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紀里谷和明

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鑑賞本数 2 合計点 4 平均点 2.00
書籍
著作
トラとカラスと絢子の夢(書籍)

_(書籍)
2010
2008 GOEMON 監督・製作・原案・脚本・撮影監督・編集
2004 CASSHERN 監督・企画・脚本・撮影監督・編集
1968 4'20 熊本で誕生

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GOEMON 2008

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紀里谷和明
瀧田哲郎(脚)
江口洋介
大沢たかお
広末涼子
ゴリ
要潤
玉山鉄二
チェ・ホンマン
佐藤江梨子
戸田恵梨香
鶴田真由
りょう
藤澤恵麻
佐田真由美
深澤嵐
福田麻由子
広田亮平
田辺季正
佐藤健
蛭子能収
六平直政
小日向文世
中村橋之助
寺島進
平幹二朗
伊武雅刀
奥田瑛二
★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
CASSHERN 2002
2004文春きいちご賞第2位

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紀里谷和明
菅正太郎
佐藤大(脚)
伊勢谷友介
麻生久美子
寺尾聰
樋口可南子
小日向文世
宮迫博之
佐田真由美
要潤
西島秀俊
及川光博
寺島進
大滝秀治
三橋達也
唐沢寿明
★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
たった一つの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体。鉄の悪魔を叩いて砕く。キャシャーンがやらねば誰がやる。
 我々の知る世界とは違った歴史を歩んだ日本。50年続いた大戦により、世界は大亜細亜連邦共和国とヨーロッパ連合という、2つの陣営に分断されていた。戦いはついに大亜細亜連邦共和国の勝利に終わるのだが、残されたのは荒廃した大地と、大戦で家族を失った家族ばかりだった。重い病に苦しむ妻を助けたい一心で東博士は、人間のあらゆる部位を自在に造り出す“新造細胞”理論を提唱する。学会の誰も顧みないその理論を軍閥が利用することで、それは博士の思惑を超えた“新造人間”を作り出してしまう…
 かつてタツノコプロのアニメーション作品としてTV放映され、大きな人気を誇った作品の映画化作品。監督の紀里谷和明は宇多田ヒカルの旦那であり、本作のテーマソングも宇多田ヒカルが歌うと言うことで、事前情報では大変な期待作だった。
尤も私は劇場では観ることはなかったが、予告で『デビルマン』(2004)と並んで放映されると、その質的な違いには期待させられたものだ(余談だが、あの糞のような予告以下の作品を『デビルマン』は作ってしまったわけだが)。予告だけでも、えらいエフェクトのかけかたと、一流キャストが勢揃いは分かったし、並々ならぬ力が入っていることはよく分かる作品だった。そもそも紀里谷は宇多田ヒカルのミュージッククリップ作ってるから、センスは非凡なものを持っていると思う。
 で、問題はこの出来なのだが、これは
なんとも評するのが難しい。実際悪い面を見ればいくらでも出てくる。物語が平板な上に、とにかく説明口調の台詞が多すぎて、膨大なテキストの中で意味のある単語がきわめて少ないとか、力の入ったエフェクトが間延びしてるとか、演じる人間みんなに抑えた演技を強いたから、物語の盛り上がりが見極めにくいとか…90分の内容を無理矢理140分にまで伸ばしたと言うのが一番のまずい部分だったとは思う。
 しかし、この作品を無碍に
「駄作」とは切り捨てられない自分も確かにいる
 一つには演出面の良さ。予告からしてそうだったが、一画面一画面がCGを用いて某かのエフェクトが必ずかかっており、それがこの映画の演出に一役買っているのは確か。それにここでのキャシャーンのキャラクタ描写は極めてピュア。2004年は
「冬ソナ」ブームのあおりで、ピュアなキャラを描くのが流行になりつつあった。その辺をよく分かってのことだったのだろう。約30年という時代の流れを経て、新しいタイプのヒーローとしてキャシャーンは蘇ったのだ。多分この辺は監督、よく分かっていたんだろうと思う(物語が平板なのはその辺もふまえてのことだと思う)。これは目で見える部分での一般的な良さ
 それで今度は他の魅力というか、私にとって捨てられない部分というものを考えてみると、私自身が持つTV版
「新造人間キャシャーン」に対する思い入れというのが一番。これが放映されたのは私が子供の頃で、えらく暗いアニメだ。と言うイメージしか持たなかったが、後になってみると、この物語の奥深さが分かった。結局あの作品は、人間ならざるものが人間を守って戦うことの意味を、物語を通して問い続けてきた作品だったと言うこと。アニメ版のキャシャーンは、親である東博士が作り出してしまったブライと、ブライ率いるアンドロ軍団を倒すために、半ば無理矢理東博士から改造人間にされてしまうのだが、ここに本人の責任感が加えられたため、たとえ強要されたとはいえ、半分は自分の意志で後戻りの出来ない新造人間になった。彼の口上である「たった一つの命を捨てて、生まれ変わった不死身の体。 鉄の悪魔を叩いて砕く、キャシャーンがやらねば誰がやる」とは、強烈な意志を感じさせるのみならず、ともすれば、人間外の存在となってしまい、崩れ落ちてしまいそうな自分自身を叱咤するためにこれを言っていたのでは?と思わせられたものだ。一方、本作も、キャシャーンはやはり自分自身の存在意義を問い続けている。オリジナルとは異なり、それは何故自分は生まれたのか、何故戦わねばならないのか。と言う方向性になっているが、この改変は物語の都合上、それで良いと思う。キャシャーンこと東鉄也の性格をきわめてピュアなものに持って行っている点も重要。監督はさすがに現代の流行に敏感のようで、TV版「キャシャーン」が放映された1970年代の問題性をここに持ってきても駄目だと判断したのだろう。それに細かいところは色々とオリジナルへの傾倒を思わせる。たとえば上月博士の研究室にはキャシャーンのヘルメットがあったり、ブライに捕まったミドリの部屋には白鳥の置物があったり(アニメ版では彼女のパーソナルデータは東博士により白鳥型ロボット“スワニー”に移植されている)
 ただ、
変えてはいけない部分ってのもあったとは思うのだ。オリジナルのキャシャーンは、アンドロ軍団と戦う際、(フレンダーを除き)決して武器を使用しない。彼にとってアンドロ軍団のロボットは一種の兄弟であり、それ故にロボットを破壊する際、彼は武器を使用しないことを己に課した。だからパンチやキック以外で攻撃はしなかった。それが今回は、ビーム兵器を使ってアンドロ軍団のロボットを一網打尽に倒してしまうシーンがあり、これはさすがに引いた。本質は分かっていたとしても、大切な部分を無くしてしまったようだ。
 …こう見てみると、甲乙つけがたかった本作の評価が、やや否定部分の方がやや強くなってしまったことに気づいてしまった。得てしてレビューというのはこういうものだろう。

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