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芝山努と映画ドラえもん『のび太とロボット王国(キングダム)』の世界 _(書籍) |
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2009 | |||||||||
2008 | |||||||||
2007 |
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2006 | |||||||||
2005 | |||||||||
2004 | ドラえもん のび太のワンニャン時空伝 監督 | ||||||||
2003 | ドラえもん のび太とふしぎ風使い 監督 | ||||||||
2002 | ドラえもん のび太とロボット王国 監督 | ||||||||
2001 | ドラえもん のび太と翼の勇者たち 監督 | ||||||||
2000 | ドラえもん のび太の太陽王伝説 監督 | ||||||||
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1999 | ドラえもん のび太の宇宙漂流記 監督 | ||||||||
1998 | ドラえもん のび太の南海大冒険 監督 | ||||||||
1997 | ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記 監督 | ||||||||
1996 | ドラえもん のび太と銀河超特急 監督 | ||||||||
忍たま乱太郎 総監督 | |||||||||
1995 | ドラえもん のび太の創世日記 監督 | ||||||||
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1994 | ドラえもん のび太と夢幻三剣士 監督 | ||||||||
Jリーグを100倍楽しく見る方法 ! ! アニメーション監督 | |||||||||
1993 | ドラえもん のび太とブリキの迷宮 監督 | ||||||||
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1992 | リカちゃんの日曜日 監修 | ||||||||
さくらももこワールド ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌 監督 | |||||||||
ドラえもん のび太と雲の王国 監督 | |||||||||
1991 | ドラえもん のび太のドラビアンナイト 監督 | ||||||||
1990 | おじさん改造講座 監督 | ||||||||
ドラえもん のび太とアニマル惑星 監督 | |||||||||
ちびまる子ちゃん 監督 | |||||||||
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1989 | ドラえもん のび太の日本誕生 監督 | ||||||||
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1988 | ドラえもん のび太のパラレル西遊記 監督 | ||||||||
県立海空高校野球部員山下たろーくん 監督・絵コンテ | |||||||||
1987 | ドラえもん のび太と竜の騎士 監督 | ||||||||
1986 | ドラえもん のび太と鉄人兵団 監督 | ||||||||
GoGo虎エ門 監督 | |||||||||
1985 | ドラえもん のび太の宇宙小戦争 監督 | ||||||||
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1984 | ドラえもん のび太の魔界大冒険 監督 | ||||||||
カッくんカフェ 作画監督 | |||||||||
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1983 | ドラえもん のび太の海底鬼岩城 監督 | ||||||||
プロ野球を10倍楽しく見る方法 アニメーション監督 | |||||||||
1982 | 新・ど根性ガエル ど根性・夢枕 監督 | ||||||||
二死満塁(ツーダンフルベース) 演出・作画監督 | |||||||||
対馬丸-さよなら沖縄- 作画監督 | |||||||||
1981 | 21エモン 宇宙へいらっしゃい! 監督 | ||||||||
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1980 | がんばれ!!タブチくん!!激闘ペナントレース 監督 | ||||||||
がんばれ!!タブチくん!!あぁツッパリ人生 監督 | |||||||||
まことちゃん 監督 | |||||||||
ドラえもん のび太の恐竜 構成 | |||||||||
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1979 | がんばれ!!タブチくん!! 監督 | ||||||||
1978 |
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1977 |
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1976 | 元祖天才バカボン 誰が食べたかおサカナさん 作画監督 | ||||||||
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1975 |
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1974 | |||||||||
1973 | |||||||||
1972 | 天才バカボン 夜まわりはこわいのだ 作画監督 | ||||||||
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1971 |
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1941 | 3'9 東京で誕生 |
