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2011 | アイ・アム・ナンバー4 監督 | |
2008 | イーグル・アイ 監督 | |
2007 | ディスタービア 監督 | |
2006 | ザ・シールド 〜ルール無用の警察バッジ〜(6th)<TV> 監督 | |
2005 | トゥー・フォー・ザ・マネー 監督 | |
2004 | テイキング・ライブス 監督 | |
2003 | ||
2002 | THE SALTON SEA ソルトン・シー 監督 | |
ザ・シールド 〜ルール無用の警察バッジ〜(1st)<TV> 監督 | ||
2001 | ||
2000 | ||
1999 | ||
1998 | ブラック・ラン 監督 | |
1997 | ||
1996 | リバウンド 製作総指揮 | |
1995 | VR5<TV> 監督 | |
ニック・オブ・タイム 製作総指揮 | ||
1994 | ドロップ・ゾーン 製作 | |
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | 1'17 コネティカット州ノーフォークで誕生 |
アイ・アム・ナンバー4 2011 | |||||||||||||||||||||||||||||||
2011違法ダウンロードされたハリウッド映画第5位 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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イーグル・アイ 2008 | |||||||||||||||||||||||
2009MTVムービー・アワード男優賞(ラブーフ) 2009サターン作品賞 |
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シカゴのコピーショップで働く青年ジェリー(ラブーフ)は、米軍に勤める双子の兄が急死したと知らされる。失意のうちに葬儀から帰宅すると、ATMには何故か75万ドルもの振り込みがあり、しかもアパートの部屋には大量の軍事用機材が届いていた。何が起こったか分からないうちに、テロの共犯者としてFBIに捕らえられてしまう。同じ頃、ワシントンで国歌を演奏するという名誉を受けた息子を送り出したシングルマザーのレイチェル(モナハン)は、突然携帯電話の着信で、指示に従わなければ息子の命はない、との脅迫を受けるのだった。そして謎の声に導かれ、二人は出会う… スピルバーグが製作を務めて送り出したSF作品。アクションでは定評のあるカルーソー監督を起用し、秘蔵っ子であるラブーフを投入し、非常に力のこもった作品に仕上がった。 これは丁度70〜80年代に映画に目覚めた人間にとっては、結構複雑な思いを起こさせる作品だ。丁度その頃の時代、映画にもSFが入り始め、こどもの頃はその設定にワクワクしながら観て、何度も何度も何度も何度も裏切られ続けてきた。設定や思い入れは分かるんだけど、特撮部分がとにかくしょぼくれていて、がっかりさせられた作品にばかりぶち当たったものだから。だけど、それでめげずに同じ失敗を繰り返す内に、だんだんだんだん、そう言う変な作品こそが好きになっていくという、ひねくれた過程を持った人間にとっては特に…誰とは言わんが。 あの頃の自分がこれを観たらどう思っただろう?「こいつぁすげえぜ!」と思っただろうか?思ったかもしれない。だけどきっと「SF映画って本気で面白い」とは思わなかっただろう。 描写部分は極限まで細かく描かれ、派手さと言い、テンポと言い、確かに見事とは言える。緻密な設定も、単純故によく練り込まれた物語も充分に楽しめる。これはまさしく、映画に目覚めた頃の私が思い描いていた理想的な映画には違いない。 しかし、実際それが目の前に出されたとき、失望以外に覚えるものが無い自分に気付く。違うんだよな。これじゃ燃えないんだ。 多分それは、本作では監督の顔が見えなかったからだろう…いや、顔は見えているのだ。ただそれがあまりに中途半端すぎた。 昔からSFは監督の顔が一番よく見える作品だった。SFだからこそ、現実世界と切り離して監督の主張が出せたのだ。現実社会に対する徹底した皮肉も描けるし、現政権に対する婉曲した批判も出来る。何より、監督が「これを観ろ!」とメガフォンを使ってこちらに語りかけてくるような思いを受け取れた気がする…むしろ「作品よりもわたしを観て」という媚びかも?ところが本作にはそれが無い。いや、無いと言うよりも、それを主張しようとしているのがちょっとだけ見えながら、尻切れトンボに終わったようにしか思えない。 現在の情報化社会においては、その気になれば個人が何処にいるのかから、そいつを操ることさえも出来る。ということを示唆しようとしていたのかもしれないけど、それがポーズで終わってしまった。逆にその中途半端こそが最も反発を感じる部分だったのかもしれない。折角のSFなんだから、あんな終わり方にせず、何もかもぶっ壊すか、コンピュータ社会そのものを完全否定するようなオチに持っていって欲しかった。 中途半端に顔を出し、それで引っ込むなよ。出すんだったら自分を全部さらけ出せ。その結果物語が破綻したって付いてくる人間は付いてくる。カルーソーにはその覚悟が足りない。いくらスピルバーグが目の前にいるからと言って、遠慮してはいけない。これだったら物語的には無茶苦茶だった『トランスフォーマー』(2007)のベイの方がまだ思いきりだけは良かったぞ。カルーソーは物語を一旦ぶちこわして、「これは傑作だ!」と自画自賛出来るくらいになって欲しい。その中途半端ぶりが腹立つ。 多分、長くSF映画を観てくると、描写云々なんかじゃなく、その「ぶち壊しっぷり」あるいは監督の顔が観たくなってくるんじゃないだろうか?どんだけ派手にしても、まっとうに作った小さくまとまったSF作品など観たくない。 この辺は仕方ないところもあったんだろう。そもそも徹底的にスピルバーグによって仕切られ、ラブーフを映していればいい。という命令だったんだろうから。お陰でラブーフばっかり見せられ、SFの方が全然心に迫ってこない。そもそもスピルバーグがなんでこんなにラブーフの肩を持つのかが理解できない。ファンでもないので、全然嬉しくない。 後、細かいことだが、やたらヒッチコック風演出が多いのも気になる。『北北西に進路を取れ』や『三十九夜』『知りすぎた男』からの引用が多いし、大体物語そのものがヒッチコックの得意とした“巻き込まれ型”作品そのものだしなあ。そこにスピルバーグが自己流のアレンジを加えてみました。と言った感じ。結局カルーソー監督が見えてこない。 スレたSF映画ファンとしては、拳の振り上げどころに困る作品だとは言えるな。 |
テイキング・ライブス 2004 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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