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ベルナルド・ベルトルッチ
Bernardo Bertolucci

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鑑賞本数 合計点 平均点
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
著作
ベルトルッチ、クライマックス・シーン

_(書籍)
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2008
2007
2006
2005
2004
2003 ドリーマーズ 監督
キアヌ・リーブス リローデッド・フォー・サクセス 出演
2002 10ミニッツ・オールダー イデアの森 監督・脚本
2001 愛の勝利 製作・脚本
2000 アルマーニ 出演
1999
1998 シャンドライの恋 監督・脚本
1997
1996 魅せられて 監督
1995
1994
1993 リトル・ブッダ 監督・原案
1992
1991
1990 シェルタリング・スカイ 監督・脚本
1989
1988
1987 ラストエンペラー 監督・脚本
1986
1985
1984
1983
1982
1981 ある愚か者の悲劇 監督・脚本
1980
1979 ルナ 監督・脚本
1978
1977
1976 1900年 監督・脚本
1975
1974
1973
1972 ラストタンゴ・イン・パリ 監督・脚本
1971
1970 暗殺の森 監督
1969 愛と怒り 監督
暗殺のオペラ 監督・脚本
1968 ウエスタン 原案
1967
1966
1965
1964 革命前夜 監督・脚本
1963
1962 殺し 監督・脚本
1961
1960
1959
1958
1957
1956
1955
1954
1953
1952
1951
1950
1949
1948
1947
1946
1945
1944
1943
1942
1941
1940 3'16 パルマで誕生

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タイトル
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ドリーマーズ 2003
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ジェレミー・トーマス(製)
ギルバート・アデア(脚)
マイケル・ピット
エヴァ・グリーン
ルイ・ガレル
ロバン・ルヌーチ
アンナ・チャンセラー
ジャン=ピエール・カルフォン
ジャン=ピエール・レオ
★★★
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ドリーマーズ(書籍)ギルバート・アデア
10ミニッツ・オールダー イデアの森 2002

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ベルナルド・ベルトルッチ
マイク・フィギス
イジー・メンツェル
イシュトヴァン・サボー
クレール・ドニ
E・マックス・フライ
マイケル・ラドフォード
アンヌ=マリー・ミエヴィル(脚)
アミット・アロッツ
ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ
マーク・ロング
ドミニク・ウェスト
ルドルフ・フルシンスキー
イルディコ・バンサギィ
ガボール・マテ
ジャン=リュック・ナンシー
アナ・サマルジャ
ビビアナ・ベグロー
イルム・ヘルマン
ダニエル・クレイグ
ローランド・ギフト
★★★★
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「水の寓話」ベルナルド・ベルトルッチ
「時代×4」マイク・フィギス
「老優の一瞬」イジー・メンツェル
「10分後」イシュトヴァン・サボー
「ジャン=リュック・ナンシーとの対話」クレール・ドニ
「啓示されし者」フォルカー・シュレンドルフ
「星に魅せられて」マイケル・ラドフォード
「時間の闇の中で」ジャン=リュック・ゴダール
魅せられて 1996
1996カンヌ国際映画祭パルム・ドール

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ジェレミー・トーマス(製)
スーザン・マイノット(脚)
リヴ・タイラー
シニード・キューザック
ジェレミー・アイアンズ
ジャン・マレー
ドナル・マッキャン
D・W・モフェット
カルロ・チェッキ
ステファニア・サンドレッリ
レイチェル・ワイズ
ロベルト・ジベッティ
ジョセフ・ファインズ
イグナチオ・オリヴァ
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
リトル・ブッダ 1993
1994ゴールデン・ラズベリー最低新人賞(アイザック)

