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ルイス・マイルストン
Lewis Milestone

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Milestone
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本名:ライプ・ミルシテイン(Лейб Мильштейн)。ロシア系アメリカ人の映画監督・プロデューサー・脚本家
ハリウッドのブラックリストがマイルストーンの創作活動にどのような影響を与えたかは不明である。多くの同僚とは異なり、彼は仕事を見つけ続けたが、映画評論家のマイケル・バーソンによると、彼の仕事の量と質は業界の「グレーリスト」によって制限されていた可能性があるという。ミリチャップは「マイルストーンは人生のこの側面についてコメントを拒否した。明らかに彼はそれを非常に苦痛に感じていた」と述べた。
「左翼の形式主義者」であり、アメリカの[セルゲイ]エイゼンシュタインと称された」人物。


トーキー映画の黎明期、29歳のマイルストーンはエーリヒ・マリア・レマルクの反戦小説『西部戦線異状なし』の映画化でその才能を発揮した。この作品はマイルストーンの最高傑作であり、キャリアの頂点とされている。バクスター(1970年)によると、マイルストーンのその後の作品は、芸術的にも批評的にも同じような成功を収めることはなかった。[ 254 ]伝記作家キングスリー・キャンハムは「キャリアの早い段階で名作映画を作ることの問題点は、それが将来のすべての作品の比較基準となることであり、それが場合によっては不公平である」と記している。[ 255 ]マイルストーンの映画には時折『西部戦線異状なし』のような技術的な創意工夫や大胆さが見られるものの、マイルストーンが同作品に影響を与えた文学作品や脚本へのこだわりは欠けている。[ 256 ]

ミリチャップ(1981)によると、マイルストーンのその後のハリウッド作品には、傑作と凡作があり、折衷主義を特徴としながらも、明確な芸術的目的を欠いていることが多い。最も予測可能な特徴は、彼の技術的才能の応用だったかもしれない。[ 257 ]映画評論家のアンドリュー・サリスは、「マイルストーンの流動的なカメラスタイルは、常に個人的な視点とは切り離されている。彼は、ほとんど無関心な監督の典型的な例である …彼のプロ意識は、無意味であると同時に、揺るぎないものだ」と述べている。[ 258 ]キングズリー・キャンハムは、「マイルストーンのキャリアは、彼の仕事へのコミットメントや関与の欠如のために、何度も見捨てられてきた」と述べている。[ 259 ]ミリチャップは、マイルストーンの「膨大で、折衷的で、不均一な作品群」をハリウッド映画業界の要請と結びつけ、次のように述べている。

マイルストーンの創造性はスタジオシステムに根ざしていた。彼の最高傑作も最低作も、製作システムが提示する文学作品を映画的に変容させるという彼の現実的な取り組みから生まれたものだ …彼の長所も短所も、ハリウッドのシステムによって生み出されたものだ。彼が自身の映画スタイルを「力強い文学的題材」に適用すると、記憶に残る作品が生まれたが、弱く取るに足らない題材を与えられたときは、たいてい凡庸な作品に終わった。[ 260 ]

