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フォルカー・シュレンドルフ
Volker Schlondorff

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鑑賞本数 合計点 平均点
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wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002 10ミニッツ・オールダー イデアの森 監督
2001 真実のマレーネ・ディートリッヒ 出演
2000
1999
1998 パルメット 監督
1997
1996 魔王 監督
1995
1994
1993
1992
1991 ボイジャー 監督・脚本
1990 侍女の物語 監督
1989
1988
1987 ルイジアナの夜明け 監督
1986
1985 セールスマンの死 監督
1984
1983 スワンの恋 監督
1982
1981
1980
1979 ブリキの太鼓 監督・脚本
1978 秋のドイツ 監督・脚本
1977
1976
1975 とどめの一発 監督
1974
1973
1972 つかの間の情熱 監督・脚本
1971 ルート・ハルプファスの道徳 監督・脚本
1970 突然裕福になったコンバッハの貧しい人々 監督・脚本
1969
1968
1967
1966 テルレスの青春 監督・脚本
1965
1964
1963
1962
1961
1960
1959
1958
1957
1956
1955
1954
1953
1952
1951
1950
1949
1948
1947
1946
1945
1944
1943
1942
1941
1940
1939 3'31 ヴィスパーデンで誕生

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タイトル

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物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

魔王 1996
<A> <楽>
ジェレミー・トーマス
クロード・ベリ(製)
ジャン=クロード・カリエール(脚)
ジョン・マルコヴィッチ
ゴットフリード・ジョン
ディーター・ラーザー
マリアンネ・ゼーゲブレヒト
ハイノ・フェルヒ
アニエス・ソラル
ヴァーノン・ドブチェフ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
魔王 <A> <楽>
ミシェル・トゥルニエ (検索) <A> <楽>
ブリキの太鼓 1979
1979米アカデミー外国語映画賞
1979カンヌ国際映画祭パルム・ドール(シュレンドルフ)
1980LA批評家協会外国映画賞
1981日本アカデミー外国作品賞
1981ブルーリボン外国作品賞
1981キネマ旬報外国映画第1位
1981報知映画海外作品賞

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フランク・ザイツ
アナトール・ドーマン(製)
ジャン=クロード・カリエール
フォルカー・シュレンドルフ(脚)
ダーヴィット・ベネント
マリオ・アドルフ
アンゲラ・ヴィンクラー
ハインツ・ベネント
ダニエル・オルブリフスキー
シャルル・アズナヴール
アンドレア・フェレオル
カタリナ・タルバッハ
マリエラ・オリヴェリ
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
ブリキの太鼓 <A> <楽>
ギュンター・グラス (検索) <A> <楽>
 第一次世界大戦後のポーランドのグダニス(ドイツ名ダンツィヒ)。アグネス(ヴィンクラー)はドイツ人のアルフレート(アドルフ)と結婚するが、従兄のヤン(オルブリフスキ)とも愛し合い、息子オスカル(ベネント)を得た。そして1927年。3歳の誕生日にブリキの太鼓を送られたオスカルは、自らの意思でその日から成長を止めてしまう。そしてこの日からオスカルには叫び声でガラスを割るという一種の超能力を得た。やがて時が流れ、子供のままのオスカルの元、ダンツィヒに第三帝国の軍靴が鳴り響いていく…
 ギュンター=グラスの原作をドイツ人監督で、ナチス犯罪を題材とすることの多いシュレンドルフ監督が映画化。
 本作品と出会ったのは公開当時のテレビスポットだったと思う。目をむき、歯をむき出してブリキの太鼓を叩きまくる少年のイメージは強烈で、かなりびっくりした記憶がある
(と言うか、本気で怖かった)。その時のイメージは実はずーっと私の中に残っていたのだが、いざこの作品を目の前にすると、観るのを躊躇してしまっていた。たった一画面がどれだけ強烈だったか。と言う訳なのだが、つい先日、友人とその話をしていたら、「持っているから貸すよ」と快くお貸し頂いた。
 はっきり言ってしまって、
子供の頃に観なくて良かった。そして、今観て良かったと思えた作品である。私が衝撃を受けた少年の表情も含め、全編が毒気に溢れており、観ているだけで鬱になれるかのような作風は、受け入れられる人と受け入れられない人を完全に二分するだろう。まるでかつてのドイツ表現主義が復活したかのような迫力ある作品だった。
 1980年代になってファズビンダーが認められるまでドイツ映画は長い間対外的にあまり受け入れられる事がなかった。色々な理由はあるだろうが、やはりナチスの政策で発展が止められてしまったのと、やや卑屈に過ぎる描写が拒否感を与えていたのかも知れない。その中で開き直ったかのようにグロテスクに、毒々しくも耽美的破壊的な描写に凝った時代があった(この辺日本でも似た時代があるが)。これを
ドイツ観念主義とも言うのだが、そう言う時代にエンターテインメント性を加えた作風は新鮮で、世界的に大ヒットを記録する。
 確かに本作は観念主義の影響は強く、毒気も強いが、その毒気の中にこそ人が生きていると言う実感があるし、日本ではなかなか描くことが出来ない民族的な差別問題、戦争責任、人間の手によってあっけなく滅ぼされる文化遺産、しかしその中で生き残っていく文化など、政治問題も多く絡めつつ、真っ正面からそれを描き、見事な作品に仕上げてくれた。
 今観ても衝撃的な画面の数々は、やはり
下半身ネタが多いことか。ここでの男と女の営みは、愛と言うよりは、観てるだけで悲しくなるような肉のぶつかり合いと言った感じだし、家にいる女性を襲うのは、まるで男としての義務のように行うシーンなどもあり、観ていて痛々しいばかり。少なくとも本作で“愛情”と名付けて良い性行シーンってオスカルがらみのばかりだし、しかもオスカルは成長を止めているから男としては役立たない。これさえも一種のグロテスクシーンと言えなくもない。
 そう言った人間の営みと並行し、ポーランドがドイツによって蹂躙されていく過程が克明に描かれていく。このダイナミズムが人間的な感傷に浸りきることを許さない。美しくも退廃的な耽美映像に浸りきっていると、
突然ドカン!がくるものだから、飽きさせることはなく、のめり込むように観続けることが出来る(行軍シーンが太鼓によって突然ワルツになるシーンも傑作)。この二面性こそが本作の特徴で、それが大変心地良い。
 それもやはり主演のベネントあってこそだろう。当時ベネントは12歳だったそうだが、小柄で10歳以下と言っても通じる肉体と、妙に大人びた表情。そして太鼓を叩く時の狂気じみた目つき…この人無しでは本作は成り立たなかった。
 観る人をかなり限定するが、特に映画慣れした人には受け入れられやすいと思う。

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