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1966 | 2'18 死去 | |
1965 | ||
1964 | リリス 監督・製作・脚本 | |
1963 | クール・ワールド 原作 | |
1962 | ||
1961 | ハスラー 監督・製作・脚本 | |
1960 | ||
1959 | コルドラへの道 監督・脚本 | |
1958 | ||
1957 | 日のあたる島 監督 | |
1956 | アレキサンダー大王 監督・製作・脚本 | |
1955 | ||
1954 | マンボ 監督・脚本 | |
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | オール・ザ・キングスメン 監督・製作・脚本 | |
1948 | ||
1947 | ボディ・アンド・ソウル 監督 | |
砂漠の怒り 脚本 | ||
1946 | 呪いの血 脚本 | |
激戦地 脚本 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | 暴力に挑む男 脚本 | |
1942 | ||
1941 | 海の狼 脚本 | |
1940 | ||
1939 | 流れ者・さすらう二人 脚本 | |
彼奴(きやつ)は顔役だ! 脚本 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | 3'16 ニューヨーク市で誕生 |
リリス Lilith |
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ハスラー The Hustler |
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1961米アカデミー撮影賞、美術監督・装置賞、作品賞、主演男優賞(ニューマン)、主演女優賞(ローリー)、助演男優賞(グリーソン、スコット)、監督賞(ロッセン)、脚色賞 1961英アカデミー作品賞、男優賞(ニューマン)、女優賞(ローリー) 1961NY批評家協会監督賞(ロッセン) 1962キネマ旬報外国映画第9位 |
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プロのビリヤードハスラー、エディ(ニューマン)は、伝説と化した凄腕のハスラー、ミネソタ・ファッツ(グリーソン)に勝負を挑む。丸一日を超える勝負の末、最後まで崩れることがなかったファッツの勝利となり、エディは全ての財産とプライドを失う。すさんだ生活の中で出会ったサラ(ローリー)の死を機に再起し、彼は再びファッツに挑むのだった… ハスラーとは勝負師。そして勝負は勝つか負けるかのどちらかでしかない。その冷徹な現実を突きつけてくれた。冒頭でのニューマン演じるエディはまさしく狼だった。 最初の勝負において、エディは言った。「勝負は奴が根を上げるまでだ」と。そう。この勝負とは、金だけでなく、ハスラーとして生きる全てをかけねばならない勝負だった。そこで酒を飲んで手元を狂わせたエディと、最後までベストの状態で戦おうとしたファッツの違いが出てくる。 よって、負けた者は文字通り“負け犬”となるしかない。中盤のエディの崩れ方は、まさに犬のような生き方で、自分の行く道も分からず、流されるまま酒を飲んで盛っているしかなかった(失礼)。このままだとケチな勝負師として、それこそ野垂れ死ぬしか無かったはず。 それだけの映画である可能性だってあっただろう。実際そう言う映画って多いし、そこから来る自己憐憫の甘さは、それだけで充分映画の素材になる。 だが、ここに“動機”が与えられることで、彼の再起を可能とする。勿論それが野良犬としての彼の情交の相手、サラであったのは非常に暗喩に富んでいるだろう。彼女の死と言うのが喩えようもなく重いものであったのは、結局は彼は野良犬になりきれなかった、狼としての本性がそうはさせていなかったと言うことを再確認させた訳だ。彼自身の問題として自分自身の本性に気付かされていくシーン。負け犬の甘さではなく、狼として勝負に生きる事が自分の本性であることに気づく。この映画の最も素晴らしいところはこのシーンであり、その過程をここまで丹念に描いたことがロッセン監督の凄さだ。彼は負けることによって自分の狼としての本性を知る。決してこれは負けた訳ではなかったのだ。 それで最後の戦い。完璧な対戦相手であるファッツを対戦相手とすることで、エディの復活ぶりが際だつ。狼の噛み合いは、よりタフな者が勝つ。最初にファッツによって提示されたテーゼがここで活きてくる。 これを“パターン”と言い切ってしまうのは簡単だけど、勝負の世界というものを本当に丹念に描いた本作品の出来はやはり見事だったし、非常に強い印象を私に与えてくれた。 本作は間違いなくロッセン監督の代表作だが、この撮影時点で監督は重病に冒されており、この作品が遺作となる覚悟で撮り始めたという逸話が残っている。その監督の気迫が役者一人一人に宿っているのかも知れない。又、ここですさまじいプロっぷりを見せてくれたニューマン及びグリーソンは当時最高と呼ばれたプロハスラーのウィリー=モスコーニ(本人もカメオ出演してる)のコーチをたっぷり受けたそうだが、かなりこれは厳しい指導だったそうで、それが迫力となっている。 惜しむらくはこれ程のピリピリした勝負をしていたエディが『ハスラー2』(1986)ではゴト師にまで堕ちてしまったことかな。それまでの時間に何があったのか、それを語ってくれる人がいればなあ。 尚、本作には『レイジング・ブル』(1980)の原作者であるジェイク・ラモッタも出演してる…らしい。調べて分かったけど、どこに出てるのか記憶がない。 |
