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1952 | 10'27 トスカーナで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||||||
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人生は、奇跡の詩 2005 | |||||||||||||||||||||||||||
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イラク戦争開戦直前の2003年。ローマに住み、恋多き詩人として、妻とも別居。2人の娘に対してはよき父親として振る舞っていた詩人のアッティリオ(ベニーニ)は毎晩不思議な夢を見ていた。ヴィットリア(ブラスキ)という女性との結婚式の夢なのだが、何故か夢の中ではおかしな事ばかり起こり、肝心の結婚になかなか至らないのだった。一方現実では当のヴィットリアは常にアッティリオにすげない振る舞いで、まるで相手にしてくれない。そんな時、二人の友人で著名な詩人フアド(レノ)は、突然イラクに戻ると宣言する。フアドの伝記を書いていたヴィットリアは彼に同行するが、そこで爆撃を受けて負傷、意識不明の重体に陥ってしまう。報せを受けたアッティリオは、取る物も取りあえず、危険な戦地へと向かうのだったが… 以下はかなりのネタバレを含むため、もしこれから観ようと思う人がいたら、読まないように。 かつて『ライフ・イズ・ビューティフル』(1998)で号泣した。これだけで遠いシネコンまで足を運んで観るモチベーションは充分。しかも期待にそぐわぬ良質作品だった。 だけど、映画観ている途中では実はそうは思ってなかった。 理由は簡単。ベニーニ演じる主人公の造形がどうにも嫌いだったから。特に最初の方の描写。二人も娘がいて、妻と別居までしているというのに、女性に夢中になって、悪びれる事がない。ましてや片思いで結婚まで夢みているなど、 それが変わってきたのは、途中で愛するヴィットリアのため、どんな無理をしてどんな嘘を言ってもイラクまで行ってしまうという行動を観た時から。あらら、情熱家ってのは分かるけど、ここまで一人の女性のために尽くせるとは、激しい愛情だこと。 で、言うまでもないが、ラストシーンでやられた。なるほどこう来たか。今まで私が不満に思ってきたことが、たった一つの事実で全て覆される。ここまで伏線を引っ張ってきて、全てを消化されたとあっては文句も言えない。又してもベニーニにやられてしまったよ。 それに劇中における夢の結婚式の演出は白眉。光の持って行き方でキラキラと輝くシーンや、夢だけに不条理な出来事が起こる描写も良い。そもそも夢を題材にした映画って大好きだし、詩人トム=ウェイツ本人の歌う愛の詩も素晴らしい。 概ねにおいては大満足。ただ、それでもいくつかは不満点が残った。 『ライフ・イズ・ビューティフル』は民族浄化が主眼だったため、一般レベルに目がちゃんと行っていたが、本作では愛を強調するあまり、あまりにもイラクの人に対する描写がなおざりになってしまったし、アッティリオの目はそれしか見えてなかった。死を描くと話が重くなりすぎるし、政治的な配慮があったのかも知れないけど、ちょっとでもイラクでの生活レベルの描写があれば良かった。それに後半でのフアドの死もちょっと説明不足。何故彼が死なねばならなかったのか。内面の葛藤だとしても、それを匂わせる部分は必要だったはず。その分でマイナス。これがクリア出来ていれば最高評価になったのだけど… 後、関係ないけど、本作を観たのはミニシアターで、本作のチラシも置いてあった。それを手にしたが、着いた時間がギリギリだったので目を通さずに映画本編を観て、その後チラシを読んだら…一番重要なところが完璧ネタバレになってるじゃないか。読まなくて良かった。 |
ピノッキオ 2002 | |||||||||||||||||||||||||||
2003ゴールデン・ラズベリー最低主演男優賞(ベニーニ)、最低作品賞、最低監督賞(ベニーニ)、最低脚本賞、最低スクリーン・カップル賞(ベニーニ&ブラスキ)、最低リメイク・続編賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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ライフ・イズ・ビューティフル 1998 | |||||||||||||||||||||||||||
1998米アカデミー主演男優賞(ベニーニ)、外国語映画賞、音楽賞、作品賞、監督賞(ベニーニ)、脚本賞(ベニーニ、ヴィンセンツォ=セラミ)、編集賞 1998カンヌ国際映画祭グランプリ(ベニーニ) |
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1939年、イタリアのトスカーナ地方。ユダヤ系イタリア人のグイド(ロベルト・ベニーニ)は、本屋を開く志を抱いて、アレッツォの街にやって来た。到着早々、魅力的な女性ドーラとの出会い、彼女のことを「お姫さま」と呼び胸ときめかせるグイド。婚約者のいるドーラだったが、何と婚約発表の席で彼女を奪って逃げてしまう。数年後、二人の間にできたジョズエと共に、幸せな生活を送っていたグイドは、ユダヤ人という理由で強制収容所に入れられることになる。ジョズエを怯えさせぬため、グイドは息子に対し、一つのうそを付く… 前知識無しに観に行って、衝撃を受けた。 前半部、ちょっと派手すぎるベニーニの口の巧さで大笑いしていたら、後半一転して重い内容になる。その中でも出てくるユーモアのセンスも良いし、映画最後が又、実に良かった。一本で二本分の映画を観ることが出来た、そんな得な気分になった。 最後まで自分の息子を騙しきることがこの作品のキモだが、現実味があるとは決して言えないながら、その為に払ったグイドの努力には本当に涙が出た。処刑される瞬間まで子供に怖れを見せないよう、おどけてみせる父親…これこそ理想の父親像じゃないか。 その年のアカデミー賞の外国映画部門、映画部門両方にノミネートされたが、オスカーを逃したのは正直残念に思ったものだ。外国語ってのがやっぱネックだったかな? 特に後半部分、『シンドラーのリスト』(1993)のように収容所を悲惨に描くのは難しくないが、それをファンタジーに仕立てたベニーニ監督の発想の姿には驚かされる(ファンタジー過ぎて嘘っぽくなってしまったのがちょっとだけ残念だけど)。 イタリアの映画だとトルナトーレ作品が一番に挙げられるが、好みの点で言えば、こちらの方が遙かに上。 本作は又、映画史に於いて重要な役割も担った。即ち、「喜劇に出来ない素材はない」ということである。 ミラマックスが力押しでアカデミーまで持っていったと言われる。 受賞スピーチは15分に及んだが、ユーモアたっぷりで、最後に「私は知っているありったけの英語を使い尽くしました。感謝の気持ちをどのようにして残らず表現できるでしょうか」で締めた。 |