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ジョン・シュレシンジャー
John Schlesinger

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鑑賞本数 合計点 平均点
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
2003 7'25 死去
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
1981
1980
1979
1978
1977
1976 マラソン マン 監督
1975 イナゴの日 監督
1974
1973 時よとまれ、君は美しい ミュンヘンの17日 共同監督
1972
1971 日曜日は別れの時 監督
1970
1969 真夜中のカーボーイ 監督
1968
1967 遥か群衆を離れて 監督
1966
1965 ダーリング 監督
1964
1963
1962 或る種の愛情 監督
1961
1960
1959
1958
1957
1956
1955
1954
1953
1952
1951
1950
1949
1948
1947
1946
1945
1944
1943
1942
1941
1940
1939
1938
1937
1936
1935
1934
1933
1932
1931
1930
1929
1928
1927
1926 2'16 ロンドンで誕生

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タイトル

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物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

マラソンマン 1976
1976米アカデミー助演男優賞(オリヴィエ)
1976英アカデミー主演男優賞(ホフマン)
1976ゴールデン・グローブ助演男優賞(オリヴィエ)
<A> <楽>
ウィリアム・ゴールドマン(脚)
ダスティン・ホフマン
ローレンス・オリヴィエ
ロイ・シャイダー
ウィリアム・ディヴェイン
マルト・ケラー
フリッツ・ウィーヴァー
リチャード・ブライト
マーク・ローレンス
アレン・ジョセフ
ティート・ゴヤ
ルー・ギルバート
ジャック・マラン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
マラソン・マン <A> <楽>
ウィリアム・ゴールドマン (検索) <A> <楽>
 ニューヨーク。いつものようにマラソントレーニングしていたベイブ(ホフマン)は老人が車にはねられる光景を目にしてしまう。不吉な巡り合わせだったが、老人が手にしていた箱を失敬したベイブの兄ドク(シャイダー)は、ドイツまで行ってそれを売ろうとした結果、命の危機に見舞われる。更にベイブが何かを知っていると睨むナチスの残党ゼル(オリヴィエ)に命を狙われてしまう…
 ウィリアム=ゴールドマン原作のサスペンス作をゴールドマン自身が脚本を書き下ろして製作して大ヒット。
1976年全米興行成績9位
 かつてヒッチコックが得意とした“巻き込まれ型”サスペンスを70年代風にアレンジした作品。主人公のちょっとした特技が危機を回避させたり、ファム・ファタルが登場したりと、基本はヒッチコックそのまんま。それを上手く仕上げた感じ。ヒッチコックの後継者を自認するデ・パルマをさぞかし悔しがらせた事だろうと思えたりする(笑)。ただ、流石に70年代。生々しさと緊張感の演出の発達によって、新しい魅力を作り出す事に成功している。
 確かに出だしは月並みだし、話が進んでもどれだけこれが大きな話なのかが分かりづらい。繋がりの演出も今ひとつもっさりしていたのだが、それがあれよあれよという間に話が繋がっていき、中盤から後半に向けての疾走感は実に素晴らしいものになっていく。様々なシーンで本当に“痛い”と思わせたり、走っているシーンを観ているこっちが息切れしそうな演出方法も流石
(実は本作が初めてステディカム使用の映画となり、ベイブの逃走シーンで用いられている)。何よりあの“歯医者”のシーンはあまりにも生々しすぎて、観てるだけで痛く…これほどあの“チュイーン”という音を上手く使った作品は他にあるまい。
 本作は演出の良さもあるけど、キャラ立ちがはっきりして、登場人物がそれぞれ特徴ある演技を見せているのが大きい。主役のホフマンは既にこの時代で貫禄を見せ、最初に登場した時の夢見がちな青年がいくつもの危機に見舞われる内に顔付きがどんどん厳しくなっていく過程を楽しめる。対して基本的に調子が良いのだが、それまでにも修羅場をくぐってきているのか、危機感知能力が異様に優れてるシャイダーも観ていて楽しい
(多少やり過ぎという気もするけどね。あれじゃほとんど超能力だよ)。ただ、本作の最大の功労者はなんと言ってもオリヴィエだろう。強烈な悪役ぶりは堂に入っていて、好々爺たる表情を全く崩さず、楽しげに拷問を行うシーンは、観ていてあまりに恐ろしすぎる。オリヴィエの演技力を改めて楽しめる(ただ、オリヴィエ、ホフマン共に実はこの当時は私生活はかなり苦しかったらしい。当時オリヴィエは病にあり、鎮痛剤を使用。そのためセリフが覚えられなかった。一方ホフマンは離婚調停の真っ最中。どちらも体調は最悪状態で撮影だったとのこと)。
 拷問シーンの素晴らしさはこのオリヴィエあってこそ…にしても、“歯医者”とは上手く考えたものだな。観てる側が、これほどリアルに痛みを感じる職業は他にないぞ。“痛みの共感”という意味では、突出した作品と言えるだろう。
 少なくとも、初見で本作を観て、その直後に歯医者に行ける人間がいたら、その人こそ
本当の勇気を持った人間だと断言しよう。
真夜中のカーボーイ 1969
1969米アカデミー作品賞、監督賞(シュレンジャー)、脚色賞、主演男優賞(ヴォイド、ホフマン)、助演女優賞(マイルズ)、編集賞
1969英アカデミー作品賞、主演男優賞(ホフマン)、脚本賞、編集賞、新人賞(ヴォイド)
1969ベルリン国際映画祭国際カトリック映画事務所局賞(シュレンジャー)
1969NY批評家協会男優賞(ヴォイド)
1969ゴールデン・グローブ有望若手男優賞(ヴォイド)
1969キネマ旬報外国映画第2位
<A> <楽>
ウォルド・ソルト(脚)
ジョン・ヴォイト
ダスティン・ホフマン
シルヴィア・マイルズ
ジョン・マッギーヴァー
ブレンダ・ヴァッカロ
ギル・ランキン
バーナード・ヒューズ
ルース・ホワイト
ジェニファー・ソルト
ゲイリー・オーウェンズ
ジョーガン・ジョンソン
アンソニー・ホランド
ボブ・バラバン
ポール・ベンジャミン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 牧童姿でテキサスからNYにやってきたジョー・バック(ヴォイト)。彼の野心は自分の体と野性味溢れる美貌を武器にNYの有閑マダム相手の夜のお相手をして金持ちになろうと夢をふくらませていた。だが現実は厳しく、逆になけなしの金を巻き上げられてしまう羽目に。そんな時ペテン師ラッツオ(ホフマン)と知り合う。金を稼いでフロリダで悠々自適の生活を送ることを夢見るラッツォはジョーのマネージャーとなり、やがて廃ビルにしつらえたラッツォの住処で共同生活を始めるようになった二人だが、現実は厳しく…
 
