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1930年代 - 1960年代を代表するアメリカ合衆国の映画監督。本名はジョン・マーティン・フィーニーだが、デビュー時はジャック・フォードを名乗り、その後ジョン・フォードという名前で固定化する。後年しばしば本名のゲール語形であるショーン・アロイシャス・オフィーニーあるいはオファーナを名乗った。
136本もの作品を監督し、西部劇や自身のルーツであるアイリッシュを好んで描き、情感豊かな作風から詩情豊かな映像の詩人[要出典]と評された。 アイルランドにルーツがある映画人は多く、「エメラルド島仲間」と呼ばれる。その筆頭とされる。 |
Wikipediaより引用 |
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西部劇で知られる監督だが、最初に監督の凄さを知ったのはわが谷は緑なりきから。それで興味を持って意識的に観始めたが、やはり駅馬車は圧巻。
作品としてはやはり西部劇が中心となるが、キャリアの最初から終わりに掛けて少しずつテーマが変わっているのも見て取れる。
私にとっては「外れ」と言える作品が一本もない希有な映像作家でもあった。 |
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シャイアン
Cheyenne Autumn |
1964米アカデミー撮影賞 |
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ジェームズ・R・ウェッブ(脚)
リチャード・ウィドマーク
キャロル・ベイカー
ジェームズ・スチュワート
アーサー・ケネディ
エドワード・G・ロビンソン
カール・マルデン
ドロレス・デル・リオ
ハリー・ケリー・Jr
ジョン・キャラダイン
ビング・ラッセル |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
3 |
3 |
3 |
3 |
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故郷イエローストーンから、白人が勝手気に決めた居留地に強制移住されたシャイアン族だったが、約束の土地が与えられることもなく病気と飢えのため、既に2/3の人数が失われていた。酋長達は相談の上、生き残った同胞を連れて故郷に帰ることにした。その脱出の報に、合衆国警備隊が追跡を開始する。その中にはシャイアンに同情を寄せながら、警備隊を率いなければならないアーチャー大尉(ウィドマーク)がいた。しかも移動するシャイアン族には、彼のあこがれの君デボラ(ベイカー)が同行しているのだった…
西部劇の代名詞とも言えるフォード監督が、これまでとは全く違った観点で描く西部劇にして、70ミリ大型スクリーンで上映された最終作。ここには痛快さも無ければ、明確な盛り上がりもない。全くフォード監督らしくない作品なのだが、これまでひたすら開拓者の観点でのみ西部を描いてきた監督だからこそ、最後に先住者の視点で西部劇を描いてみたかったのだろう。かつて『黄色いリボン』でフォード自身が、身勝手な存在として居留地を出て行ったネイティブの存在を改めて再構築したものとなっている。
ハリウッドのメジャーとして長らく君臨してきた西部劇も、この当時はすっかり斜陽化していた。これまでフロンティア精神に溢れていたアメリカの精神も、冷戦構造を前にして閉塞状況を呈しており、明確な勧善懲悪ものの作品が作られにくい状況になってきたし、人権問題も浮上してきた。そんな時代に合わせたからこその投入となったのだろう。時代がそれを呼んだとも言える。事実本作は興行的には振るわず、同時期のマカロニに押されてしまったのだが、これも古い型の西部劇の幕引きのためにはぴったりだったとも言える。
しかし逆に本作はその重さ故に受け入れられなかったのも事実。同じ年に始まったマカロニ・ウエスタンの明確さの方が受け入れられてしまった。この点は監督の読み違えと言うか、同じ年にこんなのが出てしまったことが悲劇というか。
ストーリーは滅び行くネイティヴ・アメリカンの行く末を素直に描き、その幕間にダッジ・シティなど有名な話を絡めているけど、幕間と本編が乖離していて小咄程度の役割でしかなかったし、笑わそうとしたにしては、ちょっとばかり無理があったかな?
いずれにせよ、ハリウッドの西部劇の一つの時代の幕引きにはぴったりの作品だっただろう。
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製作年 |
1964 |
製作会社 |
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ジャンル |
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売り上げ |
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原作 |
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歴史地域 |
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関連 |
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リバティ・バランスを射った男
The Man Who Shot Liberty Valance |
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ウィリス・ゴールドベック(製)
ジェームズ・ワーナー・ベラ
ウィリス・ゴールドベック(脚) |
ジェームズ・スチュワート |
ジョン・ウェイン |
ヴェラ・マイルズ |
リー・マーヴィン |
エドモンド・オブライエン |
アンディ・ディヴァイン |
ウディ・ストロード |
ジャネット・ノーラン |
ケン・マーレイ |
ジョン・キャラダイン |
アンナ・リー |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
4 |
5 |
4 |
4 |
4 |
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馬上の二人
Two Rode Together |
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スタン・シュペトナー
ジョン・フォード(製)
フランク・ニュージェント(脚) |
ジェームズ・スチュワート |
リチャード・ウィドマーク |
リンダ・クリスタル |
シャーリー・ジョーンズ |
アンディ・ディヴァイン |
ジョン・マッキンタイア |
アンナ・リー |
メエ・マーシュ |
ヘンリー・ブランドン |
ハリー・ケリー・Jr |
ポール・バーチ |
ウィリス・ボーシェイ |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
3 |
3 |
4 |
3 |
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バファロー大隊
Sergeant Rutledge |
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ウィリス・ゴールドベック
パトリック・フォード(製)
ジェームズ・ワーナー・ベラ
ウィリス・ゴールドベック(脚)
ジェフリー・ハンター
コンスタンス・タワーズ
ウディ・ストロード
ビリー・バーク
カールトン・ヤング
ウィリス・ボーシェイ
メエ・マーシュ