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ジェレミー・トーマス(製)
マーク・ペプロー
ルディ・ワーリッツァー(脚)
アレックス・ヴィーゼンダンガー
キアヌ・リーヴス
ブリジット・フォンダ
クリス・アイザック
イン・ルオチェン
ラジュ・ラル
グラシュマ・マカール・シングー
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 シアトルに住む少年・ジェシー(ウィーゼンダンガー)の元に、チベットの高僧・ノルブ(イン・ルオチェン)が訪ねてきた。ノルブは亡くなった師の生まれ変わりを探しており、ジェシーがその生まれ変わりではないかと言うのだ。興味を示すジェシーとは対照的に、確認のためジェシーにブータンに来てほしいと求められた両親(アイザック、フォンダ)は戸惑いを隠せない。そんなジェシーやその家族、チベット僧たちの姿が、ジェシーが読む仏陀・シッダールタ(リーブス)の物語とのクロスカッティングで語られる。
 この映画、妙に酷評が多い気がするが、そんなに悪い映画じゃない。宗教映画と思わねば良いだけの話だ。坂本龍一の音楽だって良いし。
 この映画の紹介で
「全ての人は転生する」とか妙な日本語が使われていて、唯一輪廻から解脱した仏陀の事を描いているのに、妙な紹介のしかたをしていた。もしここで本当にこの話が仏陀の生まれ変わりの話だったとしたら、この映画は最低点どころか怒りにまかせて封印したいと思ったことだろう
 まあ、さすがに史実をキチンと描くことで有名なベルトルッチだけあって、そんなばかげた話にしなかったことは良かった。
監督本人としては仏教の話を描きたかった、と言うよりはむしろシッダルタの話をスペクタクルで描きたかったのだろうから、それもOK。シッダルタが仏陀となるまでの話を知っているならば、それを映像化したと言う事実で感心できる。
 ところでキアヌ=リーブス主演の映画の多くは
妙な東洋趣味に走っているが、それはリーブスの趣味か?
 繰り返すが、これを宗教映画として捉えては誤る。これは神話的スペクタクル映画である。
シェルタリング・スカイ 1990
1990英アカデミー撮影賞
1990NY批評家協会撮影賞
1990LA批評家協会音楽賞
1990ゴールデン・グローブ音楽賞、監督賞(ベルトルッチ)

