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_(書籍) _(書籍) |
2022 | RE:cycle of the PENGUINDRUM [後編]僕は君を愛してる 監督・脚本 | ||||||||
RE:cycle of the PENGUINDRUM [前編]君の列車は生存戦略 監督・脚本 | |||||||||
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1999 | 少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録 | ||||||||
1998 | |||||||||
1997 | |||||||||
1996 | |||||||||
1995 | |||||||||
1994 | |||||||||
1993 | 美少女戦士セーラームーンR 監督 | ||||||||
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1964 | 12'21 徳島で誕生 |
RE:cycle of the PENGUINDRUM [後編]僕は君を愛してる | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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冠葉と晶馬の努力にもかかわらず謎のペンギン帽子の言う“ピングドラム”は見つからないまま陽毬は危篤を迎える。そんな陽毬を救ったのは謎の医師渡瀬眞悧だった。陽毬の命を長らえさせるには高価な薬が必要と言われ、冠葉はついにある決断をする。一方、姉桃果の日記を失ったことで急に晶馬に対する気持ちに気づいてしまった苹果。 『RE:cycle of the PENGUINDRUM [前編]君の列車は生存戦略』に続き投入された後編。陽毬が元気だったテレビ版前半はどっちかというとコメディ展開で、映画の方もそれに準じて割とおちゃらけた雰囲気だったが、陽毬が命の危機を迎えたところから話は一機に加速していく。それまでちりばめられていた謎も次々に明かされ、前半のほんわかした雰囲気の裏でこんな凄惨なことが起こっていたのかも見えてくるようになっていき、ラストの怒濤の展開へとなだれ込んでいく。 そしてここにおいて設定も色々深まっていく。 テレビ版を含めてこの物語自体をちょっとまとめてみると、まず荻野目桃香という少女が全ての始まりとなる。彼女は不思議な力を持ち、ある呪文を唱えることによって自分の望む世界を作り上げることが出来る。彼女はそれを「運命の乗り換え」と呼んでいたが、それを行うと自分の体にダメージを食ってしまう。彼女が元々いた世界では多蕗 桂樹と時籠ゆりの二人の幼友達が死んでいたのを、彼女が運命の乗り換えをしたお陰で二人は生き残ることが出来た。 そして16年前。テロリストグループが都内を全て破壊する爆弾テロを行おうとした。中心は三人。二人は晶馬の両親であり、もう一人は渡瀬眞悧という。この日、都内全てを吹き飛ばそうとする爆弾テロが起こる。テロ自体はとても限定的なものになってしまったが、この際苹果の姉である桃香がテロに巻き込まれて死んでしまった。真実は、テロを行う直前の眞悧の前に桃香が現れ、運命の乗り換えを行ったことでテロは限定的になり、さらに二人とも死亡しきれず、桃香はペンギンのぬいぐるみに、眞悧は黒い兎に残存思念を残すことになった。そして実はこの日こそ冠葉と晶馬、そして苹果の生まれた日である。 そして残された二人の夫婦は、今度こそテロを成功させるべく、地下に潜って水面下で活動を続ける。二人の間に生まれたのが晶馬で、この日に生まれたことで運命の子とされている。その後、二人は再びテロを行おうとし、そのために奇跡を起こす力を手に入れようとする。そのために晶馬と同じ日に生まれた冠葉と二人を命の危機に陥れることによって、ピングドラムと呼ばれる奇跡の力を手に入れようとした。その結果、冠葉がリンゴの形をしたピングドラムを手に入れたが、その奇跡の力を自分自身と晶馬の命を救うために用いた。 ピングドラムがないと再度のテロは成功しないが、肝心なピングドラムが機能不全に陥ってしまったため、晶馬の両親はその手を探すため、ピングドラムが機能回復することを願って冠葉を養子に取り、二人を双子として育てる事となる。ここでもう一人陽毬という少女が冠葉と晶馬にくっついて来て、三人兄妹として育てられることになる。 しかし三人が十分成長する前に両親はテロリストである事がばれてしまい、冠葉にだけ連絡先を渡した上で三人を残して逃亡してしまう(実はおそらく内ゲバによって死亡したことが劇中発覚する)。 その後、三人はテロリストの子として後ろ指を指されながらも平穏な生活を送っていたが、元々体の弱かった陽毬は命を失ってしまう。これが物語の始まり。 死んだはずの陽毬だが、桃香が変化したペンギンの帽子が陽毬の頭に被さり、そこでとりあえず、ほんの僅かな時間命を取り戻す。プリンス・オブ・クリスタルと呼ばれる存在となった陽毬は桃香そのもの。