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2015 | ||
2014 | キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー 出演 | |
2013 | オール・イズ・ロスト 〜最後の手紙〜 出演 | |
2012 | ランナウェイ/逃亡者 監督・製作・出演 | |
2011 | 声をかくす人 監督・製作 | |
2010 | ||
2009 | ||
2008 | ||
2007 | 大いなる陰謀 監督・製作・出演 | |
2006 | シャーロットのおくりもの 声優 | |
2005 | アンフィニッシュ・ライフ 出演 | |
2004 | 二重誘拐 出演 | |
セイクレッド・プラネット 生きている地球 ナレーション | ||
2003 | モーターサイクル・ダイアリー 製作総指揮 | |
ポール・ニューマン 永遠のクールハンド 出演 | ||
アメリカン・ニューシネマ 反逆と再生のハリウッド史 出演 | ||
2002 | ニューヨーク 最後の日々 製作総指揮 | |
2001 | ラスト・キャッスル 出演 | |
スパイ・ゲーム 出演 | ||
2000 | バガー・ヴァンスの伝説 監督・製作 | |
舞台よりすてきな生活 製作総指揮 | ||
1999 | ノー・ルッキング・バック 製作総指揮 | |
シビル・アクション 製作 | ||
1998 | モンタナの風に抱かれて 監督・製作・出演 | |
Fカップの憂うつ 製作総指揮 | ||
1997 | ||
1996 | アンカーウーマン 出演 | |
1995 | ||
1994 | クイズ・ショウ 監督・製作 | |
1993 | 幸福の条件 出演 | |
1992 | リバー・ランズ・スルー・イット 監督・製作総指揮 | |
インシデント・アット・オグララ 製作総指揮・ナレーション | ||
スニーカーズ 出演 | ||
1991 | ダーク・ウィンド 製作総指揮 | |
1990 | ハバナ 出演 | |
1989 | ||
1988 | ミラグロ 奇跡の地 監督・製作 | |
ダルク家の三姉妹 製作総指揮 | ||
1987 | プロミスト・ランド/青春の絆 製作総指揮 | |
1986 | 夜霧のマンハッタン 出演 | |
1985 | 愛と哀しみの果て 出演 | |
1984 | ナチュラル 出演 | |
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | 普通の人々 監督 | |
ブルベイカー 出演 | ||
1979 | 出逢い 出演 | |
1978 | ||
1977 | 遠すぎた橋 出演 | |
1976 | 華麗なるヒコーキ野郎 出演 | |
大統領の陰謀 出演 | ||
1975 | コンドル 出演 | |
1974 | 華麗なるギャツビー 出演 | |
1973 | 追憶 出演 | |
スティング 出演 | ||
1972 | 候補者ビル・マッケイ 出演 | |
大いなる勇者 出演 | ||
1971 | ホット・ロック 出演 | |
1970 | お前と俺 出演 | |
1969 | 夕陽に向って走れ 出演 | |
白銀のレーサー 出演 | ||
明日に向かって撃て! 出演 | ||
1968 | ||
1967 | 裸足で散歩 出演 | |
1966 | 逃亡地帯 出演 | |
1965 | 戦場はどこだ! 出演 | |
サンセット物語 出演 | ||
雨のニューオリンズ 出演 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | 戦場の追跡 出演 | |
1961 | トワイライト・ゾーン<TV> 「遠来の客/死神の訪れ」出演 | |
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | 8'18 カリフォルニア州サンタモニカで誕生 |
