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2010 | ||
2009 | ||
2008 | ||
2007 | チャーリー・ウィルソンズ・ウォー 監督 | |
2006 | ||
2005 | ||
2004 | クローサー 監督・製作 | |
2003 | エンジェルス・イン・アメリカ 監督・製作総指揮 | |
2002 | ||
2001 | エマ・トンプソンのウィット/命の詩 監督・製作総指揮・脚本 | |
2000 | 2999年異性への旅 監督・製作 | |
1999 | ||
1998 | パーフェクト・カップル 監督・製作 | |
1997 | ||
1996 | バードケージ 監督・製作 | |
1995 | ||
1994 | ウルフ 監督 | |
1993 | 日の名残り 製作 | |
1992 | ||
1991 | 心の旅 監督・製作 | |
1990 | ハリウッドにくちづけ 監督・製作 | |
1989 | ||
1988 | ブルースが聞こえる 監督 | |
ワーキング・ガール 監督 | ||
1987 | ||
1986 | 心みだれて 監督・製作 | |
1985 | ギャンブル・ブラザース/穴馬勝負 製作総指揮 | |
1984 | ||
1983 | シルクウッド 監督・製作 | |
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | おかしなレディ・キラー 監督・製作 | |
1974 | ||
1973 | イルカの日 監督 | |
1972 | ||
1971 | 愛の狩人 監督・製作 | |
1970 | キャッチ22 監督 | |
1969 | ||
1968 | ||
1967 | 卒業 監督 | |
1966 | バージニア・ウルフなんかこわくない 監督 | |
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
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1957 | ||
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1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
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1946 | ||
1945 | ||
1944 | ||
1943 | ||
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1936 | ||
1935 | ||
1934 | ||
1933 | ||
1932 | ||
1931 | 11'6 ベルリンで誕生 |
チャーリー・ウィルソンズ・ウォー 2007 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007米アカデミー助演男優賞(ホフマン) 2007英アカデミー助演男優賞(ホフマン) 2007トロント映画祭助演男優賞(ホフマン) 2007ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ハンクス)、助演男優賞(ホフマン)、助演女優賞(ロバーツ)、脚本賞 |
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クローサー 2004 | |||||||||||||||||||||||||||
2004米アカデミー助演男優賞(オーウェン)、助演女優賞(ポートマン) 2004英アカデミー助演男優賞(オーウェン)、助演女優賞(ポートマン)、脚色賞 2004NY批評家協会助演男優賞(オーウェン) 2004ゴールデン・グローブ助演男優賞(オーウェン)、助演女優賞(ポートマン)、作品賞、監督賞(ニコルズ)、脚本賞 2004放送映画批評家協会助演男優賞(オーウェン)、助演女優賞(ポートマン)、アンサンブル演技賞 2004ナショナル・ボード・オブ・レビューアンサンブル演技賞、トップ3位 2004ピーター・トラヴァースベスト第7位 |
