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ヴィットリオ・デ・シーカを感動する―イタリア・ネオリアリズムの旗手 _(書籍) |
1974 | 11'13 死去 | |
1973 | ||
1972 | ||
1971 | 悲しみの青春 監督 | |
白銀の冒険 出演 | ||
1970 | ひまわり 監督・製作 | |
1969 | 火曜日ならベルギーよ 出演 | |
1968 | 恋人たちの場所 監督 | |
大泥棒 出演 | ||
栄光の座 出演 | ||
1967 | 女と女と女たち 監督 | |
1966 | 恋人たちの世界 監督 | |
紳士泥棒 大ゴールデン作戦 監督 | ||
華やかな魔女たち 監督 | ||
1965 | モール・フランダースの愛の冒険 出演 | |
1964 | ああ結婚 監督 | |
1963 | 昨日・今日・明日 監督 | |
アルトナ 監督 | ||
黄金の五分間 監督・出演 | ||
1962 | ボッカチオ'70 監督 | |
1961 | アラジンと女盗賊 出演 | |
1960 | ふたりの女 監督 | |
ナポリ湾 出演 | ||
夜と昼の間 出演 | ||
潜行突撃隊 出演 | ||
求むハズ 出演 | ||
1959 | ロベレ将軍 出演 | |
ナポレオン/アウステルリッツの戦い 出演 | ||
1958 | 恋はすばやく 出演 | |
1957 | モンテカルロ物語 出演 | |
武器よさらば 出演 | ||
恋はいそがず 出演 | ||
カジノ・ド・パリ 出演 | ||
1956 | 屋根 監督 | |
わが息子暴君ネロ 出演 | ||
1955 | バストで勝負 出演 | |
殿方ごろし 出演 | ||
1954 | パンと恋と嫉妬 出演 | |
寝台の秘密 出演 | ||
1953 | 終着駅 監督・製作 | |
パンと恋と夢 脚本・出演 | ||
たそがれの女心 出演 | ||
1952 | 懐かしの日々 出演 | |
1951 | ミラノの奇蹟 監督 | |
ウンベルトD 監督 | ||
1950 | 明日では遅すぎる 出演 | |
1949 | ||
1948 | 自転車泥棒 監督・製作 | |
1947 | ||
1946 | 靴みがき 監督・脚本 | |
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
1942 | 子供たちは見ている 監督 | |
1941 | 金曜日のテレーザ 監督・脚本・出演 | |
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ナポリのそよ風 出演 | |
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | ||
1907 | ||
1906 | ||
1905 | ||
1904 | ||
1903 | ||
1902 | ||
1901 | 7'7 フロジノーネで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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悲しみの青春 1971 | |||||||||||||||||||||||||||
1971米アカデミー外国語映画賞、脚色賞 1971ベルリン国際映画祭金熊賞 1972英アカデミー国連賞、撮影賞 |
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ひまわり 1970 | |||||||||||||||||||||||||||
1970米アカデミー作曲賞(ヘンリー=マンシーニ) | |||||||||||||||||||||||||||
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ナポリの女性ジョヴァンナ(ローレン)は、かつて激しく愛し合い、ソ連の戦線に送られて以来、戦後も行方不明になった夫アントニオ(マストロヤンニ)を探すことを決心する。だが、苦労の末探し当てた夫は、シベリアの娘と既に結婚をしていた事を知る… 戦後を描いた作品というのは映画では数多く作られている。そのジャンルでかなり多いのは女性を主人公として、帰らぬ夫を待つ。これは一つのジャンルとして確立した感がある。それらの作品の中で最高峰の呼び声が高い本作。 ところでこの手の恋愛作品で一番大切なのは何かと言われると、多分主人公に自己同化出来るかどうかにかかっている。 ここでのソフィア=ローレンは実に激しい愛憎感情を持った女性を演じているが、彼女は顔立ちがはっきりしているだけに感情を表した時、表情がきつめに感じられる。それでどうもあの濃すぎる表情と、激しい感情の幅にちょっとついていけなかった感じ。少なくともあの迫力ある顔で迫られると、哀しみよりも何か逃げたいと思ったりして(笑)…ソ連の駅でジョヴァンナに迫られて逃げる男性の気持ちの方により同化してしまった。結局そこで主人公のジョヴァンナに同化できなかったため、ちょっと敬遠気味。 それに、雪国生まれの私としては、あのシベリア行軍がどうしても寒く見えなかったし…多分それ程本当に寒い所で撮ってなかったんじゃないかな?それに人物描写の構図は決して悪くないけど、光の使い方が下手すぎ。 勿論、良い所も山程ある作品。都合二回出てくるミラノ駅での別れのシーンが、同じ雑踏なのに、全く違って見える演出や、特にあのひまわり畑で、マンシーニのテーマが流れるシーンは圧巻。「桜の下には死体が埋められているに違いない」というのは梶井基次郎だが、ロシアではひまわりの下に死体が埋まってると言うことか。 |
