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1973'10'3~1974'9'25 |
| Wikipedia |
様々な事情に配慮してか、主人公は大山倍達ではなく架空の空手家「飛鳥拳(あすか けん)」となっており、他にも名前が変えられているキャラクターが数名いる。ピストン堀口や木村政彦といった、原作において物語の展開に重要な役割を担っていた実在の人物も、アニメ版には登場しない。また劇中の飛鳥拳は、結婚せず独身のままで通すなど、原作・現実の大山倍達とは異なる部分も少なくない。
前半は比較的原作に近い話だが、後半は世界中をさまざまな格闘技と戦いながら旅をする内容となっており、オリジナルストーリーも少なくない。また、カマキリ拳法のエピソード等、梶原・大山原作の「空手戦争」など他漫画からの流用も見られる。終盤に描かれるカポエラや太極拳の使い手との戦いは原作漫画では影丸穣也が作画をしていたが、アニメ版ではつのだじろうのキャラクターデザインのままであり、クレジットにも影丸の名は使われない。アニメ版独自のエピソードに登場する敵は、ほとんど素行の悪い悪人として描かれているため、ストーリーは空手対異種格闘技というよりも勧善懲悪色が強いものとなっており、少年向けアニメとして飛鳥拳のヒーロー性を高めるための演出がなされている。また、極真会館による実写映像が時折挿入されている。
本放送時にはエンディングの後に、「空手の遊びは非常に危険」と視聴者に空手の危険性を喚起するテロップが入れられていたが、再放送では確認されていない。後年の再放送では、差別用語にあたるとされる一部の音声がカットされているが、飛鳥が渡米中に多用された「ジャップ」についてはそのまま放送している。
主題歌を歌っている大安蓮は、子門真人の変名である。 |
| 個人的感想 |
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空手(アクション) |
| 原作 |
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| 放映日時 |
1973'10'7~1974'9'29 |
| Wikipedia |
アニメ化は『巨人の星』と同じく東京ムービーが手がけ、監督も同じく長浜忠夫が担当。しかし『巨人の星』よりもコミカルでテンポの良い陽性の作品に仕上げられている。また、巨人軍がV9を達成した1973(昭和48)年を主な舞台としているため、各球団の当時の実名選手や監督の登場、夏場までの巨人の低迷、後半戦の長嶋の骨折・離脱、ペナントレース終盤での阪神との優勝争い、南海との日本シリーズなどの史実をベースにしたストーリに、蛮の成長や魔球開発、ライバル達との対決などのエピソードを絡めた展開となっている。
当初の監督候補には、当時東京ムービー傘下のAプロダクションに所属していた高畑勲が挙がっており、実際に監督就任の打診があったが、高畑は『アルプスの少女ハイジ』を監督することになり退社、宮崎駿らは1話の原画を描いた後に高畑の後を追った。キャラクターデザインおよび作画監督を務めた大塚康生は、演出方針を巡って長浜監督と対立し、途中降板。以降、名義上は作画監督のままだったが、実際の作業は各話の担当に任せる形になったという。
なお、本作の前年に放送開始した『マジンガーZ』は、テレビ局の意向で『週刊少年ジャンプ』の連載と並行して講談社の『テレビマガジン』でも連載されるという事件が起きた。そのため、ジャンプ編集部はアニメ化について消極的な姿勢をとるようになり、本作の放送終了後は、週刊少年ジャンプ原作のアニメ化作品は1981年にフジテレビ系列で放送された『Dr.スランプ
アラレちゃん』まで途絶えることとなった。 |
| 個人的感想 |
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| ジャンル |
野球(スポーツ) |
| 原作 |
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| スタッフ |
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| 協力会社 |
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| 放映日時 |
1973'4'3~1974'3'27 |
| Wikipedia |
日本人とアメリカインディアンとの間に生まれた少年が主人公で、開拓時代の西部を放浪する中様々な出来事に立ち向かうのが基本的なストーリーとなっている。「人種差別」や「武器は使う者によって神の道具にも悪魔の道具にもなる」など、様々なテーマが根底に流れている。
アニメ版は途中からオリジナルのエピソードが増え、かつ残酷なシーンを抑えた演出がなされた。主人公のイサムも漫画版では青年へと成長していくが、本作ではある程度の段階で成長が止められている。