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ジェレミー・トーマス
ウィリアム・アルドリッチ(製)
マーク・ペプロー
ベルナルド・ベルトルッチ(脚)
デブラ・ウィンガー
ジョン・マルコヴィッチ
ジル・ベネット
キャンベル・スコット
ティモシー・スポール
エリック・ヴュ=アン
フィリップ・モリエ=ジュヌー
トム・ノヴァンブル
ニコレッタ・ブラスキ
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シェルタリング・スカイ(書籍)ポール・ボウルズ
 1947年、NYの作曲家ポート=モレスビー(マルコヴィッチ)とその妻で劇作家のキット(ウィンガー)は北アフリカへとやってきていた。金はあっても夫婦仲は冷え、創作意欲を失った二人は、文明と隔絶したこの世界に、これから生きていくための希望を求めてやってきたのだ。その旅に同行するポートの友人タナー(スコット)の魅力にやがて惹かれていくキット。しかし、キット一回結ばれたタナーは二人を残して去っていってしまう。更に奥地へと旅を続けるポートとキットだったが、ポートは医者もいない小さな村でチフスにかかってしまう。甲斐甲斐しく夫の面倒を看るキットだったが…
 伝説の作家と呼ばれるポール=ボウルズの原作の映画化作品。
かつてアルドリッチ監督が映画化しようとして果たせず、幻の企画となった作品を息子のウィリアムが、ベルトルッチ監督を招いて製作して実現した作品
 本作のストーリーを通して見ると、実際こう言っては悪いのだが、ありきたりな作品である。アフリカという大地から切り離して、例えばアメリカかヨーロッパの都市に置き換えてみると、何のことはない。夫に対する愛が見えなくなった妻が不倫と、夫の死を通じて、本当に夫を愛していることを知り、一人寂しく去っていく。これだけの作品である。
 つまり、極めて映画としてはありきたりの昼メロの世界に近いのだが、ベルトルッチ監督はそんなストーリーをもの凄いものに変えてしまった。
 これは色々な要因が複雑に絡み合って出来たもので、多分これは監督の思いも越えていたのではないかと思える。奇跡的なバランスを取った作品と言っても良い。
 正直、この作品を最初に観た時、
「一体何が面白いんだ?」という感想でしかなかった。そりゃ流石ベルトルッチ。画面の美しさは群を抜いて素晴らしいが、それ以外単なる昼メロ。観た直後にレビュー書いてたら、多分これだけでコメントが終わってしまっただろう。しかし、時間が経ってくると、どんどん自分の中でその存在感が上がってきた。実に不思議な作品だ。
 勿論これは私の勝手な考えに過ぎないのだが、この不思議な魅力というものについて少々考えてみたい。
 先ずこの作品、題が変わってる。
『The Sheltering Sky』。直訳してみると、「覆う天空」…一体なんの意味があるのか?冒頭でマルコビッチ扮するポートがその説明をするのだが、確か虚無とか、そう言ったことを意味すると言っていた。しかし、どうなんだろう?確かに砂漠は無慈悲だ。「シェルタリング・スカイ」の言葉を発するポート自身も確かに砂漠によって殺された。しかし、本当にそれだけか?彼らが岩場で愛し合う時に、彼らを見つめる空は無慈悲に見えたか?
 これは
「自然」という意味なのかも知れない。惜しみなく与え、あらゆるものを奪う。その中で生きていく人間。それら巨大なテーマを打ち出していたのかも知れない。一人一人を包み込む、空。
 それで本作の見た目から分かる凄い部分だが、これは誰もが認めるだろうけど、先ず画面の美しさ。これに尽きるだろう。がけの上に立ち、雄大な砂漠を見下ろす二人。そしてその二人を容赦なく照らす太陽の対比。妙に白茶けた、活気があるのかないのか分からない町の風景。砂漠に一本だけ惹かれた線路で立ち往生する列車の姿。まるでそれらは一幅の絵のように画面に映えているのだが、この作品で思ったのは、映画とは、絵でなければ写真でもないと言うことだった。特にベルトルッチ監督の描く雄大な自然は、そこに人間を挿入することによって、初めて完成する。自然は動かない。動くのは人間のみである。監督が描いているのは、確かに人間なのだ。改めてそんなことを思わされる。だからこそ、写真でも絵でもなく、映画である必要があったのだろう。「人間が彩る動く絵」と言うべき映像を見せてくれていた。
 物語そのものは結構ぬるめで、初見は退屈さをどうしても感じたものなのだが、不思議な間の取り方と、キャラクタの魅力って奴が、後からじわじわ来る最大の要因なんだろう。
 だから最初よく分からなかったキットの行動も、実際はなにか明確な意志があったわけではないのだろう。むしろ状況の中で崩れ落ちそうになる自分の心を励まし続け、ついに壊れてしまった後で再び自分を取り戻す過程が描かれていたのかも知れない。砂漠が舞台と言うこともあって、まるで女性版の『アラビアのロレンス』(1962)のようにも思えてしまう。
 しかし、改めて思うがデブラ=ウィンガーは凄い。物語の流れの時々で全く違った魅力を演出して見せてる。最初の退廃的な気怠さを見せるシーン、砂漠の中で、夫との一時を過ごした時の充足感を見せるシーン、夫を看病してる時の焦ってるシーン、自暴自棄になって砂漠をさまようシーン、そしてブルカではなくターバンを巻き、男装してるシーン(一瞬本当に男に見えてしまった)、そして最後に去っていくシーン、実際それぞれが全く違った演技してる。凄かった。マルコヴィッチも器用な役者で、存在感あったし。
 それに坂本龍一によるスコアは流石と言えるもので、正直同じくベルトルッチ監督と組んだ『ラストエンペラー』の時よりもこっちの方が画面にはまっていた感じ。
 正直、
未だにこの作品の本当のコメントは出せないでいる(長々書いてたのは、自分の考えをまとめるためだったのだが…)。キャラ、画面、音楽が不思議なハーモニーを持って観るものを圧倒する作品。とは言っておこうか。

