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2019 | ||
2018 | ロボット2.0 監督・脚本 | |
2017 | ||
2016 | ||
2015 | マッスル 踊る稲妻 監督・脚本 | |
2014 | ||
2013 | ||
2012 | ||
2011 | ||
2010 | ロボット 監督 | |
2009 | ||
2008 | ||
2007 | ボス その男シヴァージ 監督 | |
2006 | ||
2005 | ||
2004 | ||
2003 | ||
2002 | ||
2001 | NAYAK〜真実のヒーロー〜 監督 | |
2000 | ||
1999 | ||
1998 | ジーンズ/世界は2人のために 監督・脚本 | |
1997 | ||
1996 | インドの仕置人 監督 | |
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | 8'17 クンバコナムで誕生 |
ロボット2.0 2.0 |
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チッティによる大量破壊事件から数年。バシーガラン博士(ラジニカーント)は、完全なサポートロボットに限った研究を許され、女性型ロボットのニラー(クマール)を完成させ、彼女の成果によって多くの技術革新をインドにもたらすことが出来た。そんな時、一つの都市からすべての携帯電話が消えるという事件が起きる。しかも携帯電話業者が次々に謎の死を遂げていく。政府から調査を依頼された博士とニラーは、消えた携帯の行方を探るうち、電磁波の危険性を訴え続け、最後には自殺した一人の科学者に行き着くのだった。 ラジニカーントを主役に世界的にヒットを飛ばしたロボットはインド映画のSF作品がここまでいくのか?と思わせる実に楽しい作品だった。作品の展開は無茶苦茶だけど、CGというオモチャを最大限ぶん回して何もかもぶち込んでみましたという姿勢が心地よかったし、ちゃんと劇中のダンスもあって、これぞマサラ映画と言った感じだった。 本作はその続編だが、この作品も濃さは健在。いろんな設定を放り込んでるが、ほぼすべて設定だけ入れてフォローなし。なんでも面白そうなものを放り込んでマサラ味で仕上げたって感じ。インド映画の濃さを見事なまでに体現してた。特にファーストシーンで一文字ずつ文字が飛んできて、「SUPERSTERRAJINI」でやられた感じ。 ただ、ネタ的には既にロボットでやりきってしまった感はあって、面白くはあったものの、ちょっと馴れすぎてしまった感じ。 前作との違いは科学よりもオカルト的な作品である事と、携帯電話による電磁波がひょっとしたら生物に影響を及ぼしているのではないか?という観点から社会的側面が出てきたということだろうか。 ただ、それが過激な環境テロリストの話だけになってしまったので、社会派としては薄すぎるし、あまり有効な解決策とも思えないのがちょっとモヤッとくる。 科学を標榜する作品でオカルティックな内容を素直に受け入れてすぐに対処してしまうところがなんとも杜撰というか、おおらかというか。 雰囲気としては東映のスーパー戦隊を映画化したような話で、巨費をかけて失敗したパワーレンジャー(2017)なんかよりもずっと戦隊ものっぽい。スパイス仕立てのスーパー戦隊バトル。 さすがにラジニカーントもだいぶお歳のようで、昔のようなパワフルさは感じないが、サングラスを掛けたチッティは声優の玄太哲章にしか見えないのと、携帯に変形するクッティはトランスフォーマーと言うより往年のテレビ番組「ゴールドライタン」を彷彿とさせる。んで環境テロリストとなった亡霊博士のパクシの主張はなんか宮崎駿っぽいと感じてしまったら、もう駄目。コンボイとゴールドライタンが巨神兵に挑むイメージ画頭の中に湧き上がってしまって脳内だけで爆笑しっぱなしだった。 |
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マッスル 踊る稲妻 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ロボット 2010 | |||||||||||||||||||||||||||
