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1960 | 誕生 |
ギャザリング The Gathering |
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イギリス郊外の村、グラストンベリーに住むマリオン(フォックス)とサイモン(ディレイン)の夫婦。美術専門家のサイモンは先日発掘された古い教会の壁画の調査を依頼されて留守がちだが、後妻のマリオンはエマとマイケルという二人の子供を立派に育てようと躍起になっていた。そんな時、マリオンは車で旅行者のキャシー(リッチ)という女性を轢いてしまう。肉体的には無事だが、記憶障害の残るキャシーをマリオンは引き取ることにする。子供の面倒をよく看るキャシーはだが、徐々に不思議な幻視に悩まされるようになっていく。一体自分の身に何が起こっているのか、そして村に集まってくる謎の人物集団は誰なのか。悩むキャシーだったが… クリスティーナ・リッチ。そもそもこの人はデップ目的で観たスリーピー・ホロウ(1999)で注目したおだが、その後、そういえばアダムス・ファミリー(1991)で印象深いウェンズデーの役もやってたし、バッファロー'66(1998)のライラなど、なるほど。改めて考えてみると、確かに大変な好みの女優だったことが分かり、すっかり大ファンになってしまった。 それでリッチの魅力ってなんだろう?と考えてみると、どこか浮世離れした神秘的な部分がある点なんだが、その逆か?とも思える。この人の目はとにかく冥い。その目にはまるで闇を見ているような、不思議な印象がある。だからむしろ、神秘というよりはデモーニッシュな魅力の方が強いと言うことなんじゃなかろうか? この暗さは、これは大きな強味であると共に、役を徹底的に狭めることになってしまうのだが、その辺を分かってる監督に描写させると、異様なほどのはまり具合を見せる。 その点で言えば、本作は彼女の魅力を本当によく引き出していた。自分自身のことまで分からず、しかも邪眼まで持つと言う設定は本当に見事だ。彼女をしっかりと受け止めることが出来ていた。 又一方、主人公が記憶をなくしていることから、一種の記憶を紡ぎ出す推理ものとなっているし、数多くの伏線もしっかり消化できていた。観ているこちら側としても、最初の居心地の悪さが、徐々にあるべき場所にはまっていく過程を楽しむことが出来る。オカルトものとして考えるならば、これは教科書的な巧さと言っても良い。 ただ、一面私は本作にはまれない部分もやはりあった。 一番の問題点は、“ギャザリング”として、集まった人間が何でこの町にわざわざ集まってきたのか、と言う説明がすっぱりと抜けてる。彼らは“観る”ことしか出来ないのだが、他にいくらでも観るべき場所(つまり悲惨な場所)はあるだろうに、何故この町だけなんだ?その辺は説明してくれないと分からないはずなのに、そこが全く抜けてるのが説明不足過ぎ。それに、何でギャザリングの面々はみんな中東じゃなくてヨーロッパの人たちなの?その点、一言でも説明入れられたら良かったのに。 あとこれは完全なる好みの問題だが、オカルトとして描くのであれば、ハッピーエンドで終わって欲しくなかった。最後、キャシーはマイケルを守りきるのではなく…自分の幻視を実現するためにマイケルを…なんてオチにするのか?とか期待してた自分が確かにいるもので…いや、そりゃ確かに悪趣味だけどさ。だから、どうしてもオチが弱く感じてしまって。オチが予想通りであったら、どれほど後味が悪くても、多分点数は跳ね上がっただろう。 |
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