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1978 | 6'20 死去 | |
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | 大地震 監督・製作 | |
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | 名誉と栄光のためでなく 監督・製作 | |
1965 | 脱走特急 監督・製作 | |
1964 | ||
1963 | 逆転 監督 | |
暗殺5時12分 監督・製作 | ||
1962 | 脱走 製作 | |
1961 | ||
1960 | 孤独な関係 監督・製作 | |
1959 | ||
1958 | 六番目の幸福 監督 | |
1957 | 青春物語 監督 | |
潮風のいたづら 監督・製作 | ||
1956 | 殴られる男 監督 | |
1955 | 黄金の賞品 監督 | |
アメリカの戦慄 監督 | ||
1954 | トコリの橋 監督 | |
1953 | 楽園に帰る 監督 | |
零(ゼロ)下の地獄 監督 | ||
1952 | ||
1951 | 我が心の呼ぶ声 監督 | |
1950 | 恐怖の一夜 監督 | |
愚かなり我が心 監督 | ||
1949 | 勇者の家 監督 | |
チャンピオン 監督 | ||
1948 | 渓谷の銃声 監督 | |
1947 | ||
1946 | 恐怖の精神病院 監督・脚本 | |
1945 | 吸血鬼ボボラカ 監督 | |
1944 | ||
1943 | ||
1942 | ||
1941 | ||
1940 | ||
1939 | ||
1938 | ||
1937 | ||
1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | ||
1930 | ||
1929 | ||
1928 | ||
1927 | ||
1926 | ||
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | 12'4 モントリオールで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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大地震 1974 | |||||||||||||||||||||||||||
1974米アカデミー特別業績賞、音響賞、撮影賞、美術監督・装置賞、編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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1970年。ロサンジェルスを襲った大地震。その中で、建設会社に働く妻のレミー(ガードナー)と離婚寸前までいっていたスチュワート・グラス(ヘストン)は、自分が何が出来るのかを考えつつ働く。 『タワーリング・インフェルノ』(1974)と同じ年に製作されたパニック映画。 中盤に置かれた地震のシーンは流石の圧巻だし、その後のパニックに陥った人達を救うシーンなんかは見応えはある。特撮部分が極めてレベル高いので、その部分だけであれば佳作とも言える出来。 地震の演出に関しては申し分ないのだが、肝心の物語がどうにも居心地悪い。『タワーリング・インフェルノ』とはパターンとしては同じようなものだが、こちらは群像劇ではなく、明確に主人公を一人に設定した。ただ、それが功を奏したかどうかは疑問。場つなぎ的に存在するメロドラマが今ひとつ感情移入出来ない。特に前半部分の人物紹介が延々と続くシーンは意味があるようなないような。ラストの展開は結構意外とはいえ、ドラマ部分が総じて退屈なので、それがちょっと残念。 特撮だけで観させるために、もっと尺を短くしていれば良かったとは思う。 |
名誉と栄光のためでなく 1966 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1954年。ボロ負けのインドシナ戦争から帰国したラスペギー中佐(クイン)は、休む間もなくアルジェリアへと転戦する。ラスペギーはこの任務にディエン・ビエン・フーで生き残ったかつての部下達を引き連れ、自分達を“リザード(のらくら者)部隊”と称して参戦する。だが、歴戦の勇者ではあってもヒューマニストの部下エスクラビエ大尉(ドロン)と、テロリストに対する扱いでことごとく意見が分かれていく。そんな中、エスクラビエは美しい娘エイカ(カルディナーレ)と知り合うのだが… 日本以上にいろいろあって、フランス人が行った戦争というのはあまり映画にならない。特に第二次世界大戦を扱う場合、ドイツに占領され、枢軸側として戦った経緯があるためにとてもデリケートな問題になってしまい、ほぼ映画には出来ないのが現状。『パリは燃えているか』(1966)など、舞台そのものがフランス国内の戦争映画はいくつかあるものの、全て基本的な目線は連合国であり、フランス人が主軸になった戦争映画はなかなか作られないのが現状である(本作もアメリカ資本だし、。 そんな中で作られた本作は、第二次世界大戦ではなく、その後のインドシナ戦争とアルジェリア戦争を舞台としている。そのどちらもフランスは植民地を失うこととなったために敗北とも言えるが、それでもまだ第二次世界大戦を描くよりはダメージが少ないために作れた作品なのだろう。 ただ、そこで単純に戦いを描くのではなく、戦争の中に人権問題や自由恋愛やらを混ぜ込むのがこの時代のフランス映画の面白いところで、物語そのものよりも、そう言った部分について考えさせてくれる。 