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| 年代 | ||
| 2025 | ||
| 2024 | ノスフェラトゥ 監督・製作・脚本 | |
| 2023 | ||
| 2022 | ||
| 2021 | ノースマン 導かれし復讐者 監督・製作・脚本 | |
| 2020 | ||
| 2019 | ライトハウス 監督・製作・脚本 | |
| 2018 | ||
| 2017 | ||
| 2016 | ||
| 2015 | ウィッチ 監督・脚本 | |
| 2014 | ||
| 2013 | ||
| 2012 | ||
| 2011 | ||
| 2010 | ||
| 2009 | ||
| 2008 | ||
| 2007 | ||
| 2006 | ||
| 2005 | ||
| 2004 | ||
| 2003 | ||
| 2002 | ||
| 2001 | ||
| 2000 | ||
| 1999 | ||
| 1998 | ||
| 1997 | ||
| 1996 | ||
| 1995 | ||
| 1994 | ||
| 1993 | ||
| 1992 | ||
| 1991 | ||
| 1990 | ||
| 1989 | ||
| 1988 | ||
| 1987 | ||
| 1986 | ||
| 1985 | ||
| 1984 | ||
| 1983 | 7'7 ニューハンプシャー州リーで誕生 | |
| ノスフェラトゥ Nosferatu |
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| ヴィスブルクに住む青年トーマス・ハッター(ホルト)は、雇い主の不動産屋クノック(マクバーニー)によりルーマニアにいる大金持ちのオルロック伯爵(スカルスガルド)の元に行き、契約をまとめるよう命令される。新婚の妻エレン(デップ)を残し、一人異国の地へと向かうトーマス。残されたエレンは少し精神を病んでしまい、友人のアンナの家に住むことになるのだが、夜な夜な恐ろしい夢を見せられるようになる。一方オルロック伯爵の居城へとたどり着いたトーマスはそこで恐ろしい出来事に遭遇する。 これまで二度にわたって映画化された「吸血鬼ノスフェラトゥ」。元は「吸血鬼ドラキュラ」を映画化しようとしたところ、原作者ブラム・ストーカーの遺族により著作権侵害で訴えられてしまい、『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922)となったという経緯があり、基本的に「吸血鬼ドラキュラ」を踏襲したものになったが、その後、ヘルツォーク監督によってリメイクされた『ノスフェラトゥ』(1978)は独自解釈となって、同じシチュエーションでありながらドラキュラとは一線を画した作品となっていた。 「ドラキュラ」を原作としているだけに、基本路線は同じ部分も多い。東欧に住む吸血鬼が主人公の故郷のヨーロッパの町にやってきて、主人公の妻に執着を持ち、それと戦うと言う物語展開。 差異としては結構細かいところだが、この細かい違いが良い具合のアクセントになっていて、これが「ドラキュラ」ではなく「ノスフェラトゥ」ならではの良さになる。 それで「ドラキュラ」と「ノスフェラトゥ」の違いというと、文学性の違いと言って良いかもしれない。「ドラキュラ」の場合、即物的な恐怖、割と単純なホラー、そしてアクションを主体にできる。一方、「ノスフェラトゥ」は耽美方向へと向かい、高い文学性を持たせられる。 ちなみに1978年版の方はノベライズ版も存在し、映画を観るよりも先にそっちの方を読んでいたこともあって(原作の「吸血鬼ドラキュラ」よりも早く読んでいた)、私自身としては、結構ノスフェラトゥに思い入れもある。裏話をホラーにした『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』(2000)も好きだぞ。 エガース監督が「ドラキュラ」ではなく敢えて「ノスフェラトゥ」を選んだのも、文学性を深めようとしてだろう。 そんな思いもあったので、正直エガース作品苦手と思いながら、それでも観に行ってしまった。 ただ、オープニングには参った。静かに静かに始まった夢のようなシーンがいきなりショックシーンになった時は心臓が飛び上がってしまって、これ観るべきではなかったか?と真剣に思ってしまった。 ただ後悔したのはここだけ。あとは概ね満足度が高い。 エガース監督とはあまり相性が良くないとはいえ、美術的なセンスは好きなので、それが上手くはまって見える。耽美描写もむしろシュールな演出へと向かわせるのも良し。演出に関して言うならかなり好み。 あとはキャラだが、ヒロインのエレン役を演じたジョニー・デップの娘リリー=ローズ・デップだろうな。キワモノっぽい立場にあるのに、彼女の表情や演出で上手く文学性的な描写ができているので、かなり良い具合。彼女に関しては女優になっていたことを知らなかったし、大昔に見た幼児の写真しか記憶がなかったので、こんな大きくなったのかと驚いたが。 |
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| ライトハウス The Lighthouse |