声をかくす人 2011 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大いなる陰謀 2007 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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アフガニスタンとの戦争は泥沼状態。しかもアメリカに対する反抗からシーア派のイランからもアフガニスタンに兵士が送られ始めていた。そんな時、タカ派で知られ、大統領に最も近い人物と言われている上院議員のアーヴィング(クルーズ)は、少数精鋭部隊による高地占領作戦を命じる。そして世論の支持を得るため、そして自らの決断力を誇示するために女性ジャーナリストであるロス(ストリープ)を呼び、独占インタビューを行う。丁度その時に作戦は進行中だったが、その作戦に従事するアーネスト(ペーニャ)とアリアン(ルーク)という幼なじみの二人は作戦失敗によって敵のただ中に取り残されていた。そして同時刻。ロサンジェルス大学の政治学教授のマレー(レッドフォード)は、優秀ではあるがやる気が見えないトッド(ガーフィールド)という学生を呼びつけていた。 しばし監督として沈黙を守っていたレッドフォードが7年ぶりにメガフォンを取り、しかもレッドフォード、ストリープ、クルーズという名優が出演するという豪華な作品。 物語はTVドラマ『24』よろしく、1時間弱で起こった出来事を三つの視点から眺めていくという作品。 とてもとんがった作品で、娯楽性は一切考えず、現在のアメリカが置かれている状況の説明と、起こってしまった戦争をこれからどうすべきか。と言うことに主軸を置いた物語になっている。 そのお陰で物語性はとても低く、ほとんどが会話と言うよりも説明口調の台詞ばかり。決して楽しいとは言えないし、ましてやアメリカから離れた国ではリアリティも感じられないという問題があり。言ってしまえば頭でっかちのリベラリストが書いた脚本って感じ。ただ、アメリカの現状をまとめるためにタカ派を単に悪者とはせず、理論も一応筋が通ったものとなっているため、安易な戦争批判だけの作品でない事だけが救いの作品。 …と言ってしまうと、それで終わりだし、結論として「でも流石名優3人だけあり、演技はたいしたもの」と無難にまとめてしまいたくもある…のだが、ちょっとだけ愚痴を言わせて欲しい。 私は大学時代に某所の某組織にいたという事もあって、以降一貫して自分ではリベラリストだと思っている。だけど気がつくと、いつの間にやら「そう思ってるだけ」の存在になってしまっているという事実。普段の生活でなるだけ見ないようにしているその事実に対し、物語の一つ一つがちくちくと心を刺す。「平和平和」と口で言いつつ、机の前から全然動いてない自分自身に自己嫌悪を覚えつつも、同時に自分自身の中にこんな“青さ”があることをちょっと誇りに思えていることも事実。 確かにこの作品は出来としてはあまり良くないのだが、逆にその甘さのお陰で、私自身が自分の問題として受け取ってしまった事が重要な点。 あるいは本作はそのためにこそ作られたのかもしれないな。アメリカにはかなりの数のリベラリストがいるし、その中には本気で本作を受け止める人もいるかもしれないし。 出来が良いとは言わないけど、そのとんがり具合のお陰で自分自身の生活態度も振り返ることが出来たので、私には丁度ストライクな作品だった。 |
バガーヴァンスの伝説 2000 | |||||||||||||||||||||||
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1928年ジョージア州サヴァンナ。かつて地元の若き天才ゴルファーと謳われていたジュナ(デイモン)だが、第一次大戦で心の傷を負い、故郷に帰ってからもゴルフも恋人のアデール(セロン)も捨てて隠遁生活を送っていた。一方アデールは、大恐慌で自殺した父の後を継いで、アメリカ最高のゴルフ・リゾートを完成させ、ゴルフ・マッチを企画した。その際、ジュナの出場を勝手に決めてしまう。もうゴルフは捨てたと思っていたジュナの前に、バガー・ヴァンス(スミス)と名乗る男が現われ、5ドルの報酬でジュナのキャディとなる事を申し出る… 実話を元にした小説の映画化作。田舎を舞台に、人生の再生を描くことにかけては第一人者のレッドフォードが豪華メンバーを配してきっちりと仕上げてくれた。 ただ、レッドフォードがきっちり仕上げたと言うことは、良い意味もあるが、悪い意味でもある。レッドフォードが作る物語はストーリー的にはすばらしく、しんみりと見せてくれるのだが、その一方起伏が乏しく、退屈なものに仕上がりがち。本作はまさしくその意味でレッドフォード的な作品と言えてしまうのがなんともかんとも。良い作品なんだが、サービス精神が欠如してるため、盛り上がるはずのところで盛り上がらない。ある意味、こう言う作品はレッドフォード自身が確立したとも言えるのだが、その作風は全然変わってないな。 謎めいたキャディの存在や、スポーツ競技を題材にして、設定的には確実に盛り上がりそうな物語なのに、出来た作品は本当に淡々とゴルフするだけになってしまった。思わず「レッドフォードはやっぱレッドフォードだよな」とかつぶやきながら観てしまった。 物語そのものが退屈なため、その分演じるキャラの魅力に重点がかかるわけだが、それに関しては充分及第点。性格描写もきっちりしているし、主要キャラは黙っていても自分の存在感を主張できる人ばかりなので、その個性をうまく引き出してる。デイモンは下手にべらべらしゃべらせるよりも黙っていた方がキャラ的には良く似合っていると思うし、どんな役でも器用にこなすセロンは言うに及ばず。意外だったのがスミスが割と無口なキャラやっても似合うと言う事実。この作品に出たことで、大きく役の幅を広げたんじゃないかな。 あらかじめ退屈だと言う事が分かっていて、役者を観ると言うことに集中するならばかなり良質な作品といえるだろう。 |
