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2020 | 007 ノー・タイム・トゥ・ダイ 監督 | |
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1977 | 7'10 カリフォルニア州オークランドで誕生 |
007 ノー・タイム・トゥ・ダイ No Time to Die |
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スペクターとの戦いの後、現役を退いたボンド(クレイグ)とマドレーヌ(マレック)はかつてのボンドの恋人ヴェスパー・リンドの墓があるイタリアの港町で平穏な生活を送っていた。しかしある日ヴェスパーの墓参りの際、何者かに襲われてしまったボンドは、それがマドレーヌの手引きだと思い、別れを切り出す。そして五年後、ジャマイカで一人暮らしをしていたボンドの元に旧友のCIAエージェント、フィリックス・タイラーが訪れ、スペクターの残党に誘拐されたロシアの細菌学者ヴァルド・オブルチェフを救い出してほしいと依頼される。それを断ったその夜、もう一人の来訪者がボンドの元を訪れる。彼女はノーミと名乗り、今のMI6での007であることを明かす。彼女が伝えた余計な事をするなと言うMの指令に、逆に興味を持ってフィリックスに協力する気になったボンド。 『007 カジノ・ロワイヤル』(2006)から始まったダニエル・クレイグのボンドもこれで五作目。振り返ってみると、もう15年も前からだったんだと感慨深い。クレイグがボンドになって許せるのか許せないのかと言った議論をしたのも今は懐かしい話だ。それが終わるというので、一区切り付いたとほっとした。 007のシリーズは基本的にジェームズ・ボンドという公的スパイが主人公となったシリーズだが、時代を経るにつれ、徐々にそのあり方が変質していった。 ショーン・コネリーが演じた最初に登場したボンドは野生児みたいなキャラで、自分の行っていることは絶対正しく、そして自分は絶対死なないという自信に溢れた造形だった。自分がやってることは絶対正しいため、仲間を見捨てることも、敵の女性をたらし込むことも、自分の判断で良い奴と悪い奴を判断して殺すことも、全部好き放題にやる。特に目的を達成するための手段として女性を用いるやり方は、本当に当時のマッチョなヒーローの考え方そのものだった。それにショーン・コネリーが見事にはまった。粗野で下品な部分と、エレガントでフェミニンな部分を全部ごった混ぜにした矛盾溢れるキャラをちゃんと演じられたし、この人がいたからこの作品はシリーズ化されたのだと分かる。 ただ、時代が下るに従って、色々配慮というのが見られるようになっていく。レーゼンビー辺りからボンドはフェミニスト的性格を強くして、女性を道具のように見ることがなくなっていく。更にアルコールやタバコを控えめになるようになっていき、情報局のはみ出しものと言った個性もなくなっていく。やがて単なる格好良いヒーロー的な存在へと変わっていった。ブロスナンがボンドになる頃には、ボンドというのは没個性なヒーローのアイコンとなっていく。単なる格好良さだけが求められるようになって、見所は物語や監督のこだわりへとなっていく。 それが変わったのが『007 カジノ・ロワイヤル』で始まったクレイグのボンド作品からである。明らかにこれまでのボンドと全く異なるコンセプトで作られたボンドの造形には戸惑いを禁じ得なかった。 正直な話を言えば、前作『007 スペクター』(2015)まで私はその戸惑いをずっと引きずったままだった。果たしてこれが本当にボンドと言えるのかどうか、ずーっと迷い続けていたのだ。 それを見事に払ってくれたのが本作だった。 はっきり言うが、本作の物語自体を私はさほど評価するつもりはない。演出は良いのだが、話のバランスはそんなに良くないし、何より敵となるサフィンが情報が多いくせに個性が足りないという今ひとつなキャラだった。上映時間が長い割にバランスが悪いし話も中途半端な話に思えてしまう。 だが、物語そのものではなくここでのボンドの存在がすとんと納得出来た。 このボンドがこれまでのボンドと違っているのは、それまでにはいセンチメンタリズムを持った存在であること、一話ごとの別人ではなく、五作を通しての一人のボンドであること。過去を持つこと。そしてこのボンドが死んでも、007は他の人が継いでいくということ。それらのことが本作を観ている内に素直に受け入れられた。 このボンドは没個性なヒーローではなく、個性を持った全く異質な存在だった。ボンドは幼少時から死んだ昔の恋人といった過去を振り返るし、能力にも限界がある。全てをひっくるめて一人の人間としてのボンドを五作品を通して描いたのだ。 クレイグの演じるボンドは全て通して同一人物が演じている人物。言葉にすると単純だが、そう考えることでこれまで持っていた違和感が丸ごと消え、五作品全部を素直に受け入れられるようになった。 恐らく本作は一般的にはさほど評価は高くなかろうが、少なくとも私にとって、クレイグのボンドを全て受け入れさせてくれた大切な作品となった。 |
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