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ロンドン。ジャーナリストのダン(ロウ)はニューヨークから来たストリッパーのアリス(ポートマン)と出会い、まもなく同棲を始める。やがて彼女を元にした小説を書き始め、出版を控えたダンだったが、そんな時撮影スタジオでフォトグラファーのアンナ(ロバーツ)に出会って一目惚れしてしまう。一方当のアンナは皮膚科専門の医師ラリー(オーウェン)とつきあい始めるのだが、この四人の人生はやがて交錯していく… パトリック・マーバー原作の戯曲の映画化で、マーバー自身が脚本も書いている。都会的現代的な恋愛事情が描かれる話で、ここには理想的な意味での「愛」はなく、肉体関係を重ねる事で深まりもし、逆に駄目になっていくという現代的な意味での「愛」が語られているのが特徴だろう。 物語の設定そのものはまるで90年代の日本のドラマを観ているような物語展開で、特に男女のドロドロした関係を描く物語はとても苦手な私としては、かなりきつい…かと思いきや、思いの外、結構楽しめた自分がいた。 実は観た直後はその理由はよく分からなかったけど、今にして思うと、色々考えることはある。 一つには、本作の男性の描き方。主人公四人のアメリカ出身はロバーツだけ。ポートマンはイスラエルだし、なによりロウであれオーウェンであれイギリス俳優を用いているのが大きかったんじゃないかな?イギリスの恋愛ものというのは、ハリウッド製のベタベタしたものとは異なり、妙に恋愛観や自分自身を突き放したような描写が多用され、「自分はクールに恋愛を楽しんでる」というつもりで、現実にはのめり込んでしまい、その情けなさに気づかされ、それをしみじみ噛みしめるような描写に溢れていて、その諧謔的な部分が妙に気に入ってるんじゃないかと思う(恋愛ものが嫌いだ。と言ってる割にウディ=アレン作品が好きなのはそこにもあるんじゃないかと思ってる)。本作におけるロウやオーウェンは見事にそのイギリス俳優としての役割を果たしていた訳だ。 特にロウは昔あの無機質っぷりがとにかく気持ち悪くて大嫌いだったはずなのだが、どんどん人間くさく、しかもイギリス俳優特有の好みのキャラへと成長しているのがとても嬉しい…実際「アルフィー」と言われると、マイケル=ケインのはまり役だったはずなのに、いつの間にか私の頭の中ではロウに変わってる。私の好みが変わったのか、ロウが変わったのかは、未だに分からないけど。 とても乾いた、突き放した恋愛ものを好みな人だったら、楽しめるだろう。 |
バードケージ 1996 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1996ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ウィリアムズ) 1997MTVムービー・アワードコンビ賞(ウィリアムズ&レイン)、コメディ演技賞(ウィリアムズ) |
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マイアミのゲイ専門ナイトクラブ“バードケージ”オーナーのアーマンド(ウィリアムズ)には、20年前に授かった息子ヴァル(フッターマン)がいた。そのヴァルが大学の同級生バーバラと結婚したいと言われる。だが、そのためにバーバラの両親で、堅物政治家のケヴィン(ハックマン)がマイアミに来ると聞かされるのだった。アーマンドとパートナーのアルバート(レイン)は、自分たちが普通の家族であると演じようと大慌てで準備を始めるのだが… フランスの舞台劇「ラ・カージュ・オ・フォール」(La Cage aux Folles)の二度目の映画化作。1作目はフランス映画『Mr.レディMr.マダム』(1978)で、本作は舞台よりもこの映画のハリウッド・リメイクと言った方が早いだろう。 『Mr.レディMr.マダム』自体が面白く、リメイクの必要性も無かった気がするが、ピンポイントのキャラを配置したことによって、本作も十分すぎる面白さを魅せつけてくれている。いずれにせよエイズが社会問題化する前のゲイ・コメディと言った位置づけ。 主人公にロビン・ウィリアムズ。堅物政治家役としてジーン・ハックマン、そしてゲイの花型スタートしてネイサン・レインという見事なはまり役を配したことが、本作の一番の成果。 まず、コメディアンとしてのロビン・ウィリアムズの良さは言うまでもないのだが、この人のコメディの才能は、どんな役を演っても照れがなく、演技とは思えないようなキャラをしっかり演じてくれるため、説得力が段違いにある。今回はゲイ役だが、これも又、実によくはまっていて、本物じゃないの?と思わせてくれるような説得力を持っていた。 あと、『Mr.レディMr.マダム』では、きわどい会話の演出が多々見受けられたが、本作はむしろ会話の方はソフトタッチにして、むしろ描写を直接的にしてるのが特徴か。これがアメリカ人が喜ぶハリウッド・リメイクと言った感じだろうか。その部分は善し悪しだが、そう言った違いがあるからこそ、本作は本作で面白い作品と言えるのだろう。まあ、最後のどたばたシーンなんかは、これまで積み上げてきた際どい会話があるから爆発的に面白く、それが減じられた印象は受けてしまうが。 |