そしてほんの僅かな命を用いて冠葉と晶馬にピングドラムの探索を命じる。 ただしピングドラム自体は半分となって冠葉と晶馬の中にあり、陽毬はそのうち冠葉の中にあるピングドラムの半分、つまり1/4をもらい、もう少しだけ命を長らえる。 この時点で冠葉と陽毬は奇跡の力をほぼ使い果たすことが分かった。このままでは二人とも死んでしまう。 冠葉と晶馬の二人は桃香の残した日記にピングドラムのヒントがある、もしくはその日記自体がピングドラムではないかと推測して日記を手に入れようとした。日記に書かれているのは奇跡の力ではなく、運命の乗り換えの力だったが、そんな事を知らない二人は自分自身の中に陽毬を救う奇跡の力があるのを知らないまピントのずれた探索をする二人だったが、前提がずれている以上ピングドラムを手に入れられないまま陽毬の命が尽きる。 そこに登場するのが桃香と共に霊的な存在として生き延びた渡瀬眞悧である。彼が高価な薬(おそらくはピングドラムの模造品)を用いることで陽毬の命はあと少しだけ長らえる。 眞悧と桃香は陽毬の命を出汁にして二人ともピングドラムを求めるが、眞悧はそのピングドラムを再度の爆弾テロを成功させるために欲し、桃香はそれを防ぐためにその力を欲した。 桃香の命令と眞悧の命令の双方を聞く形となった冠葉はピングドラムの力なしにテロ計画を進めていく。 そしてテロがほぼ成功になりかけた時、桃香の運命の乗り換えの力のキーワードを悟った苹果と、自分の中にピングドラムの力があることを理解した晶馬が冠葉を止めるために同時に現れ、二人同時にその力を使った。 この結果、晶馬の取り出した半分のピングドラムは冠葉と陽毬の中にある1/4のものと合わせて完全な形を取り、運命の乗り換えを行った苹果と陽毬の命を救う。その代償として冠葉と晶馬は命を失う。 …というのがテレビ本編のフローとなるが、この映画の前後編で描かれた新作映像では、死んだはずの冠葉と晶馬がどうなったかが描かれていく。 実はこの二人、桃香と眞悧と同じく半分霊体の状態となり、二人がいる図書館にたどり着いた。もはやピングドラムを失って、何も力を持たない二人は、そのまま霊体として生きる事になったはずだが、ここで本当の奇跡が起こる。おそらくこれは二人が命を賭して世界を救ったためのボーナスのようなもので、記憶を失って少年の姿となってしまったが、再び命を得て生き直すという物語になっている。 テレビ版のラストシーンでは、道を歩いていた二人の少年がリンゴの話をしていたが、まさにそれはこの映画版の物語を経て生まれ直した冠葉と晶馬の姿であったと言うことである。 そう言う意味で、テレビ版から、少しだけ新しい設定を付け加えて、いくつかの謎を解き明かしつつ展開したのがこの劇場版という事になる。 ただ設定として明らかになったのはほんの僅かに過ぎない。まだまだいろんな設定が手つかずのままだ。桃香の日記が運命の乗り換えが出来る理由とか、ピングドラムの起こせる奇跡の範囲とかのメイン部分もそうだが、冠葉の本当の妹である真砂子が持つ能力はどこから来ているのか、白と黒の熊のぬいぐるの意味は何かなど、未だいくつか謎は残っている。この辺に関しては原作者兼監督の方も考えてないんじゃなかろうか? それとも原作というかノベライズにはその理由も書かれているのか…やっぱり読んでおくべきか。 色々と取り残しはあるものの、劇場版を作った理由はちゃんとあるし、見応えもあり。何より大画面で観られたことなど加味して結構高い点数を上げたい。 |
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RE:cycle of the PENGUINDRUM [前編]君の列車は生存戦略 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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不治の病に冒された妹・陽毬を救うため、謎のペンギン帽子に命じられるまま“ピングドラム”を探すことになった双子の兄・冠葉と弟・晶馬。2人はやがて、彼らと同様に大切な人を思ってそれぞれ奔走する荻野目苹果、夏芽真砂子、多蕗桂樹、時籠ゆりたちと出会い、互いの運命が交錯する中で懸命に"ピングドラム”を追い続けるのだった。 2011年。東日本大震災が起こり、気分的にはだいぶ落ち込んでいたその時期、一本のアニメ作品が投入された。「少女革命ウテナ」の幾原監督による「輪るピングドラム」という作品で、上映開始から話題になっていた。当時「生存戦略」という言葉がアニメ界隈の流行になっていたが、それ以上に物語が複雑で非常に分かりづらいのも特徴だった。そしてこの当時が一番Twitterが活躍した年でもある。ほぼリアルタイムで「輪るピングドラム」の考察が次々に流れてくるので、それを眺めているだけで内容が理解出来たような気になっていく。最終的には自分では全く思いも付かない考察に至って、たいへん感心した思いがある。それが本当かどうかはともかく、私はそれで理解した。 その考察について語るのは後半に譲ることにするが、それを前提に前編である本作を観ていると、思う事は主に描写についてとなる。 