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元海軍士官で本職は僧侶。 | |||||||||||||||||||||||
銀幕の天才 森繁久弥(書籍) _(書籍) |
2009 | 8'15 死去 | ||||||||
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2003 | |||||||||
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1999 | |||||||||
1998 | |||||||||
1997 | |||||||||
1996 | |||||||||
1995 | |||||||||
1994 | |||||||||
1993 | |||||||||
1992 | |||||||||
1991 | |||||||||
1990 | |||||||||
1989 | |||||||||
1988 | |||||||||
1987 | |||||||||
1986 | |||||||||
1985 | |||||||||
1984 | |||||||||
1983 | |||||||||
1982 | |||||||||
1981 | 連合艦隊 監督 | ||||||||
1980 | |||||||||
1979 | 関白宣言 監督 | ||||||||
1978 | |||||||||
1977 | |||||||||
1976 | 喜劇 百点満点 監督・脚本 | ||||||||
1975 |
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1974 | |||||||||
1973 | |||||||||
1972 | |||||||||
1971 |
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1970 | 続社長学ABC 監督 | ||||||||
社長学ABC 監督 | |||||||||
1969 | 続社長えんま帖 監督 | ||||||||
社長えんま帖 監督 | |||||||||
1968 | 続社長繁盛記 監督 | ||||||||
社長繁盛記 監督 | |||||||||
1967 | 続社長千一夜 監督 | ||||||||
社長千一夜 監督 | |||||||||
落語野郎 大泥棒 監督 | |||||||||
てなもんや幽霊道中 監督 | |||||||||
1966 | 続社長行状記 監督 | ||||||||
社長行状記 監督 | |||||||||
てなもんや東海道 監督 | |||||||||
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1965 | 続社長忍法帖 監督 | ||||||||
社長忍法帖 監督 | |||||||||
1964 | 続社長紳士録 監督 | ||||||||
社長紳士録 監督 | |||||||||
万事お金 監督 | |||||||||
1963 | 太平洋の翼 監督 | ||||||||
続社長外遊記 監督 | |||||||||
社長外遊記 監督 | |||||||||
1962 | 新・狐と狸 監督 | ||||||||
続サラリーマン清水港 監督 | |||||||||
サラリーマン清水港 監督 | |||||||||
1961 | 続社長道中記 監督 | ||||||||
社長道中記 監督 | |||||||||
世界大戦争 監督 | |||||||||
1960 | ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐 監督 | ||||||||
がんばれ!盤嶽 監督 | |||||||||
1959 | 社長太平記 監督 | ||||||||
まり子自叙伝 花咲く星座 監督 | |||||||||
潜水艦イ-57降伏せず 監督 | |||||||||
1958 | 続社長三代記 監督 | ||||||||
社長三代記 監督 | |||||||||
1957 | 美貌の都 監督 | ||||||||
ひかげの娘 監督 | |||||||||
続青い山脈 雪子の巻 監督 | |||||||||
青い山脈 新子の巻 監督 | |||||||||
1956 | 婚約指輪 監督 | ||||||||
兄とその妹 監督 | |||||||||
あなたも私もお年頃 監督 | |||||||||
1955 | 風流交番日記 監督 | ||||||||
浅草の鬼 監督 | |||||||||
月に飛ぶ雁 監督 | |||||||||
人間魚雷回天 監督 | |||||||||
1954 | 慈悲心鳥 監督 | ||||||||
トラン・ブーラン 月の光 監督 | |||||||||
花と波濤 監督 | |||||||||
1953 | 青春ジャズ娘 監督 | ||||||||
アチャコ青春手帖第三話 まごころ先生の巻 監督 | |||||||||
ハワイの夜 監督 | |||||||||
1952 | 東京のえくぼ 監督 | ||||||||
水色のワルツ 監督 | |||||||||
1951 | |||||||||
1950 | |||||||||
1949 | |||||||||
1948 | |||||||||
1947 | |||||||||
1946 | |||||||||
1945 | |||||||||
1944 | |||||||||
1943 | |||||||||
1942 | |||||||||
1941 | |||||||||
1940 | |||||||||
1939 | |||||||||
1938 | |||||||||
1937 | |||||||||
1936 | |||||||||
1935 | |||||||||
1934 | |||||||||
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1932 | |||||||||
1931 | |||||||||
1930 | |||||||||
1929 | |||||||||
1928 | |||||||||
1927 | |||||||||
1926 | |||||||||
1925 | |||||||||
1924 | |||||||||
1923 | |||||||||
1922 | |||||||||
1921 | |||||||||
1920 | 7'7 島根県で誕生 |
連合艦隊 1981 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1981日本アカデミー新人俳優賞(中井貴一) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1981年邦画興行成績1位。太平洋戦争の一年前から戦艦大和の沈没までを、いかに戦い、いかに負けたかという視点で描く。撮影用に作られた13メートルを超えるヤマトのミニチュアも話題となる 仏教的無常観が根底に流れる |
関白宣言 1979 | |||||||||||||||||||||||||||
