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2001 | 2'19 死去 | |
2000 | ||
1999 | ||
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1995 | ||
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1990 | ||
1989 | ||
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1987 | ||
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1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ドミノ・ターゲット 監督・製作 | |
1975 | ||
1974 | ||
1973 | オクラホマ巨人 監督・製作 | |
1972 | ||
1971 | 動物と子供たちの詩 監督・製作 | |
1970 | ||
1969 | サンタ・ビットリアの秘密 監督・製作 | |
1968 | ||
1967 | 招かれざる客 監督・製作 | |
1966 | ||
1965 | 愚か者の船 監督・製作 | |
1964 | ガンファイトへの招待 製作 | |
1963 | おかしなおかしなおかしな世界 監督・製作 | |
愛の奇跡 製作 | ||
1962 | ||
1961 | ニュールンベルグ裁判 監督・製作 | |
1960 | 風の遺産 監督・製作 | |
1959 | 渚にて 監督・製作 | |
1958 | 手錠のまゝの脱獄 監督・製作 | |
1957 | 誇りと情熱 監督・製作 | |
1956 | ||
1955 | 見知らぬ人でなく 監督 | |
1954 | ケイン号の叛乱 製作 | |
1953 | 乱暴者 製作 | |
1952 | 真昼の決闘 製作 | |
白昼の脱獄 製作 | ||
1951 | セールスマンの死 製作 | |
1950 | シラノ・ド・ベルジュラック 製作 | |
男たち 製作 | ||
1949 | チャンピオン 製作 | |
1948 | ムコ捜し大騒動 製作 | |
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
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1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ニューヨーク市ブルックリンで誕生 |
ドミノ・ターゲット The Domino Principle |
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招かれざる客 Guess Who's Coming to Dinner |
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1967米アカデミー主演女優賞(ヘップバーン)、脚本賞、作品賞、主演男優賞(トレイシー)、助演男優賞(ケラウェイ)、助演女優賞(リチャーズ)、監督賞、音楽賞、美術監督・装置賞、編集賞 1968英アカデミー主演男優賞(トレイシー)、主演女優賞(ヘップバーン)、国連賞 |
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世界的に高名なアフリカ系の医学博士ジョン(ポワチエ)は学会で訪れたハワイで白人女性ジョーイ(ホートン)と知り合い、二人は結婚の約束をする。互いの両親の許しを得るためサンフランシスコのジョーイの実家を訪れた二人。娘の結婚を喜んでいたジョーイの両親マット(トレイシー)とクリスティ(ヘップバーン)だが、相手がアフリカ系であることを知ると、尻込みしてしまうのだった。更にはジョンの両親もそこに訪れ… リベラルな作風で知られるクレイマーの監督・製作作品。 ホームドラマの視点で人種問題を扱うという初めてのテーマに挑んだ作品で、非常に挑戦的ではあるが、決してそれは重々しいものとはならず、あくまで軽快に、コメディ調に物語が展開するのが特徴。 当時、本作がアメリカ国内に与えた影響はかなり大きなものであり、一方では人種問題自体を扱ったことに対して、一方では人種問題をコメディにして軽々しく扱うことに対して批判が出たそうだが、今からすれば、それは慧眼であったと思わされる。重い問題だからこそ映画で笑い飛ばしてしまった方が良いのだ。その辺クレイマーはリベラルであってもバランスが取れた監督であることを感じさせてくれるし、重い題材だからこそ笑いにくるむハリウッドの強さはしっかりここでも出ている。 しかし、ここで語られている事は決して軽くはない。ジョーイの父親はそれなりに有名なリベラリストであり、本人も実際その意識は強かったのだろう。