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小栗康平▲

小栗 康平
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人格解離-わたしの中のマイナスな私-(書籍)

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1945 10'29 群馬県で誕生

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埋もれ木
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小栗康平
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★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 HDカメラで撮影が行われ、CGも多用されるが、ここでのCGの使い方は、自然をよりリアルに見せるために用いられている。
製作年 2005
製作会社
ジャンル
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原作
書籍名 <A> <楽>
著者名 (検索) <A> <楽>
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関連
眠る男
1996日本アカデミー協会特別賞(「眠る男」製作委員会)、監督賞(小栗康平)
1996
ブルーリボン特別賞(人口200万人突破を記念して、地方自治体として初めて映画を製作)
1997ベルリン国際映画祭国際芸術映画連盟賞
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木村元保(製)
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田村高廣
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桜井稔
柴田真生子
初音礼子
西山嘉孝
蟹江敬三
殿山泰司
八木昌子
芦屋雁之助
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 山あいにある温泉町の一筋町。そこには山で事故に遭い、それ以来意識不明となった拓次と言う男がいた。そして町には彼を取り巻く人々がそれぞれの暮らしを営んでいる。韓国やフィリピンからこの町に来て住んでいる人々、知的障害を持ちながら、非常に心が綺麗な男、水車小屋に日がな一日座り、子供に昔話をする老人、そして拓次の幼友達で、今は殆ど修理専門の電気屋を営む上村(役所広司)など…拓次は眠り続け、人々の生活も相変わらずだが、季節の移り変わりと共に、少しずつ、物事は変化していく…
 1996年『Shall We ダンス?』(1996)という邦画のスマッシュヒット作があり、これが邦画の興隆につながったのだと私は思っているが、実はこの年、同じく役所広司が主演で面白い背景と雰囲気を持つ作品が投入された。事実私自身にとってもこの年に製作された作品を観たため、それまで離れていた邦画を見直すことになったのだが、その最大の恩人となったのは『Shall We ダンス?』ではなく、本作を、しかも劇場で観た事による。

 本作の製作は面白い背景を持っている。
 通常映画を作る際、監督にとって先ず最初に、そして場合によっては最後まで頭を悩ませるのは、実は自分の思ったように映画が作れるか。と言う思いではない
 馬鹿にならないフィルム代、舞台にかける手間、キャストの出演料、キャストやスタッフに対する弁当代等々…細々したものも含めると、映画にはあまりにも金がかかると言うことだ。実は監督の一番の悩みはここにある。よしんば金が得られたとしても、スポンサーの意向によって作品がねじ曲げられるなんて事は日常茶飯事。金にまつわる監督の悩みは尽きない
 映画は水物であり、いくら製作費を遣っても碌でもない作品ができあがったり、あるいは評論家受けはしても一般受けをしないものが出来上がったりしたら、その映画は失敗作となってしまう(時折こういうのからカルトと呼ばれる作品が出てきたり、後になって評価されるものも一握りはあるとしても)
 そんな賭けの要素の強い映画に対してのスポンサーを募るのが、実は監督がまず最初にぶち当たる壁であり、更にスポンサーの意向を取り入れて映画を作らねばならなくなる。通常の場合、一番の出資は製作会社が受け持つが、それに付随し、宣伝をすることや、パテントを取ることを前提にいくつかの企業が出資することが多い。特に最近の邦画は企業の財布がゆるんできたためか、多くの映画が市場に投入されているのはありがたい限りだ。
 そう言う経路を取らない作品は一般に「自主興行作品」現代風に言うと「インディーズ作品」と言われるのが一般的。昔ほどではないにせよ、ある程度大きな劇場や地方の劇場なんかは製作会社の系列で作られているところが多いので、そう言ったインディーズ作品は殆ど上映されることが無く、単館上映とかになってしまうことも多い。そう言う作品の中にも確かに良質作品は存在するんだが(それ以上に変な作品の方が多いことも事実だ)
 ところが、本作はそのどちらでもないのが面白いところ。なんと本作のスポンサーは群馬県。しかも100%公的資金によって製作されるという、ある意味画期的な、ある意味税金の無駄遣いな(冗談です。冗談)作品だった。群馬県はこれを一種の町興しイベントとして捉えているようだが、これは一つ重要な功績を邦画に残したことは事実だ。

 作品自体は監督の力量もあって、非常に良い作品に仕上がっている。一見退屈そうな作品に思えるが、画面に出てくる緊張感はたいしたもので、一時も目を離すことが出来なかった。それに本作は言葉の使い方が実に良い。選び抜かれた言葉をぽつぽつと喋るのだが、それらは生活から出た哲学を醸し出している。それが画面にはまっているし、一つ一つの言葉が物語上の伏線にもなってるのが凄い。まさに計算し尽くされた作品で、映画は金ではなく、アイディアと根気、そして才能であることを見せつけてくれた。

 「眠る男」の周囲を巡る物語である本作にはいくつかのキー・ワードが存在する。それらはその「眠る男」拓次に関するものばかりで、ただ眠っているだけの拓次が間違いなくキー・パーソンとして存在している。死者を連れて行くとされるつむじ風や、水車小屋に止まることなく流れ続ける時、川の流れ、拓次と上村の思い出、そして山の中の小屋。全てがどこか拓次の存在そのものにまつわるものとなっているように感じる。そしてその極めつけは能。動きながら止まっていると言う能の面白い部分がこれは静止の中の緊張感を表すにはぴったりだ。彼の時は止まったまま、しかし生命活動は続いている。動きを見せないまま、確かに動いているのだ。しかも彼の周りでたゆたう時は、着実に少しずつ変化していっている。それを一つ一つショットとして捉えた監督の力量には感心するよりむしろ感動してしまうほどだ…あるいは最大のキー・ワードは「時間」なのかもしれない。

