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1996 | 3'17 死去 | |
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ヨーロッパ特急 出演 | |
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | 危険なめぐり逢い 監督・脚本 | |
1974 | ||
1973 | ||
1972 | 狼は天使の匂い 監督 | |
1971 | パリは霧にぬれて 監督・脚本 | |
1970 | 雨の訪問者 監督 | |
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | パリは燃えているか 監督 | |
1965 | ||
1964 | 危険がいっぱい 監督・脚本 | |
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | 太陽がいっぱい 監督・脚本 | |
生きる歓び 監督・脚本 | ||
1959 | ||
1958 | 海の壁 監督 | |
1957 | ||
1956 | 居酒屋 監督 | |
1955 | ||
1954 | しのび逢い 監督・脚本 | |
1953 | ||
1952 | 禁じられた遊び 監督 | |
1951 | ||
1950 | 鉄格子の彼方 監督 | |
ガラスの城 監督・脚本 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | 海の牙 監督 | |
1945 | 鉄路の闘い 監督・脚本 | |
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | 左側に気をつけろ 監督 | |
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | 3'18 ジロンドで誕生 |
パリは燃えているか 1966 | |||||||||||||||||||||||
1966米アカデミー撮影賞、美術監督・装置賞 1966キネマ旬報外国映画第6位 |
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ドイツ軍占領下のパリ。ノルマンディ上陸後の連合軍が近づいて来る中、新任のドイツ軍将校コルティッツがパリ焦土作戦を任命されて赴任してくる。それを阻止しようとするフランスのパルチザン達だが、連合軍を待とうというド・ゴール将軍と、あくまで自分たちの手でのパリ解放を目指す自由フランス軍の間には確執があり、なかなか意見の一致を見ない。ド・ゴール将軍の片腕デルマ(ドロン)はなんとか連合軍をパリに入れるよう努力するのだが… 戦争映画は結構好きなんだけど、色々観てくると、第2次世界大戦についての戦争映画にはお国柄というものが良く出ているのが分かってくる。乱暴な括り方を許していただければ、イギリスやアメリカは戦時中にも高揚映画を作っていただけあって、戦争の悲惨さの中に明るさや、戦争以前、戦争後の生活をしっかり見据えて作られている。対してソ連製の映画は戦いそのものがクローズアップされる傾向がある。他にイタリア映画や日本映画だと、韜晦の嵐が吹き荒れている。ドイツになると、やっぱり極端に少ない。単独での映画は『U・ボート』(1981)と『スターリングラード』(1993)くらい?。 それでフランス映画だとどうか? あれ?そう言えばフランス映画で戦争の映画って、何があった?フランスやフランスの植民地が舞台の映画は多くあるし、役者もフランス人を用いているのが多いけど、実際考えてみると、それらは海外資本で作られたものばかりだ。実はフランス人って戦争映画を作ってなかったのでは?調べてみたら、非常に少ないながら、何作かあるみたいだけど、全然知らない題名だった。知名度が今ひとつ。戦争そのものを映画で作りたくない。と言うのも一つの姿勢なんだろうか?実際本作も、パリを舞台として監督はフランス人のクレマンとは言っても、資本はパラマウントだし、脚本だってアメリカ人が書いてる(共同脚本の一人はコッポラ)。土台使われてる言葉が英語だ。 この理由を考えると、単純に戦争映画がフランス人好みじゃないって事もあるんだろうけど、複雑な感情があるんじゃないかと勝手に推測している。 フランスは当初単独でドイツと戦っていたのだが、1940年6月にパリが陥落。政府は刷新され、親ドイツのヴィシー政権が発足する。首班はペタン元帥だが、84歳という高齢でもあり、誰の目にもこれがドイツの傀儡政権であることははっきりしていた。 政治的問題はそれで良いとしても、実際戦っている兵士達にはやりきれなさが残る。