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| 個人的感想 |
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| ジャンル |
西部劇 |
| 原作 |
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| スタッフ |
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| 協力会社 |
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| 放映日時 |
1973'3'2~9'28 |
| Wikipedia |
当初は4月6日放送開始予定だったが前番組の『変身忍者 嵐』が一カ月早く終了したため3月2日からの放送開始となった。
藤子アニメの中で在阪放送局が製作に関わっている唯一の作品である。
アニメの再放送は、1989年以降、テレビでの再放送が行われていない。
1999年に発売された「東京ムービー アニメ大全史」(辰巳出版)では、冒頭の「東京ムービー テレビアニメ作品年表」や巻末の「サブタイトル・リスト」では、放送期間や全サブタイトルが紹介されているものの、作品自体は紹介されていない。
2010年に漫画が発売され封印状態が解かれた後、2011年に川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム内で上映された短編アニメ『Fキャラオールスターズ大集合
ドラえもん&パーマン 危機一髪!?』、ドラえもんED『F組あいうえお』で他の藤子キャラクターと共に「黒べえ」が新作映像で登場した。
2015年9月より藤子・F・不二雄ミュージアムで上映されている短編アニメ『ドラえもん&キテレツ大百科「コロ助のはじめてのおつかい」』には赤べえが台詞付きで登場した。
2015年12月9日には東映ビデオより期間限定生産で全話収録のDVD-BOXが発売された。初放送から約42年を経て、初の映像ソフト化。 |
| 個人的感想 |
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| ジャンル |
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| 原作 |
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| 放映日時 |
1971'2'15~3'22 |
| Wikipedia |
1回につき2話の放送を基本とする帯番組で、毎週月曜 - 金曜 18時00分 - 18時30分(日本標準時)に放送されていた。
本作は、日本国内では20世紀最後のモノクロアニメとなっている。実際は1968年に制作されたものであったが、テレビ放送のカラー化が進んでいく中で「今さらモノクロ作品はどうか」との理由から急遽お蔵入りになったという。だが3年後、ほとんどのテレビ番組がカラー化された中で突如日の目を見た。制作年で言えば、1969年から同局で放送された『ウメ星デンカ』とNETテレビで放送された『もーれつア太郎』(第1作。1970年9月25日放送分まではモノクロ作品であった)の方が制作は後発であるが、放送は本作がそれらの後になっている。
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| 個人的感想 |
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| ジャンル |
コメディ(時代劇) |
| 原作 |
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| 放映日時 |
1971'9'1~1972'12'27 |
| Wikipedia |
漫画『オバケのQ太郎』の連載が1971年3月から小学館の学習雑誌にて再び開始されたことに伴いアニメ化。1971年9月1日から1972年12月27日まで、日本テレビ系列にて毎週水曜日19時30分から20時にかけての枠で放送された。全70回(135話)。カラー作品。
1971年開始の連載漫画はそれまでの話の続編として描かれたが、本作は新たに第1話から作り直されているため、1作目のリメイクととれる作品になっている。
演出した長浜忠夫は、放送終了後のインタビューで本作について、前作は話によってクオリティにバラつきがあったことから「私は今でも“新”とは思っていない。本来の『オバケのQ太郎』を作ろうと思った」と語っている。また、藤子による原作も高く評価したうえで「日本ではギャグマンガが軽視される風潮があるが、この作品がもっと正当に評価される日がきていいはずだと私は考えています」と発言している。