モンタナの風に抱かれて 1998 | |||||||||||||||||||||||
1998米アカデミー主題歌賞 1998ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞 1998キネマ旬報外国映画第9位 |
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少女グレース(ヨハンソン)は乗馬中の事故で親友と右足を失い、自分の殻に閉じこもってしまう。グレースの母親アニー(スコット・トーマス)は、娘の心を回復させるには、同じく事故以来暴れ馬になってしまったグレースの愛馬ピルグリムの全快が必要だと考え、モンタナで馬専門のクリニックを開業しているトム=ブッカー(レッドフォード)の元へグレース、ピルグリムと共に旅立つ。突然やってきて馬の面倒を強要するアニーの強引さにトムは呆れるが、グレースが協力するという条件つきでピルグリムの治療を引き受けるのだった。二人の女性と一頭の馬は、自然の中で徐々に元気を取り戻していくのだが… “癒し”に関わる物語。現在アニマル・セラピーと言って動物を用いたカウンセリング方法があるが、そうでなくても人間関係に疲れた時など、動物と一緒にいると心が安らぐというのは実際あること。本作の特徴として、癒されるのは人間だけでなく、動物の癒しを通して人も又癒されていくという点にあるだろう。そのユニークな設定は面白いし、かつてカウンセリングを紹介した『普通の人々』でオスカーを得ているだけに、レッドフォード監督の着眼点はとても良い。 ただ、本作は設定云々より本作の最大の売りはモンタナの大自然に抱かれ、躍動感溢れる馬の描写にある。動物をここまで綺麗に撮影できたって事だけでも充分評価に足る作品だろう。実際それらを観ているだけでも結構気分良くなってくる。 ただ一方、そのカウンセリングから離れてしまうと、物語自体は、「単なる不倫ものじゃねえか」で終わってしまうのが残念と言えば残念。折角癒しを主眼としたのだから、娘の方をもっと主眼にして然りだったんじゃないかな?ひょっとしてレッドフォードは自分自身をセックス・アピールの塊として観て欲しかったの?それはもう良いよ。監督に専念して主演を変えるか、退いてくれれば良かったんだけどなあ。 しかし、ヨハンソンって子供の頃から性格きつい役やってたのね。それが彼女の売りか? |
クイズ・ショウ 1994 | |||||||||||||||||||||||
1994米アカデミー作品賞、助演男優賞(スコフィールド)、監督賞(レッドフォード)、脚色賞 1994英アカデミー脚色賞、作品賞、助演男優賞(スコフィールド) 1994NY批評家協会作品賞 1994ゴールデン・グローブ作品賞、助演男優賞(タトゥーロ)、監督賞、脚本賞 1994シカゴ映画批評家協会作品賞 |
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1956年。全米ではテレビのクイズ番組が空前のヒットを飛ばしていた。その中でも“21(トゥエンティ・ワン)"の人気は、社会現象にまでなるほど。勝ち抜き式のクイズで無敵を誇るチャンピオン、ハーヴィー=ステンプル(タトゥーロ)が勝ち進んでいたが、その容姿を気にくわないスポンサーは、もっと見栄えのする人物に変更しろと指示する。そんな折り、番組のオーディションを受けにきたコロンビア大学の若手講師チャーリー=ヴァン=ドーレン(ファインズ)に白羽の矢が立てられ、彼は新チャンピオンに仕立て上げられる。チャーリーは名門出で若くハンサムなクイズ王としてテレビ界の寵児となった。だが、その裏には番組を演出し、高い視聴率を稼ぐために勝敗の不正な操作が行われていたのだ。かつてのチャンピオン、ハーヴィにより“21”は訴えられ、新人調査官のディック=グッドウィン(モロウ)がこれを担当するのだが…。 これは1959年に実際にあった事件で、アメリカにおける大スキャンダルの一つに数えられる。 テレビにおけるやらせ問題は日本でも枚挙にいとまが無いほどで、特にクイズ番組となると、半ばあって当たり前という意識がある。たとえやらせが行われていたとしても、現代の日本ではせいぜい週刊誌の中で位しか扱われないもんだが、当時はやっぱり視聴者も相当純朴だったんだろうな。