映画評論家で伝記作家のリチャード・コザースキーは、マイルストーンを「1930年代の独立心の強い監督の一人だった が、他の多くの先駆的監督と同様に 、スタジオシステムの最高潮期における彼の関係は生産的なものではなかった」と評している。[ 261 ]コザースキーは、マイルストーンが自身の晩年の作品に用いた比喩を提示している。「[マイルストーンの]キャリア後半は、創造性の閃光が散発的に現れるだけで、一本か二本の樫の木が孤独に佇む、まさに若木の森のようだった」。[ 262 ]
Wikipediaより引用
経歴
1895'9'30 ロシア帝国ベッサラビアの首都キシナウ(現在のモルドバ共和国キシナウ)で、名門ユダヤ系家庭で誕生
1913 移民となり、アメリカに渡る
1917 第一次世界大戦にアメリカが参戦した際、陸軍通信部隊に入隊
1919 除隊し、アメリカ市民権を得る。ミルシュタインからマイルストンに改姓
1920 ハリウッドの様々なスタジオで助手として働き。ヘンリー・キング監督の助手に抜擢
1925 ワーナーで監督デビューを果たす
1927 『美人国二人行脚』で米アカデミー喜劇監督賞受賞
1930 西部戦線異状なしで米アカデミー監督賞受賞
1931 『犯罪都市』で米アカデミー監督賞ノミネート
1934 コロンビア・ピクチャーズに移籍
1935 俳優ケンドール・リー(フルネームはケンドール・リー・グレイズナー)と結婚
1936 訴訟、プロジェクトの失敗、契約破棄などにより3年間停滞
1945 下院非米活動委員会の精査を受ける
1951 20世紀フォックスに移る。しばらくは監督は出来ず、俳優として活躍
1957 テレビドラマに活躍の場を移す
1978 ケンドールと死別
1980'9'25 死去
5+
西部戦線異状なし
4+
3+ オーシャンと十一人の仲間
2+
個人的感想
1980 9'25 死去
1979
1978
1977
1976
1975
1974
1973
1972
1971
1970
1969
1968
1967
1966
1965
1964
1963
1962 戦艦バウンティ 監督
1961
1960 オーシャンと十一人の仲間 監督・製作
1959 勝利なき戦い 監督・製作
1958
1957
1956
1955
1954
1953 メルバ 監督
断固戦う人々 監督
1952
1951
1950 地獄の戦場 監督
1949 赤い子馬 監督・製作
1948 凱旋門 監督・脚本・撮影
1947
1946 呪いの血 監督
激戦地 監督・製作
1945
1944 パープル・ハート 監督
1943 北極星 監督
電撃作戦 監督
暴力に挑む男 監督
1942
1941 かわいい女 監督
1940 ラッキー・パートナー 監督
1939 廿日鼠と人間 監督・製作
1938
1937
1936 将軍暁に死す 監督
海は桃色 監督・製作
1935 巴里は夜もすがら 監督
1934 海を嫌ふ船長 監督
1933 風来坊 監督
1932 雨 監督
1931 犯罪都市 監督
1930 西部戦線異状なし 監督
1929 裏切者 監督
1928 暴力団 監督
1927 美人国二人行脚 監督
1926
1925 裏表七人組 監督・脚本
1924
1923
1922
1921
1920
1919
1918
1917
1916
1915
1914
1913
1912
1911
1910
1909
1908
1907
1906
1905
1904
1903
1902
1901
1895 9'30 キエフで誕生

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レビュー
オーシャンと十一人の仲間
Ocean's Eleven
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チャールズ・レデラー
ハリー・ブラウン(脚)
フランク・シナトラ
ディーン・マーティン
ピーター・ローフォード
アンジー・ディキンソン
サミー・デイヴィス・Jr
リチャード・コンテ
リチャード・ベネディクト
シャーリー・マクレーン
パトリス・ワイモア
ジョーイ・ビショップ
ノーマン・フェル
エイキム・タミロフ
ヘンリー・シルヴァ
イルカ・チェイス
バディ・レスター
ジーン・ウィルス
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 ラスヴェガスでの大仕事を計画するエースボスに依頼され、元空挺部隊軍曹だったオーシャン(フランク・シナトラ)はハーモン(マーティン)を初めとする旧知の空挺部隊の仲間10人に招集をかける。それぞれに大金を欲しがる理由を持つ彼らに5つのカジノの同時襲撃のプランをうち明けるオーシャン。結果的に全員がそれに賛成し、大晦日の夜に、数百万ドルの強奪に成功した彼らだったが、なんとカジノは大金持ちの息子フォスター(ローフォード)の義父サントス(ロメロ)にその取り返しを依頼してしまったから…
 いわゆるシナトラ・ファミリー総動員で作られた本作。『オーシャンズ11』(2001)でリメイクされるだけのことはあり、テンポ良し、演出良し、ウィットに効いた会話良し、皮肉も良く効いて、なかなか楽しい作品に仕上がってる。しかも大物スターのそろい踏みで、1960年の全米興行成績も10位と健闘してる。ただ興行的には成功したが、批評家はマイルストーン監督の才能に値しないとしている。
 確かにアクション性は低いものの、気の利いた会話と雰囲気でいくらでもこういう作品は面白くなるものだ。今のアクション偏重の作品を見慣れてしまうと、とても新鮮。
 先に挙げたように本作には色々と魅力があるけど、何より重要なのはキャラクター。シナトラファミリーそろい踏みで、特にシナトラ、マーティン、デイヴィスJrと、魅力たっぷりに魅せてくれる。てっきりデイヴィスJrはお得意のマシンガン・トークを魅せてくれるかと思ったら、今回は大変抑えが効いていているのが結構意外。
 シナトラと言えば、『地上より永遠に』(1953)でマフィアとの癒着が噂されたが(その辺は実は『ゴッドファーザー』(1972)でも言及されてる)、ここで笑えたのは、シナトラがマフィアのことを糞味噌に言ってることだったりする。結構自分でも気にしてたのかな?又、劇中数多く歌うシーンがあるのに、シナトラ本人だけが歌わず(マーティンとデイヴィスJrが歌ってる)、ラストソングは良い所持って行ってしまったのも良し。全員役者としてちゃんと抑えるところは抑えてるってことだ。
 後に『レザボアドッグス』(1991)にパクられたラストの人物紹介シーンはなんかとても感慨深いものがあった。妙に虚しそうな、それでもうきうきした感じで歩く全員の表情が良い。
 ところで、あのラストのオチなのだが、札束が全部燃えてしまってお終い。と普通見られるけど、もうちょっと違うオチもあり得るのではないか?わざわざ札束のテープをサントスに知らせたってことは、実は燃えてるように見せかけただけって解釈も成り立つんだよね。含みを持たせたラストとして評価したい。