Q太郎役は曽我町子から堀絢子へ交代となり、その他の声優も一部を除いて刷新された。
1作目以上にドタバタ色が強く、作画、テンポ、キャスティング共に快調な仕上がりのため「数ある藤子アニメの中でも屈指の完成度を誇る」と評されることがある[22]。また、初回放送から18%の高視聴率を記録する人気番組となった。
U子とO次郎が本作より登場。ただし、U子の口元はドロンパのような口に変更されている。
本放送終了後も頻繁に再放送が行われたが、1984年にテレビ宮崎とミヤギテレビで行われた再放送を最後に2022年現在まで一切再放送および本編のビデオソフト化は行われておらず、視聴困難な作品となっている。ただし、「アニメ主題歌大全集」にはオープニングとエンディングが収録されており、バラエティ番組の特集などで映像が使用されることはある。
3作の中では唯一、劇場版が存在しない。 |
| 個人的感想 |
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| ジャンル |
こども向き(アニメーション) |
| 原作 |
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| スタッフ |
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アタックNo.1
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| 放映日時 |
1969'12'7~1971'11'28 |
| Wikipedia |
一大バレーボールブームを起こしたスポーツ根性(スポ根)漫画としても有名であり、連載当時は『サインはV!』と並ぶ2大バレーボール漫画として知られていた。
1969年から1971年まで、フジテレビ系列でテレビアニメが放送された。また、アニメを編集した映画版が1970年から1971年の東宝チャンピオンまつりで上映されている。2005年4月にはテレビ朝日系にて上戸彩の主演でテレビドラマ化された。
フジテレビ系列の日曜日19時-19時30分枠における『モーレツ欲張りゲーム』の後を継いで、1969年12月7日から1971年11月28日にかけて全104話が放送されたテレビシリーズ。
よみうりテレビの土曜日19時-19時30分枠における『巨人の星』で、視聴率的にも成功を収めていた広告代理店の旭通信社&提供スポンサーの大塚グループ[注釈 27]&企画の東京ムービー(下請制作はAプロダクション)が、今回は『週刊マーガレット』に連載中であった原作漫画を題材にすることで、フジテレビの日曜日19時-19時30分枠を新たに獲得した。『巨人の星』と同様に成功を収めたアニメ番組でもあった。
フジテレビの同枠は、アニメ番組の『マッハGoGoGo』が1967年6月末に枠移動(日曜19時台前半枠→日曜18時台後半枠)後、『爆笑ヒットパレード』(週レギュラー版、56分番組)→『リッカー スクラム歌合戦』→『爆笑ダイヤモンドショー(第2期)』→『東京ぼん太ショー』(56分番組。ただし1969年2月2日から2か月間は前半枠)→『紅白スタージェスチャー』→『モーレツ欲張りゲーム』といったバラエティ番組が続いていた。しかし本作からは、旭通信社→アサツー ディ・ケイ時代の変化に応じて提供スポンサーや制作会社を替えながらも2006年に日曜朝に移動した『ONE PIECE』まで、同枠を長らく担当することになった。
裏番組に視聴率の高かった『柔道一直線』(TBS系)と『アップダウンクイズ』(当時NET系)と言う2つの強敵番組があったにもかかわらず、それまでテレビを見ていなかった小学生 - 高校生の女子が本作品を見るようになったこともあり、平均視聴率は平均視聴率19.9%、最高27.1%(1971年1月10日放送)を記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。主題歌レコードは70万枚を売り[5]、主題歌の中の1フレーズが流行した。
日本での放送終了後、日本国外でも放映され、イタリアでは後にトップ選手として活躍するフランチェスカ・ピッチニーニがバレーボールを始めるきっかけになった。フジテレビにおいても、バレーボール中継に力を入れるきっかけとなり、放送期間中にはフジサンケイグループで春の高校バレーをスタートさせ、1977年からはバレーボールワールドカップの中継のみならず、運営そのものに関わっている。 |
| 個人的感想 |
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| ジャンル |
バレーボール(スポーツ) |
| 原作 |
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| スタッフ |
