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1993 | 4'29 死去 | |
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1988 | ||
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1982 | ||
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1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | おかしなおかしなおかしな親父 監督 | |
1969 | ||
1968 | 素敵な年頃 監督 | |
1967 | ||
1966 | テキサス 監督 | |
1965 | すべてをアナタに 監督 | |
1964 | ||
1963 | 女房は生きていた 監督 | |
恋のクレジット 監督 | ||
1962 | プレイボーイ 監督 | |
1961 | ||
1960 | 黒い肖像 監督 | |
1959 | 夜を楽しく 監督 | |
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | 脱獄者の秘密 監督 | |
1950 | シラノ・ド・ベルジュラック 監督 | |
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | Underground Agent 監督 | |
Boston Blackie Goes Hollywood 監督 | ||
1909 | 9'6 メリーランド州バルティモアで誕生 |
テキサス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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スペイン侯爵のドン(ドロン)は今まさに婚約者フィービー(フォーサイス)と結婚しようとした時に暴漢の進入を受け、そのうちの一人を殺してしまった。お尋ね者になってしまったドンはテキサスへと逃げ込むのだが、そこで牧童のサム・ホリス(マーティン)と知り合い、その用心棒に雇われる。サム、ドン、ネイティヴのクロンク(ビショップ)の三人は危険なコマンチの支配地帯を牛を追っていくが、ドンの行くところトラブルが続く。しかもドンを追ってテキサスにやってきたフィービーにサムが一目惚れしてしまい… 日本に入ってきた数はそう多くないが、西部劇を語る上では欠かすことができないコメディ作品の一本。 主演にフランス映画界のドロンを迎えて製作されたが、これはドロン自身の願いでもあったそうだ。ドロンは『太陽がいっぱい』(1960)の当たり役で絶大な人気を持っていたが、活躍の場はフランスかイタリアに限られており、単なる二枚目俳優としか見られてなかった。実はフランス国内でもそれほど評価は高くなかったのだ(ちなみに世界で一番評価されたのが皮肉にも日本)。そんなドロンが自分のキャリアアップのため、そしてアメリカ市場を意識して、これがアメリカ進出の第一作となった訳である。 しかしながら、もくろみは見事に外れ。興行的にもあまり振るわない作品となってしまった。これはドロンにとってのキャリアの痛手となり、再びアメリカ映画に出演するのはもう少し経ってからで、しかも本人も消極的になってしまった(そう言えばジャッキー=チェンも似たようなパターンだった)。 しかし、改めて本作を観てみると、決して悪いとは思わない。いや、むしろ後年ストイックなハードボイルド風味をまとわせるドロンが、こんな軽い役も出来ることが面白く、良作と言ってしまっても良いと思う。それに相棒が『底抜け』シリーズのディーン・マーティンだけに(マーティンは10年ほど前に相棒のルイスと『底抜け西部へ行く』(1956)という作品にも出演してる)、笑いの質もこなれていて、決して悪くない。最初のキングストン・トリオの歌で物語を説明するのも、古き良き時代を感じさせてくれる。 まさかこの翌年『サムライ』(1967)でストイックな渋役を演じることになるドロンがこんな役。と思わせる所が面白く、その演技の幅を見るためにもお薦めの一本である。 |
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夜を楽しく Pillow Talk |
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1959米アカデミー脚本賞、主演女優賞(デイ)、助演女優賞(リッター)、脚本賞、劇・喜劇映画音楽賞、美術監督・装置賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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屋内共通の電話を配線しているアパートで、室内装飾家のジャン=モロー(デイ)は、同じアパートに住む作詞家ブラッド・アレン(ハドソン)の電話に悩まされていた。彼女が電話をかけようとする度に話し中。しかも歌まで歌っているのが聞こえてくるのだ。ついに怒ったジャンはその電話を使ってブラッドに怒鳴り込み、結果的に協定を結んで1時間を半分ずつ使用することにした。だが彼女の怒る声を聞くのが楽しみになってしまったブラッドは度々彼女に電話をかけてくるようになる… 原題は「寝物語」を示す「Pillow Talk」。直接の描写は無いにせよ、これでちょっとしたお色気のコメディであることが分かる、ちょっとだけ挑戦的な、興味深い題。特にこういったソープオペラ的コメディは当時のアメリカで最も人気のあったジャンルの一つであり、本作も大ヒット。1959全米興行成績2位。 ソープオペラとは、日本で言えば昼メロ。ドロドロしてるのは嫌いなんだけど、本作の場合はそれなりにお金にも不自由しない独身貴族の会話がメイン。話のテンポも軽快で、良い感じのコメディに仕上がってる。 ただ、ちょっと気になるのはこの作品が極めて男視点で語られてることだろうか。基本的にデイ演じるモローは直情的で、言われたことに素直に受け止め、そのまま返す。ちょっとエキセントリックでまっすぐな女性。それに対しハドソンは闘牛士よろしく彼女の言葉をひらりひらりとかわしつつ、彼女を突っつきつつ、それで怒るのを楽しんでるという役柄。やがていつの間にか彼女にはまっていく。というパターン。 アメリカではどういう女性像が望まれていたのかがよく分かるのだが、これじゃ女性の方があんまりにも単純すぎるんじゃないかな? はっきり言ってしまえば、今の目で見ると、ちょっと出来すぎで、底の浅い作品にしか見えないという事。楽しければそれで良いってなら、これで良いんだけどね。 |
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シラノ・ド・ベルジュラック Cyrano de Bergerac |
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1950アカデミー主演男優賞(ファーラー) 1950ゴールデン・グローブ男優賞(ファーラー)、撮影賞 1991英アカデミー撮影賞 |
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文武の才能に溢れる近衛隊長のシラノ(ファーラー)。だが、彼は並外れた大きな鼻を持っていた。それを苦にし、従妹のロクサーヌ(パワーズ)に自分の気持ちを打ち明けられないでいた。彼は想いを押し隠し、同僚のクリスチャンとロクサーヌの仲を取り持つことさえしたが… 30年戦争で活躍した武人であり、哲学者、科学者という数多くの肩書きを持つ実在の人物シラノ・ド・ベルジュラックの半生を描いたエドモン=ロスタンの戯曲の映画化作品。 悲恋というのはまさにこのような事。どれ程全ての能力に長けていても、ままならないのが恋の道。シラノはその体現者だった。“普通”になりたくない男の理想であり、同時に“普通“を夢見る男にとっては最も歯がゆい生き方だ。多分男なら誰しも、彼へのあこがれを持ち、同時にこんな風にはなりたいと思わない気持ちを併せ持つだろう。この人の姿を見ると、かなり複雑な気分になる。 そんな彼を、ファーラーは巧く演じていた。観てるといたたまれなくなる、それでも観ずにはいられない複雑な演技は見事だった。 後にこの作品はスティーヴ=マーティン主演による『愛しのロクサーヌ』(1987)で現代風にリメイクされているけど、やっぱり主題がストレートなこっちの方が完成度は高い(時間の問題もあるか)。 本作で見事オスカーを得たファーラーの好演もあって、楽しいと同時に寂しくなる作品に仕上がっている。 |
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