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メリアン・C・クーパー
Merian C. Cooper

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Merian C. Cooper
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 本名メリアン・コールドウェル・クーパー。アメリカの映画製作者、俳優、プロデューサー。アメリカ空軍とポーランド空軍で士官を務めた元飛行士。『キングコング』でシネラマ映画映写プロセスの共同発明者として認められる。
レナード・ブシュコウスキー監督による南北戦争間期のポーランド映画『グウィアウジスタ・エスカドラ』(星降る飛行隊)は、ポーランド空軍士官としてのクーパーの経験にインスピレーションを得たもの(フィルムはソ連に廃棄された)。
ポーランド語の翻訳者で作家のマチェイ・スウォムチンスキの父親。
Wikipediaより引用
経歴
1893'10'24 フロリダ州ジャクソンビルで誕生
1911 米国海軍兵学校へ入学する
1915 兵学校から退学処分を受け、ミネアポリス・デイリー・ニュース社で記者として働く
1916 ジョージア州兵に入隊
1917 第一次大戦に参加し、フランスで戦闘機乗りとなる
1919 ポーランド・ソビエト戦争に従軍する
1920'7'18 乗っていた戦闘機が撃墜されソ連の収容所に入れられる
1921 ポーランド軍事勲章の最高位であるヴィルトゥティ・ミリタリ勲章を授与された
船員となって乗船した船が海賊に襲われる事件が起きる。
1927 パン・アメリカン航空の役員となる
1930 『キング・コング』企画段階から関わる
1933 パイオニア映画を設立に協力する
映画女優のドロシー ジョーダンと結婚
1935 パン・アメリカン航空を退社し、映画一本に絞る
セルズニック・インターナショナルを設立
1936 パイオニア・ピクチャーと合併し、副社長に就任する
1937 映画駅馬車(1939)に関する意見の相違によりセルズニック・インターナショナルを辞任しMGMに入社する
1941 主にアジア地域での戦闘で戦闘機を用いて参加する
1952 アカデミー栄誉賞を受賞する
1960 ハリウッド ウォーク オブ フェームのスターを受賞
1939 陸軍に復隊する
1942'10'25 香港の九龍埠頭の爆撃に参加する。
1945 太平洋戦線で准将にまでなる。日本の降伏調印式にも参加している。
1946 ジョン・フォードらと独立製作会社アーゴシー・ピクチャーズを設立。以降フォードのプロデューサーとなる
1952 米アカデミー名誉賞受賞
1973'4'21 死去
5+
キング・コング
4+
3+
2+
個人的感想
年代
1973 4'21 死去
1972
1971
1970
1969
1968
1967
1966
1965
1964
1963
1962
1961
1960
1959
1958
1957
1956 捜索者 製作総指揮
1955
1954
1953 太陽は光り輝く 製作
1952 静かなる男 製作
1951
1950 リオ・グランデの砦 製作
1949 猿人ジョー・ヤング 製作
1948 三人の名付親 製作
アパッチ砦 製作
1947 逃亡者 製作
1946
1945
1944
1943
1942
1941
1940
1939
1938
1937
1936
1935 洞窟の女王 製作
ポンペイ最後の日 製作
1934 異世界から来た男 監督
1933 キング・コング  アーネスト・ボーモント・シュードサックと共同監督・製作
空軍の覇者 製作総指揮
間諜K十四号 製作総指揮
コングの復讐 製作総指揮
空中レヴュー時代 製作
1932
1931
1930
1929 四枚の羽根 監督・撮影
1928
1927 チャング 監督
1926 地上 監督
1925
1924
1923
1922
1921
1920
1919
1918
1917
1916
1915
1914
1913
1912
1911
1910
1909
1908
1907
1906
1905
1904
1903
1902
1901
1893 10'24 フロリダ州ジャクソンビルで誕生