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| 放映日時 |
1969'10'5~1970'12'27 |
| Wikipedia |
最初の1969年版は、もともと『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』(1971年 - 1972年)の準備にあたっていた、東京ムービーのスタッフチームによって企画・制作されたもので、同作品の制作が決定し制作に入るまでの期間内に、2クールのみの約束で企画された。
チーフプロデューサーを担当した町田仁によると、最初の1969年版の企画時には対案に別企画[注釈 2]が提示されていた。しかし、スポンサーのカルピスが「視聴率は取れるかもしれないが、情報公害を流す懸念のあるものに手を出すことはできない」と主張、『ムーミン』に決定した。
演出を担当した大隅正秋によると、制作の際には『ムーミン・コミックス』を参考にしており、アニメ化に伴うアレンジも、そのコミックス以上にならないことを意識しているという。
声優の配役については、過去に「岸田今日子がムーミンの原作を読んだ」という新聞のコラムを見たことを覚えていた大隅が、岸田をムーミンのイメージ配役として企画に出したところ、広告代理店が飛びつき岸田に決定。あとは岸田と演技のバランスをとるため、それまで声優活動を行っていなかったムーミンパパ役の高木均をはじめ、知名度より実力のある役者が起用された。
雪室俊一によれば、スナフキンなど原作にない独特のキャラクターの性格は、脚本の山崎忠昭の考案によるものであるという。スノークのキャラクター作りには、広川太一郎のアドリブが貢献した。本シリーズ独自の設定であるスノークのお嬢さんの「ノンノン」という名は、音響監督の田代敦巳が大隅の妻の愛称「ノンちゃん」を基に決めたものである。
本シリーズは、日本国外の児童文学を原作としたという点で、日本のテレビアニメでは嚆矢とも言える作品だった。当時東映動画にいた高畑勲は、Aプロダクションに所属して本シリーズのキャラクターデザインを担当した大塚康生およびAプロダクション社長の楠部大吉郎から勧誘されて、『長くつ下のピッピ』制作のためにAプロダクションに(宮崎駿・小田部洋一とともに)移籍するが、『ムーミン』にテレビアニメの可能性を感じていたことを後年理由の一つに挙げている。
制作・放送が開始され、企画のズイヨーと東京ムービーのスタッフたちは、第7話「さよならガオガオ」を原作者のトーベ・ヤンソンに見てもらうことに決定。トーベから「大変気に入りました」とお墨付きをもらえるものと期待していたが、帰ってきたのは「これは私のムーミンではありません」など、本シリーズに対する否定的な見解、それに後述するような要望を書き連ねた手紙であった。東京ムービーはこのトーベの手紙の内容をクレームと公表し、第26話を最後に制作を終了。前述の通り、『ルパン三世』制作までの繋ぎとして受注していた都合上、以降の制作継続が物理的に不可能であったため、番組を続ける意向であったズイヨー、それにスポンサーやテレビ局への言い訳として、クレームによる撤退としたのであった。
本来、東京ムービーの幹部は安い制作費で作るために、別番組の枠と抱き合わせでアニメ化の権利を入札した。だが東京ムービーのスタッフはトーベの要望に応えてよい作品を作ろうとし、結果として構成セルの枚数が増え、制作費用が非常に高くついてしまった。このような経緯から、赤字番組となった『ムーミン』を切り捨てたがっていた東京ムービーは、トーベの要望と元々2クールの契約だったことを利用、『ルパン三世』の制作のために急遽制作を終了してしまう。社長に呼び出されたムーミン担当の所属アニメーター達は、打ち切りを知らされると同時に怒られ、がっかりした反面ほっとしたという。一方、この日は制作担当責任者の藤岡が出張でおらず、番組を続けたいと思っていた藤岡は翌日に打ち切りを聞いて憤慨した。しかし社長がもう決めてしまっていたため、後の祭りだったそうである]。
東京ムービーの契約終了に伴い、第27話『顔をなくしたニンニ』からは新たに虫プロダクションが制作会社として参加した。同社が制作を手掛けるに当たっては、キャラクターデザインを原作の絵に近付ける形でスマートにしたり、スノークのお嬢さん(ノンノン)のリボンを外したり、自動車の使用を控えたりするなど、スタッフはトーベの要望に沿って放送を試みることにした。しかし実際に放送されると、終了後から問い合わせなどが殺到し始めた。
視聴者からは「キャラクターが怖くなった」「つまらなくなったのはなぜ?」「どうしてムードが変わったの?」という意見が出たり、ラジオの深夜放送の投書にも「面白くなくなったのはなぜ?」「なぜ絵を変えたの?」と著しい不評が寄せられた。東京ムービー期の出来に満足していた提供会社のカルピスの役員たちも、第27話を視聴して非常に激しい不満を持った。そのためキャラクターデザインは「日本国内でのみ放送する」という条件で東京ムービー期に近いものへ戻された。