ファノ・フェルナンデス |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
5 |
4 |
3 |
4 |
4 |
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南北戦争の黒人兵にスポットを当てる |
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ギデオン
Gideon's Day |
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マイケル・キラニン(製)
T・E・B・クラーク(脚)
ジャック・ホーキンス
ダイアン・フォスター
シリル・キューザック
アンドリュー・レイ
ジェームズ・ヘイター
ロナルド・ハワード
アンナ・リー
アンナ・マッセイ
ビリー・ホワイトロー |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
4 |
4 |
4 |
4 |
4 |
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騎兵隊
The Horse Soldiers |
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ジョン・リー・メイヒン
マーティン・ラッキン(製)
ジョン・リー・メイヒン
マーティン・ラッキン(脚)
ジョン・ウェイン
ウィリアム・ホールデン
コンスタンス・タワーズ
アルシア・ギブソン
フート・ギブソン
アンナ・リー
ラッセル・シンプソン
ケン・カーティス
デンヴァー・パイル
ストローザー・マーティン
ビング・ラッセル
ハンク・ウォーデン |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
3 |
2 |
3 |
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最後の歓呼
The Last Hurrah |
1958英アカデミー男優賞(トレイシー) |
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ジョン・フォード(製)
フランク・S・ニュージェント(脚)
スペンサー・トレイシー
ジェフリー・ハンター
ダイアン・フォスター
ベイジル・ラスボーン
パット・オブライエン
ドナルド・クリスプ
ジェームズ・グリーソン
エドワード・ブロフィ
ジョン・キャラダイン
リカルド・コルテス
フランク・マクヒュー
ジェーン・ダーウェル
アンナ・リー
チャールズ・B・フィッツシモンズ |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
3 |
3 |
3 |
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捜索者 The Searchers |
1989アメリカ国立フィルム登録簿新規登録 |
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フランク・S・ニュージェント(脚) |
ジョン・ウェイン |
ジェフリー・ハンター |
ナタリー・ウッド |
ヴェラ・マイルズ |
ウォード・ボンド |
ラナ・ウッド |
ヘンリー・ブランドン |
ハリー・ケリー・Jr |
ハンク・ウォーデン |
ジョン・クォーレン |
オリーヴ・ケリー |
ケン・カーティス |
アントニオ・モレノ |
ピッパ・スコット |
ウォルター・コイ |
ドロシー・ジョーダン |
パトリック・ウェイン |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
3 |
3 |
4 |
3 |
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南北戦争からの帰還兵イーサン・エドワーズ(ウェイン)は長く留守にした、弟のアーロンが牧場を経営している故郷へと戻ってきた。だが折しもアーロンの村はコマンチ族によって狙われていた。テキサス警備隊隊長クレイトン大尉(ボンド)の捜索隊に加わるイーサンだったが、実はそれは囮で、彼らが留守にしている間、コマンチが村を襲い、エドワーズ一家は全滅していた。これがコマンチ酋長のスカーの仕業と見たイーサンは復讐と、若き姪ルシイとデビーを取り戻すため、イーサンは数人の仲間と共に旅立つ…
西部劇は数あれど、やはりその中心となったのはフォード監督で、サイレント時代から数多くの西部劇を撮り続けてきた。しかし、西部劇も徐々に様変わりしていき、フォード自身もこれまで自分自身が作ってきた西部劇に対するアンチテーゼを持つようになってくるようになった。そんな中で制作されたのが本作。内容は暗かったが、丁度朝鮮戦争下と言うこともあって、その複雑さが受けたか1956年全米興行成績10位という好成績を残している。
だが、初見でこれを拝見した時、私には否定的な思いしか抱けなかった。何でこんな差別的な人間を主人公にするのだ?とか、こんな破滅的な性格をしていていったいこいつは何をやりたかったのか?更にほとんど無意味に人が死んでいく。はっきり言って腹が立った作品だった。
…しかし、時が流れ、ようやく今ではこの作品を適正に評価できるようになった気がする。
これまで西部劇では基本的にやってなかったことを、ここでは敢えて二つ突っ込んで描いているのが本作の大きな特徴。
一つはネイティヴ・アメリカンに対する描写。ストレートな描写だと、開拓者に対する敵としてだけ描かれていた彼ら。今で言えば非人間型エイリアンのような扱いを受けてきた(と言うか、それこそ西部劇が元なんだろうけど)彼らを、きちんと人間として描いている。開拓者と政府によって追われ、居住区も転々と変えざるを得ない彼らは当然怒っている。その怒りが力弱い開拓者に向かっていくという描写に変わっていく。つまり開拓者を襲う彼らにも彼らなりの理由があるのだ。
そして主人公の描写もずいぶん様変わりしている。西部劇の定番として流れ者が町の困った人を助けるというパターンが良く取られ、本作も基本的にはそれを踏襲しているのだが、主人公は決して善人ではない。かといってアウトローかと言われれば、それも違う。ここで出てくるウェイン演じるイーサンは、見ていて極めて痛々しいのだ。彼は自分のルールに則り、徹底した差別主義者として描かれるのだが、その怒りややるせない思いはどこに向かっているのか?そう考えると本作はいろいろ腑に落ちる。
これを最初に観た時は、あまりの身勝手にどうしても共感を覚えられなかったのだが、そう考えてみると、彼の行動も納得できる。自分勝手な思いで、弟に家を押しつけて戦争に出かけ、そしてその戦争が意味のないものだったことを知ってしまった。自分はいったいこれだけの時間を使い、多くの犠牲を強いて何を得てきたのか。結局その怒りは自分自身に向けられていたのではないだろうか。しかし自分自身を罰することも出来ないがために、その怒りは周りに放射される。自分を罰するために人を傷つけていく。そうしてしか生きていけない人間だって世の中にはいるのだ。生きていて何のおもしろみもない。一日一日が自分自身にのしかかっていく重みへと変わっていくだけ。彼にとって日常は耐え難いものだろう。だから戦争が終わっても3年もの間家に帰ろうとしなかったのだろうし、家に帰っても居心地が悪いばかり。
彼にとって必要なのは、何でも良いから自分を縛る義務だった。そう考えるのなら、彼の行動原理は“家族を助ける”である必要はない。たとえそれが“家族を殺す”ことであっても、行動原理にはなり得るのだ。やってることが辛いものであるほど、自分を罰する為には適切なのだから。