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「俺を殺すなら、形の分からぬようにバラバラにしろ。それでも俺は骨や肉を拾い集めて、必ずおまえを殺しに戻ってくる」 |
オール・ザ・キングスメン All the King's Men |
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1949米アカデミー作品賞、主演男優賞(クロフォード)、助演女優賞(マッケンブリッジ)、助演男優賞(アイアランド)、監督賞(ロッセン)、脚色賞、編集賞 1949NY批評家協会作品賞、男優賞(クロフォード) 1949ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(クロフォード)、助演女優賞(マッケンブリッジ)、監督賞(ロッセン)、有望若手女優賞(マッケンブリッジ) 2001アメリカ国立フィルム登録簿新規登録 |
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真面目な会計士のウイリー・スターク(クロフォード)は、妻のルーシー(シーモア)が勤める小学校で行われている工事で不正が行われていることを知る。正義感から州に対し糾弾を始めるウィリーだったが、それが彼の政治との関わりの始まりとなった。努力の末弁護士になったウィリーは正しい政治を求め、自ら州知事へと立候補していく。彼のクリーンな政治姿勢に心打たれた新聞記者のジャック・バードン(アイアランド)も個人的に応援する中、ウイリーは見事知事に当選。次々に画期的な法案を可決していく。だがそれから数年が経ち、ウィリーは変質していく… ロバート・ペン・ウォーレンのピューリッツァー受賞作の映画化。元々は実話を元とし、モデルはヒューイ・ピアス・ロングとされる(wiki)。彼はルイジアナ州知事から上院議員にまでなった人物で。公共事業を増やしたり、所得再分配を議会に提出したりして選挙民の受けは良かったが、その裏では賄賂や恐喝が起こっていたとも言われる。彼を元にクリーンな政治家の堕落を冷徹な目で描いた作品。政治映画と言うよりは、一人の人間の生き様を通して、人間の弱さや、権力がいかに人を堕落させるかと言うことを描ききった作品と考えるべきだろう。 政治の世界と言うのは、決して私たちに無縁ではない。極端な話をすれば、三人いれば、そこには必ず政治的駆け引きが存在するようになる。それを理解し、他の人間を利用できる人間が常に上に立つ。ドライな見方をすれば、立場はどうあれ政治的姿勢を持つ人間は得することが多いのがこの世というものである。 実を言えば私はそう言う政治的駆け引きと言う奴がとにかく苦手なのだが、仕事上人間関係を調整するためにはそう言った手管を使わねばならないし、時に人に巻き込まれて自分の旗印を明らかにせねばならない。ややこしい人間関係に常に巻き込まれているからこそ、私の息抜きの場として映画があるのだが(就中、映画レビューってのは私にとっては自分の考えの中に沈み込むことが出来るありがたい時間)、本作の場合、その映画自体が政治をどんっと目の前に置かれてしまった。 正直な気持ちで言えば、これは、かなりきつい。 権力と金。これで人は容易に変わる。大学時代、色々なことを話し合っていた友人が、金の多寡で人を判断するような人間に変わってしまったのを実際目の当たりにしたし、それは多分私自身も同じだ。 理想はある。いや、あったはずなのだが、いつの間にか日常に呑まれてる自分。いかにして楽しようとばかり考えてないか?と言う事実を鼻先に突きつけられてしまった気分だし、何より、ここでのウィリーの問題って、本当に簡単に自分自身にも起こりえる事なんだよな。清廉潔白な政治家なんてものはまずおらんとは言われるけど、実際私生活だって自分自身が清廉潔白さとは離れてしまってることを知るし、簡単に欲望に負けてしまった人間の末路がこれだと思うと、寂しくなってしまう。 出来の良さもあるが、それを自分自身に突きつけられた思いをさせられたと言うのが本作の最も凄い部分だった。映画にはこんな力もあるのだ。映画の力というのはつくづく凄いものだ。 それを見事に体当たりで見せつけたクロフォードの演技も凄い。あの体格だと、前半部分の飄々とした姿も、権力に追われ険しくなる姿もどちらもはまっている。前半と後半の役作りの違いが恐るべき描写となっている。これを新聞記者という第三者の目で見るからこそ、その変貌ぶりが分かるというもの。 それに本作が作られた時代というものを考えても凄いと思える。 この時代は丁度赤狩りが始まった時代に符合し、ハリウッドでもその流れは席巻していた。事実監督のロッセンは赤狩りが始まった時、最初に喚問された19人の内の一人。本作が実は彼をリベラリストとして槍玉に挙げたきっかけになってしまったのだ(このシナリオを読んだジョン・ウェインは「まるでアメリカ的な生き方に硫酸を投げつけるようなものだ」と称したとか)。 それでロッセンは再喚問される間に本作を撮った訳だが、前半で正義のために戦い、後半になって金権政治にまみれていく主人公は監督自身を描いているのかもしれない。そんな逆風の中で作られたからこそ、本作の深刻さが染みわたる。1949年の作品賞オスカーはハリウッドが最後に見せた意地のようなものだったのかも知れない。 更にアメリカの恥部を描いたということでGHQの政治的圧力を受けて日本公開もされなかったという、かなり不運な作品でもある。 ちなみにAll's Kings Menとは、元々マザー・グースの「ハンプティ・ダンプティ」の詩で「王様の家来みんな」を示す言葉。割れてしまった卵を元に戻すことは出来ないように、一度腐敗してしまった政治家を元に戻すことは出来ないと言う意味とも取れる。 |
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