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| 個人的感想 |
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| ジャンル |
ファンタジー(異世界) |
| 原作 |
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| 放映日時 |
1968'4'21~1969'3'23 |
| Wikipedia |
TBS系列ほかにて不二家一社提供「不二家の時間」枠で放送された。15分2話構成で全49回(全98話)。
前番組『パーマン (第1作)』に引き続き、東京ムービーとスタジオ・ゼロが交互に制作。
本編中の登場怪物の解説及びエンディングのナレーションは、当時NET系の『日曜洋画劇場』の解説で人気を博していた映画評論家の淀川長治が担当。時には実写スチルで登場した。
シナリオを担当した山崎敬之の著書によると、山崎が書いた最終回のシナリオに対して、原作者の安孫子素雄はOKをなかなか出さず、結局は最後のタイミングというべき日の早朝に、TBSのロビーを訪れてまで打ち合わせを行い、ようやくOKが出たというエピソードが残っている。山崎は「あとから思えば、これほど手ごわい原作者もいなかった」と語っている。
TBS系アニメでありながらフジテレビジョンから『フジテレビのとびだすえほん』として本作品の絵本が放送当時に発売されていた。 |
| 個人的感想 |
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| ジャンル |
キャラクター(コメディ) |
| 原作 |
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| スタッフ |
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| 協力会社 |
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| 放映日時 |
1968'3'30~1971'9'18 |
| Wikipedia |
野球漫画『巨人の星』、『新巨人の星』を原作として制作された一連のアニメシリーズ。
『巨人の星』、『新・巨人の星』、『新・巨人の星II』いずれも毎週土曜日の19時00分から19時30分までの30分のテレビアニメ番組として、読売テレビ制作、日本テレビ系列で全国放送された。アニメーション制作は東京ムービー。第1作目の『巨人の星』のみが大塚製薬の単独提供番組で、旭通信社が広告代理店を務めていた。
当時読売テレビのプロデューサーであった佐野寿七によると、『巨人の星』の放送開始に当たって、まずTBSにアニメ化の話が持ち込まれたが、交渉は不調に終わった。続いて日本テレビ、フジテレビと続けて企画を持ち込んだものの、いずれも話がまとまらず、アニメ化は暗礁に乗り上げる。そして最後に回ってきたのが読売テレビであり、ここでようやくアニメ化が実現する。
一方、東映も当時傘下に所有していたプロ野球球団、東映フライヤーズ(パシフィック・リーグ所属。現:北海道日本ハムファイターズ)にちなんでタイトルを「東映フライヤーズの星」に変え、舞台もパシフィック・リーグに置き替えた上で、傘下の東映動画(現:東映アニメーション)の制作により、東映の資本下にあったNETテレビ(現:テレビ朝日)での放映を構想していたが、先に読売テレビに放映権を獲得されたために実現しなかった。
放映開始前にはモノクロのパイロットフィルム『人気マンガの傾向について 巨人の星』が制作されている。内容は1967年当時の漫画の人気傾向のデータ、原作漫画の原画を使用したあらすじ紹介、飛雄馬の投球を描いたアニメーションで構成されていた。このパイロットフィルムは2013年6月5日発売の『巨人の星 Special Blu-ray BOX 1』に初収録された。
アニメ版は原作の構図や表現方法をほぼ忠実に再現しているが、アニメ版独自のストーリーやダイナミックな表現方法もふんだんに盛り込まれた。特に大リーグボール3号については、花形が専用のピッチングマシンを作らせ、攻略しようとしたものの、マシンがその力に耐え切れず爆発してしまう描写や、飛雄馬が大リーグボール3号を投げた後にあまりの激痛でうずくまり、医者に見せた所、無理な筋肉の酷使により危険な状態になるという描写など、大リーグボール3号がいかに危険な投法なのかを、原作以上に解説している。このほか戦争や後楽園球場のシーンでは、実写映像が使われていたことがある。