ここでのウェインは本物のダーク・ヒーローであるが、そのダークさは誰の心の中にもあるものだ。何かの拍子にそう言うものがわき出てしまう時というのも、私だってある。
つまり、本作の二つ目の特徴というのは、これまで描かれることの無かったキャラクタの内面描写を、丁寧に描いている。と言うことになるだろう。人間の心は優しさや良心で詰まっているわけでない。むしろこういう衝動も心の中にはあるのだ。
こういう可能性も西部劇にはあるのだ!というフォードの主張が見えてくる。
…改めてこう書いてみると、私自身の古い傷がちくちく痛んできたような気になってきた。
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荒鷲の翼
The Wings of Eagles |
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チャールズ・シュニー(製)
フランク・フェントン
ウィリアム・W・ヘインズ(脚)
ジョン・ウェイン
モーリン・オハラ
ダン・デイリー
ウォード・ボンド
ケン・カーティス
メエ・マーシュ
エドマンド・ロウ
ケネス・トビー
シグ・ルーマン
ヘンリー・オニール
ウィリス・ボーシェイ
ドロシー・ジョーダン |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
3 |
3 |
3 |
3 |
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ミスタア・ロバーツ
Mister Roberts |
1955米アカデミー助演男優賞(レモン)、作品賞、録音賞 |
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フランク・ニュージェント
ジョシュア・ローガン(脚)
ジェームズ・キャグニー
ヘンリー・フォンダ
ジャック・レモン
ウィリアム・パウエル
ベッツィ・パルマー
ウォード・ボンド
ニック・アダムス
フィリップ・ケリー
ハリー・ケリー・Jr
ケン・カーティス
フリッツ・フォード |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
4 |
4 |
4 |
3 |
4 |
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第二次大戦末期、米海軍の輸送船リラクタント号“通称バケツ号”が、激戦地を遠くはなれた南洋の小島で輸送作業を続けていた。洗濯係のフランク=パルヴァー(レモン)や、部下から慕われている貨物係のダグラス=ロバーツ中尉(フォンダ)は、艦長と部下との調整を上手く取りつつも、自分の生きるべき場所は戦場だと信じ、幾度も前線への転属願いを出していたのだが、無能な上に部下に威張り散らす艦長(キャグニー)によって常に願いはもみ消されていた。更に乗組員全員の上陸許可を得るために転属願いを書かぬと約束させられてしまう…
トーマス=ヘッゲン、ジョシュア=ローガンによるブロードウェイのヒット劇の映画化作品(ローガンは監督も希望したそうで、それを恨みに思ったか、このフォード版を酷評してる)。1955年全米興行成績も2位と大ヒットとなった。
戦争で勝つのは兵站がしっかりしている側。バックアップがしっかりしているならば、前線の戦士達は安心して戦うことが出来る。兵站は決して目立つわけではないが、実は戦争においては最も大切な役割を担う。
これは実はかつて私が実地で学んだこと。神戸・淡路島地震でボランティアに行き、働いている者達のトイレ掃除とか配膳係ばかりさせられて半ばクサッていた私に言われた言葉だった。「忙しく働く者がいれば、彼らを助けるために後衛で彼らを助けるために待機をするものが必要なのだ」と。華々しく前面で働いている者に対し、後ろで働くことの情けなさ。ヤケさ。それが必要だと納得させても出る思い。何となく分かる気がする。
それに、勝手な上司に振り回され、愚痴を言うことも出来ずひたすら転属願いを出すロバーツの姿。これもよく分かる。何をしても怒られ、失敗すればいつまでも言われ続け、成果が出ても「もしお前が失敗したら責任取るのは私なんだからな」の一言でケリを付けられていた…泣きたくなるくらい、その立場、よく分かるぞ…お陰で身につまされる作品だった(一応冗談と受け取って欲しい。一応ね)。
やっぱり良い映画を撮る監督は笑いを取るのも上手い。その点はさすがにジョン=フォード!と言っても良いし、劇中のキャラが活き活きとしていたのは大変評価できる点なのだが(特にレモンの巧さは突出していたし、キャグニーの嫌みっぷりも堂に入っていた)本当にこれはフォードに撮らせるような脚本だったか?あまりにステロタイプな人間描写は監督の良さを完全に損なっていた。身につまされる事はあっても、映画としてみるならその人間関係はあまりに単純に過ぎる。
良い部分はたくさんあるのだが、その人間描写の薄っぺらさでどうにも高い評価は出来にくいな。
尚、本作はジョン=フォードにより監督されたのだが、撮影中に急病によりマーヴィン・ルロイに監督の座が回ってきた。出来はフォードっぽいが、ルロイ監督、それを心がけたのだろう(主役のロバーツ役にはマーロン=ブランドとウィリアム=ホールデンの名前も挙がっていたのだが、それを強引にフォンダにしたのはフォード自身。ところが撮影の際、この二人はことごとく反発しあい、フォードがフォンダに暴力を振るったこともあるという)。
『M★A★S★H』(1970)でもそう思ったが、こういう戦いが出来る国には戦争を仕掛けてはいけません。
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長い灰色の線
The Long Gray Line |
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ロバート・アーサー(製)
エドワード・ホープ(脚)
タイロン・パワー
モーリン・オハラ
ウォード・ボンド
ハリー・ケリー・Jr
ロバート・フランシス
ドナルド・クリスプ
ベッツィ・パルマー
フィル・ケリー
ピーター・グレイヴス |
|
★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
3 |
3 |
3 |
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頑固なアイリッシュ気質を前面に出した作品。パワーもこの年になってようやく渋みが出てきた。 |
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モガンボ
Mogambo |
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サム・ジンバリスト(製)
ジョン・リー・メイヒン(脚) |
クラーク・ゲイブル |
エヴァ・ガードナー |
グレイス・ケリー |
ドナルド・シンデン |
ローレンス・ネイスミス |
フィリップ・ステイントン |
エリック・ポールマン |
デニス・オディア |
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|
★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
3 |
2 |
3 |
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ゲーブルが動物捕獲員トラッパーに扮するコメディで、むしろ男女の三角関係の方が主眼に置かれている
アフリカがまだ秘境だった時代で、男の冒険心を刺激するように作られている
1953年全米興行成績8位 |
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黄色いリボン
