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2005 | Vフォー・ヴェンデッタ 監督 | |
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1967 | 12'29 シドニーで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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Vフォー・ヴェンデッタ 2005 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006サターン主演女優賞(ポートマン)、SF映画、脚本賞、衣装賞 2006サンディエゴ映画批評家協会Best Production Design |
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第三次世界大戦後の世界。国難に見舞われたイギリスは指導者アダム・サトラー(ハート)の元、かつての大英帝国の栄光を取り戻していたが、独裁者となったサトラーの支配するファシズム国家となっていた。テレビ局で働くイヴィー(ポートマン)は11月4日の夜、戒厳令下の町を歩いていたところを自警団に見つかってしまった。その危機を救った仮面の男は自らを“V”と名乗り、彼女のみている前で裁判所を爆破してみせた。そして一年後の11月5日に政府転覆を宣言する。やがてイヴィーも又、その計画に巻き込まれていく… まずはどう見てもB級のジャンル映画としか見られない素材が大作映画として全国公開されるようになったことをまずは喜びたい。 『マトリックス レボリューションズ』(2003)以来のウォシャウスキー兄弟(姉弟?)作品(今回は製作と脚本だけど)。アメコミを題材に未来のイギリスを舞台に描き上げた物語である。 『マトリックス』(1999)では誰も見たことのない画面を叩きつけ、衝撃を与えてくれたが、まあ、はっきり言ってこれは画面Wだけ”しか観る所がなくて、たまたま最初にこう言う画面を出しただけ。物語的には言うべき所は何も無い作品だった。 それでも本作は予告編の出来が良く、かなり期侍はしていた。 うん。少くとも『マトリックス』とは較べものにならない程の練リ込みが見られる。謎の男Vのキャラクタ性を徹底的に前面に押し出して、それに付随する人物の描写の良さもあり、全員見事にキャラ立ちしてる。ストーリーに関してもアクションも練れて意外性もあって映画として充分観られるものとなっていた。V役のウィーヴィングは仮面を決して外すことなく、しかし魅力たっぷりだったし、イヴィー役のポートマンはまさに体当たり演技。彼女はこれからの映画を充分になっていける事を確信出来た。それに敵役の面々が特に魅力的で、自分を悪人に見せるため、一人一人がそれぞれ違った個性を出して悪人を演じていたのが面白い。特に表状を変えず口だけ動かし神経質さを演じ切ったジョン=ハートの演は素時らしかった。ひたすら地道な捜査を続け、壁に当たり続けながら努力しているフィンチ警視役のレイは久々の当たり役。そう言えばポートマンってユダヤ系だっけ?この体当たり演技もその辺があるのかも知れないな。 CG演出も派出でも、これ見よがえしの嫌味っぽさはなく、更にその中で新味を出とうとしているチャレンジャー精神も好感を持つ(Vの剣技など良いエフェクトを演出してる)。最後のトラファルガー広場のシーンなど、人間の使い方も良く、演出に関しては文句なし。 ただ、問題はある。 設定があまりにお粗末なのだ。 これだけの時間遣って、舞台設定の一体何を描きたかったのかが見えてこない。第三次世界大戦の結果アメリ力の国力が低下して、国難の中、イギリスが大英帝国の威光を取り戻した世界と言うことらしいけど、ここでやってることを見ていると、その意味が感じ取れない(と言うか、この舞台にした必然性が無い)。言わば箱庭の中での閉じられた世界の出来事としか見えてこない訳で、これだったら近未来である必要はない…否。近未来であったとしたら、メディアがテレビに限定された世界などあり得ないだろう。その中、(表面的には)反政府活動家は世界に存在せず、Vだけが突出したテロルを起こしている。最後の議事堂爆破だって、爆弾仕掛けるのは昔から地下と相場が決まっているのに、わざわざそれを避けて張ってる意味は全くないはず(仮にVとクリーディの裏取引があったとしても、他の人間が気づかないとおかしい)。 …設定的に無理がありすぎだ。ここまでやると世界観はあの『デモリッションマン』(1993)となんら変わりなし。これだけ大風呂敷広げてる割りに画面に出てくる世界が狭すぎるので、その辺をもうちょっと描写するか、そうでなければ完全に突き放すべきだった。この中途半端ぶりに気持ち悪くなってくる。 後、本作は殊更同性愛者に対する迫害が描かれているが、これって性転換した(と言われている)ラリー=ウォシャウスキーが個人的な思いを込めて作ったもんじゃないか?などと考えてしまうと、ちょっと気持ちが引けてしまう(なんせ脚本がラリーだし)。 それにアメリカで作られてるんだから仕方ないけど、舞台がイギリスなんだから貨幣単位をドルにしてほしくないな(細かすぎるけど)。 後、強いて言うなら、物語が古すぎる。既視感がやたらとあり、舞台をオーウェルの「1984年」(あるいは『華氏451』(1966))にして、物語のオチを『波止場』(1954)にしてしまう。70年代後半から90年代にかけて量産されたSF映画のいい加減な物語をそのまま踏襲しただけの物語になってしまった。良くも悪くもそう言うSF風潮に風穴を開けたのが(私は嫌いなんだけど)まさにウォシャウスキー兄弟の『マトリックス』だったんじゃないかな?そこから発展させようとせず、むしろ後退させてどうするんだよ。 Vの存在感も、結果的に言えば記号でしかなく、むしろその記号をVは利用した事になるのだが、要するに彼は“単なるテロリスト”でしかない存在で終わってしまった。 尚、冒頭で語られる1605年の事件は実際に起こったもので、グイード=フォークス(別名ガイ=フォークスで、英語で「男」を示す“Guy”とは彼の名前に由来する)による政府転覆を目指した“火薬陰謀事件”がそれ。イギリス史ではかなり有名な事件。 |