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ルイス・ギルバート
Lewis Gilbert

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鑑賞本数 合計点 平均点
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書籍
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1983
1982
1981
1980
1979 007 ムーンレイカー 監督
1978
1977 007 私を愛したスパイ 監督
1976
1975 暁の7人 監督
1974
1973 続フレンズ/ポールとミシェル 監督・脚本
1972
1971
1970 フレンズ/ポールとミシェル 監督・原案・製作
冒険者 監督・製作・脚本
1969
1968
1967 007は二度死ぬ 監督
1966 アルフィー 監督・製作
1965
1964 第七の暁 監督
1963
1962 戦艦デファイアント号の反乱 監督
1961 女になる季節 監督
1960
1959 香港定期船 監督・脚本
ビスマルク号を撃沈せよ! 監督
1958 スパイ戦線 監督・脚本
1957
1956 殴り込み戦闘機隊 監督・脚本
1955
1954 善人は若死する 監督・脚本
1953 暴力の恐怖 監督・脚本
1952 恐怖の五日間 監督・脚本
1951
1950
1949
1948
1947
1946
1945
1944
1943
1942
1941
1940
1939
1938
1937 淑女は離婚がお好き 出演
1936
1935
1934
1933
1932
1931
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1929
1928
1927
1926
1925
1924
1923
1922
1921
1920 3'6 ロンドンで誕生

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タイトル

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物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

007 ムーンレイカー 1979
1979米アカデミー視覚効果賞

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アルバート・R・ブロッコリ
マイケル・G・ウィルソン(製)
クリストファー・ウッド(脚)
ロジャー・ムーア
ロイス・チャイルズ
ミシェル・ロンズデール
コリンヌ・クレリー
リチャード・キール
バーナード・リー
デスモンド・リュウェリン
ロイス・マクスウェル
マイク・マーシャル
ウォルター・ゴテル
ジェフリー・キーン
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第11作
007 ジェームズ・ボンド全仕事
俺たちの007(書籍)
 アメリカからイギリスへ空輸中のスペース・シャトル“ムーンレイカー"が、アラスカ上空で突如何者かにハイジャックされた。英国情報部の指令でジェームズ=ボンド(ムーア)はアメリカへ飛ぶ。“ムーンレイカー”の開発者ドラックス(ロンズデール)と会ったボンドは、彼こそが事件の張本人だと直感する。ドラックスの秘書コリンヌ(クレリー)の助けを借りて事件の鍵を握るマイクロ・フィルムを手にするが、それを知ったドラックスにより命を狙われることになる…
 
1979年全米興行成績8位
 今回のボンドの移動は
ロンドン〜アメリカ〜ヴェニス〜リオ〜宇宙!。大西洋を往復半した上に宇宙にまで行ってしまうと言う、シリーズ中別格の移動距離を誇る。これに敵うのはおそらくシリーズでは無かろう。それだけでも快挙といえる。
 前作『007 私を愛したスパイ』の続きでコメディ・タッチで描かれるが、前作でのバランスはどこへやら。ほとんどギャグ映画と化してしまった。派手さだけは無茶苦茶にあるんだけど、その大部分は殆ど馬鹿やってるだけ…いや、これはこれで一つの味ではあるんだが。その味がとにかく大味になってしまってるよ。
 宇宙へ飛ぶボンドってのは、確かに大風呂敷を広げたな!って感じではあったが、宇宙遊泳のシーンなんかは、SFって言うよりむしろ、
暗黒舞踏を観てる気分だ。妙に笑える部分と、腹の立つ部分とが混在してる。
 ドラックス役のロンズデールや、前回から引き続き登場のキール扮するジョーズなど、キャラは確かに立ってるけど、彼らのエキセントリックな演技が全部外した笑いになってしまったのが悲しいところだ。ジョーズのデートなんて観たくなかったし、ドラックスの死に様の情けなさなど、ちょっとなあ。
 更に刺客として登場する東洋人の殺し屋(シリーズではお馴染みだな)は何故か剣道着を着込み、竹刀で雄叫びをあげて突っ込んでくる…これは
ピンク・パンサーシリーズのケイトーを思わせて面白いけど、殺し屋が夜中に声を上げるか。
 これに関しては、なるだけ頭を空っぽにして、ストーリーも考えず、目に見えるものを素直に楽しむことをお勧めする。ギャグ作品としては一級品なんだから。
007 私を愛したスパイ 1977
1977アカデミー作曲賞、歌曲賞、美術監督・装置賞
1977
英アカデミー作曲賞