ウルフ 1994 | |||||||||||||||||||||||||||
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NYの出版社の編集局長ウィル・ランダル(ニコルソン)は、満月の夜に車で轢いてしまった狼に手を噛まれてしまう。その翌日、社長から左遷を言い渡されてしまうのだが、ストレスが昂じた彼は身体に変調を来し、社長の娘ローラ(ファイファー)に介抱される。だがその翌日、身体の中に不思議なパワーがみなぎっていることに気付かされる。五感の全てが異常なほど鋭敏となったウィルは自身をつけ、作家たちと連絡を取って自分と行動を共にしてくれるよう手を回す。そして彼を敵視し、陰謀を張り巡らせていた若き出版局員のスチュアート=スウィントン(スペイダー)を逆に追い落とすのだが、ウィルに直接喧嘩をふっかけてきたスチュワートを噛んでしまう。徐々に狼男と化していくウィルとスチュワート… 今やすっかり演技派男優として定着した観のあるニコルソンだが、元々はコーマン門下の出身で、デビュー作以降しばらくはB級ホラーにばかり出演していた。そんなこともあってか、ホラーには割合相性が良いらしく、狼男ものである本作にもちゃんと(?)出演してる。 実はかなりこいつには期待していた。なにせ『シャイニング』(1980)や『バットマン』(1989)のニコルソンの怪演は記憶に新しく、又やってくれるだろう。と言う期待度満点。 …実際、本当にニコルソンの演技はすさまじかった。狼男と言っても、メイクは最小限。殆ど毛深いだけの普通の人なのに、この人が演じると、素のままでもホラーになってしまう(一応メイクはその筋では有名なリック=ベイカーが担当してるんだけど、やりがい無かっただろうな)。前半部分で多少いやらしくはあっても、ストレスにうちひしがれてる姿と後半部分のスーパーマンと化した姿とのギャップがなんと言っても凄い。あの笑みは心底怖かったぞ。彼に対抗するスペイダーも完全にいっちまった役を嬉々として演じてるみたい…ってか、この二人に対決させようなんて発想がまず凄いぞ。一応のヒロイン、ファイファーもラストの変貌が又良いんだ。 ただ、一方、ストーリーは…う〜ん。なんだか『ザ・フライ』(1986)そのまんまって感じだったし、怖さの演出も全然出来てない。あんまりにも物足りない。青春映画を得意とするニコルズ監督がホラーを作るという時点でなんか間違ってなかっただろうか? 結局、これはキャラクターでのみ観るべき作品ってなことなんだろうな。それ以外が大切なんだが… |
ワーキング・ガール 1988 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1988米アカデミー主題歌賞、作品賞、主演女優賞(グリフィス)、助演女優賞(ウィーヴァー、キューザック)、監督賞(ニコルズ) 1988ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞8ギリフィス)、助演女優賞(ウィーヴァー)、歌曲賞、監督賞(ニコルズ)、脚本賞 1989英アカデミー主演女優賞(グリフィス)、助演女優賞(ウィーヴァー)、作曲賞 |
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OLとキャリア・ウーマンの違いがファッションや立ち居振る舞いから一目瞭然で細かく描かれる。メラニー=グリフィスは本作でブレイク。 ウィーヴァーは嫌味なキャリアウーマンを演じているが、逆に肩肘張らずに演技している。 女一人で上り詰めた方はやり込められ、男を上手く使う方が出世できるというオチなので、かなり古いタイプの物語とも言える。 |
イルカの日 | |||||||||||||||||||||||||||
1973米アカデミー作曲賞、音響賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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愛の狩人 1971 | |||||||||||||||||||||||||||