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| 2019米アカデミー撮影賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 19世紀のニューイングランド。沖の孤島に一つだけある灯台にこれから四週間灯台守をするために二人の男が着任した。着任時、既に何度もここに来ているというヴェテランの灯台守(デフォー)は、新米でイーフレイム・ウインズローと名乗る若者(パティンソン)に対し、高圧的な態度で接し、夜の間の灯りの管理は自分が全て行う代わり、日中の灯台管理の雑用は全てウインズローがやることにすると宣言し、重労働を課す。老人の評価で給料が決まることから、おとなしく老人の言うことを聞いていたウインズローだが、老人の言動に整合性の無いことから、何かを隠している事に気づく。 2020年からの新型コロナウイルスの蔓延によって一時期映画館も閉鎖されてしまい、観るものが無くてストレスが溜まっていた時期が合ったが、年の後半からやっとポツポツと映画館にも行けるようになっていた。そんな時期に公開されたのが本作。 私は悪夢のような映画が結構好きなこともあって、設定とか見ても面白そうだったので、そのつもりでいたのだが、監督の名前がエガースだと分かった途端に行く気が失せた。 これはエガース監督の作品が悪いというのではない。むしろ良い作品くらいだとは思うのだが、とにかく精神にきつくて、映画館で観るには耐えられないと思ったから。実際前作『ウィッチ』はなかなかに評判が良いのだが、私はこの作品をビデオで観てかなり精神削られてしまった。 それでレンタル待ちで良い感じのタイミングで観る事が出来たのだが、予想を裏切らなかった。かなり精神に来る描写が多い。『ウィッチ』と較べるとこっちの方が更に面白いが、結構きつい。 『ウィッチ』も本作も超常現象を扱っているが、重要なのは超常現象ではなくく人間関係の殺伐さと会話の刺々しさが痛い。結局本作もそれを踏襲しており、なんとも観ていていたたまれない気分にさせてくれる。様々な謎が登場するのだが、それがまるで解決しないまま終わるのも落ち着かない気分になるし、老人と中年の男二人の距離感が近すぎたりするため、距離感がバグって観ていてどうにも居心地が悪い。 そう言う意味で不快さばかりが強調される作品だった。 でも『ウィッチ』よりは少なくとも超常現象については分かりやすくなっているかもしれない。あくまで私自身の推測ではあるが、この作品は原初的な信仰を描くものではないかと思われる。老灯台守はここが何らかの霊的な場所である事をこれまでの経験で知っており、その経験の末に、超常現象の法則性に気づいている。新人に対してあれやこれや口を出すのもこれまでの経験の上で、やって良いことと悪いことがなんとなく分かっているからだった。それは理性的な意味でもなければ、常識的な意味でもなくて、なんとなく分かってきたという経験則に過ぎない。だから説明が出来ないし、説明しても無駄だと分かっている。彼が夜の灯台を誰にも任せないのと、光を見ると恍惚とした表情を浮かべるのは、彼がその超常現象から精神的な満足を得られる何かを得ていることを示している。 これは非常に限定された空間と人員ではあるが、隔絶された村を舞台にした映画と同じ構造を取っている事が分かる。それはつまり『悪魔のいけにえ』(1979)や『脱出』(1972)に代表される、いわゆるヒルビリー作品と同じ構造である。ヒルビリー映画は、都会の人間が田舎にやってきて、勝手に振る舞ったら、田舎の人たちに襲われるという構造の作品であるが、本作はその登場人物を極めて削って二人だけでそれを行っているという事になる。老人が田舎の常識を知っている村人役で、新人が都会からやってきた、空気を読まないタイプの人間という構造である。 そうすると、あのラストシーンもある程度納得いく。それはつまり、そこにいる霊的な存在を慰めることが出来た老人が消えたことで、その霊的存在は、慰めを失って新人に襲いかかった。新人の方は事前にカモメを殺したということで、殺されるフラグが既に立っていたということになる。老人が灯台の場所に新人を連れて行かなかったのは、そこに入ったら確実に殺されることが分かっていたからなんだろう。 田舎に行ってタブーを犯したら殺される。実にパターンの作品だとも思える。 そう考えるとかなり分かりやすいのだが、全部推測に過ぎないので、間違いがあるかもしれん。それでも自分なりに納得いったんでそれで良し。 |
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| ウィッチ The VVitch: A New-England Folktale |
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| 2016放送映画批評家協会SF/ホラー作品賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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