ドラえもん のび太のワンニャン時空伝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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川でおぼれていた子犬を助けたのび太は、その子犬をイチと名付けてこっそりと飼うことにした。そんな折もおり、のび太達は裏山に多数捨てられている犬や猫を発見。彼らを救うため、タイムマシンでまだ生物がいない3億年もの太古に行き、そこでイチを初めとした犬や猫を放すのだった。そして翌日、イチの様子を見に再びタイムマシンに乗り込んだのび太達だったのだが、時空の乱れに巻き込まれ、着いたところはなんと犬や猫たちが高度に進化したワンニャン王国だった… とりあえず第一期(?)ドラえもんの最終映画。本数にして25本。一年ごとにやっていたとして、25年間をオリジナルメンバーが一人も欠けることなくやってこれたと言う事実を先ず讃えよう。本当にご苦労様だ。 さて、それで本作だが…印象は薄い(笑)。他の劇場用作品と較べても、さほど個性は発揮されていない。 劇場版は話を壮大なものに取っているが、時事問題を取り入れたりしているので、なんか説教臭くなってしまうものだが、本作にもそれはちゃんと取り入れられている。 多分今回は今の子供の持つ残酷性を鑑み、生き物を大切にするように。と言うメッセージが込められていたんだと思うのだが、やっぱり汚れてしまったオトナの目で見るならば、その誘導があからさまでどうも今ひとつと言った感じ。 ストーリーそのものは“成長”という課程が取り入れられてない分、ストレートに話を持って行けたし、きちんと伏線も消化できていたのでバランスは結構良かった。作画もかなり力が入っていたので、大人も観られる子供用アニメと割りきれば、安心してみられる作品だった。 ただ、「安心」というのはイコールで「個性がない」と言うことにもつながってるわけだが。まあ、こんなもんだろう。 |
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ドラえもん のび太とふしぎ風使い | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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台風が町を襲った翌日、のび太の家に不思議なつむじ風が舞い込んできた。意志を持つその台風の子をのび太は“フー子”と名づけてかわいがる。次第に力を増していくフー子を思いっきり遊ばせるために、のび太たちはどこでもドアで大平原に連れて行こうとするのだが、突然どこでもドアから吹いてきた風に吸い込まれてたどり着いたのは、風をあやつる「風使い」たちが住む“風の民”の村だった。そして、風を有効利用する“風の民”と風を支配しようとする“嵐族”との対決に巻き込まれていく… 前年の『ドラえもん のび太とロボット王国』が、虫酸が走るほどの駄作で、こりゃもうこのシリーズもお終いだ。とか思っていたのだが…意外なことに本作は結構悪くない。しかし、逆に考えるとなんでだろう?と思えてしまう。少なくとも前作を糞味噌に言っておきながら、本作をそこそこ評価してしまって、理由が付けられないと自分が許せない。 それで考えてみよう。 先ず本作は説教臭くない。明らかに方向性はエンターテイメントに向いてるし、文化を破壊したり、あるいは再建しようなんてものもないので、その分素直に楽しむことが出来ること。 もう一つは、キャラクターに絡むと言うのもあるだろう。初期劇場版ドラえもんの良い部分は、登場人物の誰かが精神的な危機を乗り越える描写があったことだった。それにまさるものではないけど、ここでのスネ夫の描写はそれを思い出させるものがあったこと。 他にこれは定番かも知れないけど、命を投げ出す描写があったことか。最後のフー子の特攻は、ベタだけどやっぱりぐっと来る…ああ、私がこの作品気に入った訳が分かった。特攻好きな私にピタっと来たことだ(笑) …なんか決着が付いてしまったな。要するに、私はとても単純な人間だったと言うことだ。 |
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ドラえもん のび太とロボット王国 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002日本のヒット作第5位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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のび太はスネ夫が持つロボット犬、アソボが羨ましくて仕方がない。それでドラえもんに黙ってこっそりと未来からロボットを取り寄せるが、そのお陰で町は大混乱に陥ってしまう。しかし、その中に時空の歪みに巻き込まれてしまった遠い星のロボット王国から逃げてきたポコがいた。ロボット王国はかつて人間とロボットが仲良く平和に暮らしていたのだが、ジャンヌ女王は、ロボットから“感情”を抜き取り、奴隷として道具に改造し始めていた。のだ。ポコと出会ったのび太たちは彼を助けるため、時空を逆に辿りポコが暮らしていた地を目指すのだが… 国民的アニメとして、世界中に配信されてる名高い『ドラえもん』だが、この作品ではテレビ・シリーズと劇場版で大きな違いがある。 テレビ・シリーズではのび太の世界は閉鎖している。ジャイアンはいつも暴れん坊だし、スネ夫は嫌味な奴、しずかは博愛精神に溢れ、優しい女の子として。毎回物語はこの輪の中で行われる。ドラえもんが取り出す未来の道具に振り回されながら、人間関係は決して変わらないし、まるで無限連鎖のように毎回毎回同じ物語が繰り返される。 テレビ・シリーズの場合はそれで問題はない。ルーティン・ワークこそが長く続けられるコツなんだから。 だが、一方劇場版になるとこの輪は崩れる。何ものかが外からやって来て、そしてみんなは町から離れ(つまり輪から逸脱して)外に出て行くことになる。毎回ドラえもんの映画は全くこのパターンを崩すことなく話が展開する。 この場合、どう外の世界を描くか、ではなく、どうやって一回一回彼らに個性を持たせるか。と言うのが重要になっていくはずなのだが、とんでもないことに、近年の作品はこれをテレビ・シリーズと同じようにルーティン・ワークにしてしまってる。つまり、わざわざ外に出て行ったのに、やってることは少しばかり大きな輪の中から出ていないのだ。