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松本人志

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鑑賞本数 合計点 平均点
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
_(書籍)
2009 しんぼる 監督・脚本・出演
2008
2007 大日本人 監督・企画・脚本・出演
2006
のだめカンタービレ
<A> <楽> 出演
wiki
2005
2004
2003
2002 明日があるさ THE MOVIE 出演
明日があるさ スペシャル 出演
2001
明日があるさ
<A> <楽> 出演
2000
伝説の教師
<A> <楽> 出演
1999
1998
1997 ダウンタウンのごっつええ感じ(7Y)<TV> 出演
1996 ダウンタウンのごっつええ感じ(6Y)<TV> 出演
1995 ダウンタウンのごっつええ感じ(5Y)<TV> 出演
1994 きょうふのキョーちゃん<TV> 原作
ダウンタウンのごっつええ感じ(4Y)<TV> 出演
1993 ダウンタウン松本人志の流 頭頭(とうず) 企画・構成・原案・脚本・出演
ダウンタウンのごっつええ感じ(3Y)<TV> 出演
1992 ダウンタウンのごっつええ感じ(2Y)<TV> 出演
1991 ダウンタウンのごっつええ感じ(1Y)<TV> 出演
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
1981
1980
1979
1978
1977
1976
1975
1974
1973
1972
1971
1970
1969
1968
1967
1966
1965
1964
1963 9'8 兵庫県尼崎市で誕生

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タイトル

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物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

しんぼる 2009
2009映画芸術日本映画ワーストテン4位

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松本人志
高須光聖(脚)
松本人志
★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 ひとりの男(松本人志)が白い壁に囲まれた不思議な部屋で目を覚ました。呼べど答える者はだれもおらず、ただその部屋には不思議な突起が無数にあり、それを押すたびに何かしら部屋に異変が起こる。その中で、男は出口も見当たらない部屋の中で途方に暮れながらも懸命に脱出を試みるが…一方、メキシコのとある町では覆面プロレスラーのエスカルゴマンは、いつもと変わらぬ様子で試合会場へと向かっていた…
 
松本人志監督第2回作品。第1回作品であった『大日本人』は、映画というよりはテレビのバラエティ的な作りで、特に後半部分はわざとそれを目指していた感じ。結果として残念ながら映画として成り立ってなかった。
 それと較べると、本作は一本として映画を作ろうという思いが根底にあるようで、少なくともその意気込みは評価したい。それに松本監督は、映像的な笑いのセンスはたいしたもので、必要最低限の舞台装置で次々と笑いを引き出していく。
 しかし、それはそう思いながら、やはり『大日本人』同様にどこかはまれないものを感じたのは事実。面白くはありながら、何がそんなに引っかかるのか、少々考えてみた。

 松本監督は
「シネマ坊主」という映画エッセイを長く書いているくらいだから、映画の知識はあるし、それを批評的に見て、本当に良い映画のことも知っている。
 それで敢えてそれらの知識を総動員し、
「既存の映画を超えてやろう!」という思いがあり、更に自分がこれまで培ってきた芸風を入れてやれ。という義務感もあったのだろう。あくまでこれは松本人志という個人的な芸を見せるために作ろうという思いがあった。

 結果として本作は前提としての縛りが多すぎた。結果として出来たのは、いろいろチャレンジした上で映画にはなっているのだが、出来たのは前衛劇の出来損ないのようなものになってしまった。

 しかも、これが目新しいものではない。
 新しい映像表現を作ろうという本人の思いがあったかどうかは分からないが、本人の想いはどうあろうと、この手の作品は時折映画史には登場するし、その中でも傑作と呼ばれるものもある
(山ほど失敗作もあるが)
 それらの作品が何故傑作と呼ばれるかと言えば、前衛的でありつつ、きちんと映画として完成しているからに他ならない。それらを映画とする要素は様々だが、それはメッセージ性であったり、監督や出演者の存在感だったり、あるいは挑戦的な思いだったり。そう言ったものを画面の前にいて感じ取ることが出来るのが前衛劇の醍醐味だろう。
 少なくとも私はこの映画から監督のそう言った想いを受け取ることは出来なかった。むしろここにあったのは、「俺はこんなことも出来るんだぞ」という傲慢な思いでしかない。
 それを較べると、本作は前衛劇的というよりは前衛劇風の作りで、オチの主人公が神となるというのも、実はそれほど目新しいものじゃないし、70年代に作られたようなものを「何で今更」感が強い。

 おそらく私が本作で根本的に受けてしまった違和感は、そういった傲慢さを感じ取ってしまったからなのだろう。
 思えば、同じ芸人出身で、傍若無人な物言いで知られる北野武(ビートたけし)との対比でだと、ビートたけしとしては、テレビバラエティではあれだけ無茶苦茶な事を言っているようでいて、北野武監督として映画になるときちんと基本に立ち返り、真面目な映画作りをしている。映画に対して真っ正面から向かい合っているのだ。少なくともそのような気持ちにさせられる。
 そんな北野監督の作風と較べると、松本監督は
自分の才能をひけらかすためだけに本作を作ったのでは?と思わせてしまった。