She Wore a Yellow Ribbon |
1949米アカデミー撮影賞 |
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フランソワ・ニュージェント
ローレンス・スターリングス(脚)
ジョン・ウェイン
ジョーン・ドルー
ジョン・エイガー
ベン・ジョンソン
ハリー・ケリー・Jr
ヴィクター・マクラグレン
ミルドレッド・ナトウィック
フランシス・フォード |
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★★★☆ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
3 |
4 |
3 |
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1876年、ネイティヴ・アメリカンの一斉蜂起と、その鎮圧に派遣された第7騎兵隊の敗北により、最前線のスターク砦は時ならぬ喧噪に包まれていた。40年の間最前線で戦い続け、後は退役まで秒読み状態にはいったブリトルス大尉(ウェイン)は最後の奉公としてシャイアン族の掃蕩作戦を指揮することになった。それに先立ち、東部へ帰る隊長夫人(ナットウィック)とその姪オリヴィア(ドリュウ)を護衛して馬車駅へと向かうが、既にそこはネイティヴ・アメリカンによって焼き払われていることを知る。いよいよ退役一日前になって本格的な衝突を予感するが、ブリストルには時間がなかった。オリヴィアをめぐる恋のライヴァルであるコーヒル中尉(ジョン・エイガア)とペネル少尉(ハリー・ケリイ2世)の二人に自分の役目を明け渡す時が刻一刻と迫っていたのだ…そして退役当日。部隊の歓呼の声に送られ、ブリストルが向かったのは…
ジョン・フォード監督によるいわゆる「騎兵隊シリーズ」の第2作。第1作目である『アパッチ砦』を観て、なんだこりゃ?な印象を受けていたため、さほど期待はしてなかったけど、こっちは結構面白かった。作りそのものはよく似ているのだが、司令官の素質が全然違っていた点が大きい。ここに登場するジョン・ウェイン扮するブリストル大尉はなるだけ戦闘は避けようと最後の最後まで策略を弄し、結果的に部隊を救っている。その性格の描写が気に入った。
部隊対ネイティヴ・アメリカンという見せ場を無くしてしまった分、派手さはあまり無いが(一番の見所はネイティヴ・アメリカンのキャンプに夜討ちを仕掛け、馬だけを逃がすところ。長さにしてはほんの一瞬)、その分人物描写はきちんとなされていた。部隊を率いるものとして、損害を最小限度に抑えるため、部下を死地に向かわせねばならない事、自分に出来ることと出来ないことの狭間で悩むウェインの姿は格好良く描写できていた。歴史的な描写も良し(南北戦争後に南軍の兵士を多数受け入れた砦だから、その辺の軋轢が微妙に演出されていた(これに関しては『アパッチ砦』の方が優れていたかな?)。年代を踏まえて観ると又違った魅力が見えてくるだろう。コミカルな描写も多数取り入れられていて、バランスは非常に優れていたと思う。
コミカルな描写と言えば、本作では軍曹訳のマクラグレンが良い味出している。彼の役柄は頑固で愚直。その割にずぼらで友情に厚い。と言った感じだが、これは実はアイルランド人の典型として描かれている。アイルランド系であることを映画ではっきりと描写することの多いフォードらしい起用だろう。
スタンダード・ナンバーとなった主題歌も耳に残る良い曲だ。
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三人の名付親
3 Godfathers |
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ローレンス・スターリングス
フランク・S・ニュージェント(脚)
ジョン・ウェイン
ペドロ・アルメンダリス
ハリー・ケリー・Jr
ジェーン・ダーウェル
ベン・ジョンソン
メエ・マーシュ
ウォード・ボンド
ミルドレッド・ナトウィック
ガイ・キビー
フランシス・フォード
ハンク・ウォーデン |
|
★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
4 |
4 |
3 |
4 |
4 |
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アパッチ砦
Fort Apache |
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ジョン・フォード
メリアン・C・クーパー(製)
フランク・ニュージェント(脚)
ジョン・ウェイン
ヘンリー・フォンダ
シャーリー・テンプル
ペドロ・アルメンダリス
ジョン・エイガー
アンナ・リー
ヴィクター・マクラグレン
ウォード・ボンド
フランシス・フォード |
|
★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
2 |
4 |
4 |
3 |
3 |
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騎兵隊三部作の第一作。初めてカスターの悪者的側面を描く。 |
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荒野の決闘
My Darling Clementine |
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サミュエル・G・エンゲル
ウィンストン・ミラー(脚) |
ヘンリー・フォンダ |
リンダ・ダーネル |
ヴィクター・マチュア |
キャシー・ダウンズ |
ウォルター・ブレナン |
ウォード・ボンド |
ティム・ホルト |
ジョン・アイアランド |
ジェーン・ダーウェル |
アラン・モーブレイ |
ラッセル・シンプソン |
メエ・マーシュ |
フランシス・フォード |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
4 |
5 |
4 |
3 |
4 |
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メキシコからカリフォルニアへと牛を運んでいた途中アリゾナのトゥームストンと言う町へ立ち寄るアープ一家。町で一息した後、馬車に戻ると留守をまかせていた末弟が殺され、牛も盗まれてしまった。町を牛耳るクラントン一家がその犯人であると踏んだ長男のワイアット(フォンダ)は、保安官となってトゥームストンに留まる事を決意する。その仕事中賭博師ドク=ホリデイと知り合うが、ドクを追ってやって来たクレメンタインという名の美しい婦人に一目惚れしてしまう。そんな時、クラントン一家の犯罪を掴んだワイアットはドクと共に彼らの立てこもるOK牧場に向かう…
アメリカでは有名なOK牧場の決闘を元にした作り上げた作品。
西部劇の傑作と名高い作品だが、正直な話、最初に見た時はその良さが分からなかった。既に同じ題材を使った『OK牧場の決斗』(1957)を観ていてストーリーが分かっていたし(『OK牧場の決斗』ではドクは生き残り、こちらでは死んでしまうと言う違いはあったが…事実はドクは実は生き残り、後にコロラドの療養所で死んでいる)、「愛しのクレメンタイン」の歌は良かったけど、なんだか普通の西部劇だなあ。としか思ってなかった。これ観た当時はヘンリー=フォンダの魅力が分かってなかったのも大きい(今はすっかりファンになってるけど)。
でも、後になって少し考えが変わってきた。ひょっとしてかなり面白い作品なんじゃ?心境の変化だろうか?
それであくまで自分なりに分析をしてみた。
西部劇の魅力って一体なんだろう?