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広告代理店に勤める宇田まさし(さだ繁理)は祖父から譲り受けた小島を国にしたいと言う願望を持っていた。その為に国民を増やすためにと、嫁探しを始める。悪友達に勧められた女性佐藤久美(名取裕子)を好きになり、アプローチをかけるが、彼女は実は宇田の上司の娘だった… さだまさしの「関白宣言」が大ヒットを飛ばし、その便乗として作られた映画。主演のさだ繁理はさだまさしの実弟で、さだ本人も妙に特徴ある登場の仕方で幾度となく登場する。 大昔、テレビで見た記憶があるが、既に記憶は全くなく、たまたまBSで放映したのをビデオに録って観てみた。ストーリー自体はクレイジー・キャッツ時代からある王道のラブ・コメ。ひねりも何もなく、当然ハッピー・エンドで終わる。さだまさしが好きな人とか、時間に余裕のある人向き。ただ、これ見てると猛烈に麻雀がしたくなった(笑) |
続社長学ABC 1970 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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社長学ABC 1970 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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続社長えんま帖 1969 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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社長えんま帖 1969 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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続社長繁盛記 1968 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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社長繁盛記 1968 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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続社長千一夜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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社長千一夜 1967 | |||||||||||||||||||||||||||
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続社長忍法帖 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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社長忍法帖 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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続社長紳士録 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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社長紳士録 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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太平洋の翼 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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続社長外遊記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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社長外遊記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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続サラリーマン清水港 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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サラリーマン清水港 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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続社長道中記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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社長道中記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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世界大戦争 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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世界各地に起こっている侵略と闘争は、世界各地に緊張感をもたらしていた。一発の核兵器の誤射で世界が滅ぶと言う状態の中、先進国首脳はおびえ、原水爆管理の責任者達は不意のトラブルを防ごうと躍起となっていた。そんな世界中がストレスを抱える中の日本。アメリカ・プレス・クラブの運転手田村茂吉(フランキー堺)は戦争の焼け跡から裸一貫でささやかな幸せを築いてきた。彼の娘冴子(星由美子)と二階に下宿している船乗りで通信技師の高野(宝田明)は、互いに好き会っており、原水爆のことを真剣に考えていた。日本の調停により、世界に原水爆禁止の調印がなされそうになり、高野の次の航海の前に結婚。前途の希望と共に高野は貨物船笠置丸船へと乗り込む。だが… 原水爆の危険を映画で前面に出した名作として真っ先に挙げられる作品と言えば、やはり『博士の異常な愛情 あるいは私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』(1964)が挙げられるだろうが、それより遡ること3年前。日本で本作は作られた。結果、日本のSF映画史上において、本作は最高の売り上げを果たした作品の一つとなり(1961年邦画興行成績10位)、世界的な映画史においても特異な位置づけを持つ作品となり得た。 本作は映画として、そもそも物語として観る限りは、非常に中途半端な作品である。