見昔のままの平穏な家庭が徐々に崩れ始めていった、そんなある日、亡きアンドレアあてにガールフレンドであったアリアンナ(ヴィジリア)からの手紙が舞い込んでくる…
本作は劇場にかかっていた時、横目で見ながら、苦手な奴だろうな。と思いこんでスルー。当時本作の物語を知らず、てっきり息子の部屋に入ってしまった親と子供の確執が描かれるのではないか。と勝手に想像していた…我ながらなんとも阿呆な話だ。結局テレビで見る事になったのだが、久々に本気で後悔した。これこそツボもツボ。ど真ん中だよ。
結構映画も数を観るようになると、自分にとってのツボというのがあるのに気が付く。それは時として、自分でも「らしくないな」と思うようなものがあるわけだが、私にとってその最大のパターンは、「家族を作っていく(あるいは家族の再生)」というものらしい。どれだけべたべたな物語であっても、何故か私はこのパターンにとても弱い。時として他愛もなく涙を流したりもする。
本作の場合、それはちょっと違うと言う意見もあるだろう。何せストーリー上、愛すべく家族は既にいなくなってしまっているのだ。むしろその喪失をどう描くか。と言う物語のはずだった。
しかし、これを観進めていく内に、本作も又、家族の再生という形式に則っていることに気づかされた。これは家族の喪失を描くと共に、実は家族を再生させる物語だったのだ。
ただ、死んでいるからと言って、それが家族と関わりなく、単なる喪失で終わっているのかというと、さにあらず。死んでしまった息子アンドレアは回想シーンで何度も登場して、更に彼の恋人までも登場することによって、消えた息子との関係が(少なくともジョヴァンニの中では)続いている。実際に人は、たとえいなくなっても、遺された人の胸の中で生き続ける。その中で家族はやっぱり作られていくものなのだろう。
喪失感を超えて生きていくとは、実は本当の意味でいなくなったのではない。と言うことを確認する過程なのかもしれない。
そのパターンでは秀作とも言える『普通の人々』(1980)という作品もあるが、本作はそれとはアプローチの仕方がずいぶん違っている。あの作品ほど社会的にコミットはしてないし、むしろ克明に家族を描くことに特化している感じを受ける。その分精神的に突き放すことが出来ずに暖かみを感じた作品だった。
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