銃撃戦がそりゃ一番の見せ場には違いない。だけど、いくら派手にしたところで、似たり寄ったりの銃撃戦ばかりでは何と言うこともない。派手にすればいいってもんじゃない。それじゃ何か?と言われたら、現時点では私は男の強さと弱さの対比の演出ではないかと思っている。
悪に対してとことん強いくせに、女性の前ではシャイに、弱きものに対してはどうやってつきあって良いか分からず、戸惑う男。西部劇の秀作はその辺が上手く撮れてるんじゃなかろうか?西部の男は強いだけじゃ駄目で、とことん弱さを演出できてこそ本当に楽しくなるってか、私好みになる(『シェーン』(1953)がめっぽう面白く、逆に『大いなる西部』(1958)が全然面白いと思えなかったのはこれだろう)。
ここでのフォンダ演じるワイアットのシャイさはどうだ。クレメンタインと一緒にいたい。だけど、それを言うのはとても恥ずかしい。何とか彼女の気を引きたいけど、どうしたらいいか…そうだ。歌を歌おう!これを観た当時はなんだか歯がゆくてならなかったワイアットの心情を考えてみると、とても愛らしいじゃないか。この辺の演出が分かるまで時間がかかってしまったな。更にマチュア演じるドクの不安定さがここに加わることによって、その女性に対する不器用さが逆に頼もしく見えてくる。
本作の演出の良さはそれだけじゃなく、さり気なくフォンダの魅力を引き出している所も良し。あの早朝のポーチで椅子をゆらゆらさせてるのは、今思い直すと格好良い姿だった。
女性に対してはシャイだが、仕事はきっちりこなし、自分なりの価値観をちゃんと持ち、友情に厚い。まさにこれはアメリカ人の理想そのものとして描かれていたのかも知れないな。
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タバコ・ロード
Tobacco Road |
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ダリル・F・ザナック(製)
ナナリー・ジョンソン(脚)
ダナ・アンドリュース
チャールズ・グレープウィン
ジーン・ティアニー
マージョリー・ランボー
ウィリアム・トレイシー
スリム・サマーヴィル
ウォード・ボンド |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
4 |
5 |
3 |
4 |
4 |
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わが谷は緑なりき
How Green Was My Valley |
1941米アカデミー作品賞、助演男優賞(クリスプ)、監督賞(フォード)、撮影賞、室内装置賞、助演女優賞(オールグッド)、脚色賞、劇映画音楽賞、編集賞、録音賞
1941NY批評家協会監督賞(フォード) |
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ダリル・F・ザナック(製)
フィリップ・ダン(脚)
ウォルター・ピジョン
モーリン・オハラ
ドナルド・クリスプ
ロディ・マクドウォール
バリー・フィッツジェラルド
サラ・オールグッド
ジョン・ローダー
アンナ・リー
メエ・マーシュ
アン・E・トッド |
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★★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
5 |
5 |
4 |
5 |
5 |
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19世紀末のイギリス・ウェールズ地方にある炭坑。少年ヒュー(マクドウォール)は7人兄弟の末っ子に生まれた。炭坑夫であることに誇りを持つ父。優秀な炭坑夫である兄たち。そして優しい姉。ヒューの少年時代は楽しく過ぎていった。しかし、深刻な不況と労働運動に目覚めた炭坑夫たちにより、炭坑でのストライキが起こる。徐々に人の心がすさんでいく中、牧師(ピジョン)と姉(オハラ)の激しい愛情。次々に去っていく兄たち。学校での生活などを、少年の目を通して見た作品。
リチャード=ルウェリンの原作の忠実な映画化作品。
こういう作品と出会えるからこそ、映画は止められない。台詞が実に練り込まれていて、言葉一つ一つが名言。徐々に公害に覆われていく緑の谷の変化。それに伴い殺伐としてくる人間感情。撮影を担当したアーサー=ミラーによる絵画的構図。基本的にグリーで歌われる讃美歌等の、音楽も素晴らしい。これ程の作品を観ることが出来ると言うのは、本当に幸せだと思う。
基本的に少年の目を通してだが、貧しいながら、それぞれが自分の仕事にプライドを持ち、家族が仲良く暮らす小さな家(日本的には長屋とも言えるテラスハウスの使い方が上手い)、許されぬ恋に生きる二人の男女、宗教性の限界、そして家族の絆が本当に良く表されていた。深刻な公害問題をこの年代に描いたと言う事実も忘れてはならないだろう。
本作によりフォード監督は3度目のオスカーを手にしている(その前には『男の敵』(1935)と『怒りの葡萄』)。超一流監督として立派な栄誉だ。前年の『怒りの葡萄』と較べると、かなりソフトに、家族愛を高らかに歌い上げる作風は、現代に至るも輝きを失わない。本作こそ、理想化された夢そのものを描く、映画の頂点の一つと断言したい(西部劇の神様と言われてる割に、評価されてるのは西部劇でないのが皮肉でもあるが)。
本作の舞台はイギリス・ウェールズ地方。本当ならウェールズでロケをするはずだったのだが、第2次世界大戦が勃発したため、急遽ロサンジェルス郊外で本物そっくりのウェールズの土地を作り上げた場所で撮影が行われ、フォード監督自身も撮影後直ちに野戦撮影班として従軍。ミッドウェーに急行したという。映画の裏を垣間見ると、19世紀と、20世紀の二つの時代でこの映画が作られていたと言うことを思わされる。
産業革命以来重工業により世界を席巻したイギリスという国の、まさに原動力であった炭坑。だが今やそれは時代遅れの産物と化しており、現代はこれを舞台に映画が作られることが多くなった。『リトル・ダンサー』(2001)であれ、『ブラス!』(1996)であれ、これらは皆劣悪な環境で廃坑を目前とする炭坑が舞台となっている。本作はそれらを見事に先取りしてもいた。
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怒りの葡萄
The Grapes of Wrath |
1940米アカデミー助演女優賞(ダーウェル)、監督賞(フォード)、作品賞、主演男優賞(フォンダ)、脚色賞、編集賞、録音賞
1940NY批評家協会作品賞、監督賞(フォード)
1962ブルーリボン外国作品賞
1962キネマ旬報外国映画第3位
1989アメリカ国立フィルム登録簿新規登録 |
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ダリル・F・ザナック(製)
ナナリー・ジョンソン(脚)
ヘンリー・フォンダ
ジェーン・ダーウェル
ジョン・キャラダイン
チャーリー・グレープウィン
ドリス・ボードン
ラッセル・シンプソン
メエ・マーシュ
ウォード・ボンド
フランシス・フォード |
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★★★★☆ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
5 |
4 |
4 |
5 |
4 |
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アメリカ全土を襲う景気の低迷が続いていた。そんな折、猛烈な砂嵐に巻き込まれて収穫が無く地主によって追い出される事になったジョード一家は、丁度執行猶予で帰ってきた長男のトム(フォンダ)を加え、新天地カリフォルニアに向けて出発する。途中で祖父母が亡くなるという哀しい別れを経、カリフォルニアにたどり着いた一家を迎えるのは、やはりここでも地主の横暴だった。そんな時、トムと一緒について来た巡回牧師のケーシー(キャラダイン)は労働組合の人々と知り合いになるのだが、たまたまその集会に出た二人は組合の首謀者に間違えられ、保安官たちに襲われてしまう。乱闘の中ケーシーが殺され、怒ったトムはケーシーを殺した犯人を殺してしまうのだった。お尋ね者となってしまったトムをかばいつつ、ジョード一家は…