これは凄い。毎回シチュエーションは違えど、他の世界に出かけ、色々苦労をした末に、乱れた国を直してハッピー・エンド…全ての映画でそのパターンを使ってる。これはもう、視聴者を馬鹿にしてるとしか思えない。続けることが重要なんじゃないだろ?折角金出して観る映画なんだから、シチュエーションじゃなくて、内容を変えないと意味がないはずなのに。 特にその中でもこれは駄作。いや、それを超えた恐ろしい映画だと思う。 外宇宙のキャラクターが人間と殆ど変わりないとか、日本語をしゃべってるというのは仕方ないとしても、先ずそこに出てくるキャラの名前にチャペックという人物が出てきた時点で乾いた笑いが出る(カレル=チャペックは世界で初めて“ロボット”という名前を使った作家)。勿論知ってるからやってるんだろうけど、外宇宙の人間だろ?一応は。 更に凄いのは「感情を持ってるのは人間でもロボットでも同じだ」という考え方。SF作品では定番とも言えるテーゼなのだが、これを何の衒いもなく、単純に正義として考えてるのは、なんぼなんでもやりすぎだろ?要するに虐待する人間は全部悪であり、それによって被害を受けていればなんでもひっくるめて善になってる。あまりに単純且つ酷い二元論に陥らせてる。この偽善的な正義の押しつけにはちょっと寒気さえ覚えた。 大人は子供に対して責任を持つはずなんだが、その責任を“正義”という名の下に、様々な価値観を無視して押しつけるのだけはやってはいけない。 こりゃ、下手すれば洗脳映画になってしまう。マジで子供にこれを観せるの?恐ろし過ぎる。 |
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ドラえもん のび太と翼の勇者たち | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ドラえもん のび太の太陽王伝説 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ドラえもんのひみつ道具「生命のねじ」を使って馬のぬいぐるみに命を吹き込んだのび太はその馬に「パカポコ」と名付けた。しかし乗馬の練習の場所がなく、どうするかを考えていたところ、22世紀に戻っていたドラえもんが偶然福引の小惑星引換券を持ってくる。そこに牧場や町を作ろうと考えた二人は次々に小惑星を試すが、最後に見つけた人が居住可能な大きな小惑星を手に入れることが出来た。仲間達を誘い、その小惑星に生命のねじで作ったおもちゃ達と共に都市を建設し始め、ついに「ねじ巻き都市」を作り上げる。おもちゃ達の楽園が出来たと喜ぶみんなだったが… 実質的に藤子・F・不二雄の最後の作品で、脚本を途中まで書いていたとのことなので、文字通りの遺作となった物語。 設定と大意はあらかじめスタッフに伝えてあり、そのまま藤子・F・不二雄の構想通りに作られたようで、箱庭感と壮大感が面白い具合に噛み合った話にはなっていた。 そもそも藤子・F・不二雄は独自の世界観があって、ちょっと一般人の感性からずれたところに面白みがあって、それがピタッと合うととてつもなく面白くなる。この感性というのは、日常の延長にSF設定があるということで、ちょっと一歩踏み出せば、そこは既に異常空間という感じという感じと言うべきか。松本零士の世界観に通じるものがあるかもしれない。 本作はその意味で非常に藤子・F・不二雄の世界観を表しており、遺作として考えるならば、最もそれっぽい作品だとも言えよう。 問題として、枠組み自体は面白いのだが、内容が見合わなかったということだろうか。話の展開がぬるすぎた。一時間程度なら持つが、それ以上になるとかなり退屈なものになってしまった。 多分それは壮大感が全くなかったことが問題だろう。世界の危機とかではなく、箱庭が壊されるかどうかという小さな問題に過ぎなかったし、ここに住む住民達もそもそもAIによるかりそめの命なので、ストーリーがままごとじみてしまった感がある。それこそが藤子・F・不二雄の狙いだったのかもしれないが、かなり退屈な話になってしまった。 |
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ドラえもん のび太と銀河超特急 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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いつも通りスネ夫がミステリー列車の切符を取り出し、のび太だけ連れて行かないと言い放ったその夜。22世紀に帰っていたドラえもんが、22世紀で大人気の銀河ミステリー列車の切符を手に入れてきた。喜んだ二人はそれに乗り込むが、それは宇宙を旅する列車で、その光景にすっかり魅了されたのび太は、旅の途中で途中下車して現代に戻り、仲間達に自慢を始める。そんな話を聞かされて我慢出来なくなったみんなはのび太に頼み込んで、一緒に行くことになるのだが… 丁度当時流行っていたミステリー列車を題材に、宇宙を舞台にした壮大なスペースオペラを目指した作品。 ただ壮大な話のはずだが、街の片隅で起こったような小さな話になってしまった感じ。そもそもが銀河を走るミステリー列車の設定がそのままパクリのようなものだし、話のメインは列車よりも目的地の遊園地の方にあるので、あまりバランスも良くない。正直パワー不足を感じる作品だった。テレビサイズで作られても良かった程度の薄い脚本で、大変残念な思いを抱く。 この年、原作者の藤子・F・不二雄が亡くなったため、本作の脚本が遺作となるのだが、想像するに、関わったのは最初のプロットまでで、そのプロットをあまりいじらずに映画にしてしまったのではないだろうか?脚本の練り込みと広がりがなさ過ぎるのも、そう考えると意味を持ってくるのだが。 あと細かいネタだが、内輪受けというか、劇場版とテレビ版のキャラの違いを揶揄するような台詞が出ると気持ちが削がれる。 |