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アルバート・R・ブロッコリ(製)
クリストファー・ウッド
リチャード・メイボーム(脚)
ロジャー・ムーア
バーバラ・バック
クルト・ユルゲンス
キャロライン・マンロー
リチャード・キール
バーナード・リー
デスモンド・リュウェリン
ロイス・マクスウェル
ウォルター・ゴテル
ジェフリー・キーン
ジョージ・ベイカー
マイケル・ビリングトン
ロバート・ブラウン
オルガ・ビセラ
ヴァーノン・ドブチェフ
ナディム・サワラ
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第10作
007 ジェームズ・ボンド全仕事
俺たちの007(書籍)
 ほぼ同時期に突然謎の失踪を遂げた核ミサイルを積んだイギリスとソ連の原子力潜水艦。英国情報部からその調査を指令されたボンド(ムーア)だが、この調査はソ連との共同作戦で、ソ連の美人スパイの“トリプルX”アニヤ(バック)とパートナーを組むことになった。実はかつてアニヤの恋人のソ連スパイを殺した過去を持つボンドだったが、この作戦が終わるまでと、二人は感情を押し殺して捜査を進める。捜査線上に浮かんだのは地中海に“アトランティス”という海底基地を持つストロンバーグ(ユルゲンス)で、彼は刺客としてジョーズ(キール)を二人に差し向ける…
 今回のボンドの移動は
アルプス〜ロンドン〜エジプト〜フランス〜地中海と、基本的にヨーロッパ内。
 記念すべき10作目の作品。前作『黄金銃を持つ男』(1974)が興行的に失敗したため
(私は結構気に入ってるんだが)、相当に気合いを入れて作られた本作。記念の10作目を飾るにふさわしいスケールの作品に仕上がった。バランスで言えば、シリーズ屈指の良さだ。
 とにかくこの作品はサービス満点で、冒頭から手に汗握るアクションシーンから始まり、スケールの大きさと奇想天外な秘密兵器にスピード感と緊張感溢れるストーリー展開。そして幾多のパロディ。これぞムーア・ボンドの真骨頂といえる作品。無茶苦茶魅力があるものばかりだ。ストーリー展開も、核爆弾による米ソ破壊を数秒のアドヴァンテージで回避するとか
(ちょっと気になるのは、核ミサイルの標的はモスクワとNYとなってるけど、なんでワシントンじゃないの?)、仇同士が組んで任務を遂行するとかの緊張感がほどよく加味されてるし、海底基地アトランティスや超大型タンカーの中での活劇など、舞台も魅力的(特撮ファンだから、この描写は絶対支持したい)。ボンド・カー(今回はロータスエスプリ)のギミックも凄い上に、笑いも忘れてない。今回はQ(リュウェリン)とのやりとりも長めに取られてるのも個人的に評価したい。
 勿論キャラクターも魅力的。ボンドは
相変わらず肝心なところでドジだし(あんな簡単に睡眠薬を嗅がされるヒーローは前代未聞だろう)今回のボンド・ガールであるバック(後のビートルズのリンゴ・スター夫人)が、これまでに無い、非常に意志力の強い女性を演じてくれたのもあるけど、なんと言っても本作はあのジョーズに尽きる!ひたすら目的を遂行しようとする、まるでターミネーターを真似たような(逆だ!逆!)タフさと強さ。更にターミネーターとは違い、ふんだんに笑わせてくれるのも心憎い演出だ(『ロシアより愛をこめて』(1963)をパクった寝台列車のアクションで、ボンドとアニヤが長々やりとりやってる間、ずーっと黙ってクローゼットに隠れていた姿を考えると、今でも笑えてくる)。最後には名前のように本当に人食い鮫と格闘までしてくれるサービスぶり。次作『ムーンレイカー』(1979)にも登場するのはむべなるかな。
 笑い部分はそれだけじゃない。エジプトまで出張しておきながら、全くロンドンと変わってない働きをしてる英国情報部の描写とか(マニーペニーとボンドのやりとりまで全く同じ)、ソ連スパイの呼び出し音が
『ドクトル・ジバゴ』(1965)のテーマソングになってるとか、エジプトに行ったらいきなり『アラビアのロレンス』(1962)のテーマが流れるとか、凄く楽しい。
 確かに出来レース部分が強調された作品ではあるが、私はこれを支持したい。
007は二度死ぬ 1967