今まで敵として殺し合っていたドイツ人と手を結ばねばならず、共に戦っていたイギリスを、今度は相手にしなければならないわけだから(フランスの艦艇の歴史を見るとなかなか興味深い。パリ陥落の報を受けると同時にいきなりイギリスの艦隊が砲撃を加えてきたとかの悲惨な例もあるし、偽装で沈没させて後で自由フランス政府所属として復帰させたとか、曳航中にいきなり自沈したとか…)。当初のヴィシー政府はペタンが国粋主義的なものにしようとしたらしいけど、その後ドイツの衛星国として続いていくことになる。 そう言うわけで、兵士達の中には正規軍を脱走し、潜伏に入るもの、パルチザンに走るものも多数出るようになった(パルチザンは外から見ると相当に勇猛果敢に見えるけど、フランス国内においては、反政府組織な訳だから、決して大手を振っていられたわけではない)。それにドイツの傀儡とは言っても、ヴィシー政府の中には心情的にフランスを何とか助けたいから、自ら防波堤となるため政府に残った人間もいるだろう。その後の連合軍のパリ解放(『パットン大戦車軍団』(1970)にその辺は詳しい)により、今度は連合軍の一国としてドイツに宣戦布告… …ゴチャゴチャ書いてしまったけど、要するに、フランス人にとっての第2次世界大戦というのは、あまりにも複雑すぎる戦争だった、と言うこと。戦犯国であるドイツに対しても、交戦→敗戦→同盟→解放→交戦と、複雑な事情があり、ドイツを悪く書きすぎると、今度は自分たちの首を絞めかねないと言う状況があるのではないかと。(勿論これは勝手な推測だけど) と、あんまり長々前置きを書いてしまったけど、要するに本作はフランス映画であってフランス映画ではない。と言うことを言いたいだけだと今更気が付く(笑) さて、内容だけど、ここにはフランスを代表する男優達およびイギリス、アメリカから大スターを呼び寄せ、豪華キャストを用いて作られている。大スターが次々と登場するので、それを観ているだけでも楽しいんだけど、なにせストーリーが分かりづらいところがあるし(ある程度歴史を知っていると思っている私も、かなりこんがらがった。まだまだ修行が足りない)、誰がどの場所で何をしているのか、非常に把握しづらい。 と言うことで、一見では分かりづらい内容になってしまい、いくら内容が詰まっているとしても物語としてはさほど評価出来にくいのだが、本作には非常に大きな売りがある。 他でもない。パリの街を本当に用いて銃撃戦をやらかしてくれたこと。凱旋門を背景に土嚢を積み上げ、火の手が上がり、MG42やらMG34(MG42は結構良く出てくるけどMG34は滅多に映画には出ないんだよ)やらと対峙するパルチザンの面々。もうこれだけで痺れた。本当に町中でこんなのやらかすなんて凄いな。しかも銃撃戦は普通用いられるように電気と火薬を用いる方法じゃなくて、本当に弾の出るモデルガンを使ってる。お陰で着弾がとてもリアル。銃撃戦のリアリティだけで言えば最高の部類に入るぞ。 芸術は永遠だという。だけど、本当にあっけなく潰されてしまうこともままある。パリはそのまま芸術的文化と言っても良し。それを破壊しようとする事実があったと言うこと。そこをもう少し突っ込んだ方が良かったんじゃないかなあ。最後のヒットラーの「パリは燃えているか?」との言葉だけで充分に楽しめたけどね(これは伝説なんだけど)。 |
危険がいっぱい 1964 | |||||||||||||||||||||||||||
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賭博師のマーク(ドロン)は、ギャングのボスの妻にちょっかい出してしまったため追っ手がかけられてしまった。逃げ込んだ救世軍施設でアメリカ人の未亡人バーバラ(アルブライト)の運転手として雇われて脱出に成功する。バーバラと姪のメリンダ(フォンダ)に迎えられるマークだったが、この家には何か違和感を感じるのだった。実はここにはバーバラが殺人犯のヴィンセントを匿い続けていたのだ。しかもバーバラはヴィンセントと逃げ出すために自分を利用していた事に気付かされるのだが… ヘンリー=フォンダの娘として華々しくデビューしたジェーン=フォンダだが(本人は親の威光をあくまで否定してるが)、やはりアメリカでは父の影響が強すぎるためか、一時期フランスに活動の場を移したことがある(そこで最初の夫であるヴァディムと結婚することになる)。その渡仏一作目が本作で、監督ルネ=クルマン、共演がアラン=ドロンと、大変にぎやかな内容になっている。 でも、ここで目立っていたのはフォンダよりもドロンの方。何かとマイナスイメージで捉えられる事の多いドロンだが、実際は結構器用な役者で、本作でも気弱なくせに内弁慶な男の役を上手く演じていた。表にあまり出ないようにしつつ共演者を引き立たせていた。 物語も話はすっきりしているが二転三転。状況がコロコロと変わり、その中であたふたする人間模様を時にコミカルに、時に緊張感一杯に、そして時に残酷に描く。気が強く直情的な性格とばかり思ってたメリンダが取った行動は…女って怖いな。 フランスのサスペンスの特徴か、設定部分には「?」と思わせる所も多々あるものの、物語の軽快さとキャラの良さ、洒落た音楽の使い方の演出も良く、かなり楽しませてくれた作品である。 |