紳士泥棒 大ゴールデン作戦 Caccia alla volpe |
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ああ結婚 Matrimonio all'italiana |
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長い闘争の中でついに妻の座を射止めた女性の姿を描くコメディ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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昨日・今日・明日 Ieri oggi domani |
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屋根 Il tetto |
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1956カンヌ国際映画祭国際カトリック映画事務局賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ウンベルトD Umberto D. |
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ウンベルトD Umberto D. |
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1955NY批評家協会外国映画賞 1956米アカデミー原案賞 1962キネマ旬報外国映画第7位 |
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ウンベルト(バッティスティ)は年金生活を送っている老人で、狭いアパートに愛犬フランクと過ごしていた。だがわずかな恩給ではこんなアパートでも部屋代がたまって意地の悪い管理人(ジェンナーリ)追いたてをくっている有様だった。同じアパートにはマリア(ピア・カジリオ)という父なし子を身ごもった貧乏なやさしい娘がおり、二人はまるで親子のように慰めあって生活を送っていたが、ある日、とうとうウンベルトは強制たち退きを受けてしまう。途方にくれるウンベルトはあてどなく街をさまよう… 映画界に衝撃を与え、ネオ・リアリスモという言葉を世に広めたデ・シーカ監督自身による『自転車泥棒』と同じテーマで制作された、イタリアン・ネオ・リアリスモ作品。主人公ウンベルトを含め(この人はフィレンツェ大学教授とのこと)、登場人物の大部分は素人を使い、撮影もローマ市街そのものを使って撮影された。 この2作を観比べてみると面白い。格段に映像技術が上がったと言うハード的なものもあるが、内容的にも街の活気の焦点が変わってきている。 『自転車泥棒』時代のローマは戦争の傷跡がまだ生々しく残っている時代で、街の活気も表通りよりは泥棒たちが巣くう裏通りの方が中心で、そこをさまよう親子が描かれていたのだが、こちらではウンベルトがさまようのは表通りの方。普通の生活を取り戻し、復旧した街が中心なのだ。それまでの目端の利く人間ばかりが良い思いをしたり、一日で没落したりと言った激動の時代ではなく、まじめに働く人間に正当な報酬が与えられる時代に移ってきている。社会的に安定し始めた時代と言える。確かに公共の乗り物も増えて、車通りもある。 だが、だからと言って貧しいものがいなくなったのか?と言えばさにあらず。貧しい人は数多くいるわけだし、本作のウンベルトのように社会の歪みによって、これまでの生き方そのものを否定されてしまった者もいる。当時のイタリアでは社会の混乱はまだ続いていたし、たとえ社会が混乱していなかったとしても、必ずこういう人は出てくるものだ。 ここでのウンベルトは、そう言う意味では本人に何の落ち度もないのに、社会的な問題から弱者にされてしまった人になるだろう。ただ、で『自転車泥棒』のアントニオは家族のために働いているのに対し、ここでのウンベルトには係累がない。マリアとは交流があるものの、これはあくまで他人である。ただ彼には犬がいて、それが彼を人生に踏み留めている。それがより寒々しい描写になっているのも特徴と言えるだろう。 確かにこの描写は寂しい。だけどその寂しさがしみじみとした愛情を見せてくれている。 これも又、人生の縮図なのかも。 |
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自転車泥棒 Ladri di biciclette |
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1949米アカデミー特別賞、脚色賞 1949英アカデミー作品賞 1949NY批評家協会外国映画賞 1949ゴールデン・グローブ外国映画賞 |