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忍たま乱太郎 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ドラえもん のび太の創世日記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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夏休みの自由研究に行き詰まっていたのび太たちは、ドラえもんのひみつ道具「創世セット」で新たな宇宙を作り、地球型惑星の歴史を観察することにした。そこで出来上がった新地球に人類も誕生し、それを観察していく内、その中にのび太によく似た人間を発見したのび太は感情移入してもいた。のび太は自分に似た人間たちについ肩入れし、奇跡の力を駆使してその部族の文明を高めるのだが、実はそれはこの世界の正当な歴史を歪めてしまう結果となってしまった。本来地上に君臨するはずだった昆虫人は、人類に対する恨みを募らせて地下に潜伏しており、ついに地上への侵攻を開始し始める。その矢面に立つのはのび太そっくりの野美のび秀だった。 ここまでのシリーズで、特に藤子・F・不二雄が脚本を書いた話は明確にSFっぽい話になるのが特徴だが、これこそ究極のセンス・オブ・ワンダー。ドラえもんの秘密道具を使えば何でも出来ると言うことを最も端的に表したことで、なんとここでのび太は神になってしまった。創造主にして世界で最も強い存在になった場合、人は何をするのかというシミュレーションになっているのは確かで、明確な敵もなく、更にいつもの仲間達のサポートもないこれまでにない不思議な物語が展開する。 ここでのび太は自分が作り上げた地球の管理者となるのだが、平等とは全く縁遠い性格で、自分の好みの生物に徹底的に肩入れして進化を歪めてしまった上に、本来進化すべき生物が登場したらパニックに陥ってしまって、最終的に彼らを押しやってしまう。とても身勝手な神様だ。 いつもの作品を期待すると肩透かしを食らうけど、これはこれでなかなかに興味深い。 これは現実の政治や、戦争構造のプリミティブな形なので、これを観て、最も正しい解決の方法とは何かと考えさせるにはぴったりで、幼少時の思考実験の教材になり得る作品でもある。 作品そのものはさほどの出来ではないとは思うのだが、単なるつまらないでは終わらない奥が深い話でもある。 |
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ドラえもん のび太と夢幻三剣士 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ヒーローになった夢を見たのび太は、現実ではあまりに辛いため、せめて夢の中で良い思いをしたいとドラえもんに泣きつく。ドラえもんはそんなのび太に呆れながらも、カセットを入れることで自分の好きな夢を見られるひみつ道具「気ままに夢見る機」を出してくれる。寝てる間だけはヒーローになれると喜ぶのび太だったが、奇妙な老人から「知恵の木の実」を与えられるのだった。その夜、「夢幻三剣士」のカセットを使って夢の中に入り込んだのび太は、そこ「妖霊大帝オドローム」に侵略されかけているユミルメ国を救う伝説の剣士ノビタニヤンとして冒険する。 シリーズの中ではかなり異色作となった本作。この話はコントロールされたのび太の夢の話なのだが、完全に夢の中の話で、本作でのび太と行動を取る仲間達も基本的には全員夢に出てきたキャラとなる。だからここに出てくるしずか、ジャイアン、スネ夫は本人ではなくのび太が夢で作ったもの。のび太と共に冒険をするのがドラえもんだけという唯一の作品となる。しかも夢だけあって、全員扱いが悪いので、のび太とドラえもんだけで話を引っ張っている感じ。 でも実際それはそれで良かったと思う。これまでのドラえもん映画のパターンであった友情と力を合わせることで困難を乗り越えるというお約束を外したことで、ストーリーの可能性を広げてくれた訳だから。 作品そのものが小品と言った感じで、可も無く不可も無くというのがちょっと残念。折角お約束から自由になったのだから、もう少しはっちゃけた異色作に仕上げた方が面白かったと思う。スタッフの方にもう一歩踏み出す覚悟がほしかった。 |
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ドラえもん のび太とブリキの迷宮 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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酔っ払ったパパが間違って登録してしまったブリキンホテルから送られてきたトランク。のび太がそれを開けたところ、門が現れ、そこからブリキンホテルに入ってしまった。至れり尽くせりのサービスに、すっかりくつろぐのび太とドラえもん。しかしひょんな事からホテルの地下で不気味な声を上げる扉を見つけてしまう。慌てて家に帰ったのび太だが、ドラえもんが一人ブリキンホテルに残してしまった。 80年代には大変質が高かったドラえもんのシリーズだが、90年代に入るとだいぶ質的に落ちてきた。長くなると仕方ないのだろうが、ストーリーそのものは普通に問題はないのだが、設定的に投げやりになってるというか、底が浅くなった感がある。本作がそれを顕著に示しているだろう。 何度も言うが、ストーリー自体は問題はない。ただ、本来あってしかるべき説明部分がなくなったことと、キャラの性格が都合良く変えられてしまったことに違和感を覚えてしまうのだ。 具体的には本作にはのび太がドラえもんを見捨てるシーンがある。ストーリー的には必要な措置なのだろうが、これまで出来上がっているのび太とドラえもんの関係性がおかしい事になってしまってる。確かに原作でののび太は調子良い性格だし自分の事を最優先に考える傾向はあるが、アニメ版はそこが比較的違っていて、友人を裏切ったり、少なくとも行方不明になったドラえもんを放置するようなキャラではない。むしろここでののび太の性格は原作版(の初期)のものに近いが、それが違和感になってしまい、最後までそれを引きずってしまった感じだ。 小さな島の出来事だと思ってた舞台が実は宇宙を巻き込む大きな物語になるという、途中から一気に世界が広がる構成は面白くて、この辺の風呂敷の広げ方が良いので、駄作とまでは言えないが、相当アンバランスな作品になってしまったというのが正直な感想ではある。 |
