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勅使河原蒼風 瞬刻の美 (Art & words)(書籍) _(書籍) |
2001 | 4'14 死去 | |
1992 | 豪姫 監督・製作・脚本 | |
1989 | 利休 監督・企画・脚本 | |
1984 | アントニー・ガウディー 監督・製作・編集 | |
1979 | 新・座頭市(3rd)<TV> 監督 | |
1972 | サマー・ソルジャー 監督 | |
1968 | 燃えつきた地図 監督 | |
1967 | インディレース 爆走 監督・製作 | |
1966 | 他人の顔 監督 | |
1964 | 砂の女 監督 | |
1962 | おとし穴 監督 | |
1957 | 流血の記録 砂川 撮影 | |
1956 | 蒼風とオブジェ いけばな 監督・脚本 | |
1955 | 十二人の写真家 監督 | |
1927 | 1'28 東京で誕生 |
利休 1989 | |||||||||||||||||||||||||||
1989日本アカデミー主演男優賞(三國連太郎) 1989ブルーリボン主演男優賞(三國連太郎) 1989キネマ旬報日本映画第7位 1989毎日映画コンクール日本映画優秀賞、男優主演賞(三國連太郎)、撮影賞 1989報知映画主演男優賞(三國連太郎) |
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本能寺の変の後、織田信長の後継者となり、天下にその名を轟かせることとなった豊臣秀吉(山崎努)によって、千利休(三國連太郎)は茶頭となり、そこで茶の湯を大成させる。だが利休と秀吉の蜜月はそう長くなく、秀吉の懐刀として出世した石田三成(坂東三津五郎)の讒言により、利休と親しくしている者たちが次々と粛正されていく。その中で利休は… 1989年千利休没後400年ということで、二つの記念作品が作られた。一つは熊井啓による井上靖原作の『千利休 本覺坊遺文』(1989)。そして野上弥生子原作の本作。 興行成績の面から言えば本作の大勝で、邦画興行成績4位という立派な成績を収めることとなった。 千利休の死というのは、日本史における一種のミステリーであり、「何故利休は死なねばならなかったのか?」と言う事においては、様々な研究書も、又小説家は自らの想像の翼を広げて独自の解釈をしている。戦国時代とは切り離すことが出来ない人物なので、私自身としても様々な解釈を読んでも来た。 そしてこの年に公開された二作品を見比べてみると、どちらも千利休の死について独自の解釈がなされているが、『千利休 本覺坊遺文』は文学的に、本作は歴史的に仕上げられたものと見ることが出来る。 本作の場合、利休の死はかなり純粋に権力争いの結果となっていて、自らの生き方を貫くために必要性を感じて政治にも口を出す利休に対し、それを疎んじる秀吉という構図が出ている。 その解釈はこれまで幾度も作られた大河ドラマの利休のものと変わらず、あまりにもオーソドックスな解釈で、その点では今ひとつと言った印象。 ただ、本作はそこが目的ではなく、(無駄に)豪華な役者陣と、美しい情景と言った美術にもの凄く力が入っている点が一番の特徴だろう。 実に落ち着いた佇まいの利休に対し、粗野でパワフルな秀吉。その対比を一種の芸術として描こうとしたことが伺える。二人を演じる三國連太郎と山崎努の役者としてのぶつかり合いが見所となる。 ただ、私の場合、本作は本当に小さなブラウン管テレビで観てしまったため、その迫力が今ひとつ伝わらなかったのが残念。勿体ない話ではあるが、観終わって、オーソドックスな作品としか思えなかった。本作は劇場で観てこそ意味を持つ作品だ。 |
燃えつきた地図 1968 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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最も職業らしくない職業という理由で興信所の調査員になった“ぼく”(勝新太郎)は、半年前に失踪した夫を捜してほしいという妻(市原悦子)の依頼を受け、彼女の住む団地に向かった。しかし肝心な妻が非協力的で“ぼく”は仕方なく失踪者の足取りを追求めるのだが… 勝プロダクション製作の第2作。安部公房の同名小説を元に、安部公房自らが書き下ろした脚本を、『砂の女』で高い評価を受けた勅使河原監督が映画化。 安部公房の小説というのは、なんだか常に不思議な作品であり、SFともホラーとも取れるし、又現代の世相を皮肉っているようでもあり、なんとなく本の向こう側から読者に語りかけてくるような、そんな感じを受ける。現実と虚構が入り交じり、読者に落ち着かない気持ちをさせるような。こう言う作品を「メタ小説」と言うらしいが、そのメタ小説の草分け的存在と言っても良い。本作の原作も、読者の方が主人公とどうかして読んでいると、どんどん現実生活が不安になるような、そんな作風で、著者の作品の中でも最もメタ小説としての完成度が高いものと言えるだろう。 そしてそんな小説の映画化。非常に難解というか、内容に意味が無いというか、要するに極めて“原作通り”な仕上がりになっていた。それも原作者が脚本を描き、それを勅使河原監督が持てる手法を使って全力で作ったお陰ではあるのだが、あまりにもメタフィクション性が高くなりすぎ、全く一般受けはしない作品に仕上がってしまった。 物語のフローで言えば、失われた人物を求めて都会を彷徨う主人公が、実は都会とは人を飲み込むシステムではないかと疑問を持ち始め、やがては自分自身は誰なのかという疑問にまで発展し、そこで突き放されるように物語が終わる。どこから観ても不安にしかならない物語展開で、これを「面白い」と言い切る人間はそうそうは多くない、とてもマニアックな作品だった。 まあおそらくこれこそが押井守のルーツの一つと見て間違いはなかろう。 |
砂の女 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1964ブルーリボン作品賞、監督賞 1964キネマ旬報日本映画第1位 1964毎日映画コンクール日本映画賞、監督賞、美術賞、音楽賞 |
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原作者の安部公房自身が脚本も書く。東宝によって公開されたが、それまで二本立て興行が当たり前だったのを、単独公開して話題を集める 海外ではフェミニスト運動の一環として見られた 観念過ぎて映画化は不可能と言われた安部公房の小説の映画化。阿部自らが脚色する 人間社会の縮図とも言える カンヌで審査員特別賞を受け、初めて現代劇邦画が国際的に評価された。 |
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おとし穴 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1962キネマ旬報日本映画第7位 1962毎日映画コンクール録音賞 |
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