 興行的には日本では苦戦。もう一度ヒットにあやかろうと大々的なキャンペーンまで張った割にはぱっとせず、結果的に『ラストエンペラー』での儲け分をここで吐き出してしまったとのこと。
ラストエンペラー 1987
1987米アカデミー作品賞、監督賞(ベルトルッチ)、脚色賞、撮影賞、作曲賞、美術監督賞、美術装置賞、衣装デザイン賞、編集賞、録音賞
1987NY批評家協会撮影賞
1987ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞(ベルトルッチ)、脚本賞、音楽賞
1987セザール外国映画賞
1988英アカデミー作品賞、衣装デザイン賞、メイクアップ賞、
助演男優賞(オトゥール)、監督賞、作曲賞、撮影賞
1988日本アカデミー外国作品賞
1988ヨーロッパ映画審査員特別賞
1988キネマ旬報日本映画第1位

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ジェレミー・トーマス(製)
ベルナルド・ベルトルッチ
マーク・ペプロー
エンツォ・ウンガリ(脚)
ジョン・ローン
ジョアン・チェン
ピーター・オトゥール
坂本龍一
デニス・ダン
ヴィクター・ウォン
高松英郎
マギー・ハン
リック・ヤン
ヴィヴィアン・ウー
ケイリー=ヒロユキ・タガワ
リサ・ルー
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 紫禁城の中で皇帝となるべく生まれ、最後には庭師として死んだ、運命にもてあそばれた清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀(ローン)の生涯を描く大作(wiki)。
 何かと話題作を振りまくことで有名なベルトルッチ監督が、ついにヨーロッパを離れて最後の中国の皇帝の生涯を描ききった作品。見事1987年のアカデミー作品賞を得た
(イタリア資本で、更に中国を舞台とした作品だが、言語は英語で統一されたため、アカデミーも外国語映画賞でなく作品賞としてノミネートされた。)。それまでの“話題監督”という悪評が超一流監督に変わった記念すべき作品となった。ちなみに元々ベルトルッチは中国政府に対し二つの映画の企画を持ち込んだ。一つが本作で、もう一つが1927年の上海蜂起をテーマにしたアンドレ・マルロー原作の「人間の運命」だったのだが、後者は中国政府が政治的に問題があると難色を示し、本作が作られるに至るまでにも2年の交渉期間が必要だったとのこと。世界初となる紫禁城ロケも話題になる(それでも本作は総製作費が750万ドルというのだから、現代に目からすれば驚きである)。作曲賞では日本人の坂本龍一まで世界メジャーに押し上げたというおまけもあり。ただ、甘粕役はやめてほしかったが。

 この公開時は実は中国のことなど全然知らず、多少のあこがれのようなものを持って本作を鑑賞。正直この時に
初めて私には中国という国が見えた気がした。近代になり、あの国がどれだけ痛みを覚えてきたのか。今もなお痛みを与えられ続けているのかということを考えさせられ、何より(今もあんまり変わってないとは言え、)博識のふりして人に知ったかぶりで喋る自分自身の知識不足を痛感させられた。私にとって自主的に歴史の本を読むようになったのは本作のお陰でもある。これも又私の人生において“衝撃”を与えてくれた作品で、これのお陰で今の自分があるようなものだ(多少私のHNにも関わりを持つ)