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ドラえもん のび太と雲の王国 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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雲の上に天国があると信じていたのび太はジャイアントスネ夫にそれを馬鹿にされてしまった。それを知ったドラえもんは雲を固定化するガスを使って雲の上に理想の国を作ろうと提案する。やがて王国は完成したが、風に流されて槍ヶ岳に不時着してしまった。その極寒状態の頂上でなんと凍死しかけた一人の少年と絶滅したはずの生物グリプトドンを発見する。 映画版「ドラえもん」は冒険譚が最も多いが、創造系というか、一から国を作るような話も結構多い。有名なものでは『ドラえもん のび太の日本誕生』があるが、本作もまたその代表作の一つと言えるだろう。 個人的には純粋な好みの作品ではないが、本作の設定はなかなか面白い。 最初に雲の王国を作る際、のび太がやったのは株式ファンドだった。そんなに複雑なものではないけど、会社とかの設立には重要な要素をきちんと描いたのは面白い。恐らく概念ではなく実際に運用するものとして描いた唯一のアニメーションではないかとも思う。その後雲の王国を作るのだが、設立から社会的インフラと政治形態を作り上げ、運用まで考えて作られた。劇中には裁判についても描かれており、これらの部分は子どもにきちんと説明していけば、社会の勉強にもなる。 そして始まった雲の王国が内乱と他の国との戦争を経て崩壊するまでを描くことで、一国の興亡史となっているのが面白い。 更に古代史文明の生き残りやらまで入ってくるので、話が随分盛りだくさん。枠組みだけ見れば大作だし、これだけで映画三本分くらい作れる内容を持っていたが、その内容の厚さがネックになった。全体的に薄めの物語が設定についていってない。 薄めに作らないと設定を受け止めきれなかったのかもしれないけど、勿体ないことだ。設定の良さを受け止めきれる脚本を用意出来ていれば傑作にもなったのにな。 |
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ドラえもん のび太のドラビアンナイト | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ドラえもんの道具で絵本の中に入って遊んでいたのび太としずか。だがその道具のことを知ったジャイアンとスネ夫は絵本をゴチャゴチャにしてしまった。それでしずかが絵本の中に取り残されてしまい、しかも絵本を散らかしたことに起こったママによって大半の本が燃やされてしまった。しずかがまだ生きていることに賭け、現実世界から絵本の世界に入る方法を考えるドラえもんとのび太は中世のアラブ世界に向かう。 劇場版「ドラえもん」はいろんな形で未開の地や異世界に行くもので、そのバリエーションも豊か。様々な形があるが、その中で最もユニークな方法があるとしたら本作になるかと思われる。なんせこの話、しずかが消えたのは舞台は物語の中なのだが、ドラえもんでも行き方が分からず、ほぼ行き当たりばったりにタイムマシン使ってその時代に行って、偶然から物語の世界に入り込んだというものだった。科学もへったくれもないという話になっていた。 そう言う事もあってか、本作はこれまで以上に話の先が見えない。意外に次ぐ意外でとても楽しめる話になっていた。砂漠で迷って野垂れ死にそうになる命の危機(前々作『のび太の日本誕生』とモロかぶり)、当時の人権問題と現代とのカルチャーギャップ、更に科学を駆使するシンドバッドとか、設定は相当カオスなものになった。 シンドバッドの使う道具はとても科学的で、実際の未来世界の道具とも関連しているので、絵本の中という設定がかなりごっちゃになってしまった。設定で言うならかなり中途半端というか、説明不足が過ぎた。 根本的なツッコミを一つ。 本作はしずかが絵本の中に入ってしまって、更にその絵本が燃やされてしまったことで行方不明になってしまうのだが、タイムマシンかタイムふろしき使えば、燃やされた本を復活させられて全て解決できてしまうという根本的問題がある。何故それが出来ないのかという説明を入れないといかん。 ところでこの作品に登場するハールーン・アッ=ラシードは実在の人物で、千一夜物語に登場する王様のことだが、少なくともアラビア圏以外の映画で彼が登場したのは本作が唯一だと思われる。 |
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ドラえもん のび太とアニマル惑星 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ある夜、裏山でのび太とドラえもんはピンクのもやを発見する。うっかりそのもやに入ってしまったのび太は見知らぬ森に迷い込んでしまった。そこにいたのは人間そっくりの体と知性を持つ動物たちだった。再びもやを潜ることで元の世界と行き来できることが分かったのび太はドラえもんと共に再びその森を訪れ、チッポという犬人間と知り合う。そしてここが地球ではないことを知ってしまう。 劇場版シリーズの特徴の一つである、異世界の危機にのび太達が干渉して平和をもたらすという話。 正義の主人公が正しい陣営に味方して異世界を平定に導く。このパターンは60〜90年代にハリウッドで量産されたパターンで、日本のアニメでもそれなりに作られてる。 ただ、これには絶対なる正義というものが前提になければならない。その前提とは、基本的にハリウッドでは“自由意志”であり、“民主主義”である。それは時代の産物で、共産主義に対抗するためにアメリカが作り上げた一種の幻想世界だった。幻想だからこそ映画では絶対的正義としてのテーゼとして設定される。その理想世界のために戦うことが主人公の義務であり、それを教えることも義務となっている。 日本の場合もそれに準じるが、それに加えて“平和”のウェイトが高いのが特徴となる。戦いは火の粉を払うために仕方なく行うものであり、戦いが済んだら勝手に平和になることが前提となる。むしろこども向きであるなら、平和こそメインの争点となる。 分かりやすい正義がそこにはあるが、ある意味ではこれは正義の押し売りになってしまうし、本来の歴史を歪める所業ということもあって、今では作られにくくなっている。 そんな古い時代のテンプレの代表作と言って良いのが本作だろう。ある意味見事なテンプレを見せられるので、時代というものを知るのにとても重要な作品でもある。 念のために言っておくと、多少反発は覚えるものの、決してこれ嫌いだと思ってない。確かに今はもう作られなくなった設定だが、実際ここに挙げた三つの項目は重要だし、それをストレートに描く映画は必要だとも思ってる。逆にこの作品が現代とずれてきていることに危機感を感じるものでもある。 |