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長い失業が続いたアントニオ(マッジォラーニ)はようやく役所から映画のポスター貼りの仕事を回してもらった。仕事には自転車が必要だったため、シーツを質に入れて自転車を請け出し、六歳の息子ブルーノ(スタヨーラ)を自転車に乗せ、彼はポスターを貼ってまわり始める。慣れない仕事も順調にいきだした頃、ちょっとしたすきに自転車が盗まれてしまった。自転車がなければ仕事が続けられないので、ブルーノを連れ、方々を探し回るアントニオ。古自転車の市場に行ったり、泥棒らしき男を追いかけたり、占いに頼ってみたり…そしてついに思いあまったアントニオは自分も自転車泥棒をしてやろうとまでするが… いわゆるイタリアン・ネオ・リアリスモの代表作の一本。貧しい家族の生活を暖かい目で見守る作品で、生活の厳しさと悲惨さを出しておきながら、それが決して本当に悲惨なだけで終わらないところが本作の最大特徴であり、それが本作を傑作たらしめている部分と言えよう。 本作が製作されたのは1948年。日本同様枢軸側で参戦したイタリアも連合国の侵攻で敗北。最後は連合国側で戦ったとはいえ、敗戦国である以上非常に苦しい戦後経済状態だった。丁度日本では小津安二郎の『風の中の牝鶏』(1948)および黒澤明の『酔いどれ天使』(1948)が公開された年である。イタリアも日本も敗戦国として(イタリアの事情はもうちょっと複雑で、大戦末期は連合国側として戦っているため戦勝国でもあるんだが)戦後の復興期に当たる時代だが、この復興期というのが経済格差が最もよく出てくる時代でもある。 目端が利き、巧く立ち回れるものはどんどん富んでいくが、国民の大多数はいくら真面目に働いても、食うのがやっと。それどころか仕事さえないと言う状況に置かれる。貧富の差が大変激しい時代であり、同時に先の大戦の様々な負債を抱え込んでいる時代だった。町並みは荒れ果て、人の心もすさむ。貧乏な人間はますます貧乏になっていき、モラルも低下する。 これは悪いことだけではない。復興に至る過程だと言うことだって出来るのだ。現に日本で荒れイタリアであれ、ドイツであれ、第二次世界大戦の敗戦国はそれらの過程を経て経済復興を成し遂げた。一種この状態は必要だった事が、後代から観る私たちには分かっている。 だが、勿論これは現代という時代から私が観ているからこのような事が言えるだけの話で、その当時に生きていた人間にとっては、実際シャレにならない状況にあったわけだが。 それで、そのシャレにならない時代に、映画はどう作られていったか。本作はその良い例となっているだろう。 夢物語ではない。実際直面している辛い現実というものを、淡々と、しかし暗くなりすぎず、どことなくユーモラスに描く。日本でもイタリアでも現代まで残る良作の多くは、こういった形を取っている(日本では戦前の小津作品なんかがそれに当たるだろう)。 現実に即し、そこで暗くなりすぎずに、映画館を出る時はちょっと気分良く出られる。映画の持つ魅力の一つだが、このような状況にあっては、本作のような作りが一番それに見合っているのかも知れない。 それで本作は、そのような時代背景における親子の関係を描いているが、何をやっても上手く行かず、それでも家族に対する責任感はしっかりある父のアントニオと、そんな父をこどもなりの倫理観で見つめているブルーノの微妙な関係が見事。彼は父親が悪いことをしていることは知っているが、そうしなければならない状況というのも理解しており、たとえ世間のみんなが父を責めても、自分だけは父の側に付いていることを、しっかり態度で示していた。 親というのは子供に対し、親でありたいが為に尊大な態度に出る。しかし、肝心の自分自身があまりに情けない状況に置かれているため、子供に対しても、それほど大きな態度に出られず、むしろ子供に今の自分を観られていることを恥ずかしく思いつつ、それでもなんとか誇りを持とうとする父の姿。そしてそんな父の姿を見ながら、それでも健気に付いていこうとする子供の姿。彼は自分の周りで何が起こっているのかも、正確には把握していないだろう。だけど、自分のなすべき事だけは分かっている。父には、自分が必要なのだと。だから一生懸命に父の後を追う。これが何とも言えない寂しさと共に、ほのぼのした暖かさとなって、観ているこちらまでなんか暖かい気分にさせてくれる。 仲間意識の強いイタリアの民衆の描写も良い。アントニオの自転車が盗まれたとあって、金は無くても何か力になろうと集まってくる親戚達もそうだし、そのアントニオが自転車を盗んだ時、袋だたきに遭わせる人間が次から次へと出てくる。この辺がイタリアのお国柄なんだろうか。 思えばチャップリンの『キッド』(1921)もその系統だけど、こちらの方がリアリズムと時代には即している事から、コミカル性を廃しても充分にその暖かい思いが伝わってくるようだ(どちらかというと小津監督の『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』(1932)の方が近いか?)。 見事な好演ぶりを見せた父子だったが、実は二人ともプロの役者で無いというのが面白い。父を演じたマジョラーニはローマの電気工で、子役のスタヨーラも監督が街で見つけてきた少年だとのこと。素人臭さまでをもコントロールしてる監督の凄さと言っても良い。 ちなみにこの作品の助監督の中には後に『荒野の用心棒』(1964)を撮り、マカロニ・ウエスタンを確立したセルジオ・レオーネがいる。 |
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