ニューシネマを代表すると言われる作品で、1969年の全米興行成績こそ7位にとどまったが、見事にアカデミー賞を射止め、他にも数々の賞を得た名作。尚、オスカー作品では唯一のX指定作品でもある(後にR指定に切り替えられるが)
 1960年代後半はハリウッド映画の大きな転換点を迎えていた。ヴェトナム戦争の現実が露わにされると共に、現実的な問題意識を持つ若い監督や役者たちが新しい価値観を映画に加えるようになっていった時代である。現実はどうあれ、映画は別世界である。という価値観を打破し、映画にもリアリティを。現実に即した強い問題意識を!と言う思いから始められたムーブメントがアメリカン・ニューシネマという形へと結実していったのである。
 それを端的に表したのが本作といえる。直接的な暴力描写。これまでのハリウッドが絶対に描写しなかった同性愛描写までを取り入れたあからさまな性描写。友情を超え、いつしか愛情にまで錯覚させられる男同士の関係。本作は
アカデミー史上発のX指定を受けた作品賞受賞作でもある。
 これまでのようなスタジオでの撮影を使用せず、オールロケで撮影され
(かつて上流階級の社交場であったNY42丁目が低俗化したことも本作で見られる)、低予算ながらリアリティ溢れる作品に仕上がっている(ニューヨークでのロケによって当時の風俗がよく分かることになるが、お陰でいくつかトラブルも生じた。劇中ホフマンが車に轢かれそうになったシーンは本物のタクシーによるもの。あそこでホフマンが怒っていたのは素でだったそうな)。
 ニューシネマは『俺たちに明日はない』(1967)から始まり、『イージー・ライダー』(1969)での実験的手法が受け入れられるに至り、今度は物語性で現実を見据えようと言う形へとシフトしていった。本作はその試みが上手く機能した作品で、夢の都NYの下町の小汚い街並み。そしてそこにくすぶっている数多くの人間たち。現実から背を向け、享楽的な夜を過ごす若者の群れ…確かにこれまでの映画では触れる事を避けてきたものをことごとく取り込んでいる。
 本作ではアメリカン・ドリームと呼ばれるものの実態というか、夢だけを持って成功するわけではないという現実が痛烈に描かれることになるのだが、それはやはりヴェトナム戦争との関わりが考えられるだろう。
 これまでアメリカは「正義の戦争」を常に行ってきた。大義名分はいくらでも付けられるが、ぶっちゃけ、正義とは、「勝つ」ことだった。これまで近代戦争が起こって以来、様々な紛争にアメリカは首を突っ込んできたが、
ことごとく勝ち馬に乗っかり、そして表面上、はっきりとした形で勝ってきたのである(表面上と書いたのは、実は第一次世界大戦、第二次世界大戦を通じ、実はアメリカは本来的な意味での勝利を得ていないからである。いつかこの辺についてもどこかで書きたいと思ってる)。ところが、ヴェトナム戦争では勝ちが見えてこない。どこか他の国の戦争に首を突っ込んだ結果、勝ちの見えない戦争に突入してしまった。
 では、強いアメリカはどこにいるのか?
 
