マーティ
Marty |
1955米アカデミー作品賞、主演男優賞(ボーグナイン)、監督賞、脚色賞、助演男優賞(マンテル)、助演女優賞(ブレア)、撮影賞、美術監督・装置賞
1955英アカデミー男優賞(ボーグナイン)、女優賞(ブレア)、作品賞
1955カンヌ国際映画祭パルム・ドール
1955NY批評家協会作品賞、男優賞(ボーグナイン)
1955ゴールデン・グローブ男優賞(ボーグナイン)
1994アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
|
ハロルド・ヘクト(製)
パディ・チャイエフスキー(脚)
アーネスト・ボーグナイン
ベッツィ・ブレア
ジョー・マンテル
エスター・ミンチオッティ
ジェリー・パリス
カレン・スティール
フランク・サットン
ウォルター・ケリー |
|
★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
4 |
3 |
5 |
3 |
|
ブロンクスの肉屋で働く34歳になるイタリア系アメリカ人のマーティ(ボーグナイン)は、これまでの人生で女性と付き合ったことがなかった。心根は優しいものの、自分自身の体型にコンプレックスを持っていたことから女性と上手く話せず、これまでずっと独り身で通していた。母のテレサや知人は早く結婚して家庭を持つよう口うるさく言われていた。そんなある日、マーティは誘われて行ったダンスホールで友だちからはぐれて所在のない女性クララと知り合う。にた境遇の二人は二人はその夜意気投合し楽しい時間を過ごすが…
本作はこれまでなかった、本当にただの一般市民、しかも冴えない一般人を描いたということで話題になり、ついにはオスカーまで得てしまうと言う、当時新しいジャンルを開拓した作品となる。今となってはこの作り方は立派な映画のジャンルの一つだし、これと言って目新しいものでもないが、しかし本作がそれを確立したと考えるならば、この評価は当然であろう。この作品が映画の表現をぐっと広げた見事な作品であるとも言えるのだから。
本作のリアリティというのは、主人公のマーティが、とにかくただ漠然と生きているだけの男ということ。特に人より優れたところもないし、人生の目的もない、人と競争しようという気持ちも無い。そして物語自体にも劇的なところがない。一人の小市民とその母親、友人達を淡々と描写していて、普通の男女が出会い、それなりの苦労を経て結婚に至るまでを描いているだけ。映画に期待される劇的さは全くないが、しかしそのリアリズムをしっかり魅せることに成功している。
良い意味でのリアリズムとは、観てる側が出演者に共感することだが、そこで得られる共感とは、主人公の弱い部分にこそある。それこそ実生活で冴えない人物で、人とのコミュニケーションも下手で、家族からガミガミ言われる。そんな生き方のことだ。それは見ている側がいつも感じているものなのだから。そしてそんな主人公が少し意地を見せてささやかな幸せを手に入れる姿を見るのは、観ているこっち側に喜びと生きる勇気を与えてくれる。
真の意味で自分自身に置き換えることが出来るという新しさを開発できたことが本作の最も素晴らしい部分。
アーネスト・ボーグナインは見事なはまり具合を見せた。ボーグナインはほとんどの場合バイプレイヤーとして知られる人だが、どんな役でも軽々とこなしてくれる器用な役者でもある。本作の主人公マーティはそれまでにない(そしてこれからもない)ような役柄なのだが、それさえもはまり役にしてしまっている。見事なはまりっぷりだった。もっと主演作あっても良い役者なのに。
それと本作が作られた1955年というのも特徴だろう。これはまさしくビート世代の始まりの年代。ビートニクとは既存の価値観を破壊し、新たな意味を作り出そうとしている運動だが、その目新しさを求める視聴者に見事に本作の新しさは合致したのだ。
更に本作はそれを取り入れつつ、その中で家庭平和の大切さを謳った。その意味で社会学的価値が高い作品でもある。 |
|