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ロアルド・ダール(脚)
ショーン・コネリー
若林映子
浜美枝
丹波哲郎
ドナルド・プレザンス
バーナード・リー
ロイス・マクスウェル
デスモンド・リュウェリン
カリン・ドール
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第5作
 衛星軌道上の宇宙のカプセルが、次々と軌道から姿を消すという怪事件が起った。米・ソは互に相手国の仕業と疑い国際的危機は高まるばかり。これが何ものかの陰謀であることをかぎつけた英情報部は、妨害ロケットが日本から発射されている事を探知し、ボンド(コネリー)に、10日後のアメリカのジェミニ打ち上げまでに、敵の正体と本拠地、その目的をさぐれと命をうけた。日本の秘密諜報機関長田中(丹波哲郎)と秘書アキ(若林映子)の協力を得て、ボンドは日本での活動を開始するが…。
 全編日本を舞台としたシリーズ異色作。移動距離は日本国内のみ(東京〜神戸〜黒島)。本編シリーズ中最短の移動距離
(ロンドンに帰りもしないため、Qとのやりとりも日本国内でやるというこだわりよう)。そのスケールの小ささからか、前作『007 サンダーボール作戦』(1965)と比較すると初めてのシリーズ減益となってしまった(とはいえ、予算的にはスケールは決して小さくなどなく、この作品の製作費はこれまでの4作合計金額と同程度の950万ドルが使用されたし、この年公開された幾多のスパイ作品中群を抜く興行成績だったそうだが)。
 初代ボンドのショーン=コネリーによる5本目の作品。コネリー版では本作が私の一番のお気に入り。スケールの大きさはシリーズ屈指だし、本作から本格的に始まった特撮も力が入ってる
(これが一番の理由だったりする)。それに今まで顔が出てこなかったスペクターのナンバー・1、ブロフェルド(名前が明らかにされるのは次作だが)が初めて顔を見せているのも大きい。
 それに、日本人ボンド・ガールの若林映子、浜美枝の二人も、見事にはまってた。コネリーを相手に一歩も引かぬ見事な演技を見せてくれていた。実はこの二人、元々は役割が逆で、既に国際派スターとなっていた若林映子の方をメインにしたかったそうだ。そっちの方も観てみたかったな。彼女だったらアクションも充分こなせるし…又、後に東宝の看板女優となる浜美枝の出世作でもある
(浜美枝は実は一部コネリーの妻ダイアン=シレントが吹き替えている部分があるらしい)。多分浜美江が選ばれたのは和製スパイ映画『100発100中』(1965)での好演ぶりが評価されたお陰だと言われている。
 確かに日本を舞台としたのは、日本人の私にとっては痛し痒しで、これまで以上にアラが多いのは紛れもない事実。つれづれに挙げてみると、鹿児島に上陸したボンドがすぐに東京の町を歩き、次に神戸に現れたと思うと、阿蘇の山に潜入しているとか
移動距離は無茶苦茶だし、最後の舞台アキ島(舞台は熊本の阿蘇山)の事を、「神戸と上海の間にある島」とか言ってるし…いや、確かに九州は神戸と上海の間にある島には違いないけどね(笑)。日本人に変装したコネリーってのも、相当に無理があるよ…ちゃんと丹波哲郎がアドヴァイスしたんだから、せめて胸の回りはちゃんと剃らないとね(笑)。常にビキニ姿で出てくる浜美枝を「海女」と言ってしまうのも大分無理が…更に、文化遺産にあまり頓着しなかったためロケ地の姫路城の白壁を傷つけてしまったという問題も生じさせた。
 …でも、その辺のどう見たって無理な設定が、まるで気にならないのが本作の最大の良さ!
(「気にしてるじゃん」というつっこみは甘んじて受けます)。阿蘇のカルデラの移動シーンは感動さえ覚えるぞ。
007 ジェームズ・ボンド全仕事
俺たちの007(書籍)
アルフィー 1966
1966米アカデミー作品賞、主演男優賞(ケイン)、助演女優賞(マーチャント)、脚色賞、歌曲賞
1966
英アカデミー新人賞(マーチャント)、国内作品賞、国内男優賞(ケイン)、脚本賞、撮影賞
1966カンヌ国際映画祭審査員特別賞(ギルバート)、パルム・ドール(ギルバート)
1966全米批評家協会主演男優賞(ケイン)
1966ゴールデン・グローブ英語外国語賞