ところが実際娘が連れてきた青年を見て、とっさに動転してしまって、訳の分からない理屈を並べて結婚を否定しようとする。これは当時の“リベラル”と呼ばれる理解ある人々の実態である。という事を伝えているようだ。少なくともこれで「ちくっ」と来なければならないはずなのだ。実際差別の心は誰にでもあり、それを否定できない。 しかし、それは乗り越えられる。それを信じることが出来る。というポジティブなところできちんと落としてくれている。どれほど甘くてもちゃんと落としどころがしっかりしているからこそ、本作は素晴らしいのだ。 トレイシーとヘップバーンが抑えた好演をなしているのも重要。この二人あってこその成功であることは確か。普遍的に重要な作品なので、幅広く観て欲しい作品の一本。 尚、ポワチエは1976年にカナダ出身の白人女優ジョアンナ・シムカスと再婚。作品を地で行った。 元々体調の思わしくなかったトレイシーは撮影終了までは元気だったそうだが、終了後二週間後に心臓発作で世を去っている。女優賞オスカーを取ったヘップバーンはスピーチの際、「この賞は私たち二人に与えられたものだと思います」と語っている。 |
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愚か者の船 Ship of Fools |
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1965米アカデミー撮影賞、美術監督・装置賞、作品賞、主演男優賞(ウェルナー)、主演女優賞(シニョレ)、助演男優賞(ダン)、脚色賞、衣装デザイン賞 1965英アカデミー国外男優賞(ウェルナー)、国外女優賞(シニョレ) 1965NY批評家協会男優賞(ウェルナー) |
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おかしなおかしなおかしな世界 It's a Mad Mad Mad Mad World |
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無声映画時代のスラップスティックコメディをシネラマ大画面に蘇らせる。古き時代の映画への愛にあふれた作品に仕上がっている 1964年全米興行成績2位 3台の映写機による画面のずれが無くなった画期的なシネラマ作品 |
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ニュールンベルグ裁判 Judgment at Nuremberg |
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1961米アカデミー主演男優賞(トレイシー、シェル)、脚本賞(アビー=マン)、作品賞、助演男優賞(クリフト)、助演女優賞(ガーランド)、監督賞(クレイマー)、撮影賞、美術監督・装置賞、編集賞 1961NY批評家協会男優賞(シェル)、脚本賞 1961ゴールデン・グローブ男優賞(シェル)、監督賞(クレイマー)、音楽賞 1962キネマ旬報外国映画第2位 |
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第2次世界大戦が終わり、ドイツのニュルンベルクでは戦犯裁判が連合軍により始められた。その中でも難航した司法関係の裁判の判事として選ばれたダン=ヘイウッド(トレイシー)。このやりにくい裁判、殊にかつてワイマール憲法の草案を作った司法大臣エルンスト=ヤングス(ランカスター)に対しての判決をめぐっての人間模様を描く。 この年のアカデミーは大変珍しいことに、主演女優賞(『ふたりの女』のソフィア=ローレン)、主演男優賞共に外国人俳優が入るという快挙を成し遂げた。それだけにここでの抑えたマクシミリアン=シェルの巧さは言うに及ばず。この難役を見事に演じきっていたことで有名となった作品。 裁判というのは映画になりやすいが、それは主に逆転劇としてであり、こう言った結果の分かった裁判は違ったジャンルになるのかも知れない。裁判自体は理屈対理屈が延々と続き、緊迫感はあるが、観てる側は結構頭使わないといけないので、興味深いけどのんびり楽しむことが出来ない。むしろこれはヒューマン・ドラマとしての見応えを主張すべきだろう。 戦犯裁判は重要だったが、当時のドイツというのは極めて複雑な状態にあった。ドイツ国内は連合国内でもアメリカを中心とした西側と、ソ連を中心とした東側に分断されようとしていたし、ベルリンに至っては後の東ドイツの中で二つに分けられようとしていた。後の冷戦構造が先にドイツで始まっていたわけだ。 戦犯裁判での中心となっていたのは西側であり、東側の防波堤としてドイツを位置づけようとしていたため、後の西ドイツへと変わっていくドイツへの気兼ねがどうしても出てきてしまう。 実際の話、処刑された者を除いては、どれ程重罪の判決を受けた者でも10年を待たずに釈放されてしまっているのが事実。 これ程の逆風の中で、しかも自分の敬愛するヤングスに過酷な刑を処すヘイウッドの姿は“漢”そのものと言った風情。自分の中にある本当の価値観というものをしっかりと貫いた男の姿がそこにはあったし、どれ程詭弁を弄しようとも、何としてでもヘイウッドを守ろうとする弁護士のロルフ(シェル)の姿も鬼気迫る迫力があったし、徹底的にナチス戦犯たちを追いつめていく検事役のウィードマークも見事。それに何よりヤングスの毅然とした態度。全て格好良かった。枯れたラブ・ストーリーも当時のドイツの状況説明には丁度良かった。オープニングとエンディングのドイツ語による歌も心に沁みる。 映画としてはやや長目だし、極めて重いが、それでも歴史認識を学ぶには格好の素材。武器で戦う戦争が終わっても、漢たちの戦争はまだ終わってなかった。多分、それは今でも… |