 …と言う思い出話はともかくとして。

 特定の人物を題材にして歴史を描く映画の場合
二つの方向性を持っている。一つには歴史そのもののマクロな描写。そしてもう一つは主人公がその歴史の影で何を得て何を失ったが、その中で何を考えたのかというミクロな描写。この二つの方向性が映画を形作るのだが、このバランスは結構微妙。特にマクロの視点に偏った作品は傑作が生まれる場合があっても、往々にして意気ばかり高く物語が駄目になってしまいがちだし、逆に人物描写に偏ると、歴史そのものが分からなくなってしまう。
 そのバランスで言えば、本作はかなり人物描写の方に針が振れていた感じだが、本作の場合それは成功(歴史描写が西洋から見たオリエンタリズムに溢れすぎているので、かえって細かく描写しなかったのが良かったと思う)。少なくとも、その訳の分からなさが私にとっては、
「中国ってどんな国なんだろう?」と考えさせてくれただけでも充分。
 本作の場合、最も突出しているのが溥儀という人物の孤独感であろう。激動の時代にあって、自分では何も判断出来ない。否、判断してはいけない人物であった。それこそ
生まれた瞬間から皇帝となることが決まっていた人生を歩み始めた。そして自分の全く知らないうちに紫禁城の外では革命が起こって幽閉され、放り出され、更に日本によって傀儡皇帝となる。その後ソ連軍、共産党軍による拘束と解放…これらに共通するのは、溥儀本人は実は歴史的に何の決断も下していないのだ。ただ言われたとおり行動していたら、流れ流れてこの状態。と言う感じ。
 これは歴史に限らない。無理矢理与えられた妻の存在や、愛の幻想と幻滅、人を信じることの虚しさなど。
彼自身は実生活においてさえ本当に何もやってない
 それを彩るローンの目がとにかく凄い。常に遠くを見やっているだけで、何を考えているのか分からない。いや、実際自分が何をしているのか本当に分かってないのだろう。いつも雲の上を歩いているような非現実感と、自分がどれだけ人に影響を与えているのか全く分からず、他者との距離感が掴めないまま(そう言えば長く鬱の状態にあった時、私もそんな感じだった)。不思議な人物描写が見事に映えている。
 その孤独感の演出こそが、実は本作の最大の功績では無かろうか?
 あらゆる権力を手中にしていながら自由が全くない。権限ばかり肥大していながら自分で決断出来ない。その中で
何を信じて良いのか分からない人物こそが彼だった。
 ただ、その中でも彼が信じていたものも僅かながら存在した。それは弟の溥傑であったり、家庭教師のジョンストンであったり、幼い頃に捕らえたコオロギであったりする。気の許せる人物が外国人というのはなんとも皮肉な話だ。

 アカデミーの10部門独占という、最高評価を受けて大絶賛を受けたが、実はアカデミーの地元アメリカでは全然売れなかったそうである。理由は簡単で上映館数がとにかく少なかったこと。そもそもこれを推奨していたのコロムビア社長のパットナムが辞任すると、配給となったコロムビアは上映規模を縮小してしまい、100館以下に抑えてしまったのが原因だとか。
1900年 1976

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フランコ・アルカッリ
ジュゼッペ・ベルトルッチ
ベルナルド・ベルトルッチ(脚)
ロバート・デ・ニーロ
ジェラール・ドパルデュー
ドミニク・サンダ
ドナルド・サザーランド
アリダ・ヴァリ
バート・ランカスター
スターリング・ヘイドン
ステファニア・サンドレッリ
フランチェスカ・ベルティーニ
ラウラ・ベッティ
ステファニア・カッシーニ
ウェルナー・ブランズ
ロモロ・ヴァリ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 5時間あまりという長い作品で、『ラストタンゴ・イン・パリ』に続き、ベルトルッチ作品が騒動の種になる。アメリカでは3時間15分の短縮版で公開したが、監督に無断だったため、裁判騒動となる。
 舞台は農村のぶどう園に限定されるため、これがイタリア史のメタファーとなっている。
 地主と小作人は一対一の人間としては理解し合えるが、地主制度を前にしては敵対せざるを得ない。
ラストタンゴ・イン・パリ 1972
1973米アカデミー主演男優賞(ブランド)、監督賞(ベルトルッチ)
1973英アカデミー主演男優賞(ブランド)
1973全米批評家協会主演男優賞(ブランド)
1973NY批評家協会男優賞(ブランド)
1973キネマ旬報外国映画第10位