 当時邦画にあまり食指を動かさなかった私がこの作品をわざわざ岩波ホールまで観に行ったのは、単純な理由で、たまたま読んだ雑誌にその記事がほんの少し載っていたからに過ぎない。思わず半ば伝説となったアンディ=ウォーホールの記録映画を思い出してしまい、妙に印象に残っていたから。
 しかし、この映画は私が思っていたのとはまるで違っていた。前半が終わる頃にはどっぷりと画面の中に取り込まれていた。以降全くだれることなく、観終わった時には脱力しつつも、本当の衝撃を受けていた。頭は朦朧とし、それでも何か、大切なものが身体の中から出てこない。非常にもどかしい思いを感じた。映画を観てこんな思いになるのは年に何度もない…出来ることなら、隣に座っていたおっさんがいびきかいてなければ、もっと良かったのに(笑)…寝るんだったらわざわざ高い金出して人様の迷惑にならんで欲しいよ。全く

 確かに一般受け出来るかどうか難しいけど、私にとって本作は間違いなく最高の作品となったし、邦画に再び目を向けさせてくれた恩人ともなった。

 ちなみに、群馬県出身の清水崇監督は、この作品が初めて実際にスタッフとして参加した作品だという。ただし、この時点では本当の素人で、小道具などをやっていたとか…
製作年 1996
製作会社
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泥の河
1981米アカデミー外国語映画賞
1981
日本アカデミー監督賞(小栗康平)、撮影賞
1981ブルーリボン作品賞、スタッフ賞
1981キネマ旬報日本映画第1位
1981毎日映画コンクール日本映画大賞、監督賞、男優演技賞(田村高廣)
1981報知映画新人賞(小栗康平)
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木村元(製)
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田村高廣
藤田弓子
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西山嘉孝
蟹江敬三
殿山泰司
八木昌子
芦屋雁之助
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1956年。日本は朝鮮動乱の特需景気で高度成長へと向かおうとしていた。そんな中大阪にある安治川河口の食堂の息子板倉信雄(朝原靖貴)はある日松本喜一という少年と出会った。喜一は、対岸に繋がれているみすぼらしい舟に住んでおり、母(加賀まりこ)と銀子という姉と一緒に住んでいるという。信雄の家は暖かく喜一達を迎えるが、父の晋平は、夜に舟に行ってはいけないと信雄に厳命するのだった。それをいぶかしく思いながら、信雄と喜一は仲良くなっていく。そして祭りの日、折角もらったお金を落としてしまった信雄を慰めようと、喜一は自分の舟に信雄を誘うのだが…
 宮本輝の直木賞受賞作(「泥の河」「道頓堀川」「蛍川」の三作を「川三部作」と言ったりもする)を商業映画としては初監督となる小栗康平が仕上げた作品。今や国際的にも評価が高く、日本を代表する監督の一人である小栗監督は下積みの時代が長く、TV番組の助監督をずっとやってきた人だが、その経験は決して無駄にはなってなかった。このために独立プロダクションまで作り、売れるはずがないと陰口まで叩かれながら低予算で撮影されたデビュー作のモノクロ映画にもかかわらず、モノトーンの強みを最大限に活かした傑作に仕上がっている。
 物語については確かに原作通りなのだが、やはり映像化されることによって、文章では伝えきれない部分が徹底的に強調される。特に当時の特殊な生活環境にある悲惨な暮らしぶりが強調されているし、どうしても分かり合う事が出来ない人間関係というものも明確化されている。特に主人公が子どもだけに、無邪気な友達関係が展開されるのだが、その中で普通の人間には理解出来ない硬いものが心の中にある事が分かってしまう。
 主人公信雄はちょっと気の弱い普通の子どもで、積極的な喜一に引きずられつつも、あくまで普通の友達関係を作ろうとする。だが、喜一の生活は普通では理解不可能なもの。その中で喜一は無邪気に、残酷な心を持つに至っている。現代で言えばPTSDという言葉で表されるのだろうが、太平洋戦争の記憶もまだ残るこの時代にあっては、そんな子どもも数多くいたのだろう。心の中には他者を決して入れることのない硬い部分が誰でもあるものだが、これは殊更に重い。最後の最後にその理由が分かるのだが、そこで喜一が去ってしまうことで、結局分かり合うことは出来ないまま。だからこそ、去っていく喜一に対し、「友達にはなれなかった」という思いを抱かせ、その余韻が残る。
 本作の色はとにかく暗い。モノクロで暗いというのは、一見致命的な弱さなのだが、本作に関してはそれを逆手に取った作りがなされている。つまり通常画面は出来るだけ暗くして、特に淀む河の暗さを強調することによって、やりきれない現実がの雰囲気を作り出し、そこに時折逆光を用いることによって、強調点を明らかにしている。それが明確に現れたのはラスト近く。暗闇の中をもぞもぞと動く蟹が燃やされる時に、それまで闇に包まれていた汚い船縁が光を受ける。更にその照り返しを受けて笑い顔を見せる喜一の表情はぞっとするものがあった。そしてその次の瞬間…その時の加賀まりこの裸身もやはり逆光を受け、目がギラギラと輝いてるんだよね。ショックシーンというか、もの凄く怖いシーンだった。
 実際、この作品は心地よさとは無縁だ。ここに現れているのはやりきれない現実と、理解出来ない人間関係、そして現実から目を背けてしまった後味の悪さ。
 しかし、そんな不快な作品なのに、画面から目を背けることは出来ないし、更に心に残っていく。これを新人が作ったというのだから恐るべしである。
製作年 1981
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原作
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