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渚にて On the Beach |
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1959米アカデミー劇・喜劇映画音楽賞、編集賞 1959英アカデミー国連賞、国外女優賞(ガードナー) 1959ゴールデン・グローブ音楽賞 1960ブルーリボン外国作品賞 |
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1964年。核戦争が起こり北半球は全滅する。幸運にも被害がなかったオーストラリアで細々と生き続ける人類。アメリカの原子力潜水艦艦長ドワイト=タワーズ(ペック)は妻キャサリンと子供たちを失った痛手を美しい女性モイラ(ガードナー)に癒される日々を送っていた。容赦なく忍び寄る放射能を避け、生存の道を探る学者達の提案で、オーストラリア軍の若きピーター=ホームズ大尉(パーキンス)や学者のジュリアン(アステア)たちと共にタワーズは潜水艦で北極圏に汚染調査に出掛けて行くのだが…。最悪の「その日」を前に、人類の存続をかけた努力と、核の恐怖を描く。 ネヴィル=ショートによる原作の映画化。公開された1960年の全米興行成績も5位と大健闘。 これはもの凄い作品。核戦争と言えば派手なシーンと絶望に駆られる人間のパニックが描かれやすいのだが、本作は決してそんなことはない。むしろ最後の最後まで努力を止めず、本当にどうしようもなくなった時、静かに終末を待つ。そんな淡々とした情景が描かれる。 この作品においては、何より「静かさ」が恐ろしい。笑いさざめくパーティ会場で、ほんの一言の不用意な言葉で周り中が沈黙する瞬間、ゴースト・タウンと化したサンフランシスコの廃墟の静けさ、配布される睡眠薬(実は毒薬)を黙々と受け取る人の群。そして本当に誰もいなくなってしまったメルボルンの虚しいラスト。中途半端に核戦争を扱った作品には到底及ぶことの出来ない悲壮感が充ち満ちている。 演じる役者もそうそうたるメンバーだが、好みはやはりアステア。踊ってなくても充分に素晴らしい演技を魅せてくれる。パーキンスも翌年に公開された『サイコ』(1960)での怪演はどこへやら、さわやかな青年を好演しているし、ペックに関しては言うまでもない(この人、私はあんまり好きじゃないんだけど、良い作品も結構ある)。目線だけであれだけの演技が出来ている。脇を固める役者達の演技も良い。今まで散々直し続けた額絵を傾くままに任せ、誰もいない酒場で一人ビリヤード台に向かうギャリソンや、「どうだ、老いぼれと一杯やるか」「いいえ。でも、提督となら」と言うラストの掛け合い。実に練り込まれた台詞の数々、何気ない言葉の裏に恐怖と悲しみが詰まっているような。更にそこに沈黙の演技が入ることにより、もの凄い説得力を持つ。 これが1959年つまり米ソ冷戦下の真っ直中で製作されたと言うのも凄い。社会派監督クレイマーの実力が遺憾なく発揮された好作だろう。 出来たら、この作品は前日譚として『博士の異常な愛情』(1964)と共に観て欲しい作品。始まりはどれ程喜劇的であったとしても、その結果は… ハリウッドでもこんな作品が作れた時代があったんだな。特にマッカーシズム旋風のただ中でこれが作れたのは、それ自体が奇跡的だ。 |
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手錠のまゝの脱獄 The Defiant Ones |
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1958米アカデミー脚本賞、撮影賞、作品賞、主演男優賞(ポワチエ、カーティス)、助演男優賞(バイケル)、助演女優賞((ウィリアムズ)、監督賞、編集賞 1958英アカデミー男優賞(ポワチエ、カーティス)、国連賞、作品賞 1958ベルリン国際映画祭男優賞(ポワチエ) 1958NY批評家協会作品賞、監督賞、脚本賞 1958ゴールデン・グローブ作品賞 |