スタインベックの同名小説を名プロデューサーとして名高いザナックの肝煎りで製作された作品。元となったのは1933年3月から3年にわたってアメリカ中西部で発生した大砂塵で、これによって農家は壊滅的な打撃を受け、西海岸への移住が進んだという歴史的事実。
ザナックはスタインベックから「小説の主要なアクション、社会的な意図を誠実に実現する」という条件の下、10万ドルで購入。そしてザナックが選んだ監督はフォード。これは見事にはまり、アメリカの映画史において最も左翼的な作品が誕生した。
これは持論だが、優れた映画は、それが作られた時代背景を知るとその面白さが増すと言う特徴を持っているものだ。本作の舞台は1930年代の大恐慌時代だが、労働者の側に立って作ることが可能だった時代というのは、ハリウッドでは本当に僅かな期間に過ぎず、特に本作が製作された1940年というのは、本作が作られる可能性のあるギリギリの時代だった。その瞬間を上手く捉えた作品と言える(1930年代はエンターテインメントのみに力が入れられていたし、第二次世界大戦にアメリカが巻き込まれていくと、戦意高揚のための作品が作られるようになり、戦後は赤狩りが始まっていくから、こういう社会主義的な作品は作られる可能性のある期間が極めて短い)。その中でもかなりの冒険作で、これこそザナックが名プロデューサーと呼ばれる所以と言える。
極めて珍しいことに、メジャーな映画が社会の底辺の人間を扱った作品として、『誰がために鐘は鳴る』(1943)と共に時代の産んだ名作として語り伝えられるに足る作品だ。
舞台となるのは1930年代の不況にあえぐアメリカなのだが、原作が書かれたのは1939年、そしてその一年後には本作は映画化されている。つまり、これをリアルタイムで観ていたアメリカ人にとっては、つい先日の出来事が眼前で展開されている。更にここにはヒーローはおらず、明確な意味での悪役も登場しない。あるのは貧しさにあえぎながらも、それでも希望を捨てない普通の一家であり、彼らを圧迫するのは、人間ではなくシステムだった。だから怒りの持って行きどころがなく、自分たちに跳ね返ってくるのだ。これを観ていた人たちの受けたショックは凄かっただろう。
私は事前に原作を読んでおり、その中でもいくつか大変お気に入りのシーンがあった。ただし、それらはほとんどミニエピソードばかり。それでそのシーンが出たら「良作」にして、出なかったら「フォードも分かってねえな」と言ってやろうと思ったのだが、そのシーンのほとんどが登場していて驚いた。特にカリフォルニアに向かう途中のダイナーでのやりとりが映像化されただけでも、なんかとっても幸せな気分にさせてくれる。好みになる監督というのはこういう事なんだろうな。
しかもフォードの実力の凄さは、そう言うミニエピソードを所々にちゃんと入れながら、物語を全く破綻させずに、時間内に物語を収めてしまったという点にある。しかもただ物語を描写するだけではない。映像ならではの人々の表情や感情もしっかりと出して。名作の映画化という意味では、最高の出来と言えるかもしれない。
物語は終始静かな感じで流れていくのだが、それも又、表情一つ一つに陰影や暖かさ、強い意志などを封じ込めるには一役買っている。
そう言う意味では大変見事な作品と言い切ってしまえるのだが、ただ問題は、話自体が本当に淡々と流れてしまったため、なんか映画を観てると言うよりは、小説を映像化した作品。と言う印象だけが最後に残ることくらいか?
ラストを原作からちょっと変えたのも良かったと思う。さもなければ、最後にほっとした気分にはさせられないから。
これはアメリカという国はまだまだ強くなれるというメッセージなのだろう。時代としてはまさしくアメリカにとっての戦争が近づいているのだから。 |
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モホークの太鼓
Drums Along the Mohawk |
1939米アカデミー助演女優賞(オリヴァー)、撮影賞 |
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ダリル・F・ザナック
レイモンド・グリフィス(製)
ラマー・トロッティ
ソニア・レヴィン(脚)
クローデット・コルベール
ヘンリー・フォンダ
エドナ・メイ・オリヴァー
ジョン・キャラダイン
ジェシー・ラルフ
アーサー・シールズ
ロバート・ロウリー
ウォード・ボンド
フランシス・フォード |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
4 |
2 |
3 |
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駅馬車
Stagecoach |
1939米アカデミー助演男優賞(ミッチェル)、作曲・編曲賞、作品賞、監督賞(フォード)、撮影賞、室内装置賞、編集賞
1939NY批評家協会監督賞(フォード) |
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ジョン・フォード
ウォルター・ウェンジャー(製)
ダドリー・ニコルズ(脚)
ジョン・ウェイン
トーマス・ミッチェル
クレア・トレヴァー
ルイーズ・プラット
ジョン・キャラダイン
ドナルド・ミーク
ジョージ・バンクロフト
アンディ・ディヴァイン
バートン・チャーチル
フランシス・フォード |
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★★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
5 |
5 |
5 |
5 |
5 |
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アリゾナのトントから荒野を横切りローズバーグまでの駅馬車が出ようとしていた。臆病な御者バックの操る駅馬車に乗り込むのは、軍の夫の元へ向かう身重の妻ルシイ=マロリー、カンサスにいる妻子の許へ帰る途中のウィスキー行商のピーコック、トントをたたき出された呑んだくれの医師ブーン、自ら紳士を以て任じている大賭博師のハットフィールド、新開地を流れ歩く酒場女ダラス、そしえこの一行を護衛するのは警察部長カーリーだった。途中で家族の敵ブラマー兄弟を討つために脱獄したリンゴー=キッドと訳ありの銀行家ゲートウッドが乗込み、総勢九人の旅が始まった。だが、折からアパッチ族の酋長ジェロニモが村々を襲っている最中。危険な旅は約束されていたようなものだった…
しばらく不遇の時代が続いた西部劇に新たな息吹を吹き込み、以降の西部劇の興隆を築いた記念碑的作品。淀川長治氏に「映画の全要素が詰まった作品」と言わしめた。
別段淀川氏の真似をするつもりはないが、確かにこれは凄い。冒頭僅か10分ほどで紛れもなく本作は傑作だとを確信した。これほど見事なつかみを見せてくれたのはそうは無い。一種の感動だった。本作を観るまでの認識は、単なるアクション主体の西部劇だとばかり思っていたが、決してそれだけで終わるものじゃない。むしろ本作はアクションではなく人間の描写が際だって優れた作品として見たい。
本作には九人の主人公が出てくる。冒頭でそのうち七人が登場するのだが、その七人の描写が非常に際だっている。
