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1964 | 2'6 ノヴォシビルスクで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||||||
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父、帰る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞((ズビャーギンツェフ)、新人監督賞(ズビャーギンツェフ) 2003ゴールデン・グローブ外国映画賞(ズビャーギンツェフ) 2003ヨーロッパ映画ディスカバリー賞(ズビャーギンツェフ) |
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母と三人でつましく暮らしていたアンドレイ(ガーリン)とイワン(ドルボヌラヴォフ)兄弟のもとに、突然、12年も家を離れていた父が帰ってきた。これまで写真でしか顔を知らなかった父に二人は戸惑うが、帰って来るなり父は家長然に振る舞い、母もそれを平然と受け入れる。アンドレイはたくましい父をすぐに慕い始めるが、イワンはどうにも父を好きになれなかった。一週間ほど経ち、父は二人の息子を連れて無人島にキャンプに出かけるという。こうしてぎこちないまま無人島キャンプを始めるのだが… とても美しく、そして残酷なロシア製の親子の物語。 話自体はとてもシンプルなのだが、その内容はかなり難しいというかややこしい。そのややこしくしているのは結局名前のない“父”と呼ばれる人物の心が最後まで分からなかったからなんだろう。正直な話、観ていて、このキャラに感情移入して良いのだか悪いのだか判断が付かず、更に“父”の探していた宝が一体何であるのかも最後まで明らかにされていない。最後の最後まで中途半端に終わってしまったと言うのが正直な感想である。てっきり最後に父は子供を抱きしめ、探していた宝は子ども達のために置いておいたものだよ。というオチが付くものだと思っていたため、それが裏切られてしまった。 ただ改めて考えてみると、実は本作の目的は親子の関係の物語ではなかったのかも知れない。 本作の目線というものを考えてみると、それは徹底して弟のイワンの見たものとして作品は作られている。彼の目から見たものが謎であるならば、それは謎のまま残しておかれてしまう。そう規定して考えてみると、これは親子の関係ではなく、イワンという子供の一種の成長物語として考える事が出来るかも知れない…成長というには重すぎるけど、子供の目から見た世界を最後まで貫いた。と言うべきか。 オープニングの部分でイワンはどうしても水に飛び込めない子供として描かれている。しかも本人はそれが屈辱であるらしく、そんな高い場所にずーっと佇み続けている。それが最後の最後にダイビングを敢行した。これは一種の彼にとっては、一つの壁を乗り越えたと言う事にはなると思う。 ただ一方、一つの壁を乗り越える最、取り返しの付かない事をしてしまっているのも事実。だから一概にこれは成長物語という訳でも無さそうだ。 あるいは本作は“分かり合えない人間が犯してしまう罪”という題材なんだろうか?それは相手が分からないまま、一歩踏み出す事の危険性であり、子供というのは暗喩として用いられているのかも知れない。 本作は“宗教的”と呼ばれる事があるけど、なるほどそう言う、無垢あるいは自分のフィールドから一歩も踏み出せないために犯してしまう罪という意味で考えるならば、なるほど宗教的な意味もあるのかも知れないね…考えてる内に頭がごちゃごちゃしてきた。 ただ、映画として考えるなら、こんな中途半端にせずに、それこそ親子の関係に収束してほしかったものだね。なんか中途半端な気持ちになってしまうため、評価は控えめ。 |
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