定式に則ったオチは付けられず、ストーリーの根幹をなす部分が政治的部分と日常的部分に完全に分離しているので、二つないし三つの映画を無理矢理一つにまとめてしまったと言う感じが強い。しかも、本作は伏線も何も無し。ただ最後の爆発だけの為に淡々とストーリーが紡がれる。敢えて極論を行ってしまうと、本作は物語としては、実は破綻してる。それに根本的に本当の見所はたった一カ所しかないし、しかもそれは観ている側はみんな分かっている。 しかし、である。本作の場合、それは失敗ではない。それこそが実は狙いであり、本作の特異性となっているのだから。 構造的に考えてみると、この作品は三つの流れが存在している。 一つは純粋に国際政治的な部分として。世界各地に頻発する紛争が核大国に波及するのではないか?と言う恐れが、いわば上の立場から見られている。政治の世界とは大変ドライなもので、善意とかは全く入る余地がない。彼らの思いとは、自分の国が安全であること。ここに尽きたわけだ。通常兵器の戦争であれば、対岸の火事で済んでしまうため、見ずに済ましておけるものが、核戦争になると、そう言うわけにはいかない。世界各地から自分の国が狙われているのだし、どう転んでも自分の国は影響を受けないわけにはいかない。だからこそ、嫌々ながらでも会議はしなければならない。どんな嫌いな人間でも、対等に話さねばならない。しかも、その状況下においても、自国の利益のために働かねばならない…非常にストレスがかかる世界だ。結局なんだかんだ言っても金の話になってしまうのだから。その辺のどろどろした部分が多少の誇張はあるものの、しっかり描かれている。利権に群がる彼らの姿は、現実の国の姿の戯画である。 もう一つは、主人公が特定できないが、現場で働くものの群れである。彼らは政治的な思惑など関係が無く、自分の責任において、守ろうとする。何せたった一発の誤射で世界が滅びるのだ。世界をその背に背負っている人間の話だ。彼らは表舞台に出ることもないし、誤解ばかり受ける存在かも知れない。しかし、その責任感たるや大変なもので、そのような名も無き英雄達の話となっている。こういうのって、私は大変好きだ。 そして最後の物語が、そう言った政治的にも、責任を負うものとも無縁の、一つの家族の物語となる。フランキー堺演じるタクシー運転手や宝田明演じる高野など、普通の庶民と比べ、ほんの僅か情報を得やすい立場にあるとしても、やっぱりどこかにいそうな普通の家庭であり、そしてごく当たり前の恋人だった。この部分を出したことが、この作品の肝というか、最大の売りとなったことは間違いがない。庶民故に無知で、自分の生活とか、幸せとかを大切にする一方、ほんの僅か世事に長けているために、空気の変化に敏感に反応できるという絶妙の立場だった。 ただ、これらの三つのストーリーは分かるとおり、全くお互いに共通点を持たない。それぞれが独自に物語を進行させている。これは本来バランス悪さと考えられるところ。しかし、これらは互いに関連を持たないまま、たった一つの結末に向かって疾走する。 そして最期の一瞬、地球の最後というショッキングな終わり方で、実はこれら三つの物語はようやく一つとなる。 それを可能としているのは、実は観客がラストを知っているというのが前提だ。と言う事に他ならない。通常どんな作品であっても、ラストシーンをいかにも分からないように仕上げるのが映画監督の手腕であるに拘わらず、本作の場合、タイトルがそのまんまで、ポスターを見ても、完全にオチが分かってしまっている。 オチが分かってしまうと言うのは、映画としては失敗のはずだが、本作の場合、全く違ったベクトルを用いることにした。つまり、その過程をドラマとして捉えることで。 ここにおいて、三つの別個の物語がきちんと一つの映画として作られ得た理由がある。映画にはこんな作り方もあるんだと感心することしきりだった。 物語の面で言うなら、最終過程が決まっている以上ストーリーで見せることは出来ず、自然とドラマの連続となる。ここに手を抜いていないのが何より本作の良さ。SFは子供のものだからなんて考えはない。徹頭徹尾、大人が観て楽しめる。背筋を寒がらせる。そして大人が泣けるような作品を目指していた。だから出演者もヴェテランどころを揃えたし、ドラマを彩る脚本も、ベタであっても決して手は抜いてない。いくつかの卓抜なアイディアも使われていた。 特にラスト近く。モールス信号でささやかれる愛の言葉。無機質なカタカナで「コーフクダッタネ…」と繰り返される言葉が、無機質故にこそ、悲しみを誘うし、最後、洋上にいたため生き残った面々が日本に戻ろう。と行った時、絶妙のタイミングで出されるコーヒーの描写だったり。 確かにこれは観終わって気持ちが晴れ晴れするような作品ではないし、逆にストレスが溜まるかも知れない。だけど、そうすることによって本作は無常観が高まり、その存在感が際だっている作品だとも言える。惜しむらくは、もうちょっと世界的に認められても良さそうな作品だと思うのだが… |
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ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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社長太平記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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女性下着メーカー錨商事の牧田社長(森繁久彌)は関西のライバルメーカー・さくら商会が東京進出すると知り、これまでの営業部長長雨川(三木のり平)から大森専務(小林桂樹)に任せることにする。そんな中、工場が火事で消失するという出来事が起こる… 定番の社長シリーズだが、実は本作で一度終了の危機にあったらしい。理由はこれまでのメインで監督をしていた松林監督が、シリーズに対する興味を失ってしまったからだとか(実際『続・社長太平記』(1959)は青柳信雄監督が作っている)。 そう考えてみると、オープニングシーンでわざわざ戦時中の軍艦が出てきたことも何となく理由が想像付く。監督、多分これがシリーズ最終作と思って、自分の思いをここに叩き付けたんだろうな。戦争ネタと時事ネタを物語に盛り込むのは松林監督の十八番だし。これまでそれなりに自分を抑えて作ってた監督のせめてもの意趣返しって奴だ。 まあメインの物語はいつも通りのスケベ心満載の森繁社長と、真面目一徹な小林の二人をメインに、会社の危機を努力と運で乗り切っていく会社の様子という定番物語。 今回の物語では女性陣がなかなかよろしい。綺麗どころから強い会長までよりどりみどりって感じで、しかも全員強い。この辺の女性の強さがあるからこそ、これだけスケベ心あっても嫌らしく感じないんだろう。 |
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社長三代記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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人間魚雷回天 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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