太陽がいっぱい Plein soleil |
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1960キネマ旬報外国映画第2位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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貧乏なアメリカ人青年トム=リプレイ(ドロン)は、ヨーロッパで遊びほうけているフィリップ(ロネ)を連れ返すように父親から5千ドルで依頼され、フィリップを探してナポリまでやってきた。だが毛頭アメリカに帰る気のないフィリップによって気に入られたトムは一緒になって遊び始めてしまう。だが徐々にトムに嫌気が差してきたフィリップからは邪険にされ始める。そしてトムは邪悪な計画を実行に移すのだが… パトリシア=ハイスミスによる小説(原題は「The Talented Mr. Ripley」)の、クレマン監督による映画化作。当時フランスではヌーヴェル・ヴァーグ流行で、こういった正当な作品はあまり評価されない傾向にあったが、それに対しクレマン監督が真っ向から挑み、一大娯楽作を作り上げた。 実は私はこの前に既にリメイク作である『リプリー』(1999)の方を観ていて、ストーリーフローの方は知っていたのだが、改めてみると、リメイクとは別格の作品であることを認識。伊達に名作と言われるだけじゃない。 では、『リプリー』とは何が違うのか。勿論ドロンとデイモンでは格が違う…と言ってしまえばそれまでだが、本作の魅力はそうではなく、突出した演出力にこそある。『リプリー』はより原作に忠実に、主人公トムの心象風景を中心に取ったのが特徴的だったが(本作公開当時では表現が許されなかった同性愛的傾向も含めて)、本作の場合、それらは直接語られることなく、全て暗喩として画面上に出ている。トムの思いは全て光景や自然によって代弁されているのだ。海を例にとっても、トムの精神が安定していると、海も穏やかに凪ぎ、気持ちがささくれ立って行くに従い海も荒れていき、激しい波が起こるようになっていく。邦題である「太陽がいっぱい」はラストのトムの台詞だが、これまで窮余の策として次々に起こしてきた殺人が、全て好転し、これからは何不自由ない自由な生活が待っている。という彼の思いそのものを示している。かつてフィリップにいじめられた時、敵であった太陽をついに味方に付けた。という確信によって語られる台詞だったのだろう。トムにとって自然は敵対するものであると同時に自分の代弁者であったと言うことだ。 こういう暗喩的な描写力はヌーヴェル・ヴァーグのお家芸。なんだかんだ言っても実はクレマンはしっかりヌーヴェル・ヴァーグ思考を本作に散りばめているのだ。伝統的な職人技とヌーヴェル・ヴァーグの新しい波とが見事に合致した姿が本作の良さだろうと私には思える(勝手な想像ではあるが、クレマン監督が『狂った果実』を観てないとは到底思えない)。 勿論それを裏付けるのがドロンの存在感であろう。冒頭ではアメリカからやってきた垢抜けない男。という姿で描写されるのだが、この時点では実はロネの方が魅力的に撮られている。人間的な魅力というのは遊びを知っている人の方にあるのだから。それに翻弄され、まるで従者のように従うだけの彼が、初めて自主的に行ったことが殺人であったのだが、そこから急に魅力が増す。一歩を踏み越えたことによって、遊び人とは異なる危険な暗い魅力が出てくるようになるのだ。ここからのドロンの存在感は目が離せなくなる。たとえ彼が行っていることが今を回避するためだけの行き当たりばったりの殺人であったとしても、運を含め全てを自分に従わせてやろう。というほどのギラギラとした姿は、初登場時とはまるで異なって見える。 今から観てもそう思えるんだから、初めての本格的ピカレスク・ロマン・ヒーローの誕生に、特に日本人はめろめろに参ってしまったことは想像に難くない。見事な演技であった。 アラン=ドロンによりサングラスがブームに。 |
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「太陽がいっぱいだ」 |
生きる歓び Che gioia vivere |
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1961カンヌ国際映画祭ベスト・セレクション(クレマン)、パルム・ドール(クレマン) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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居酒屋 Gervaise |
