テレビアニメ |
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放映日時 |
1971 |
Wikipedia |
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個人的感想 |
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ジャンル |
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原作 |
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スタッフ |
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協力会社 |
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アタックNo.1
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放映日時 |
1969'12'7~1971'11'28 |
Wikipedia |
一大バレーボールブームを起こしたスポーツ根性(スポ根)漫画としても有名であり、連載当時は『サインはV!』と並ぶ2大バレーボール漫画として知られていた。
1968年1月から1970年12月まで『週刊マーガレット』(集英社)にて連載された。マーガレットコミックスから全12巻が刊行され、少女漫画の単行本として初めて10巻を超えた作品となった。
続編として、1975年に連載された『新アタックNo.1』がある。また、2004年11月からは小沢花音作画によってリメイク版の『新・アタックNo.1』が『マーガレット』に連載されている。
1969年から1971年まで、フジテレビ系列でテレビアニメが放送された。また、アニメを編集した映画版が1970年から1971年の東宝チャンピオンまつりで上映されている。2005年4月にはテレビ朝日系にて上戸彩の主演でテレビドラマ化された。
フジテレビ系列の日曜日19時-19時30分枠における『モーレツ欲張りゲーム』の後を継いで、1969年12月7日から1971年11月28日にかけて全104話が放送されたテレビシリーズ。
よみうりテレビの土曜日19時-19時30分枠における『巨人の星』で、視聴率的にも成功を収めていた広告代理店の旭通信社&提供スポンサーの大塚グループ[注釈 27]&企画の東京ムービー(下請制作はAプロダクション)が、今回は『週刊マーガレット』に連載中であった原作漫画を題材にすることで、フジテレビの日曜日19時-19時30分枠を新たに獲得した。『巨人の星』と同様に成功を収めたアニメ番組でもあった。
フジテレビの同枠は、アニメ番組の『マッハGoGoGo』が1967年6月末に枠移動(日曜19時台前半枠→日曜18時台後半枠)後、『爆笑ヒットパレード』(週レギュラー版、56分番組)→『リッカー スクラム歌合戦』→『爆笑ダイヤモンドショー(第2期)』→『東京ぼん太ショー』(56分番組。ただし1969年2月2日から2か月間は前半枠)→『紅白スタージェスチャー』→『モーレツ欲張りゲーム』といったバラエティ番組が続いていた。しかし本作からは、旭通信社→アサツー ディ・ケイ時代の変化に応じて提供スポンサーや制作会社を替えながらも2006年に日曜朝に移動した『ONE PIECE』まで、同枠を長らく担当することになった。
裏番組に視聴率の高かった『柔道一直線』(TBS系)と『アップダウンクイズ』(当時NET系)と言う2つの強敵番組があったにもかかわらず、それまでテレビを見ていなかった小学生 - 高校生の女子が本作品を見るようになったこともあり、平均視聴率は平均視聴率19.9%、最高27.1%(1971年1月10日放送)を記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。主題歌レコードは70万枚を売り[5]、主題歌の中の1フレーズが流行した。
日本での放送終了後、日本国外でも放映され、イタリアでは後にトップ選手として活躍するフランチェスカ・ピッチニーニがバレーボールを始めるきっかけになった。フジテレビにおいても、バレーボール中継に力を入れるきっかけとなり、放送期間中にはフジサンケイグループで春の高校バレーをスタートさせ、1977年からはバレーボールワールドカップの中継のみならず、運営そのものに関わっている。 |
個人的感想 |
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ジャンル |
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原作 |
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スタッフ |
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協力会社 |
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放映日時 |
1967'4'2~1968'4'14 |
Wikipedia |
モノクロ作品。「不二家の時間」枠で放送された、不二家一社提供番組。
『おそ松くん』のテレビアニメ制作で力を付け始めたスタジオ・ゼロが、初めて藤子不二雄アニメに参加。東京ムービー(Aプロ)と交代で制作した。30分枠のAパートとBパートに亘り伏線が張られることもあり、またギャグ作品でありながらヒーロー然としたスリリングな展開もあった。本作の放映より一足早く、前週に放送された前番組『オバケのQ太郎』(第1作)の第83話「Qちゃんパーマン大かつやくの巻」には、パーマン1号が宣伝として客演している。当初、制作側ではカラーでの制作を望んでいたが、スポンサー側の資金面での了承を得られなかった。また、マントの裾が原作や後のカラー版より若干長く描かれている。最終回のAパート「パー子という名の女の子の巻」では原作漫画に先駆けて、初めてパーマン3号(パー子)の正体が明かされた。最終回Bパートは原作「パーマンはつらいよ」を元にした「パーマンよいつまでもの巻」で締め括られている。
前番組『オバケのQ太郎』の視聴層を引き継いだためか、第2回の視聴率は35.6%と高い数字を記録した[25]。 |
個人的感想 |
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ジャンル |
こども(コメディ) |
原作 |
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スタッフ |
荒木伸吾 |
演出 |
大隅正秋 |
演出 |
岡部英二 |
演出 |
小林準 |
脚本 |
秦泉寺博 |
演出 |
鈴木伸一 |
監督・演出 |
たむらたつお |
脚本 |
辻真先 |
脚本 |
中野健次 |
脚本 |
長浜忠夫 |
演出・脚本 |
浪江志摩 |
脚本 |
広田清 |
脚本 |
藤子不二雄 |
脚本 |
三井偠市 |
脚本 |
三春こうじ |
脚本 |
森下圭介 |
演出 |
吉田進 |
脚本 |
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協力会社 |
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放映日時 |
1965'8'29~1967'3'26 |
Wikipedia |
全95話。モノクロ作品。
原作人気が高まる中での放送開始だったため、初回から30%以上の視聴率を記録。主題歌の『オバケのQ太郎』はミリオンセラーとなり[2]、石川進が歌う主題歌『オバケのQ太郎』は、1966年第8回日本レコード大賞童謡賞を受賞した。「不二家の時間」枠の放送は、前番組の『ウルトラQ』と合わせて他局から「恐怖のQQタイム」と呼ばれるほどの人気番組となり、「オバQブーム」の一端を担うこととなった。放送が水曜18時の時間帯に移動した後も人気は続き、放送終了後も子供をはじめとする視聴者から番組継続の要望が多く届いたため、TBSは1969年3月まで同枠で再放送を行う異例の事態となった。 |
個人的感想 |
TBSドラマがちゃぶ台を囲んで一家団欒を描くようになったのは本作の影響。 |
ジャンル |
こども(コメディ) |
原作 |
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スタッフ |
おおいひさし |
脚本 |
大隅正秋 |
演出 |
大森施工 |
脚本 |
岡部英二 |
演出 |
岡本欣二 |
脚本 |
木下蓮三 |
演出・脚本 |
楠部大吉郎 |
作画監督 |
酒井七馬 |
演出 |
塩沢朝子 |
脚本 |
芝山努 |
作画監督 |
島修司 |
脚本 |
田代淳二 |
脚本 |
辻真先 |
脚本 |
中野健次 |
脚本 |
長浜忠夫 |
監督・演出 |
花島邦彦 |
脚本 |
松岡清治 |
脚本 |
松元力 |
脚本 |
宮沢耕己 |
脚本 |
吉田史郎 |
脚本 |
吉田進 |
脚本 |
吉田秀子 |
脚本 |
若林一郎 |
脚本 |
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協力会社 |
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