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1979 | 6'28 死去 | |
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | 対決 監督・脚本 | |
1971 | ||
1970 | 大空港 監督・脚本 | |
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | 36時間 監督・脚本 | |
1963 | ||
1962 | 零(ゼロ)下の敵 監督 | |
偽の売国奴 監督・脚本 | ||
1961 | 結婚泥棒 監督 | |
1960 | ねずみの競争 製作 | |
1959 | 僕は御免だ 製作 | |
1958 | 先生のお気に入り 監督 | |
1957 | 胸に輝く星 製作 | |
1956 | 誇りと冒涜 監督・製作 | |
1955 | ||
1954 | 喝采 監督・製作・脚本 | |
失われた少年 監督・脚本 | ||
トコリの橋 製作 | ||
1953 | ||
1952 | ニューヨークの異邦人 監督・脚本 | |
1951 | ||
1950 | 大空輸 監督・脚本 | |
1949 | 日曜は鶏料理 監督・脚本 | |
1948 | ||
1947 | 三十四丁目の奇蹟 監督 | |
1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | 聖処女 脚本 | |
1942 | ||
1941 | マイアミの月 翻案 | |
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | マルクス一番乗り 脚本 | |
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | 4'17 インディアナ州サウス・ベンドで誕生 |
大空港 1970 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1970米アカデミー助演女優賞(ヘイズ、ステイプルトン)、脚色賞、撮影賞、作曲賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、音響賞、編集賞 1970英アカデミー助演女優賞(ステイプルトン) 1970ゴールデン・グローブ助演女優賞(ステイプルトン) |
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その夜、アトランタ空港は大雪の中にあった。その中で欠航便を出すな、との厳命を受け、必死の除雪作業を行う地上整備班(ランカスター)達。だが丁度その時ローマ行きの旅客機内に爆弾を持った男が入り込んでいた。それを知った機長(マーティン)は何とかそれを回避しようとするが… 大スターを一堂に集め、いわゆるグランドホテル形式(1932年公開の『グランド・ホテル』(1932)で確立された群像劇)として作られた作品。ハリウッドの肝煎りで、豪華スターと金をふんだんに使ったお陰で見せ場も多く、まさにハリウッドの王道を行く作品と言って良いだろう。 物語はいくつかの場所で何人ものキャラクターが中心となっているのが特徴だが(無銭乗車を平気で行うお婆ちゃん、ちょっと過激な正確をしてるシスター、爆弾を持った男、それに地上での除雪を豪快に行う男とか)、面白いのは、その中でも一番の中心ととして最も良く登場するのが機長のディーン=マーティンではなく、整備主任役のバート=ランカスターである点だろう。地上に這いつくばって空の状況を交信でしか得ることが出来ない状態。自分ではどうしようもないもどかしさや、一方では迫り来る雪の驚異、上司のわがまま、ガールフレンド(?)との別れ話と戦わねばならないと言う複雑な役を見事こなしていた。縁の下の力持ちというのはまさに彼のような役目に当たる。それを前面に出すことで、ひと味違ったパニック映画を作り上げてくれていた。決して華々しくはなく、目立たないかも知れないが、地上で雪と戦い続けるジョージ=ケネディの猛々しさも格好良い。ところで無銭乗車をやらかしたお婆ちゃんって、往年の名女優ヘレン=ヘイズだったのね(当時70歳)。偶然に知ったけど、こんな所にまでしっかりスターを出すなんて、驚いてしまった。 勿論空中での見所もサスペンス感あふれる出来で、機長のマーティンもそうだが、スチュワーデスのジャクリーン=ビセットの行動は緊張感溢れていて良い。特に爆弾を持った男を前に一歩も引かない姿は、これ又格好良し。それを妨害する馬鹿な乗客にはちょっと腹も立つが、自分が同じ状況に置かれたら、やっぱりあの乗客みたいにいらんことを言って周りをパニックに陥れてしまうんだろうな。 サスペンスとストレス感、それを上回るパワフルさ、そして笑いと、よくここまでバランス良く詰め込んだものだ。この映画の成功により、飛行機ものが乱発されることになるのには目を瞑ろう(笑) 本作は豪快さとキャストの豪華さ故に当時としては破格の1000万ドルがかけられた作品で、ニューシネマ流行りのご時世にこれは冒険と思われていたようだ。しかし結果として4500万ドルの興行成績をたたき出してくれる。 |
喝采 The Country Girl |
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1954米アカデミー主演女優賞(ケリー)、脚色賞、作品賞、主演男優賞(クロスビー)、監督賞、撮影賞、美術監督・装置賞 1954NY批評家協会女優賞(ケリー) 1954ゴールデン・グローブ女優賞(ケリー) 1955英アカデミー女優賞(ケリー) |
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三十四丁目の奇蹟 Miracle on 34th Street |
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1947米アカデミー助演男優賞(グウェン)、脚色賞、原案賞、作品賞 1947ゴールデン・グローブ助演男優賞(グウェン)、脚本賞 |