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ベルナルド・ベルトルッチ
フランコ・アルカッリ(脚)
マーロン・ブランド
マリア・シュナイダー
ジャン=ピエール・レオ
マッシモ・ジロッティ
カトリーヌ・アレグレ
カトリーヌ・ブレイヤ
ヴェロニカ・ラザール
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 パリでアパートの空室を探している二人の男女が偶然に一つのアパートで出会った。突然の情欲に駆られた男ポール(ブランド)は若い娘ジャンヌ(シュナイダー)を押し倒して事をなす。ジャンヌには恋人がいたが、その事は何も言わず、いつしか又同じアパートに戻っていくのだった。当然のようにそこにいたポールは、このアパートにいる間は男と女としてだけ肉欲を満足させようと提案し、ジャンヌはそれを了解する…
 1972年に公開された
世界的問題作。この映画が芸術か猥褻かを巡り、イタリアでは裁判沙汰にまでなってしまったという本当の問題作だった(ちなみにこの裁判ではブランドとシュナイダーは二人とも有罪判決を食らってしまった)。このスキャンダルが逆に追い風となり、1973年全米興業収益では6位となっている。イタリア人監督作品としてはもの凄い評価である。
 本作も又映画史を語る上では避けることの出来ない重要な転換点になったのは確か。これまでにも映画の中でヌードや男女の営みを描写することはなされてきたし、『キャンディ』(1968)などそれを主題とした作品もあった。だが、それは基本的に暗示で終わらされ、実際の行為を直接描くことはなるだけ避けられてきた。倫理面からもそうだが、商業的に言ってもプラスにはならなかったから。
ポルノを観たいのならばポルノ映画に行け。というスタンスを映画界は持っていたわけだ。
 それが崩れたのが丁度この1972年という年になる。日本では老舗映画製作会社
日活がポルノ路線へと足を踏み出したし、更に相当な問題作となった本作が認められることにより、積極的に映画の中でヌードやセックスシーンの取り入れが始まっていくことになる。これまで避けられてきた映画にエロチックさを取り入れる丁度転換点となった年であり、その先鞭を付けたのが本作だったと言うことになるだろう。
 映画史的意味合いは大変大きな作品だと言える。
 ただ、今になって本作を観ると、
なんかとっても退屈なだけの作品としてしか印象が残らない。
 ベルトルッチ作品らしく、細かいところに配慮が行き届いた画面構成や美しさもあるが、この長さを情事だけの話にしてしまうと、とてもだれる。
 情事に関しては鉄人並の体力と開発意欲がある男も、その面の姿はうらぶれた親父であり、しかも妻の自殺について悶々と考えるだけ。セックスフレンドを自認している女に対してでさえ、最後は未練がましくくっついて回るストーカーと化する。これって
マニアックな中年親父そのもののように見えるだけなんだけど…なんでもどこかの本を読んでたら、これって停滞感をもたらしている西欧文明を示してるとか書かれていたけど、私にはあんまりそうは見えなかった。
 一方、若い女性の方を演じたシュナイダーは当時の雰囲気を良く出していたと思う。70年代前半はアメリカで起こったヒッピー文化が世界中に浸透していった時代に当たり、ジャンヌもそう言う感化を受けていたのだろう。しかし、同時に確固とした世界からも離れたくないと思い、中途半端な立場に自分自身を置いている。それで下した結論が“心と体を別に考える”というものだったのではないか?だからこそ、愛する婚約者の前では清楚な自分を、そしてポールの前では自分の欲望全てをさらけ出している。だけど、こういう二重生活は破綻していく。外側からの圧力によってではなく、自分自身の精神が引き裂かれて…
 とはいえ、これって
日本のテレビメロドラマに良くあるパターンだと思ってしまうと、急激に醒めてしまうのも事実。それに映画だってベルトルッチのようにそれを“美”として描くのではなく、どろどろの愛憎劇に仕上げる日本人監督は既に何人だっていたのだ。
 根本的な問題として、私はメロドラマが嫌いなので、結局最後まではまることが出来なかったと言うだけなのかもしれないけど。
 もちろんベルトルッチらしさは充分堪能できたから、それで良しとすべきか。
 なお、本作でブランドは
興行収入の11.3%というハリウッド最高額の出演料を取る事になり、以降「ハリウッド一の高額出演料役者」という肩書きが付くようになる。
暗殺の森 1970
1971米アカデミー脚色賞
1971全米批評家協会監督賞(ベルトルッチ)、撮影賞