製作年 1960
製作会社 ドーチェスター・プロ
ジャンル 犯罪(泥棒)
売り上げ $2,800,000
原作
ジョージ・クレイトン・ジョンソン (検索) <A> <楽>
歴史地域
関連
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
西部戦線異状なし
All Quiet on the Western Front
1929~30米アカデミー作品賞、監督賞(マイルストン)、脚本賞、撮影賞
1990
アメリカ国立フィルム登録簿登録
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カール・レムリ・Jr(製)
マックスウェル・アンダーソン
デル・アンドリュース
ジョージ・アボット(脚)
リュー・エアーズ
ウィリアム・ベイクウェル
ラッセル・グリーソン
ルイス・ウォルハイム
スリム・サマーヴィル
ジョン・レイ
ウォルター・ブラウン・ロジャース
レイモンド・グリフィス
ベリル・マーサー
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 レムリ・ジュニアの無鉄砲さによって作られたと製作当初は陰口が叩かれる
 この作品の最も重要な点は、青年が戦争を必要あるものと受け入れた瞬間に殺されてしまうと言う点にある。反戦の言葉など、一言も語られない
 後に監督となるジンネマンがエキストラの兵士役で登場
 1929~30アカデミー作品賞、監督賞受賞。脚本賞、撮影賞ノミネート
 マイルストン監督はそれまで中堅の娯楽映画監督と観られていたが、従来の戦争映画にはないメッセージを明確に打ち出し、高い評価を得る
 狂信的な愛国主義や軍国主義の危険性を早くから避難したことで映画史に残る作品となる。ナチスの激しい非難に遭うが、ドイツ当局は検閲せずに公開する。尚、主演のエアーズは本作で役者としてのキャリアを積んだが、第二次世界大戦で良心的兵役拒否をしたため、世間の非難を一身に集め、キャリアを無にしてしまう(実際は衛生兵として活躍していたが)
 当時極めて衝撃的だったため、ポーランドでは「親独映画」ドイツでは「反独映画」と見なされ、アメリカでは「けしからぬ反戦宣伝映画」として軍部からクレームが付く
 演出助手としてジョージ・キューカーのなまえがある。
 ユニバーサル社の共同創業者で社長のカール・レムリは彼に「ハッピーエンド」を懇願した。マイルストーンは「ハッピーエンドは私が用意しました。ドイツに戦争に勝たせてあげましょう」と答えた
当初は無声映画として構想されていたが、マイルストーンは無声版とトーキー版の両方を撮影し、それらを順番に撮影した。
 この作品は明確に平和主義と反戦を掲げていたにもかかわらず、ハリウッドの「愛国的で収益性の高い」反ファシスト戦争映画の製作において貴重な存在となった
製作年 1930
製作会社 ユニヴァーサル・ピクチャーズ
ジャンル 戦争(第一次世界大戦)
売り上げ
原作
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関連 西部戦線異状なし(1979)
西部戦線異状なし(2022)

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