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ドラえもん のび太の日本誕生 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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それぞれの理由から家出を決めたドラえもん以下のび太、ジャイアン、スネ夫、しずかの五人は誰も追ってこれない古代の日本に行くことにした。七万年前の日本でのびのび遊んでいたが、やはり家も恋しくなり、定期的にここに来ることにして一旦現代に帰る。ところが古代から一人の少年が偶然に時空乱流に巻き込まれて現代に現れた。その少年ククルから集落の危機を聞いたのび太は彼の集落を助けようと考える。 1989年邦画興行成績2位。映画「ドラえもん」では長らく観客動員数1位をキープした大ヒット作(この記録を破ったのが『ドラえもん のび太の宝島』(2018)で、実に30年本作がトップだった)。 この作品が大ヒットしたのは、ここに登場する遮光器土偶の姿をしたツチダマや黒幕ギガゾンビの名前が長らく語られていたことからも分かる。この名前は恐らく劇場版で最も有名な名前だろう。度々その名前を目にしたことがあるくらいで、劇場キャラではかなり有名なゲストキャラになる。 この作品の特徴としては前半はかなり脳天気な展開で、子どもらしいわんぱくな考えで話が展開していくのだが、後半から一転してシリアスとなる。 特に後半の雪山のシーンではのび太の死(?)まで描かれる事になった。これまでのシリーズの中で初めて死の概念が入り込んでるのも衝撃で、それも大きな特徴となっている。本作が話題になったのも、その衝撃あってのことかもしれない。 物語のバランスも良く、テンポ良く世界中を駆け回りつつ、アクションもこなす。完成度で言うならば確かに名作と言って良かろう。 ただ、死にかけたあまりに都合良く助かったり、ラストのギガゾンビとの戦いが思ったほど盛り上がらなかった印象もあって、私自身はそこまで興奮しなかった感じ。 あと、時間を用いたネタがちょっと滑り気味だったので、もうちょっとだ丁寧にすれば名作と感じられただろう。 |
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ドラえもん のび太のパラレル西遊記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ある日のび太は自分が孫悟空になって妖怪を倒す夢を見た。翌日学校の劇の会議があり、のび太の提案で「西遊記」をやることになった。孫悟空を演じたかったのび太だが、孫悟空役は出木杉が演じることになり、のび太は村人その一になってしまう。夢で自分が孫悟空だったことを忘れられなかったのび太はドラえもんのタイムマシンを使って唐の時代の中国へと飛ぶ。そこで確かにのび太そっくりの孫悟空が空を飛んでいるのを目撃する。 これまで昔懐かしいSF作品モティーフの作品が続いてきた本シリーズだが、ここでちょっと違った方向性の物語が投入された。 本作はSFではなく過去の文学作品がモティーフとなった。そこで選ばれたのは西遊記。これは絶妙の選択だろう。西遊記は様々な作品が作られており、中にはSFもある。孫悟空が使う術が魔法のようで、それがSFっぽさを持つので、ファンタジーとSFを融合させたものが作れる。ドラえもんのシリーズにはうってつけの題材と言えよう。 この作品では基本的に本当の魔法や魔神は存在しない。ただ、ドラえもんの出した道具とタイムマシンの相乗効果で、機械が時を経ることで自我を持ち、妖怪としてのアイデンティティを持ってしまったという設定が科学的で面白い。機械が自我を持つのかどうかというテーマは古典SFでの定番の一つで、それを出したのは面白い。 ただ、西遊記というテーマにとらわれすぎたためか、その設定がやや伸び足りず、単なるモンスターになってしまったのが残念と言えば残念である。脚本が藤子不二雄やってればそっちの方でも伸びたかも? あと歴史をテーマにしているが、割としっかりした考証がなされてるのも面白い点かな。こども向きだからと言って、いい加減な時代考証ではなく、七世紀という時代だからこその描写を試みたのは良かった。 ストーリーにひねりが少なかったのと、テーマの割に小さくまとまってしまったので、もうちょっと外連味を伸ばして欲しかった感じはある。 |
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ドラえもん のび太と竜の騎士 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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のび太が思わず恐竜は今も生き残っていると言ってしまったためジャイアントスネ夫に馬鹿にされてしまった。ドラえもんのふしぎ道具で調べてみたところ、地上に恐竜はいないと判断されてしまう。ところがその直後、スネ夫は巨大な生物が川から上がってくるのを目撃してしまう。そんな折、のび太はドラえもんの道具の「どこでもホール」で地下に巨大な空洞があることを知り、みんなを誘って探検に行こうと提案する。 前作『ドラえもん のび太と鉄人兵団』のヒットを受けて作られた本作もSF要素の強い作品になった。こちらは地球空洞説という、これも昔のSFを知っている人だったらにやつけること必至のネタ。 地球空洞説は某学研雑誌では本当にあるものとして書かれていたりして、70年代の子供たちにはおなじみの概念。また恐竜の並行進化も70〜90年代にわたって醸成されたもので、この二つを合わせたものを本作のベースとした。それに本作の醍醐味である時間を用いたトリックを組み込んで、原作者の藤子不二雄(藤本弘)の大好物を合わせたものとなっていた。 SFマインドをくすぐるテーマの組み合わせと、きちんと物語が結末を迎えていることで、かなりバランスの良い作品になってる。 ただ、見た感じ前作ほど組み合わせがはまってはいなかった感はある。地下にいる爬虫類人類があまりに普通に人間と同じなので、それが観た当時違和感になっていてはまりこめなかった。爬虫類人類の常識があまりにも80年代の人類と似通いすぎているので、新味がなかった。物語を進めるためにはそれは仕方なかったのかもしれないけど、哺乳類人類とは生態から違っているのだから、常識も変わっていてもらいたかったというのがずっと残ってしまったのかもしれない。 だからなんかモヤモヤしたところが残ってしまう。『のび太と鉄人兵団』の場合は頭がオーバーフローしてしまうくらいの設定が出てきたので、その辺が全く気にならなかったのかもしれない。本作は物語をしっかりとさせたために逆に違和感として残ったのかもしれない。 |