本作ではラスペギーとエスクラビエという二人の軍人の対立が主軸となるのだが、二人とも戦闘においてはプロフェッショナルで、お互いの息もぴったり合い、二人が一緒だからこそ、数々の戦いも生き残れてきた。普通に考えれば、そのままこの二人は“親友”となるのだが、実生活においては全く異なり、接触する部分がない。いや、接触しようものなら反発するだけになってしまう。 この点は上官によって意志が押しつぶされてしまう兵士を描いてばかりの日本映画とは随分異なっていて、それが本作の魅力となる。だから本作は戦争映画としてのみならず、イデオロギッシュなヒューマンドラマとしてこそ観るべき作品と言えるだろう。 しかし戦闘だけで結ばれる歪な関係は、やがて破綻を迎えることになる。ドラマを盛り上げるためにイデオロギーではなく恋愛が元になっているが、いずれにせよ早晩この関係は崩れていっただろう。 結果として、小さな町でのテロリストは撲滅され、戦争のプロフェッショナルは修復不能なものとなってしまう。 なんともやるせない終わり方で、すっきりしないものだが、しかしだからこそ、本作は戦争というものについて強い印象を残してくれる作品なのだ。 |
脱走特急 1965 | |||||||||||||||||||||||||||
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1965年全米興行成績9位 |
脱走特急 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1965米アカデミー音響効果賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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逆転 The Prize |
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殴られる男 The Harder They Fall |
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1956米アカデミー撮影賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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失業中のスポーツ記者エディ=ウィリス(ボガート)はやりてのプロモーターであるニック(スタイガー)に取り入り、トロ(レーン)というメキシコから来たボクサーの売り込みを行うことになった。トロはボクシングの技能はまるでなく、顎も弱い。しかし、見上げるばかりの巨大な男ではあったため、見た目の華やかさを当て込んで八百長試合を組ませられるのだった。その宣伝を引き受けたエディの羽振りは良くなったが、だまされているとも知らず、有頂天となっているトロを一方では不憫にも思っていた。そして八百長試合によって勝ち上がったトロはついにヘビー級チャンピオンのブラナンとの試合が組まれる。タイトル戦はもちろん八百長はなし。ただし、ニックは惨敗した後もトロを使っての金儲けを考えていたのだ。その宣伝も頼まれるエディだが… 『波止場』(1954)のシナリオライター、バッド=シュールバーグの小説の映画化作品で、かつて『チャンピオン』(1949)でプロボクサーの非情な世界を描いたロブソン監督が、更に興行界の内幕を暴いた異色作で、ボギーこと、ハンフリー=ボガートの実質的な遺作。 前にある映画の本を読んでいて、ジャン=ギャバンについて書かれていた部分を読んでいたら、ギャバンの事を「シニカルだが、実はロマンチストな役」と書かれていた。それを読んだ瞬間、なんだこれだったらアメリカにもいるよ。と瞬時にボギーの姿が浮かんだ。 ボギーはそういう、薄汚れた行いをやりながらも、心の中できちんと正義を遠そうとしている役を一貫して演じた役者であり、そんな役が本当によく似合った人だった。私にとっても、オールタイムで大好きな男優を挙げろと言われたら、間違いなくこの人が入るだろう。 『カサブランカ』(1942)を初めとする彼の役柄は、最初意に沿わない地位を強いられて、生きるために仕方なくそう言う境遇に順応しているのだが、やがて本当にすべき事を見つけ、最後に信念を貫くと言う点にある。考えてみると、彼の主演作のほとんどがこの定式に則っていることに気づくのだが、どれだけベタであったとしても、それが見事にはまり役となっているのが凄いところだ。 そして最後に見せるボギーの笑顔が最高!信念を貫くと言うことは、社会的に見るなら負けを意味することも多い。だからその笑みは会心の笑顔ではない(『俺たちは天使じゃない』(1955)の時は別格か?)。その笑みはどこか後ろ髪を引かれるような、シニカルな笑みとなる。私はこの笑い方が大好きだ。 それで本作の場合、プロボクシングの内幕ものになっているのが最大特徴で、当時のボクシング界とは、こんな横行がまかり通っていたのだろうか?とちょっと本気で薄ら寒い気持ちにさせられてしまった。プロモーターにとって、ボクサーは商品でしかなく、しかもそれは日持ちのしない旬ものと言った感じがある。これは極端すぎる描き方かも知れないけど、百数十万ドルを稼いだボクサーの収入が50ドルに満たないとは、ちょっと酷すぎ。リアリティがあるかどうかはともかく、内幕ものとして大変面白く仕上がっていたし、ラストも爽やかに締めてくれた。良い作品。 本作が遺作となったボギーのみならず、スタイガーも憎々しげな役を巧く果たしていたし、かなり好きな作品だ。 |
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吸血鬼ボボラカ Isle of the Dead |
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