当時プロデューサーであった佐野寿七によると、自身は高校球児で野球経験者ではあったが巨人ファンではなく、また「原作者の梶原は『距離を置いて見ているから、作品が書ける』と言っていたため巨人ファンではなかったはず」とも述べたほか、作画担当の川崎のぼるも大阪出身であり連載が始まるまでは野球に関心がなかったなど、『巨人の星』は”非G党”の手で作られたものであった。
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| 個人的感想 |
子どもの頃の大きな思い出の一つ。アニメの演出を学ぶ大変重要な意味合いがあった。 |
| ジャンル |
スポーツ(野球) |
| 原作 |
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| スタッフ |
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| 協力会社 |
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| 放映日時 |
1967'4'2~1968'4'14 |
| Wikipedia |
モノクロ作品。「不二家の時間」枠で放送された、不二家一社提供番組。
『おそ松くん』のテレビアニメ制作で力を付け始めたスタジオ・ゼロが、初めて藤子不二雄アニメに参加。東京ムービー(Aプロ)と交代で制作した。30分枠のAパートとBパートに亘り伏線が張られることもあり、またギャグ作品でありながらヒーロー然としたスリリングな展開もあった。本作の放映より一足早く、前週に放送された前番組『オバケのQ太郎』(第1作)の第83話「Qちゃんパーマン大かつやくの巻」には、パーマン1号が宣伝として客演している。当初、制作側ではカラーでの制作を望んでいたが、スポンサー側の資金面での了承を得られなかった。また、マントの裾が原作や後のカラー版より若干長く描かれている。最終回のAパート「パー子という名の女の子の巻」では原作漫画に先駆けて、初めてパーマン3号(パー子)の正体が明かされた。最終回Bパートは原作「パーマンはつらいよ」を元にした「パーマンよいつまでもの巻」で締め括られている。
前番組『オバケのQ太郎』の視聴層を引き継いだためか、第2回の視聴率は35.6%と高い数字を記録した。 |
| 個人的感想 |
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| ジャンル |
こども(コメディ) |
| 原作 |
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| スタッフ |
| 荒木伸吾 |
演出 |
| 大隅正秋 |
演出 |
| 岡部英二 |
演出 |
| 小林準 |
脚本 |
| 秦泉寺博 |
演出 |
| 鈴木伸一 |
監督・演出 |
| たむらたつお |
脚本 |
| 辻真先 |
脚本 |
| 中野健次 |
脚本 |
| 長浜忠夫 |
演出・脚本 |
| 浪江志摩 |
脚本 |
| 広田清 |
脚本 |
| 藤子不二雄 |
脚本 |
| 三井偠市 |
脚本 |
| 三春こうじ |
脚本 |
| 森下圭介 |
演出 |
| 吉田進 |
脚本 |
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| 協力会社 |
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| 放映日時 |
1965'8'29~1967'3'26 |
| Wikipedia |
全95話。モノクロ作品。
原作人気が高まる中での放送開始だったため、初回から30%以上の視聴率を記録。主題歌の『オバケのQ太郎』はミリオンセラーとなり[2]、石川進が歌う主題歌『オバケのQ太郎』は、1966年第8回日本レコード大賞童謡賞を受賞した。「不二家の時間」枠の放送は、前番組の『ウルトラQ』と合わせて他局から「恐怖のQQタイム」と呼ばれるほどの人気番組となり、「オバQブーム」の一端を担うこととなった。放送が水曜18時の時間帯に移動した後も人気は続き、放送終了後も子供をはじめとする視聴者から番組継続の要望が多く届いたため、TBSは1969年3月まで同枠で再放送を行う異例の事態となった。 |
| 個人的感想 |
TBSドラマがちゃぶ台を囲んで一家団欒を描くようになったのは本作の影響。
ギャグ漫画のテレビアニメ化第一号
主題歌がミリオンセラーとなり、第8回日本レコード大賞童謡賞を受賞する。 |
| ジャンル |
こども(コメディ) |
| 原作 |
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| スタッフ |
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| 協力会社 |
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