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ニューヨークの百貨店メイシーは、34丁目で行われるクリスマス・パレードのサンタ役に、偶然通りかかったクリス・クリングル(グウェン)という老人を雇う。あまりのはまり具合に、人事係長ドリス・ウォーカー(オハラ)は彼をデパートのクリスマスセールのおもちゃ売り場に立たせてみたのだが、クリスはこども達のリクエストに応え、クリスはメイシーにないおもちゃがどの店に売っているのかを教えるようになる。デパートにとってはマイナスのはずのそれが何故かその顧客本位のサービスは大好評を博するようになり、ニューヨーク中の百貨店がこぞって真似するようになった。ドリスはクリスを家に招くが、非常に現実的に育てられた彼女の娘スーザン(ウッド)を見たクリスは彼女に夢の大切さを語って聞かせる。更にお隣に住む弁護士のフレッド(ペイン)とも仲良くなったクリスはフレッドのアパートに同居することになった。何事も順調にいっているように見えたが、クリスがメイシーが雇った精神分析医を怒らせてしまったため、病院で精神鑑定を受け、精神病院へ入れられることとなってしまった。自ら弁護役を買って出たフレッドはなんとクリスを本物のサンタクロースとして弁護するのだった。前代未聞の裁判の結果は… アメリカにおけるクリスマスの定番と言える作品で、最も数多く全米でテレビ放映された映画と言われている作品。それだけ家族全員で安心して観られ、しかもハートウォーミングな作品だと言える。 私にとっては、1994年に作られたリメイク『34丁目の奇跡』の方が観たのが先で、いい話には違いないけど、そこまで大騒ぎするほどでは。とか思っていたのだが、さにあらずだった。オリジナルである本作の持つパワーには正直、圧倒されてしまった。 単なるハートウォーミング作品。では括ることの出来ない内容を本作は持っている。サンタがいるいないという議論はとりあえず置いておいて、夢を見る心が人間にはあるのか?夢を失ってはいないか?と言うストレートな問いかけがここにはあった。 人間誰しも夢は持つだろう。だが、大人になるに従い、夢は手の届く範囲に限定されるようになり、それが具体的になればなるほど、人は現実に縛られるようになる。実現不可能あるいは本当に夢の世界だというのなら、それは現実とは相容れない単なる趣味の世界となる(例えば降霊術とか、妖精を観たとか、オカルティックに見られてしまいがち)。現実とは全く相容れない、何の得もしないものとして考えられてしまう。それよりは夢だったら、良い車を持ちたいとか、マイホームを持ちたい。家族に楽させたいとか、そう言ったものへと変わっていく。 人間誰しも夢は持つ。ただ、その夢の方向性が限定されるだけのことだ。 勿論ここでのオハラ演じるドリスは娘スーザン(何とナタリー=ウッドではないか!)に対しても夢を持っていたし、彼女にも夢を持つことを勧めてもいた。ただ、彼女の持つ夢というのは娘が社会の中で立派に育って欲しいとか、現実を見据えた人間になって欲しいとか、そう言う具体的な事柄に限られていた。そう言う意味では極めて現実的な夢を持っていた人物として描かれていたわけだ。 しかし、現実を認識することは確かに重要だが、それだけで生きていくのはあまりに潤いがなさ過ぎる。人間的魅力にも欠ける。 サンタというのは、心の中にある、一種の荒唐無稽な、象徴的な夢の代表のような存在だ。しかし、それこそが心の豊かさを象徴する存在でもある。 それこそが私たちの言う夢そのものである。「夢がある」と私たちが言った時、それはまさに「私はサンタさんを信じる」というのと同じ方向性を持つものだ。 本作は非常にストレート且つ、ふくらみを持たせた形でそれを明示した作品だと言えよう。直球で“夢”を問いかけると同時に、サンタの裁判というアイディアで見せてくれる。 それと本作は小技の数々が又巧い。まさにこの役を演るために役者をやってたんじゃないか?と思われたクリス役のグウェン。彼が子供に見せる笑顔と、大人に対する皮肉な目つきの違い。そして子役のナタリー=ウッドの表情が素晴らしい。最初心を開かず、小意地のわるさばかりが見えていたのに、徐々に、その冷たい仮面の下に、本当に夢を持っていることをかいま見せていることが分かり、そして最後はやっぱり小意地悪さを見せつつも、素敵な笑顔で飛び跳ねるシーンが又良いこと。その合間合間に入れられるウィットの効いた会話の数々も良い。 裁判の展開はちょっと変な具合だし、結審はまさに冗談としか思えないものだが、ほんとに笑えるし、面白いから良しとする。前代未聞の裁判だから、判事が混乱していたと考えればいい…いいのか?(笑) それに何と言っても良かったのはラストシーン。スーザンがクリスに頼んだのは家。これを本当にプレゼントしてしまったら絶対興ざめだと思ったのだが、クリスがスーザンにプレゼントしたのはそれではなかった。彼は家ではなく、家族をプレゼントした。そうドリスとフレッドに、スーザンの理想の家を買わせるという形で。最後に置かれたステッキが又、心憎い演出だった。 裏話をいくつか。クリスマスシーズンの定番とされる本作は、実はオリジナル公開は夏であった。実はこのアイディアを製作者側の方が乗り気でなく、低予算で作らざるを得なくなり、更にラッシュを観たプロデューサーのザナックはこれは売れないと判断したため、ヒット作が期待される冬は避け、夏に公開させたと言うわけだ。いくつかのの映画館では、これをロングランとして冬まで公開したとのこと。息が長くヒットしたわけだな。今でもまだヒットが望める作品だよ。 それでクリスが入れられる精神病院は2年前に公開され、オスカーを取った『失われた週末』(1945)で舞台となったベルビュー病院が当初予定されていたのだが、その描写に激怒していた病院側に断られたとか…まあ、無理もないか(笑) リメイクの方も確かに良かったんだが、やっぱりオリジナルのパワーは凄い。 |
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