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ルイス・ギルバート(製)
ビル・ノートン(脚)
マイケル・ケイン
シェリー・ウィンタース
ミリセント・マーティン
ジュリア・フォスター
シャーリー・アン・フィールド
ジェーン・アッシャー
ヴィヴィエン・マーチャント
アルフィー・バス
デンホルム・エリオット
エレノア・ブロン
グレアム・スターク
マーレイ・メルヴィン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
原作:ビル・ノートン
 ロンドンの下町イースト・エンドに住み、女性を落とす魅力にかけて絶対的な自信を持つアルフィー(ケイン)は、シディ(マーティン)とのつきあいを打ち切ってギルダとつきあい始める。だが、彼女の妊娠を知り、慌てている内にギルダは他の男と結婚してしまう。精神的ショックと不摂生がたたり、結核で入院を余儀なくされたアルフィーだったが、そこでもやはり次々と女性を口説いていった。なんとその中には友人ハリーの妻リリーまでもがいた…次々と女性とつきあっていくジゴロの生活を描く。
 舞台で大当りをとった
ビル・ノートンの喜劇で、彼自身が脚色を務めた作品。かつての名優フィリップによるフランス映画『しのび逢い』(1954)のような作品だが、やはりイギリスで作られているだけに、単なる恋愛作品という感じではなく、かなりシニカルな作品に仕上げられてる。
 本作はいわばジゴロの生活が描かれる作品なのだが、やはりイギリス作品だけあってか、全体的に韜晦がにじみ出しているのが大きな特徴といえよう。ここに登場するアルフィーは次々とつきあう女性を変え、二股三股も当たり前という生活を送っている。だが、彼自身の生活は貧しく、しかもつきあっている女性に経済的な援助を求めるようなこともない。仮にあったとしても、金が目当てでは決してない。
 その姿に奇妙な違和感を覚えるのだ。
 男性として女性とつきあうには様々な理由があるだろう。一番優等生的な答えでは、その女性を愛しているから。生物学的に言えば、自分の遺伝子を残す、つまり子供を作るため。打算的に言えば、自分の生活を支えてくれる人が欲しいから。様々な理由が挙げられる。
 しかし、ここでのアルフィーの姿はそれらにあまり当てはまっていないように思える。彼が女性を口説くのは、まるで義務のように見えてしまい、それによって何か得をしようと言う打算でもなければ、「この女が俺の全てだ」と言う熱烈な愛情に支えられているわけでもない。事実、彼はいつまで経っても貧乏暮らしのままだし、自ら女性に合わせていくことで、職も転々としている。女性を口説くこと自体が彼の生活そのものであり、そのために生きているとしか見えない。だから彼の生き方は楽しんでいると言うよりはむしろ苦しんでいるように見えてしまうのだ。
見方を変えれば、修行僧のようにさえ見えてしまう
 彼にとって女漁りとは、苦しみそのものではなかっただろうか?しかしそれを止める事自体が出来ない…ほとんど麻薬だ。
 男として、彼の生き方は
確かに羨ましいと思う一方、全然羨ましくない。仕事も出来ず、常に裏切られ続け、結果的に何も残らない生活なんて。
 この虚しさこそが本作の肝であり、だからこそ傑作と言える作品なのだろう。観終わった後、少なくとも私はまだ幸せなのかも。と思えたりするし。
 数々の賞に輝いた本作だが、いい加減な男の怠惰な生活が題材として取り上げられたため、当時のプロダクション・コードに引っかかってしまったそうだ(劇中「堕胎」という言葉が出たのも問題となったようだ)。だがこれが映画製作の裾を広げたのも事実。1966年というのも、映画史に於いて重要な位置づけを持つ年と言えるだろう。

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