1971 米アカデミー助演女優賞(マーグレット) 1971ゴールデン・グローブ助演女優賞(マーグレット) |
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ニューイングランド大学のルームメイトだったジョナサン(ニコルソン)とサンディ(ガーファンクル)は二人とも大の女好きという点で共通しており、長く友人づきあいを続けていた。だがロマンチストなサンディと、女は肉体がすべてと割り切るニヒリストであるジョナサンの進む道は大きく異なっていく。二人の共通の恋人だったスーザン(バーゲン)と結婚したサンディと、あくまで女漁りを続けるジョナサン…二人の生き様を描いた作品。 かつて『卒業』が大ヒットしたニコルズ監督による作品で、本作もニューシネマの特色を上手く表現し、「もう一つの卒業」と言われる。1971年全米興行成績7位。 ニューシネマの代表作の一本と言われる『卒業』だが、本作も又ニューシネマっぽさが良く出た作品で、物語の構造としてはこちらの方が面白い感じ。 本作では圧倒的なニコルソンの存在感を示した作品でもあり、ニコルソンは本作で名実共に大スターとなる。ニコルソンはこの時代でも私生活は乱れきっていたと言われるが、その女好きのニコルソンがほとんど本人そのまんまって感じで出演。20代から50代までのそれぞれの年齢が上手くはまってる。実際この20年後、本当にニコルソンはこのまんま歳を食ってしまったのだから、今となっては見事な予言作品とさえ言えるのではなかろうかと。ほんとニコルソンの魅力ってのが大爆発した感じだ。それでもう一人の主役ガーファンクルはそもそも『卒業』の主題歌歌ったサイモン&ガーファンクルの片割れで、ポール=サイモンと較べちょっと個性が無い人だなあ。と思ってたけど、むしろその無個性さが本作では上手くはまってる。特にこの人の老けメイクは名人芸。後半の姿は本当に初老とさえ見えたほど(こんなこと褒められても本人は嬉しくないだろうけど)。その個性を生かした役付けが見事だった。 それに70年代というのが、人の関係が密接なようで希薄になりつつある時代(こういう中途半端な時代だからヒッピーや学生運動が盛んだったのかも知れないね。ニューシネマ流行りもきっとこんな時代だからこそ)。その微妙な時代を上手く切り取って見せてくれている。ただ、一つ設定部分で難点を言わせてもらうと、この作品では劇中大体30年ほどの時間が流れる訳だが、全部70年代なんだよね。まるで時代が全く変わらないことを考えているかのよう。まるでタイムカプセルの中で二人だけ歳を食ってるようにさえ見えてしまう。 これやるんだったら、もうちょっと前の時代から始めて、その時代時代の風俗なども取り入れつつ、最後に70年代に持ってくるべきだったんじゃなかろうかね?これはこれで面白いのだが、リアリティの部分で胡散臭く感じてしまったよ。 |
卒業 1967 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1967米アカデミー監督賞(ニコルズ)、作品賞、主演男優賞(ホフマン)、主演女優賞(バンクロフト)、助演女優賞(ロス)、脚色賞、撮影賞 1967NY批評家協会監督賞(ニコルズ) 1967ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(バンクロフト)、監督賞(ニコルズ)、有望若手男優賞(ホフマン)、有望若手女優賞(ロス) 1968キネマ旬報外国映画第6位 |
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大学を卒業し、洋々たる未来を持ってはいるが、将来はまだ漠然としている青年ベンジャミン=ブラドック(ホフマン)。故郷に戻りアンニュイな生活を送る彼はミセス・ロビンソン(バンクロフト)に誘惑され、関係を持ってしまった。だが、ベンジャミンは彼女の娘エレン(ロス)に心惹かれていく。二人の関係を面白く思わないミセス・ロビンソンはついにベンジャミンとの関係をエレンに打ち明けてしまう。 アメリカン・ニューシネマの代表の一本とされる作品。実際、徹底した低予算で作られた本作は、主演のホフマンの出演料は17,000ドルに過ぎなかったそうだ(大スター入りを果たしたホフマンは今や一度の出演で何百万ドルだそうが…)。しかし、1968年に公開された本作は、スキャンダラスな内容が話題となり、見事に全米興行成績では堂々のナンバー・ワンを果たした。