まだテレビが普及して間もない時代で、しかも全米にネットワークを持つだけに、流行の番組に注がれる目はよほど大きかったんだろう。 そう言う事件を淡々と追っていく作品なので、さほど盛り上がりがあるわけではないし、伏線の張り方も今ひとつ。キャラクターの魅力と言っても、さほどあるように思えないと、ストーリー見る限りは小粒な作品なんだけど、画面は相当に綺麗だった。カメラ・アングルはきっちりしているし、キャラクターの考えを表情ににじみ出させ、それを絵にしようという努力は買おう。 レッドフォード監督作品の例に漏れず、これもストーリーではあんまり褒められないけど、キャラクターの上手さと綺麗さで見せるパターンだな。 又、イーサン=ホークやマーティン=スコセッシ(スポンサーとして)など、数多くの映画人がカメオ出演しているのも特徴といえば特徴だろう。 ただし、この作品がアカデミーで数多くノミネートされたのはその演技の良さってよりはむしろアカデミーはアメリカだからって点が大きいと思われる(笑)。アメリカは“実力と運があればのし上がれる”という、いわゆるアメリカン・ドリームを肯定するが、それに冷水を浴びせかけ、アメリカン・ドリームの実体を見せつけたというのが実は一番大きなスキャンダルだったのかもしれない。これはアメリカという国の精神的ダメージを描いた映画と解釈することも出来る。 この作品を観たのはわたしが東京に住み始めてすぐ。雑貨などを買いに町に出て、ウィンドウショッピングしながらたまたま目に付いた映画館で、たまたま時間が良かったので観たと言う、多分、わたしにとってそう言う観方をした唯一の作品でもある。 |
リバー・ランズ・スルー・イット 1992 | |||||||||||||||||||||||
1992米アカデミー撮影賞、脚色賞、作曲賞 1992ゴールデン・グローブ監督賞(レッドフォード) |
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1912年モンタナ州ミズーラ。牧師である父マクリーン(スケリット)からフライフィッシングと勉強を教わっている10歳のノーマンと8歳のポール。ノーマンの夢は牧師かプロボクサーになること、ポールの夢はプロのフライフィッシャーだった。それから時が経ち、有名大学を卒業したノーマン(シェーファー)は進路を決めかねており、久々に故郷に帰ってきた。弟のポール(ピット)は既に地元の大学を卒業し、地方新聞の記者をしており、未だ進路が決まらず黄ばかり焦るノーマンと、賭けポーカーで莫大な借金を負っているポール。それぞれに言い出せない悩みを持ちつつ、二人は連れだってのフライフッシングを始めるのだった。そんな時ノーマンはジェシー(ロイド)という美しい女性に恋をする… |
ミラグロ 奇跡の地 1988 | |||||||||||||||||||||||
1988米アカデミー作曲賞 1988ゴールデン・グローブ音楽賞 |
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ニューメキシコ州ミラグロ。ここは自然に恵まれた静かな町だった。数年前干ばつが起こり土地は枯れ果ててしまうのだが、そんな町にレジャーランド建設工事が始まることとなった。町の人たちは産業ができると喜んでいたが、ホセことジョー・モンドラゴン(ヴェネ一ラ)は、そんな時に突然自分の家の土地を耕し始める。突然のホセの行為を町の人々は非難するが、ホセの従兄で保安官のベルナール(ブラデス)や自動車修理店の女主人ルビー(ブラガ)らの支持者も得るようになる。だが、そんなある日、畑を荒らすブタを撃とうとして、その飼い主アマランテを誤って撃ってしまう… レッドフォードが、監督に徹して作り上げたヒューマンドラマ作。 レッドフォードはこよなくアメリカの片田舎を愛する人で、大自然に囲まれた中で、ちょっとした変人を主人公にした作品を好むようで、監督作や主演作の多くは自然の多い田舎を舞台にしている。この辺盟友である都会派俳優ニューマンとは大きく異なった方向性を歩んでいる。この二人、仲が良く共演作も上手いはまり具合なのに、個性が随分違うのも面白い。 完全に監督に徹して作られた本作も、そう言ったレッドフォードの好みが強く出た作品で、田舎町を舞台として、その町にとっては大きな、しかし映画的に言えばこぢんまりした作品となっている。物語は、浮いている一人の人間の暴力と勘違いで町の人間が右往左往すると言う、ごくごく単純なもので、敢えて言うなら、どの田舎にも一つくらいある武勇伝のような話。 でも、こう言う物語に手を抜かず、丁寧に仕上げてくれた監督には頭が下がる。 内陸部にある赤茶けた砂の雰囲気、そして一生この町にいなければならない人々の欲やあきらめの強い性格、そしてそこで一人黙々と自分のなすべきことをしている主人公。人間のなしていることが気まぐれな運命によってあっという間に良くもなり、悪くもなる。なんかすごく大きな目から見たささやかな人間同士の絡み合いを見させてくれるような気分になる。ご都合主義的なラストも、そういった大きな視点から見ているからこそ許せる範囲内。 風景描写は申し分なく、田舎独特の厚い人情といい加減さも程よいさじ加減なので、癒されたい気分になったら、最適な作品だろう。 |