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1956米アカデミー外国語映画賞 1956英アカデミー総合作品賞、国外男優賞(ペリエ)、国外女優賞(シェル) 1956ヴェネツィア国際映画祭女優賞(シェル)、国際映画評論家連盟賞(クレマン) 1956ブルーリボン外国作品賞 1957NY批評家協会外国映画賞 |
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パリの裏町で洗濯女しているジェルヴェーズ(シェル)は男運が悪く、最初に結婚したランチェ(メストラル)は怠け癖の上に漁色家で彼女の蓄えはあっという間に底を付いてしまう。ランチェと別れ、次に結婚したのは屋根職人のクポー(ペリエ)で、真面目なクポーと一緒に働き、ついには念願の洗濯屋を開く事が出来た。だがそのクポーも屋根から落ちて仕事が出来なくなってしまい、それから飲んだくれになってしまう。鍛治工のグジェ(アルダン)だけが彼女を応援するのだが… エミール・ゾラ原作の文学作品ををクレマン監督が映画化した作品でマリア・シェルの代表作。原作自体が女性を不幸にたたき込んだ上にそのまま放置してしまうという内容で、読むのもきつい内容だったのだが(フランスの自然主義文学はだから嫌いなんだよ)、映画化した本作はそのエッセンス部分を徹底的に取り出して、これでもか!とばかり不幸を連発させてくれるので、観てるだけで辛くなって辛くなって仕方ない。こんなテーマながらクレマン監督の洒脱で軽快な演出は健在で、特にシェルの大立ち回りのシーンなんか、見事なんだが、その監督らしい軽快さがあっても痛々しさはやはり変わらず。いや、かえって悲惨さが増しているような気にさえさせてくれる。特に最後、あんな幼い少女のナナが、家を見捨ててしまう辺りは、演出的には非常に見事なのだが、その分最後の最後にドスンっときた感じ。 確かに芸術的と言えば芸術的なんだろうけど、この手の作品は私はとても苦手で、とてもいたたまれない思いをさせられてしまった。どれほど本作が名作と言われようとも、はっきり言って二度と見たいと思わない。 ただ、演出に関しては文句なし。こんなテーマであっても軽快さは決して失われていないし、ロケとセットの調和も良し。見事にパリの裏町っぽさが良く出ていた。 |
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しのび逢い Monsieur Ripois |
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1954英アカデミー脚本賞 1954カンヌ国際映画祭審査員特別賞(クレマン) |
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アンドレ・リポワ(フィリップ)は女好きな性格が災いし、離婚、職場からの馘、ついには無職のまま放り出される羽目に陥るのだが、気に入った女性を見ると口説かずにはいられない彼の性格は治ることなく、次々に女性を口説いていく。妻の親友のパトリシア(パリー)、仕事の上役のアン(ジョンストン)、街で見かけたノラ(グリーンウッド)、娼婦のマルセル(モンテロ)、学生のキャスリーン…そんな彼の女性遍歴を描く。 フランス製艶笑作品…と言って良いのかな?邦題では「リポア君の恋愛修行」という実も蓋もない副題が付けられる。 フランス版『アルフィー』(1966)と言うべき感じで、あらゆるものに優先して女性を口説く男の話。ただ本作の場合、恋愛ものと言うよりもフィリップの暴走っぷりを楽しむのが正しい観方だろう。 フィリップは確かに凄い美形ではあるのだが、何よりこの人の場合は演技力があるし、その美形を逆手に取ったドジっぷりを楽しめるのが良い。その意味では本作と『花咲ける騎士道』(1952)のファンファンとかの役を演っていても嫌らしさを感じないのがフィリップの巧さ。悲惨な目にあってもあっけらかんとしたフィリップの描写が楽しい。 そう言う訳で恋愛映画が苦手な私が結構楽しめた作品だった。単なる美男子なだけではないことを印象づけた作品としても重要な位置づけにある。 まあ私がフィリップ好きだってのも大きな理由だろうけどね。 |
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禁じられた遊び Jeux interdits |