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ドラえもん のび太と鉄人兵団 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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夏の暑さから逃れるため、どこでもドアで北極に行ってきたのび太は、落ちてきた巨大な金属の塊を発見し、調べるためにドラえもんと一緒にそれを家に持ち帰る。ところがその日から次々に金属の塊が庭に落ちてくるようになった。それを組み立てると巨大なロボットになることを知った二人はそれをザンダクロスと名付け、人間が誰もいない鏡面世界の中でロボットを完成させる。そんなのび太の前に一人の少女が現れ、ロボットのことを聞いてくる。 1986年邦画興行成績4位。かなりの好成績をあげた作品。 80年代の劇場版「ドラえもん」は大部分原作者の藤子不二雄(藤本弘)が脚本を書いているのだが、その中で最も著者らしさが出たのが本作だと思っている。 実はこの作品の設定は相当に複雑な上にほんのちょっと選択を間違えただけでキャラだけでなく地球そのものが滅ぶような綱渡りの攻防戦が描かれている。これまでの作品の中で最もタイトな話になった。 本作は地球に対する異星人の大規模侵略が描かれている。これまでの、そしてこれ以降の映画版では最もスケールの大きな話なのだが、それが町外れの一角だけで完結してしまう。地球人のほとんどが気づかれないままに終わらせるところに特徴がある。 終わってみるとスケールが大きいんだか小さいんだか分からなくなってしまうと言うのが面白くて、昔のジュブナイルってこんな感じだったと、当時のSFマインドをくすぐられる。これこそ私の世代にとってのSFなのだ。 この作品のSF設定でも、大変な分量が入っている。 一応数えてみると、宇宙からの侵略。ロボット帝国の存在。鏡像世界。創造時間に遡る時間ネタ。そして創造主の存在。特にこの世界と全く同じで生物だけはいないという鏡像世界の設定は大変興味深い。 これらはどれも60〜70年代の定番SF小説ネタで、多くの小説などで遣われているのだが、どれ一つ取っても一本映画が撮れるほどのボリュームのある設定で、それをまるごと全部放り込んでしまったここまで大盤振る舞いしたSF作品は他に考えられないくらいだ。 正直この設定使えば三本くらいの映画作れそうなボリュームがあって、到底一本の映画では収めきれない分量があるが、これだけのネタを一時間半に押し込めてさらりと受け流してしまうところに本作のスケールの大きさがある。 ただ、それだけ多量な設定の割に物語をすっきりまとめるのは無理で、物語が収め切れてないのだが、それは正しい判断だろう。 どんな物語持ってきても設定負けしてしまうし、複雑にすれば対象とする子どもが付いてこない。ジュブナイルに収めるためにはこの辺がギリギリだろう。深読みするとどこまでも深く潜れるが、表層だけでも充分楽しめる。SFマインドを受け取れればそれで良いし、そのマインドこそが新しい創造へと向かうものだ。 そして今振り返って思うのは、実写でもアニメでも良いから、こう言うSFマインドを持った作品を数年に一度で良いから作って欲しいと言うことだな。 |
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ドラえもん のび太の宇宙小戦争 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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スネ夫がパパに買ってもらったビデオカメラで映画を作ろうという話になり、みんなで公園で撮影をしていたところ、小さな模型のような宇宙船を発見する。その中にはピリカ星からやってきたという小さな宇宙人パピがいた。のび太達がスモールライトで小さくなって事情を聞いたところ、実はパピはピリカ星の大統領だったのだが、クーデターによってギルモア将軍に星を乗っ取られてしまったという。そしてパピを追って宇宙船が地球を目指してきた。その先兵隊が、体の大きさを戻すためのビッグライトとしずかを人質にしてしまう。 着実に毎年一回の公開が定番になったドラえもんの映画。この年は初めて宇宙そのものを舞台にした作品になった。 しかし実はこの話はかなり早くから原作があったのを私は知っている。他でもない『スター・ウォーズ』(1977)公開時に、パクり…インスパイアを受けた、元ネタがはっきりした短編漫画として70年代に描かれたものだ。その作品で初めてのび太が射撃の名手であるという設定が登場したと記憶している。原作の方は他愛のないギャグ漫画として仕上げられているが、それを膨らませて(更にスターウォーズ色を脱臭して)映画にしたのは面白い。 前述したが、のび太が射撃の名手という設定はテレビ版ではあまり言及がないのに対して映画版では定番になってるのが面白いが、本作が恐らくそれを印象づけることになったのだと思っている。他の作品と較べてのび太の活躍が結構目立った話になってる。 通常仲間の足を引っ張る存在ののび太がそれなりに活躍するという事は、他のキャラの比重が高いと言うことである。 本作の主人公は勿論のび太とは言え、この作品で目立ったのは面白いことにスネ夫の方だった。宇宙に出た際、メカニックを駆使してしずかを救う活躍ぶりと、文句たらたらのグダリっぷりが良い対比になっていて、のび太以上に個性を見せつけていた。 お姫様役のしずかも戦士としてきちんと戦えるのもポイントだろう。 ただ、他の星の戦争に積極的に首を突っ込んで本来向かうべき星の道筋を無理矢理変えてしまうシナリオは、今から考えるとちょっと恐い気はする。 結果としてのび太達の活躍は従順を旨とするピリカ星の住民の心に働いて、民主化のためのクーデターに発展してしまう。ピリカ星にとってはのび太達は英雄である以前に、自分たちの力で向かうべき道をねじ曲げた大罪人でもある訳だから。 今の目から本作を眺めてみると結構複雑。 |