大変経済効率の良い作品だったわけだ。 冒頭からサイモン&ガーファンクルの歌が静かに流れ、オープニングから期待させてくれる。 ところが、やっていること自体は不倫の三角関係という、極めてドロドロした話を語っているだけではないか。結局不倫相手の娘に横恋慕して嫉妬に狂われる。と言う身も蓋もない作品。特に私はこの手の作品が大嫌い。一体これのどこが名作なんだろうと初見の高校時代にはえらく不思議に思えたものだ。 結局は男の身勝手さと女の身勝手さのぶつかり合いで、男が激情のあまりマジギレした。と言うこと。しかも本当にハッピーエンドなのかどうか、全然分からなかった。 しかし、今となって、これは逆に考えるべきなんじゃないか?と思ってる。むしろ、これはギスギスした人間関係の中に、不安定な心情の人間が落ち込んだ時の、苦悩と再生を高らかに歌った作品だと。ラスト、花嫁を強奪してバスに乗った時の、二人の戸惑うような視線は、「この物語は、ここでは終わらないよ」という事まで表していたと、今では思える。 ホフマンの若々しさが光る作品であるが、やはりここは怪演を魅せつけたバンクロフトに一票を入れるべきだろう。女の恐ろしさというのをまざまざと見せ付けてくれた。主人公であるホフマンは完全に貫禄負け(この二人の名シーンとしてホフマンが壁に性欲に苛まれ壁に頭を打ちつけるシーンがあるが、実はこれはホフマンが突然の笑いの発作に陥り、なんとかそれを抑えようとして)。 この作品の見所はなんと言ってもラストシーン。教会の高いところからステンドグラスをばんばん叩くのは散々にパクられ、このシーンだけだけはどれほどの映画やテレビに登場したことだろう?…実はこのシーン自体がバスター・キートンによる『キートンのセブン・チャンス』(1925)および『或る夜の出来事』(1934)のコメディという話もあるが。 しかし、年経てビデオで見直すと、ダニエルの行動とか、結構身につまされるところもあったりして、少し評価をあげた。特にラストシーンのバスの中の雰囲気が分かるまでは時間を必要としたが、あれはあれで良いか。と思っている。 いずれにせよ、本作および『俺たちに明日はない』によってこの年はアメリカン・ニュー・シネマの旗揚げの年となった。時代がそれを求めていたのだろう。そして本作がこれまでの「良妻賢母」が登場するハリウッドにとどめを刺したと言っても良い。その意味でバンクロフトは大きな役割を果たしたとも言えよう。 つい先日知ったのだが、アメリカではこの作品のジャンルは“コメディ”になるそうである。ちょっと首を傾げたくなるジャンル分けだな。 |
バージニア・ウルフなんかこわくない 1966 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1966米アカデミー主演女優賞(テイラー)、助演女優賞(デニス)、撮影賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、作品賞、主演男優賞(バートン)、助演男優賞(シーガル)、監督賞(ニコルズ)、脚色賞、音響賞、編集賞 1966英アカデミー作品賞、国内男優賞(バートン)、国内女優賞(テイラー) 1966NY批評家協会女優賞(テイラー) |
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ニューイングランドにある大学の歴史学の教授ジョージ(バートン)とマーサ(テイラー)は、結婚生活にすっかり疲れ切り、互いを傷つけ合うばかりの夫婦生活を送っていた。そんなある夜、新任の生物学教師ニックとその妻ハリーが挨拶のために彼らの家を訪れる…四人の男女によって繰り広げられる一夜の愛憎劇を描く。 エドワード・オルビー原作の舞台劇の映画化で1966年全米興行成績3位を記録した作品。 映画史に残る映画というのは数多く存在するが、映画史そのものに影響を与えた作品というのも、いくつかは存在するものだ。この翌年にはペン監督による『俺たちに明日はない』(1967)および同じニコルズ監督による『卒業』(1967)というアメリカン・ニューシネマを作っていくわけだが、『卒業』以前にニコルズ監督が作り上げた本作は、おそらくアメリカ映画史において、最も重要なポジションを持っている作品の一つだろう。この作品はハリウッド映画そのものを変えてしまったのである。この二作によってニコルズ監督の名前は映画史に残り続けるだろう。 アメリカで映画が始まって以来、ハリウッドはアメリカ映画の中心であり続け、就中それは世界の映画を牽引していった中心でもある。これからもここから多くの傑作映画が作り出されていくだろう。