どこにもいないのだ。あなた達が強い強いと幻想を持っていた世界は今やこんなものなのだ。それを見ろ。これが本作に込められたメッセージではないだろうか?
 思えば何故ジョーは常にカウボーイ姿なのか?と考えると、カウボーイ姿こそが
「強いアメリカ」そのものの象徴だからだったのだろう。己の肉体(国力)の強さと女に持てる(同盟国)の豊富さを武器に都会(国際社会)に出たは良いけど、現実に自分のやってることは…そう考えると痛烈な皮肉とも感じられる。
 ちなみに本作を撮影したシュレンジャーはイギリス人監督である。その点を汲み置く必要があるだろう。他の国の監督だからこそ、こういう皮肉をしっかり乾いた描写で皮肉として撮影できたのだから(関係ないけど邦題は水野晴夫氏による。「カウボーイ」ではなく「カーボーイ」としたのは氏のアイディア)。だからアメリカ産映画でないという意味では、アメリカン・ニューシネマという分けでもないと思うのだが、その代表とも言われてるのがなんとも皮肉な話だ。
 本作の撮影に当たって重要な位置を示したのがダスティン=ホフマン。彼は2年前に『卒業』(1967)でメジャーとなったが、そのメランコリックな演技が好評を博し、次々と出演依頼が舞い込んだ。ところが、ホフマン自身そのイメージでとらわれてしまうことを嫌い、2年間全く他の映画に出演せず、低予算で製作された本作に全力投球。おかげで『卒業』のベンジャミンとは全く違った演技を見せつけてくれた(凝り方が戯画的すぎるとの評もあるが)。これによって演技の幅を印象づけることが出来たため、デビュー以来たった3年弱で大スターと称されるに至った。ホフマンにとっても賭けに近い作品だったと言うことになるだろう。
 他にこの作品はいくつかお遊びがあることでも知られており、特にホテルではなんとウルトラマンのワンシーンが映っている。特撮好きなら探してみるのも面白かろう。
遙か群衆を離れて 1967
1967米アカデミー作曲賞
1967英アカデミー撮影賞
<A> <楽>
フレデリック・ラファエル(脚)
ジュリー・クリスティ
アラン・ベイツ
テレンス・スタンプ
ピーター・フィンチ
プルネラ・ランサム
★★★
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トマス・ハーディ (検索) <A> <楽>
 撮影はニコラス・ローグ
ダーリング 1965
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★★★
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ダーリング
Darling
1965米アカデミー主演女優賞(クリスティ)、脚本賞、衣装デザイン賞、作品賞、監督賞(シュレンジャー)
1965
英アカデミー国内男優賞(ボガード)、国内女優賞(クリスティ)、脚本賞、国内作品賞、撮影賞
1965NY批評家協会作品賞、女優賞(クリスティ)、監督賞(シュレンジャー)
1965ゴールデン・グローブ英語外国語賞
<A> <楽>
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ジョセフ・ジャンニ(製)
フレデリック・ラファエル(脚)
ジュリー・クリスティ
ダーク・ボガード
ローレンス・ハーヴェイ
ローランド・カラム
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 “ダーリング”の愛称を持つダイアナ(クリスティ)は若気の至りで平凡な男と結婚したが、目立ちたがりの彼女はそれでは満足出来ずに悶々とした日々を送っていた。そんな時たまたまテレビのドキュメンタリー番組に出演した彼女はディレクター兼ナレーターのロバート(ボガード)と知り合った事から、彼女の華々しい男遍歴が始まるのだった。男達は次々と彼女の魅力に惹かれていく…
 シュレンジャー監督の出世作であり、社会的に問題まで引き起こしてしまった、イギリス映画のいわば鬼っ子作品
 この時代既にモナコ公主の妻に収まったグレース・ケリーをモデルとして描いた作品と言われ、華々しい男遍歴を持つ女性が主人公なのだが、決して彼女は打算的な、あるいは上昇志向が強い訳ではないのが特徴だろう。彼女はちょっと目立ちたがりなだけで決して多情な女性ではなく、好きなのはただ一人しかいないのだが、社会的にそれは許されず、更に放っておいても男達の方が勝手に彼女に惚れていく。結果的に押しきられる形で男性と情を交わす事になるのだが、社会的にいかに成功しようとも、彼女には満足がない。一見単なる女性版成り上がり物語に見えつつ、内容は結構硬質
 この辺はやはりシュレンジャー監督らしいと言えようか。描写そのものが大変シニカルで、男性中心社会をたっぷりと皮肉った作品に仕上がっている。
 結局彼女が求めていたのは何か?と問いかけるようなラストの余韻も良し。
 カトリック教会によるアメリカの独自検閲組織「リーグ・オブ・ディーセンシー」によりヌードにクレームがつけられてもいる。何かとお騒がせな映画だった訳だ。
製作年 1965
製作会社 ジョセフ・ジャンニ・プロ
ヴィク・フィルムス・プロ
アッピア・フィルム
ジャンル 女の一生(人生)
売り上げ £400,000
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