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ドラえもん のび太の魔界大冒険 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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空想ばかりしてぼんやりしているのび太を遊びに誘ったドラえもん。二人が家の庭で見かけたのはドラえもんをかたどった石像だった。一体何でこんなものが置いてあるのか分からないまま部屋に置き、野球をしに行くのだが、のび太のせいで試合に負けてしまい、ジャイアンから責められてしまう。実はのび太はここ数日魔法使いにぼんやりした憧れを抱いており、魔法が使えるようにならないかとドラえもんに相談する。そしてドラえもんの出した“もしもボックス”で魔法を使える世界を作り出す。 1984年邦画興行成績3位。アニメとして好成績を上げたが、それは確かに本作の出来の良さがあってのこと。前作の作品『のび太の海底鬼岩城』もかなり作品の評価が高いが、本作もそれに負けてない。二作連続して初期の名作が揃った。 関係ないけど、1984年は劇場アニメ作品の傑作が多い。『風の谷のナウシカ』も『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』も『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』もみんなこの年の作品。その中にあってちゃんと個性を出しているところがさすがだ。 これまでの作品と大きく違う本作の特徴は、これがドラえもんの出した“もしもボックス”でのび太が作った世界という点。この中の話だけであるならテレビ作品の一編で終わらせることもできるだろう。しかしそこから一歩踏み出し、その“もしも”の世界が現実と接点を持ったら?という軽いメタフィクションの話になっていること。 お陰でこれまでの作品の中では最も複雑なものとなったのだが、それでちゃんと説得力持たせた物語になっている。意外性とバランスを兼ね揃えた好作と言えよう。 本作で面白いのはのび太の存在価値。現実世界で落ちこぼれののび太は別な世界に変えたら自分も変われると思っていたが、実際に魔法の世界を作ったら、そこでもやっぱり落ちこぼれというオチ。 いかに現実を変えようと、自らの存在価値は変わらないというところから始まって、そこから努力を覚えていくという過程がきちんと描かれている。のび太は決して能力が低いのではなく、努力嫌いの性格と自己肯定感の低さによるもの。それを刺激して正しく伸ばせばちゃんと成長していくというものをしっかり描いてくれた。 これはテレビシリーズでは出来ない事で、劇場版だからこそ描けるのび太の成長をちゃんと描いたところが良いし、多分その意味では本作が劇場版の中で一番上手くいった話となるだろう。 少々設定的に無理があるが、その辺は許容範囲だし、その辺の強引さが原作者の脚本の味だ。同時並行して藤子不二雄によるコミカライズもされているが、ドラえもん映画のノベライズでは唯一読んだ作品でもあった。 個人的なレベルで言うなら、この作品が一番好きかも知れない。 |
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ドラえもん のび太の海底鬼岩城 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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夏休み前。いつものメンバーで、海に行くか山に行くかで揉めていたが、ドラえもんの提案でひみつ道具のテキオー灯と人工知能内蔵の万能バギーを使って海底を歩いて海底山に登ることとなった。そこで一行はムー連邦の海底人のエル達と出会うのだが、エルの言葉によれば、海底火山の活動の影響で、数千年前に滅亡した海底国家アトランティスに残された自動報復装置ポセイドンが活動を再開した事を知る。海底のみならず地上までも焼き尽くすというポセイドンを止めに行かねばならなくなったのび太たちだが… 映画ドラえもんは特に初期作品は質の高い作品が多い。本作も又、シリーズの最高傑作との呼び声も高い作品でもある。 シリーズには珍しい事で、ここでは死者が出てくる。死者って言っても、のび太の仲間の中ではないし、人間でもないのだが(いや、一度本当にジャイアンとスネ夫が死にかけてたが)、実際に死んだのは人工知能のバギー。彼はキャラが非常に立っていた。 バギーは最初は身勝手な勝手なキャラとして登場して仲間達を混乱に叩き込んだが、そんなキャラだからこそ、自らの命を仲間のために捨てるシーンがぐっとくる訳だ。 今となってそれは一種のスタンダードな演出なのかも知れないが、当時、特に子ども用の映画作品で死を描く演出されたと言う事が一番のショックであり、だからこそ印象に残る作品となった。 結局この物語は、ストーリーそのものよりもキャラ立ちの方に重点が置かれていた気がするが、それがいい具合に機能してくれた訳だ。 物語そのものは、最初に町内から何となく始まり、友が出来、みんなで世界を救うと言ったスタンダードなものだが、考えてみると、実は本作こそがそのスタンダードを作ったものとして評価されるべき作品だろう。 |
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がんばれ!!タブチくん!! 激闘ペナントレース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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がんばれ!!タブチくん!! あぁツッパリ人生 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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がんばれ!!タブチくん!! | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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