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2004 | ||
2003 | ホーンテッド・マンション 監督・製作総指揮 | |
2002 | ||
2001 | ||
2000 | バッグス・バニーは永遠に! 〜チャック・ジョーンズの贈り物〜 出演 | |
1999 | スチュアート・リトル 監督 | |
1998 | ||
1997 | ||
1996 | ||
1995 | ||
1994 | ライオン・キング 共同監督 | |
1993 | ||
1992 | ||
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1990 | ||
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タイトル | |||||||||||||||||||||||||||
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ホーンテッドマンション 2003 | |||||||||||||||||||||||||||
2004外国映画興行収入9位 | |||||||||||||||||||||||||||
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スチュアート・リトル 1999 | |||||||||||||||||||||||||||
1999米アカデミー視覚効果賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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NYに住む親子三人のリトル家にもう一人、家族が加わった。パパローリー)とママ(デイヴィス)が孤児院で養子を一人連れてきたのだ。だが、それは人間ではなく、なんと人の言葉を話すネズミのスチュアートだったのだ。遊び相手が出来ることを楽しみにしていた息子のジョージ(リプニッキ)はすっかりがっかりし、リトル家の飼い猫スノーベルは自分の立場がなんとネズミより低くなってしまったことにショックを受ける。一人と一匹による嫌がらせが始まるが、徐々にスチュアートの健康なパーソナリティに慣れていく… E=B=ホワイトの小説の映画化作品。CG技術の発達により、スチュアートは実に自然に家族の一人として認識される。 この手のホームドラマはなるだけ観ないようにしてる。理由は簡単で、小馬鹿にしていながら、ついつい頬がにやけてしまうから(笑)。そう言う状態を防ぐためには観ないに限る。と言うこと(凄い矛盾のような気もする)。 本作はそう言う意味ではまさにツボ。すっかり有名になったシャマランが脚本を書いているって事もあるんだろうけど、良い意味で典型的なホームドラマが不思議な雰囲気を保っていた。 普通のホームドラマと違っているのは、言うまでもなく主人公がネズミだって事なんだが、この作品の面白いのはネズミが話すと言うことを自然に受け入れてしまっていること。スチュアートはネズミではなく、小さな友人として捉えられている(それが不健康だと言う意識も頭をよぎるが、それを感じさせないのは演出の上手さだろう)。彼はネズミであって、ネズミではない。その微妙な立場をうまく用いている。 その家族はむしろ友人としてこの小さな友を遇し、不思議なホームドラマを作り上げる。その違和感、不思議さがうまくはまっている。 ここまでなら、思わずこう、にんまりしたくなるのだが… これに関してだけではないのだが、アメリカの映画に一つ文句を言いたいことがある。 なんでいつもいつもネコが悪者になるんだ!ネコは独立心が強く、人を見下げる存在。そんなネコ族の孤高さを何故格好良いと思わないんだよ。ネコが単にネズミハンターとして描かれるのは我慢が出来ん! |