矯風会のおばさんから(またこれが目がつり上がって痩せぎすという典型的な)追い出される酒場女のダラス。宿を追い出され、文無しでありながら飄々と酒場に入り込んでただ酒にありつく医師のブーン。そのブーンと出会って、冒頭から間違って名前を呼ばれる気の弱いピーコック。昂然と顔を上げて馬車に乗り込む軍人の妻ルシイ。その姿を見つめ、カードを置いて立ち上がるハットフィールド。アパッチの襲撃を予感しておびえる御者のバックと、それを励ます保安官のカーリー。一人一人が極端に誇張された演出によって、個性を際だたせ、その7人が同じ駅馬車に乗るんだ。とわくわくさせてくれる。7人というのは映画では決して少ない数ではないはずだが、これだけの大人数をたったこれだけの時間でキャラとしてしっかり立たせられただけでもの凄いと思える(彼らがどこか一般社会から逸脱した面々であることも重要)。その後、更にせっかちに乗り込む銀行家のゲートウッド、不適に馬車を待ちかまえるキッド。全員描写はやや誇張があるものの、映画の登場人物として際だった描写がされている。これが映画におけるリアリティというものなのだろう。
そしてこの混在の九人の仲間達がお互いの個性を殺すことなく、逆に互いに際だたせる。根は優しく、かいがいしいダラスを、まるで父親のように見守るブーンと、その立場の違い故に避けようとするルシイ。そのルシイに明らかに色目を使いつつ紳士を気取るハットフィールド、横柄なブーンの行動に文句も言えないピーコック、何かというとすぐに逃げたがるバックを隣で励まし続けつつ、馬車の中を気にし続けるカーリー。狭い馬車の中でありながら自分の問題に没頭し、他の人との接触を拒むゲートウッド、超然としてそれらを見守るキッド…こう書いてみると、人間関係は結構複雑。しかし、彼らが絡み合いなが、それぞれを際だたせつつ、他者との関係を作り出す事によって調和が取れている。こんな混成隊でありながら、危機を乗り越えていく内に人間関係が変わっていくという、その課程も見事だ。本作はジョン・ウェイン演じるリンゴー・キッドが一応主人公とされているけど(それまで無名俳優に過ぎなかったウェインは本作より西部劇に無くてはならない重要なキャラクターとなる)、実際は全員が主人公なんだと言う事を知らしめてくれる。
一般社会から見たら、それぞれがアウトロー的立場にある人々が、自己を主張していき、やがては道徳的帰結に戻る。この立場こそが西部劇の醍醐味とも言える。
このキャラクター描写も凄いけど、本作の肝であるアクションも凄い。アパッチが襲ってくる下りは縦横無尽にカメラが行き交い、もの凄い迫力だ。何より落馬のシーンは凄い。馬にどうやってあそこまで演技させられたのかと思えるほど(黒澤明監督がとことん馬のアクションにこだわったのは本作の影響が極めて強かったんじゃ無かろうか?)。走ってる馬車馬に飛び乗るシーンは緊張感も凄い。あれって本当に飛び乗ってるんだろ?(そりゃスタントマンだろうが)まさに生の演出法だ。銃弾を全て撃ち尽くし、もう駄目だ!と思える時に絶妙のタイミングで鳴らされる突撃ラッパの音も見事。更にこの緊張感の中で限定された馬車の中で人間ドラマが展開されるという構成も巧い。
そしてラストシーンのシークェンスはやや長目に取っているが、これまた程良い緊張感があり、ラストは手を叩いて喜べる。
もう何から何まで「完璧」と叫びだしたいほどの作品。しかもこれだけのドラマがあって、上映時間は僅かに1時間半。大作映画としては極めて短い。
これを可能たらしめたのは、無駄の省略にあったんじゃないかな?冒頭部分の7人の人間関係だって、余計な演出も、言葉さえも少ない。彼らの身なりと行動、それに周囲の目つきだけで殆どその人となりが分かってしまう演出がなされている。腹に一物持っているキャラが何人か登場するが、それもやはり行動で示されるのみで説明の台詞がほとんど無い。アパッチの駅馬車襲撃シーンだって問答無用。殆ど突然に交戦状態に入ってる。ある意味非常に不親切な映画だと言っても良いくらい。
オープニングとラストのシークェンスをやや長目に取っているが、そこで整合性を持たせているし、オープニング部分とラスト部分のキャラクターの描写の違いも良い対比になってる。説明不足に感じたキャラもいたにはいたが(ゲートウッドとかハットフィールドなんか)、他の映画だったら単体で一本映画が作れるくらいの物語を内包していることをラストで明かされるのも良し。
これだけ色々詰め込みながら、飽きさせることなく見せることが出来たのは、何が必要で何が必要でないかをしっかり把握していたからだろう。どこまで余計な部分を省略できるか、しかも省略することによって逆に雄弁に説明させることが出来るのか。映画を作るに当たり、それが最も大切な部分なのかもしれない。こう言うのを映画的なリアルと呼びたい。
尚、本作は日本でも大ヒットを記録するが、それには、本作に惚れ込んで、邦題も付け、予算超過も上司の叱責も何のその、何度もプレス用に試写を繰り返した宣伝マンの努力があってこそだという。その宣伝マンこそが淀川長治。映画を通して彼の思いが浮かび上がってくるようなエピソードだ。
更に、本作は西部劇の新境地を拓いた作品と言われる割には、本国では全くと言っても注目されてなかった(西部劇自体が当時斜陽だったし、本作もスターは出ていない)。ところが、フランスと日本で大ヒットした事を知り、大々的に公開したところ、もの凄い反響が来たのだとか。色々伝説に彩られてる作品だな。
…“省略すること”の素晴らしさを書いてる私がこんな長々したレビューを書いてるのは、実はとても矛盾したことなのかも知れない(笑)
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虎鮫島脱獄
The Prisoner of Shark Island |
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ダリル・F・ザナック(製)
ナナリー・ジョンソン(脚) |
ワーナー・バクスター |
ジョン・キャラダイン |
グロリア・スチュアート |
クロード・ギリングウォーター |
ハリー・ケリー |
アーサー・バイロン |
アーネスト・ホイットマン |
フランシス・フォード |
フレッド・コーラー・Jr |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
3 |
3 |
3 |
3 |
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1865年4月9日。南北戦争は北軍の勝利によって終焉を告げたが、北軍に恨みを持つ南軍の過激派はジョン・ウィルクス・ブース(マクドナルド)とデイヴ・ハロルドという刺客を雇い、4月14日に観劇中のリンカーン大統領を狙撃させた。だがその際負傷してしまったブースは近くの医者へと駆け込み、手当を頼むのだった。その医師サミュエル・アレクザンダー・マッド(バクスター)の家で、乞わるるままにマッドはブースを治療するのだが、後にそのためにマッドは大統領暗殺の共謀者とされてしまう。裁判の上告も許されぬまま、メキシコ湾に浮かぶ“虎鮫島”ドライ・トルチュガス島の牢獄に終身囚として送られてしまう。彼の無実を知る妻のペギー(スチュアート)や友人達は何とかして彼をここから救おうとするのだが…
リンカーン暗殺の冤罪を受けたという医師の手記を元に、フォード監督による映画化作。
いわば冤罪というのは歴史に埋もれた人物であり、公式にも本人もあまり話したがらないのが常だが、敢えて告発するかのような手記が書かれたのにはどうやら理由があるらしい。
元々イギリス由来の古い慣用句で「Your Name is mud」という言葉があった。これは「信用を落とす」とか「家名に泥を塗る」とか言う意味なのだが、この“mud”の部分を自分の名前である“Mudd”に変えて使われ始めてしまった。これが我慢が出来なかったから。というのが原因らしい。
ちなみに「Your Name is Mudd」というのは現在でも使われているらしく、『ナショナル・トレジャー リンカーン暗殺者の日記』(2007)ではまさにその意味で使われていた。
その不名誉な人物であるマッド医師自身が描いた冤罪が晴らされるまでの物語が本作。しっかり見所も用意されているし堅実な作りなのだが、物語としては割とまったりとした感じで、なんか素直に尻すぼみな感じ。演出部分も良いところはあるのだが、全般を通して観るとのっぺりしてる。悪い作品ではないが、強烈な印象を残すものではない。と言ったところか。 |