 しかし、改めて考えてみると、「映画」って一体何だろう。どれだけ偉いものだろうか?今や映画だって公開から少し待てば安価でレンタルできるし、同じ値段でバラエティやテレビドラマも手軽に借りられる時代。映画の持つ意味合いも変化しているのかもしれない。たとえ映画になっていなくても、それをビデオで出すという前提で作るのならば、こう言う作品になっても問題ないのかもしれない。
 
映画がどれだけ偉いんじゃい。俺に作らせりゃ、テレビでも映画でもこんなに面白くなるんだぞ。
 ある意味、その問題提起を突きつける作品とは言えようか。ただ、私には面白いと思えなかったのが問題だが。
大日本人 2007
2008アジア映画視覚効果賞
2007日本映画プロフェッショナル大賞新人奨励賞(松本人志)、
ベスト第4位

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松本人志
高須光聖(脚)
松本人志
竹内力
UA
神木隆之介
海原はるか
板尾創路
街田しおん
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 電気を浴びると巨大化し、日本に現れる“獣”と呼ばれる存在を倒していく、古くから伝わった技を伝える大佐藤家。その6代目は、普通の時は毎日傘を持ち歩いて、家に帰ると自炊。週に二回は力うどんを食べに行くという、小市民を地でいく男だった。彼の一年にわたる密着取材と、彼を取り巻く状況を淡々と描いた作品。
 松本人志第一回監督作品として、徹底した秘密主義で撮影され、どのようなジャンルであるのかも最後まで知らされなかった。私自身予告でたまたま観て、
「なんだ特撮だったのか」と思って観に行ったという、はなはだいい加減な観方だった。
 で、その出来は…なかなか評するのに難しい作品。好きな人は好きだし、嫌いな人は嫌い。どうでもいい人はどうでも良い。これほど好き嫌いがはっきり分かれる作品は珍しい。
 とにかく言えるのは、松本人志のファンであれば、観て損は無い。だけど、ファンでもなく、映画にそれなりに思い入れがある人は劇場で観るべきではない。と言うこと。
 本作の特徴と言えば、前半3/4は基本的にルーティンで、
小市民的生活インタビュー→獣退治→その結果が延々と続く。獣を倒したからと言って何が変わる訳じゃないし、大佐藤の日常は相変わらず続いているので、どこを切っても問題なし。
 そして最後、これまでの展開を完全に無視する唖然とする展開が待っている訳だが、これが完全にテレビもの。あのラストには
「この番組は〜の提供で〜」と言うナレーション付きこそよく似合う。この作品が尻切れトンボに終わってしまうように思えたのはそれが無いからじゃなかろうか?
 総じて言ってしまうと、
本作は映画として成立してない。確かに撮影の細やかさや、どうでも良いようなシーンに徹底した長回しを用いるなど、映画的手法は駆使しているが、ストーリーそのものに重点が置かれてないので、どこで切って観ても同じ。だから何も最初から観ないで途中から観ても話は充分つながってしまうし、物語を通して何かを伝えようと言う姿勢もない。いわば、これは長大なコントであると言ってしまって差し支えないだろう。だから、松本人志特有の微妙な間のコントを観に行くと割り切ってしまえば何も問題なし。
 ところで、ここで一つの疑問が生じる。松本人志はこの作品を自分のギャグの表現様式の一つとして映画という媒体を選んだのだろうか?それとも本気で映画作りをしようと考えたのだろうか?ということ。前者であれば、チャレンジ精神を讃えたいのだが、もし後者であれば、あまりにもイタ過ぎる作品となってしまう。多分評価が大きく分かれるのはこの点だろう。映画を観るつもりで本作を観てはいけないのだ。
 私は当初映画観に行ったつもりだったので、途中までは結構腹も立ったのだが、中盤から頭切り替えてテレビの延長だと思うことにしたらそれなりに楽しめた。この作品の一番の楽しみ方は、テレビで流しっぱなしにして、時折目をやって笑う。と言う、
本当のテレビ的な方法だろうと思う。
 一方特撮ファンとしてこの作品を観た場合、この作品は特撮のパロディ、しかも1970年代で思考が止まってる人間が作ったものに過ぎず。残念ながら、現在の特撮作品として観ることは出来ない。その辺は松本の方も割り切ってるんだろうけどね。ゴレンジャイの延長だと思えば。
 少なくともこの作品は松本人志のギャグというものをそれなりに知ってないと笑えないので、カンヌに持っていた事が最大の失敗であろう事だけは間違いない。

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