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1952米アカデミー名誉賞 1952ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞(クルマン) 1952NY批評家協会外国映画賞 1953英アカデミー作品賞 1953ブルーリボン外国作品賞 1954アカデミー原案賞(フランソワ=ボワイエ) |
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1940年6月、第二次大戦下の南フランス、ドイツ軍のパリ侵攻により溢れた避難民で溢れる田舎道をドイツ軍機が襲う。この機銃掃射で両親を失った少女ポーレット(フォセー)は沿道の農家に身を寄せる。村人達のいがみ合う大人の醜さの中で、農家の少年ミシェル(プージュリー)は彼女に死んだものにはお墓を作らねばならないことを伝え、二人はお墓作りと言う奇妙な遊びに夢中になる。 直接戦争を描かず、反戦への祈りを描いた作品として有名(戦争が描かれたのは冒頭だけだが、迫り来る戦闘機が避難民をなぎ倒すシーンはほぼワンショットで撮られておられ、後の映画界にも相当な影響を与えた)。 私にとって「良質な映画」とはなにか?いくつかのところで書いているが、それは一言で言えば、“衝撃”だと言える。しかし、その衝撃というのは一言で言えるものではない。画面を見ているだけで、激しいショックを受ける時もあれば、映画が終わってからしばらく経って、それでじわじわと意味が分かってきて、自分なりに「おお、そう言う意味だったのか」と突然気付いて、改めて衝撃を受ける場合もある。本作は私にとっては後者の筆頭。 これを観たのは随分前だが、丁度名画座にかかっていて、良い機会だからと思って観に行った。 ところが、初見では全く分からなかった。これのどこが名作なんだ?ちょっと特殊だけど、子供から見た単純な反戦映画じゃないか。その程度の認識だった。観るべきところは冒頭の、平和でのどかな風景の中、突然闖入してくる戦闘機の衝撃度くらいか?後はよくある子供の目を通して大人の世界の矛盾を観るタイプの作品。そんな風に思っていた。 それが不思議な話なのだが、映画を観たその当日の夜。風呂に入っていて、不意に頭の中に「ママン~」の声が聞こえてきた。なんだ、これは?何でこれを思い出すんだ? ちょうど不眠に悩まされている折でもあり、寝ころびながら、つらつらとこのことを考えてみた。どうも訳の分からぬ、もやもやとしたものが心に残るのは気分が悪い。 それで、不意に思いついた。 ポーレットにとって、「家」とは一体何であったのか。彼女にとって、自分の帰るべきところは、自分を初めて受け入れてくれたミシェルのところにこそあった。戦火の中、血のつながりもなく、どんなに大人の嫌な部分を見せ付けられても尚、彼女にとって「見つかった」と思った帰るところが、そこしか無かったからなんだ。何と悲しい。そして、何と大切なことをここでは示していたのか。 ポーレットは劇中殆ど泣くことが無く、大声を上げることもなかった。彼女の回りには「死」があまりにも多くありすぎたのだ。そんな中で彼女はただ、死を通してのみ人やものとコミュニケーションを取っていた。死者を葬ることを、「遊び」としてしまう。それは彼女が生者とコンタクトが出来る唯一の手段だった。大人の愛憎は彼女にとっては全くの無意味であり、ただ子供の世界の中で、彼女が出来る唯一の手段として出来る唯一のこと。死者を悼み、死者の視点から醒めた目で全てを見るだけ。 その彼女が劇中で唯一、そして多分、一生で初めて「生きたい」と狂わしいまでに思った瞬間が、あの時ではなかったのか。幼い彼女の声が、耳にこびりつく。そしてそこに重なる、ナルシソ=イエペスが奏でるあの切ないギターの音(元々は「愛のロマンス」というスペイン民謡だが、本作のテーマミュージックとなったため、以降スタンダード・ナンバーとなる。予算の関係でオーケストラを雇う事が出来ず、苦肉の策で起用したそうだ)。それが観た時ではなく、後になってじわじわとやってきた。 これ程「死」に近い、そして生きる。と言うことの意味を直接的にぶつけられた、そして真剣に考えさせられた作品は滅多にないぞ。 こうして大変な評価を受けた本作だが、意外にフランス本国では冷たい扱いを受け続けることになる。公開当時は丁度フランスが戦争の記憶を忌まわしいものとして封印しようとしていた時代だった事もあり、カンヌ国際映画祭に出品もされなかった(ヴェネツィア国際映画祭で作品賞、アカデミー名誉賞まで取ったとは皮肉だ)後のヌーヴェル・バーグの時代には本作は徹底的にこき下ろされることになる。映画評論家時代のフランソワ=トリュフォーも本作を真っ向から批判していたそうだ。 |
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左側に気をつけろ Soigne ton gauche |
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