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サウスカロライナの片田舎にある刑務所へと向かう囚人護送車が事故を起こして転落し、そこから手錠でつながれたジャクソン(カーティス)とカレン(ポワチエ)という二人の囚人が逃げ出した。人種の違う二人は互いを嫌いあっており、反発し合いながらも協力して北部の州境を目指す。 当時のハリウッドではかなり珍しい人種差別をテーマに取った作品で、クレイマー監督の野心作。クレイマーはそれまでは製作者側であり、『真昼の決闘』など社会派を絡めた娯楽作品をヒットに導いていたが、監督業に乗り出してから積極的に差別問題を映画作りに取り入れていく。本作はその代表作と言って良い。本作で主演したポワチエにとっても本作は出世作であり、以降のフィルモグラフィのために大切な作品だったことが分かる。 当時のハリウッドでは実は人種差別問題は映画になりにくかった。差別意識の問題ではない。これに限らず社会派的なリベラルな作品全体が作られにくかったのだ。他でもないこの少し前にハリウッドに吹き荒れていた赤狩りの余波によるものだ。1955年には一応終息したとは言え、まだその余波が残っている中で本作を制作した監督の決断を褒めたい(ちなみに本作の脚本の一人ネイサン・E・ダグラスとは、赤狩りにより業界から追放中だったネドリック・ヤングの変名である)。 人種の違いから反発しながら、それでも手錠でつながれている以上お互いに逃げられない二人の逃走劇とは、いろんな作り方ができる。深刻な重いのも、コメディとして作る事も出来るだろうが、本作はそれらどの要素もほどよく取り入れてちゃんとエンターテインメントになっているあたり、監督のバランス感覚の良さもうかがえる。 でも本作の最大功労はカーティスとポワチエという二人の主人公だろう。この手の作品だと一方的な視点から、どちらかが正しくどちらかが間違っているという構図に取りがちだが、バディの二人がお互いに良いところもあり悪いところもあるという設定に取っていて、二人ともそれを受けてきちんと役をこなしているためにとても自然に見えるし、正義の押しつけになってないところも評価高いところだろう。 正義の押しつけにはなってないが、少なくとも人種問題について考えさせられる内容にはなっているので、観終わってみると色々頭使ってしまうところも面白いところか。オープニングとエンディングには全く同じ曲が使われているそうだが、それが全く違って聞こえてくる。劇中色々考えるせいだろうな。 あと、これは本で読んで納得したことだが、本作の面白さというのは、多民族が同じ空間で生活しなければならないアメリカという国そのものを示すからだとあった。なるほど本作が名作と言われる理由はそこにあるか。 |
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見知らぬ人でなく Not as a Stranger |
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1955米アカデミー録音賞 1955英アカデミー国外男優賞(シナトラ) |
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貧しい生まれながら苦学して医学の道進もうとするルカス(ミッチャム)は、のんだくれの父に学資を使い果たされたりもしたが、彼の素質とやる気を見抜いたアーロンス博士や、友人のアル(シナトラ)の尽力。資産家の娘で親切な女性クリスティナ(ハヴィランド)の助けもあって無事卒業できた。卒業後、クリスティナと結婚し、インターンとして病院に勤め始めるが、それは彼の理想とはかけ離れた世界だった… それまで製作者としては有名だったクレイマーの初監督作で、しばらく銀幕を遠ざかっていたオリヴィア・デ・ハヴィランドを主演に迎えた作品で、1955年全米興行成績5位。 医学を志す男の挫折と再起を描いた作品で、ちょっと違っているけどハリウッド版の『白い巨塔』(1966)のような作品とも言えるか?これがアメリカで受けたのは、多分当時のアメリカの医療に関わる問題を直面させたのだろうと思われる。 ただ正直な話、私にはなぜ本作がこれだけ評価されているのか実は良く分かっていない。キャラの存在感はともかく、物語に一貫性が感じられず、主人公の位置づけも中途半端にしか思えない。意思力が強いなら強いなり、弱いなら弱いなり、統合させるべきではなかっただろうか?原作は知らないのだが、かなり長い作品で、主人公の心の動きを主軸にとらえた作品なのではないか?とも考えられるのだがどうなのだろうか?いずれにせよ優柔不断な主人公描写は今一つ。患者に対する医者の良心という社会派的側面とメロドラマ的側面のバランスが今一つでちょっと苛つく。 主人公のミッチャムも何を考えているのか観ている側からは今ひとつよく分からず、感情移入しにくい。むしろハヴィランドの執念のようなものを観るべき作品なのかも知れない。 映像演出は凝ってるけど、これもちょっと嫌味っぽさを感じてしまう。クレイマーの気負いが空回りした感じ。クレイマー監督作品は大好きなんだけど、本作に関してはその魅力を感じられないままだった。 |
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