11年前に「輪るピングドラム」が放映されたとき、シンプルさと緻密さのコントラストが見事な作品だと思った。主要キャラ以外のキャラクターは丸と四角だけのピクトグラムで表され、バンクシーンも多用。金が無いという世知辛い現実があるのだろうが、それを工夫で乗り切った感がとても良かった。 そして2022年という今の時代に新作パートを作ったら、その質のあまりの違いに驚かされることになった。10年で特にCG関係の描写力が極端に上がっているという事実により、新作パートと旧作パートの描写が全然違っていた。途中に新作パートを挟まなかったのはその理由だろうが、それは正しい選択だっただろう。下手に新作を挿入したら、そのギャップでちぐはぐな描写になっていたはずだ。 本作は内容的にはテレビ版の前半部分を素直に作っているが、テレビ同様前知識無しで素直に観る限り全く分からない。それこそ一度通してテレビ版を観て、ちゃんと考察が出来てないとまるで分からない。 少なくともこんな中途半端な作品をよく作ったもんだと思う。でもこれが好きってのが困ってしまうところだ。 |
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少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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私立鳳学園に転入してきた男装の少女ウテナ。かつて彼女があこがれ、永遠に失ったはずの想い人桐生冬芽を求め。冬芽と出会うことが出来たウテナだったが、冬芽は彼女に一つの指輪を見せただけ。そしてウテナは同じくこの場所で出会った“薔薇の花嫁”アンシーを巡る決闘へと導かれていく… TVアニメの映画化作品。 テレビ版は未だカルト的な人気がある作品。突き抜けた設定とくどすぎるほどの演出。耽美と格好良さ。色々なものがゴチャゴチャに詰め込まれた上に、物語そのものも凄かった。決して万人にお勧めできる作品ではないけど、一旦はまりこんだら抜けられない泥沼のような作品だ。私自身、最初にこの絵を見た時から、とても見られたもんじゃない。と思っていたのが、いつの間にやらはまりこんでいた自分に気づいた。 まるで宝塚のような演出と(事実宝塚でこれ、やったんじゃなかったか?)何故かモロ肌を露出しまくる男性キャラの耽美的演出。更に加えてJ=C=シーザーによるとんでもない音楽…一言でこの作品を称すれば“ゴージャス”。胃の弱い人だったら食あたりを起こしそうな豪華絢爛さだ。 だけど、その豪華さの奥にこそ、この作品の本質はある。 テレビシリーズでは、これをひたすら「想い」(あるいは「執着」)についてつっこんでいた。ここに登場する人物は平均的な人間からすれば恵まれすぎた者達ばかり。彼らも自分自身がエリートであることを自分に課している。だが、なまじ抜きんでているものが多いが故に押さえつけられている不器用な部分やトラウマが引き出され、それによって自分自身と直視せざるを得ない状況に陥ることが非常に克明に描かれていた…その葛藤が凡人でも分かるように描けていた故にこそ楽しかった。 劇場版である本作は時間的な制約からかテレビシリーズほど心理を掘り下げることはしなかったが、その分、強烈な個性を見せつけていたし、金かかけているだけあって格好良さへのこだわり、一途な想い、そのようなものが良く表されていたと思う(それに映画だからこそ出来た、かなりすけべえな演出もあり)。 そして劇場版の特性として、鳳学園そのものに個性を持たせたと言う点も大きい。王子様が不在でありながら、その王子様無しに存在できない鳳学園は様々な人間の思いを封じ込め、それによっていわば時が封じられた閉鎖空間と化している。しかし同時にこれは極めて不安定な存在でもあった。想いによって無から有を作り出そうという錬金術にも似て… 劇場題を“アドゥレッセンス”としたのは、まさにそのような不安定な存在を思春期(ラテン語)という言葉で括ろうとしたのだろう。思春期特有の一途さ、偏屈さ、そしていつかそこから出て行かねばならない希望と、今のままでいたいと思う心。様々なものに引き裂かれそうになる不安定な感情そのもの。 幾原監督って、その辺を描くのが本当に上手いね。 いくつか、ちょっと首を傾げる所も多いけど、アニメ作品としてはかなり良質な部類にはいると思う(何度も言うが、万人には決してお薦めは出来ないけど)。 後、関係ないけど、この作品に私が感謝しなければならないのは、J=C=シーザーを介して、寺山修司の映画に触れることが出来たこと。私にとっては最高といえる作品の一つ、『田園に死す』(1974)を楽しく観ることが出来た。それも本作(テレビシリーズ)のお陰。劇場版においても歌の方は全開。それが聴けただけでも結構満足してる。 |
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美少女戦士 セーラームーンR | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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