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インドロボット工学の大天才バシーガラン博士(ラジニカーント)が10年もの歳月をかけて、自律型人型ロボット“チッティ”(ラジニカーント二役)を作り上げた。人間を遙かに超えたその能力を国防のために生かしたいと願う博士だが、その弱点を指摘されて不採用にされてしまう。更に感情を持ってしまったチッティは、バシーガラン博士の恋人サナに恋をしてしまう… かつて『ムトゥ 踊るマハラジャ』で一気に話題をさらい、日本にマサラ映画を紹介した形になったが、その主演をしていたラジニカーントは今もなお精力的に映画の主演を続けており、そんな彼を迎えての、SF大作。 世界各国で数多くの映画が作られているが、あまり知られてないことだが、世界的な新作映画の数のかなりのパーセントはインド映画が占めているらしい(なんでも一つの映画でもいくつものバージョンが作られるため、それもあわせるととんでもない数になるらしい)。しかしそれらがインド市場から外に出ることは滅多になく、本作が世界市場に出たのもかなり珍しい例となっている(本作後半部のCG活劇がネットに上げられたことが大きな要素になったらしい)。 少なくともこれを劇場で観られたことは大満足でもあり。オープニングの『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995)っぽい演出を観た途端に、「これは凄いぞ」と思わせてくれた。 私にとって良質な映画とはなんだろうか?常に考えているような気がするが、常に変わらないのが私に“衝撃”を与えてくれた作品だと言って良い。 言葉にするのは結構難しいが、時としてそれは目から鱗が落ちた。という感覚であり、時として体から沸き上がるパワーを感じさせてくれる感覚であり、時としてメタな感覚にどっぷり浸かって気持ち悪くなってくる感覚であり、時として、気持ち悪いけど目が離せない。という感覚であったりもする。いずれにせよ、なにかしら圧倒的な感覚に飲み込まれた作品である。 これらをまとめると、たぶん“心に傷を残した作品”というのかもしれない。完成度そのものより、トラウマのように頭の片隅にへばりついて離れないようなものが高得点を取りやすい傾向がある(デヴィッド・リンチ作品なんて気持ち悪いばかりなのにやたら点数が高いのが多いのもそれが理由)。 長々そんなことを書いてみたが、実はこの作品、好みか?と聞かれるとそうでもない。CGの使い方も稚拙。さらにバタバタと人が死んでいくのを笑えないとか、特に売りとなっている最後の戦闘シーンに至るまでの時間がかかりすぎたため、そこまでで疲れてしまい、トンデモシーンが楽しめないとか色々とマイナス要素は多い(私が観たのはヒンディー語のカット版だったが、それでも長い)。 だけどそれを越える“衝撃”がこの作品にはある。理性ではなく感覚で本作は最高点を与えるに値する作品となった。 ではなにがそんな“衝撃”となったのかというと、それはもうインドという国そのものである。 いくつか挙げてみよう。 一つ目。私が前に観た『ムトゥ 踊るマハラジャ』が1995年だったが、本作が2010年。その間に15年が経過している。その時間が長いのか短いのかはともかくとして、15年で、あの田舎そのものの風景が、突然近代化してしまったのに驚かされたこと。一応SFというジャンルではあるが、日常風景にすでにネットが当たり前。近代化されたコンクリートジャングル。近代的(とも言えないのだろうが)な兵器の群れ。いきなり発達したCGのこなれた使い方。いったいこの15年でなにがあった?と思えるほどの進化ぶり。 これには驚かされたが、一方では都会に巣食う小汚らしい下水とか、電車が明らかにディーゼルだとか、不良たちが持っている獲物が原始人の作ったような手作りの棍棒だったりとか、えらくちぐはぐなところがあるのもほほえましいところ。これがギャップとして受け止められてないのだろうな。と思うと、インドの懐の深さを感じてしまう。裸を見られただけで自殺してしまう少女の姿もあり(多分彼女はヒンドゥー教徒ではなくイスラム教徒かシーク教徒だろうけど)近代と伝統が無理矢理でもなく融和している。15年を経て、「やっぱインドは凄い」と思わせてくれた。 二つ目。マサラ映画には当然ある踊りのシーンがやっぱりここにもあったこと。「インド映画なんだから当然」と言われればそれまでなんだろうけど、普通どの国の映画を観ても観られないダンスシーンは、こんなSFにもきちんと入っていることに、ちょっと感動を覚えた。サイロン兵(言うまでもなく、新しい方じゃなくて古い『宇宙空母ギャラクティカ』だけど)みたいなのがわらわらと出てきて バックダンサーやってるのがなんとも微笑ましい。むしろこの映画の見所はここにこそある!と思わせられるところだ。実際このためにこそDVD買いたいと思ってるし。 そして三つ目。なにより驚いたのが日常の普通の風景として軍隊が存在するという点。元々バシーガラン博士がチッティを作ったのは「インド国防のため」軍に売り込むためだったし、そのための戦闘プログラムは当たり前に搭載されている。そのために不必要なアシモフの三原則は最初から無視されてるし、トッティが最後に戦うのはインド軍である。しかも凄いと思ったのは、この状況であるのに、軍隊不要論とか平和とかに対してほとんど何の言及されてないという点。あまりに軍隊というのが日常にとけ込んでいるため、それを素直に受け取っている社会がここにはあるんだ。正直平和が当たり前という日本にあって、常時戦争状態で安定している国のあり方を見せつけられてショックを受けた感じ。 改めて「インドすげえ」でも「インド怖い」と思わせてくれた作品でもある。間違いない衝撃がこの作品にはある。文句なしに最高点である。 |