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1988 | 7'12 死去 | |
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1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ペンチャー・ワゴン 監督 | |
1968 | ||
1967 | キャメロット 監督 | |
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ミスタア・パルバー 監督・製作・脚本 | |
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ファニー 監督・製作 | |
1960 | のっぽ物語 監督・製作 | |
1959 | ||
1958 | 南太平洋 監督 | |
1957 | サヨナラ 監督 | |
1956 | バス停留所 監督 | |
1955 | ピクニック 監督 | |
ミスタア・ロバーツ 脚本 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | ||
1947 | ||
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | 再会 監督 | |
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | 10'5 テキサス州で誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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サヨナラ Sayonara |
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1957米アカデミー助演男優賞(バトンズ)、助演女優賞(ナンシー梅木)、美術監督・装置賞、録音賞、作品賞、主演男優賞(ブランド)、監督賞(ローガン)、脚色賞、撮影賞、編集賞 1957ゴールデン・グローブ助演男優賞(バトンズ) 1958英アカデミー新人賞(バトンズ) |
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朝鮮戦争で活躍した空軍パイロットのロイド=グルーバー少佐(ブランド)は、休養のため同僚のケリー(バトンズ)と共に日本へ来た。実はそれは彼の婚約者アイリーン(オーエンス)の父、ウェブスター将軍の計らいによるもので、日本でアイリーンとデートとあいなった。一方ケリーは日本でカツミ(ナンシー梅木)と出会い、急速に惹かれ合う。当時米軍人と日本娘の結婚は御法度とされている折りだったが、二人の真剣な愛情にうたれたグルーバーは二人の結婚を祝福する。そんなグルーバー当人も松林歌劇の花形スターであるハナオギ(高美以子)と偶然会い、その美しさに打たれる。 ジェームズ=ミッチェナーの同名小説の映画化で、日本ロケを敢行して完成。日本のエキゾチックさを強調してアメリカではヒット。1958年全米興行成績2位。 物語としては朝鮮戦争時代の日本人女性とアメリカ軍兵士のラブストーリーなのだが、実質的には日本の現地妻の話となるのだろう。で、考えてみると、この主題の話って日本ではほとんど作られてないのだな。強いて考えると、私が知る限り『にっぽん昆虫記』(1963)の一エピソードくらいかな?かなり深刻な問題だし、題材としては悪くないのに、映画にしにくい理由でもあったんだろうか?それとも単に私が無知なだけか? そう言う意味では新鮮な作品ではあったのだが、なんだか観ていて妙に腹が立つ作品でもあった。日本でわざわざロケしたという割に、到底日本とは思えない描写が続き、妙な苛つきを感じてしまう。そう言えば『王様と私』(1956)はタイではえらく不評だと言うから、それと同じなのかも知れない。 なんとなくアメリカ主導で「日本人は俺たちに付いてこい」みたいな雰囲気を感じてしまったためだろうか? ただ、こういう海外ロケにありがちな話で、監督とブランドは撮影開始直後からぶつかり合い、それが最後まで続いたとのこと。ブランドがストレス性の過食症になり出したのもこの頃から。 |
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バス停留所 Bus Stop |
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1956米アカデミー助演男優賞(マレー) 1956英アカデミー新人賞(マレー) |
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ピクニック Picnic |
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1955米アカデミー美術監督・装置賞、編集賞、作品賞、助演男優賞(オコンネル)、監督賞(ローガン)、劇・喜劇映画音楽賞 1955ゴールデン・グローブ監督賞(ローガン) 1956英アカデミー作品賞、男優賞(ホールデン)、女優賞(ノヴァク)、新人賞(ストラスバーグ) |
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カンザスの田舎町。9月の第1月曜日の労働休日の朝に貨物車に乗ってやってきたハル(ホールデン)という青年。食い扶持を求めてこの町まで流れてきたのだが、そんな彼を見つめるのはオウェンス家の女性達だった。フロー夫人(フィールド)、姉娘マッジ(ノヴァク)、妹娘ミリー(ストラスバーグ)、同居人のローズマリー(ラッセル)。彼女たちはハルに興味満々で、丁度その日この町で毎年行われているピクニックにハルを誘う。 ブロードウェイでロングラン・ヒットを記録した舞台劇の映画化作で1956年全米興行成績6位。 カンザスの田舎町にふらりと現れた男を中心に、お祭りの一日をコミカルに描く作品。 おそらくこれがロマコメの走りとなる話だろう。ただ、面白かったか?と言われると、なんか乗り切れなかった感じ。今では分からないけど、おそらくは当時のアメリカ人にはぴったりの作品だったのだろう。ちょっと調べてみたら、アメリカ映画には、中西部の田舎町の人々を理想的に描く傾向にあり、人情味溢れる純朴な善人の中に波紋を投げ込むような作品が好まれたのだという。なるほど流行りものか? しかし、結果として考えるなら、純朴な田舎娘を拐かしただけの話。と言ってしまえばそれだけなのでは?内容は本当にそれだけなので、さして感銘を受けることもなし。 キム=ノヴァクが活き活きとしているのと風景が綺麗なのが取り柄か。ノヴァクは役柄になりきり、ピンクのドレスに身を包み、「ヌードになったつもりで踊った」のだとか。今から観れば可愛いもんだけどね。 |
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