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レビュー
キング・コング
King Kong
1991アメリカ国立フィルム登録簿登録
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アーネスト・ボーモント・シュードサック(共)
メリアン・C・クーパー
アーネスト・B・シュードサック
デヴィッド・O・セルズニック(製)
ジェームズ・アシュモア・クリールマン
ルース・ローズ(脚)
フェイ・レイ
ロバート・アームストロング
ブルース・キャボット
フランク・ライチャー
サム・ハーディ
ノーブル・ジョンソン
ジェームズ・フラヴィン
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 独自の画風で知られ、極地での撮影を得意とする映画監督のデナムは、危険を顧みずに伝説の生物を撮影するため、地図にも載っていない南海の孤島髑髏島に向かう。だが、彼の見つけだした映画のヒロイン役のアン(レイ)は島の先住民に誘拐されてしまう。彼女を救出するため、船員達と彼女の恋人ドリスコルは島の奥地へと向かうが、そこは恐竜と怪物コングが生息する前史の世界だった。その中でドリスコルはなんとかアンを取り戻し、更に追ってきたコングはデナムのガス弾で仕留められる。やがてニューヨークに連れてこられ、見世物にされるコング。彼の怒りが爆発するとき…
 特撮、殊に怪獣映画が好きだというなら避けて通ることの出来ない、怪獣映画最初にして最高傑作(円谷英二がこの作品にリスペクトした形で『ゴジラ』(1954)を創り上げたのは有名な話)。コマ撮りアニメーションの合成で見事にコングの巨大さ、緊張感、そしてコングと人間の哀しみを描ききった所にこの映画の凄さがある。通常B級とされる題材を名作にまで引き上げた重要な映画の転換点でもある。
 監督及びプロデューサーであるクーパーの元々の構想は本物のトカゲを使っての恐竜映画を考えていたそうだが、『ロスト・ワールド』(1925)のストップモーション技術を見て、急遽予定を変更したそうな。お陰で物語中盤にいたり、多量の恐竜を出すことが可能となった。いわば二つの映画が合体して作られた映画と言える。お陰で中だるみなしに見事なアクションを展開させることが可能となった。
 怪獣ものの映画を観るに際し、私は怪獣は単なる暴れ者ではなく、何かしらそれ以外に引きずっているものが欲しいと思っている。むしろ私が怪獣映画を観る際は、その引きずっているものを中心に見ようとしている
 しかるに、この作品は当初単なる暴れ者にしか見えなかったコングが髑髏島では人間の女性のために戦うし、ニューヨークでのあの暴れっぷりは、あれ程の破壊をしつつももの哀しささえ覚える、と言った付加価値を非常に強く引きずっている。ラスト、飛行機の機銃掃射で瀕死となったコングが、アンを離し、愛おしむよう手をかざすところは本物の名場面だ。
 結局彼は人間のエゴによる被害者でもあった。その中で唯一縋れるものとして、髑髏島での花嫁、アンを求め、彼女の身を気遣いつつエンパイア・ステートビルから落下していく。このコングの姿の描写は、実に素晴らしい。彼は彼の常識でしか生きることが出来ず、それを矯正しようとした人間のエゴによって死んでいったのだ。凶暴さと哀しさとの両立。だからこそ、コングは輝きを失わないのだろう(実生活でもこんな人間って結構いるよね?)。どう考えてもサイズの合わない女性を守ろうとするなんて、泣かせる演出じゃないか。
 この映画のもう一人の主人公であるアン役のレイは、映画史初のSQ(スクリーミング・クイーン)として有名であるが、ラストに呟かれる「美女が野獣を殺した」という台詞によって、実は彼女はヒロインではなく、本当に物語の中心であったのだ。と思わせる演出は見事と言うしかない。それと演出の重要な点として本作の音楽の素晴らしさも挙げておくべきだろう。本作のスコアはマックス=スタイナーによるもので、100分の上映時価の内、なんと75分のオリジナル曲を用意したとか。映画館の臨場感のなかで観たら、どれほど感動できたか…痛切にそれ、やってみたいと思う。

 以降は蛇足
 この作品であまりにも有名になってしまったためキング・コング(King-Kong)のコングとは「猿」若しくは「ゴリラ」を表す英語だと思っていたのだが(私だけ?)、実は造語。意外なことに語源は“金剛(Kinkong)”なのだそうだ。
 この映画に関しては、公開当時は“残酷だ”との理由でいくつかのシーンがカットされていた。コングが花嫁となったアンの服をあのぶっとい指で剥ぎ取るシーンと、コングが人間を襲うシーンの一部(現地人を踏みつぶし、噛みつぶすシーン)は1971年になって残っていたフィルムを補完して復元された。ただし、唯一、丸太から振り落とされた男たちがクモガニ(クモとカニを足した姿の生物)に襲われるシーンだけはフィルムが残っておらず、カットされたままらしい。半ば伝説となったそのシーン、観てみたいものだ(このシーン、後にジョークとしてピーター・ジャクソン監督が作ってわざと流出させたなんてのもあったが)。
 本作はオリジナルの劇場上映作品としてはフィルムが少なかったためにさほどの儲けは記録していないのだが、その後1952年に再公開したところ大ヒットし、その後さらにテレビ用にマスターを貸し出したら、全米で大ヒット。劇場でよりもテレビの方で大きく設けた作品だった。
 オブライエンは生涯にわたり、この作品を愛し続け、生涯最後の企画として『キング・コング対フランケンシュタイン』を企画するのだが、その実現を見ることなく、彼は他界する…その企画は紆余曲折を経、東宝の手に入り、本作の大ファンである円谷英二を経て(資料用としてフィルムも保有していたそうだ)、本多猪四郎監督による『キングコング対ゴジラ』(1962)が出来上がったという事実もあり。
製作年 1933
製作会社 RKO
ジャンル 特撮
動物(猿)
売り上げ $670,000
原作
キング・コング <A> <楽>
エドガー・ウォーレス (検索) <A> <楽>
歴史地域
関連
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
It was beauty that killed the beast(美女が野獣を殺した)
キング・コング入門(書籍)神武団四郎

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