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ベルナルド・ベルトルッチ(脚)
ジャン=ルイ・トランティニャン
ドミニク・サンダ
ステファニア・サンドレッリ
ピエール・クレマンティ
イヴォンヌ・サンソン
エンツォ・タラシオ
ジュゼッペ・アドバッティ
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
孤独な青年(書籍)アルベルト・モラヴィア
 ベルトルッチ作品では初の世界公開作品となる。
 原題の『IL CONFORMISTA』は「体制順応者」という意味。主人公のことを意味しているはずだが、実際は全く順応していないのが興味深い。
革命前夜 1964
1964カンヌ国際映画祭新評論家賞(ベルトルッチ)

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ベルナルド・ベルトルッチ
ジャンニ・アミーコ(脚)
フランチェスコ・バリッリ
アドリアーナ・アスティ
アレン・ミジェット
モランド・モランディーニ
クリスティーナ・パリセット
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
パルムの僧院 上(書籍) 下(書籍)
 ブルジョワ家庭の青年ファブリツィオ(バリッツ)は、コミュニストであることを公言してはばからず、党活動に精を出していた。親友アゴスティーノの自殺に近い死を、若い叔母ジーナ(アスティ)との恋愛によって紛らわせていたのだが、彼女との情事や党活動の矮小さを知るにつれ、自分の思想に疑問を覚えだしていった。
 スタンダールの小説
『パルムの僧院』をベルトルッチ監督の解釈を踏まえて描いた作品。監督はこの年22歳だったそうだが、どうやら自伝的な部分が強くあるらしく、韜晦の嵐が画面全体で吹き荒れているように見える。しかし、同時代の人間だからこその苦悩がにじみ出ていた。まるで冷戦構造が明確化していく60年代というものを予見するかのように…
 主人公のファブリツィオは革命を夢見て、タブーを殊更無視してみせるのだが、結局それはどこに持っていって良いか分からぬ自己の内面の矛盾を「革命」の夢に託しているだけ。まさに
「革命前夜」という言葉自体、この映画では青年期そのものを示すものとして描かれている事が分かる。最後に身分相応にブルジョアの娘と結婚するファブリツィオは、結局革命前夜のまま時を止める。革命は永遠に起こらずに、前夜のまま終わっていく…それを受け止めることしかできない自分自身を見させられる訳だ。
 ところで一方の叔母ジーナは精神的な危機に直面しているのだが、それは最終的に
無視されて終わってるんだが、これはヌーヴェル・ヴァーグっぽさと言うよりはむしろ、その辺こそがベルトルッチ風なのかな?
 又、この映画は実験的なカメラワークがふんだんに用いられていて、古典的な映画ではタブーとされるような場面がいくつも出てくる
(ジーナの独白で彼女のバストアップだけを固定カメラで描くとか)。その辺の奔放な映像表現はフランスのヌーヴェルバーグを思わせて面白し。
 後に超一流監督として認められる事になるベルトルッチは、こういう作品を通して自らを培っていったのだろう。
 「叔母」として登場するアドリアーナ=アスティはえらく若く、無茶苦茶可愛く、甥同様自分を見つけようとする、まるで思春期のような精神を好演していた。
殺し 1962
<A> <楽>
アントニオ・チェルヴィ
ベルナルド・ベルトルッチ
セルジオ・チッティ(脚)
フランチェスコ・ルイウ
ジャンカルロ・デ・ローザ
アルフレード・レッジ
アレン・ミジェット
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ

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