しかし、ハリウッドにはいくつか負の歴史というのも存在する。顕著なのはこの時代のレッド・パージだろうが、それ以外にもハリウッドには当時悪名高いプロダクション・コード(別名ハリウッド・コード)なるものが存在した。プロテスタントの国アメリカは、映画は社会の模範となるべく規定を厳しくしていた。たとえば女性のヌードは駄目(正確には裸の正面を撮ること)や、卑語は使ってはいけない、血は基本的に流してはならない(この辺りはかなり微妙なのだが)、何より重要なのは政治的な偏向があってはならない(具体的には共産主義礼賛など…しかし、それ自体が政治的な偏向のようにも思えるんだが)など、数多くの規制があり、それ故に映画人は表現を押さえられた形でそれまで映画作りを余儀なくされてきた。 もちろんこれまでにもそれをすり抜けるように色々な映画作りはなされてきた(例えば撮影場所をハリウッドではなくニューヨークに移すとか、あるいは海外で撮るとか…)。しかしいずれにせよ、アメリカ国内でのメジャー公開では、ハリウッド・コードにどうしても触れてしまうのだ。 だが、1960年代も後半になっていくと、それは時代遅れであると業界の内外から非難の声が上がり始める。アカデミー賞などを通して海外の作品に映画人以外も触れることが出来るようになり、海外の自由な映画作りを一般の人も目の当たりにし出したし、何より、作り手が時代に合わせたものを作りたがっていた。 そしてコードそのものに対する非難は、本作こそが起爆剤となった。 本作は舞台劇の映画化なのだが、舞台では許されていることを、映画でもやってしまった事に本作のユニークさがある。これまでコードを恐れるあまり、舞台劇の映画化は、細心の注意を払い、まるで言葉狩りのように慎重に言葉を選んできたのだが、本作はそのまま舞台劇のままの台詞を出した。結果的に卑語の連発という事態を招く。実にこれまで培ってきたハリウッド作品で「Fuck」という言葉が出たのは、実は本作が最初なのである。しかもこの言葉を発したのは、当時最高のスター、エリザベス=テイラー!。彼女の存在なしに本作の公開はあり得なかったのだから。 プロダクション・コードに抵触した内容でありながらも公開が可能だったのは、誰しもテイラーを見たがっていたと言う世間の風潮を抜きにしては語れない。結局プロダクション・コードの方が自らを曲げる形で本作の公開を容認することになった。 だが、これが世間に与えた衝撃は凄まじかった。 これまでのハリウッド映画にはないむき出しの感情。そして相手を傷つけて悦に入る人間達。登場人物はどれほど着飾っていても、その心の真実をむき出しにされ、正義はどこにも感じられない。そして徹底してふしだらな女性を演じるテイラー。 これらはこれまでの映画では決して観られないものであり、しかもこれまで貞淑な女性を演じ続けてきたテイラーにとっては、まさに完全な転向だった。これを観た大部分の人に嫌悪感を起こさせたという。 だから、本作にまつわる事件は色々とある。例えばキリスト教婦人同盟などから反発が大きく、公開までに時間がかかりすぎたとか、上映中、ナッシュビルの警察にわいせつ物として押収されてしまったとか、カトリックからはこの作品を観ないようにとキャンペーンが張られたとか… それに、何より観客が驚いたのは、美しいテイラーの姿はそこには全く無かったと言うことである。 それだけの衝撃作に出演するに当たり、テイラーは並々ならぬ決意をしたようである。テイラーは当時34歳。既に『バターフィールド8』(1960)でオスカーを得ているキャリアをかなぐり捨てるかのように、10キロ近く体重を増やし、45歳のアルコール中毒の女性を見事に演じきった。ちなみにニック役のバートンは実生活でのパートナーでもあり、結婚して僅か2年目で、実は熱愛中の時代だったそうだ。その二人がここまでやれたのは、むしろこれこそが愛情のなせる業だったのかもしれない。しかしこの転向のお陰で他の女優とは異なり、テイラーはますますその名声を上げる事に成功した。凄い女優だ。 本作が公開されたことにより、ハリウッド・コードは事実上変革を余儀なくされた。以降ハリウッドではレーティング・システムが取られるようになる。その結果として、レーティング問題さえクリアできれば、監督はかなり自由な映画作りを可能とした。ある意味、現在のハリウッドを作った作品と言っても良い。 …ちなみに、それを知ってなお、改めて思うのは、これは正直「耐えられない」作品。全編を通して救いが無いんだもん。家族が崩壊していく話はどうも苦手だ。はっきり言ってこれを全部観るのは苦行に近かった。しかも長いし… |