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周遊する蒸気船
Steamboat Round the Bend |
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ダドリー・ニコルズ
ラマー・トロッティ(脚)
ウィル・ロジャース
アン・シャーリー
ユージン・パレット
ジョン・マクガイア
アーヴィン・S・コッブ |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
4 |
3 |
4 |
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プリースト判事
Judge Priest |
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ソル・M・ワーツェル(製)
ダドリー・ニコルズ
ラマー・トロッティ(脚)
ウィル・ロジャース
ハティ・マクダニエル
トム・ブラウン
ヘンリー・B・ウォルソール
フランシス・フォード |
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★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
4 |
4 |
3 |
2 |
3 |
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無実の罪を愉快な視点から描く。人種差別的表現が垣間見られる |
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ドクター・ブル
Doctor Bull |
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ウィンフィールド・R・シーハン(製)
ポール・グリーン(脚)
ウィル・ロジャース
ヴェラ・アレン
マリアン・ニクソン
ハワード・ラリー
バートン・チャーチル
ルイーズ・ドレッサー
アンディ・ディヴァイン
ロシェル・ハドソン |
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★★★☆ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
4 |
3 |
3 |
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アイアン・ホース
The Iron Horse |
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チャールズ・ケニヨン
ジョン・ラッセル(製)
チャールズ・ケニヨン
ジョン・ラッセル(脚)
ジョージ・オブライエン
マッジ・ベラミー
シリル・チャドウィック
フレッド・コーラー
グラディス・ヒューレット
J・ファレル・マクドナルド |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
4 |
4 |
4 |
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南北戦争で勝利を治めたリンカーン大統領は、次に東西アメリカを結びつける鉄道計画に着手した。だが、経済界の横やりや、延びる鉄道に危機感を募らせ、襲撃を続けるネイティヴ・アメリカン達の妨害に出会い、計画はなかなか上手くいかなかった。かつて技師の父親をシャイアン族に殺された青年デイヴィ・ブランドンは父の夢を叶えるべく、鉄道建設に邁進する。襲い来るシャイアン族や、激変する気候、食糧不足など、幾多の困難を乗り越え、鉄道は延びていく。そしてデイヴィと幼なじみで建設会社の令嬢ミリアム=マーシュとの恋の行方も…
アメリカの発展の象徴、大陸を横断する“鉄の馬”すなわち鉄道が出来るまでの物語。これまでのカウボーイの曲芸を描いたものから、アメリカの歴史を描き出す転換点になった作品で、本作がアメリカにおける西部劇を作り上げたとも言われている。
映画はこれまでいくつかの大きな進化といくつもの小さな進化を重ねてここまで来た。現時点まで進化した映画を観ていて、敢えてわざわざ古い映画を観るのは何か意味があるのか?
あると思う。
一つには歴史的な確認として。映画がどういう過程を経て進化していったかを確認するのも大切。そしてもう一つ。現在当たり前のように使われ、何気なく見過ごしがちな映像がどれだけ意味を持っていたのかと言うことを確認するため。特に後者は映画を観ていく課程で大切な目というものを培ってくれるはずだ。
それで改めて古い時代の作品を見ていると、本当に色々勉強になる。特にサイレントの場合、言葉をどう伝えていくか。時間の経過をどのように表すかなど、色々と試みられているのがよく分かる。この蓄積があってこそ、今の映画がある。
この時代に作られた作品だから、当然サイレントでモノクロの作品なのだが、本作の面白いところはフィルターをかけることによって、昼と夜の対比を付けているところ。昼は黄色っぽいフィルターで、そして夜は青いフィルターで。その辺の演出が面白いし、メリハリをつけてもいる(後に分かったが、これは常套手段らしい)。
又、サイレントの特徴でオーバーワークな演技だが、それがパワフルさと言うものをよく表していた。実際こういった困難な事業は、悲惨さよりもむしろ困難に負けず突き進む姿勢を強調した方が見栄えがはるかに増すから。
辛い仕事を成し遂げる時、それを支えるパワーは希望と笑い。目的に向かって突き進む姿が希望となり、歌を歌い、酒場で騒ぐのが笑いとなる。そしてその中から生まれる恋もある。全部ひっくるめて本作のパワフルさが演出されるのだろう。サイレントだからこそ、余計なものを入れず、突き進める事が出来た作品だとも言える。
本作はジョン=フォード監督の出世作であり、これによってフォードは一流監督と言われるようになる。
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著作・インタビュー |
評伝 |
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ジョン・フォードを読む―映画,モニュメント・ヴァレーに眠る(1984) |
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リンゼイ・アンダースン |
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ジョン・フォード伝―親父と呼ばれた映画監督(1987) |
<A> |
<楽> |
ダン・フォード |
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ジョン・フォード―孤高のフロンティア魂(1992) |
<A> |
<楽> |
因幡 新平 |
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ジョン・フォードの旗の下に(1997) |
<A> |
<楽> |
ハリー・ケリー・ジュニア |
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西部劇の神様 ジョン・フォードを楽しむ(2007) |
<A> |
<楽> |
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ジョン・フォードを知らないなんて(2010) |
<A> |
<楽> |
熱海 鋼一 |
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若林映子 ジョン・フォード 山本豊三 板谷紀之(2009) |
<A> |
<楽> |
丹野 達弥 |
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