普通の人々 1980 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
1980米アカデミー作品賞、助演男優賞(ハットン、ハーシュ)、監督賞(レッドフォード)、脚色賞、主演女優賞(ムーア) 1980NY批評家協会作品賞 1980LA批評家協会助演男優賞(ハットン) 1980ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(ムーア)、助演男優賞(ハットン)、監督賞(レッドフォード)、新人男優賞(ハットン) 1981英アカデミー主演女優賞(ムーア) |
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シカゴに住むジャレット一家は、有能弁護士であるカルヴィン(サザーランド)と妻ベス(ムーア)、そして二人の息子に恵まれ、理想的な一家を築いていた。だが長男のバックは事故死してしまった。そしてその場に居合わせた17歳の弟コンラッド(ハットン)は、罪の意識に苛まれ、精神科医バーガー(ハーシュ)の治療を受けている。秀才でスポーツ万能だったバックを溺愛していたベスは、心のどこかでコンラッドを責める気持ちを抱き、カルヴィンは、コンラッドとべスの間のわだかまりを解きほぐそうと必死の努力を試み苦悩する… 原作はミネソタの主婦ジュディス・ゲストの同名小説。ゲラ刷りの原稿を読んだレッドフォードは出版前に買い取り、本作が初監督となった。 甘いマスクと意思力を秘めた青い目。ハリウッドの二枚目スターとして押しも押されもせぬ大スターだったレッドフォードだが、それだけでは終わらせない。という意地を見せたのが本作。ルックスに自信が無くなったから転向したのだろう。という陰口もあったにも関わらず、見事初監督作品でオスカーを得るという快挙を成し遂げた(ちなみに何度もノミネートされているにもかかわらず、実際にオスカー像を受け取ったのは本作が最初というのも皮肉)。 前年に『クレイマー、クレイマー』(1979)がアカデミー作品賞に輝き、現代の普通の家を描くことも評価されるようになったし、当たる要素は確かにあったが、それにしてもアクションスターで知られるレッドフォードが監督第一作として選ぶにはかなりの冒険だったのでは無かろうか? 本作観たのはつい最近のことなのだが、1980年という時代に、家族の再生と心の問題を真正面から取り組んで描ききっていると言う事実に正直驚いた。20世紀も終わりになってようやくこういう映画が出始めたとばかり思ってたよ。しかも話は静かに静かに展開していく。大枠のストーリー自体はテレビのソープ・オペラと大差ないのだが、その視線は鋭く、センチメンタリズム性も都合の良い展開も無し。極めて客観的な視点によって作られている。この辺りからアメリカではカウンセリングが普通になっていくことになるのだが、それも含めて、世相というものをしっかり捉えているのも好感度高い。 そもそも私は家族の再生の物語に割と弱い方だが、それは90年代、家族制度がかなり崩れてしまった時代を基盤にしていたと言うことを感じさせられた。1980年初頭には、まだ古い家族制度が残っており、それを一旦破壊しなければ、再生の物語を語ることは出来ないのだ。 だから、本作が描くのは単なる再生ではない。今の家族を一旦バラバラにした上で、その中から本当の家族を作っていくと言う過程こそが実は本作の肝であり、「愛せない」自分を見つけ、それを受け入れることもやはり必要なのだ。 “あるべき理想の家族”を装うことから、自分の限界を知り“素直さ”へと向かっていった時代。この作品はとてもリアリティに溢れてる。表題の「Ordinary People」とはそう考えると色々意味深く思えてくる。 キャラはやっぱりサザーランドの巧さが光る。不良青年役が似合ったサザーランドもすっかり落ち着き、役の幅を広げた。 周りを取り巻くキャラは実はあまり映画ではあまり有名な人はいないのだが、テレビドラマで活躍した人たちらしい(母親役のムーアは1970年代にテレビで活躍したコメディ女優で、彼女のファンだったレッドフォードに抜擢されるが、丁度同時期に彼女の一人息子を麻薬中毒で失うという悲劇に見舞われ、それが役の説得力を増している)。その方が普通の家庭を描く場合素直に見られるだろう。という配慮のためだったとか。 |