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コーヒーブレイク、デイヴィッド・リンチをいかが |
2016 | ||||||||
2015 | ||||||||
2014 | ||||||||
2013 | ||||||||
2012 | サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ 出演 | |||||||
2011 | デュラン・デュラン:アンステージド 監督 | |||||||
2010 | ||||||||
2009 | 狂気の行方 製作総指揮 | |||||||
2008 | サベイランス 製作総指揮 | |||||||
2007 | ザ・ベスト・オブ・デイヴィッド・リンチ・ドット・コム 監督 | |||||||
それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60回記念製作映画〜 監督 | ||||||||
2006 | インランド・エンパイア 監督・製作・脚本・撮影 | |||||||
2005 | ミッドナイトムービー 出演 | |||||||
2004 | ||||||||
2003 | ||||||||
2002 | ダムランド 監督 | |||||||
ザ・ショートフィルム・オブ・デイヴィッド・リンチ 監督 | ||||||||
2001 | マルホランド・ドライブ 監督・製作総指揮・脚本 | |||||||
2000 | ||||||||
1999 | ストレイト・ストーリー 監督 | |||||||
1998 | ||||||||
1997 | ロスト・ハイウェイ 監督・脚本 | |||||||
ナイト・ピープル 出演 | ||||||||
1996 | ||||||||
1995 | キング・オブ・フィルム/巨匠たちの60秒 共同監督 | |||||||
1994 | クラム 製作 | |||||||
ナディア 製作総指揮・出演 | ||||||||
1993 | ||||||||
1992 | デビッド・リンチの ホテル・ルーム 監督・製作 | |||||||
ツイン・ピークス ローラ・パーマー最期の7日間 監督・製作総指揮・脚本 | ||||||||
オン・ジ・エアー<TV> 監督・製作総指揮・脚本 | ||||||||
1991 | キング・オブ・アド 共同監督 | |||||||
ツイン・ピークス(2nd)<TV> 監督・製作総指揮・企画 | ||||||||
1990 | ワイルド・アット・ハート 監督・脚本 | |||||||
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1989 | ツイン・ピークス 監督・製作総指揮・脚本 | |||||||
1988 | パリ・ストーリー 監督 | |||||||
ゼリーと私 出演 | ||||||||
1987 | ||||||||
1986 | ブルーベルベット 監督・脚本 | |||||||
1985 | ||||||||
1984 | 砂の惑星 監督・脚本 | |||||||
1983 | ||||||||
1982 | ||||||||
1981 | ||||||||
1980 | エレファント・マン 監督・脚本 | |||||||
1979 | ||||||||
1978 | ||||||||
1977 | ||||||||
1976 | イレイザーヘッド 監督・製作・脚本 | |||||||
1975 | ||||||||
1974 | ||||||||
1973 | ||||||||
1972 | ||||||||
1971 | ||||||||
1970 | ||||||||
1969 | ||||||||
1968 | ||||||||
1967 | ||||||||
1966 | ||||||||
1965 | ||||||||
1964 | ||||||||
1963 | ||||||||
1962 | ||||||||
1961 | ||||||||
1960 | ||||||||
1959 | ||||||||
1958 | ||||||||
1957 | ||||||||
1956 | ||||||||
1955 | ||||||||
1954 | ||||||||
1953 | ||||||||
1952 | ||||||||
1951 | ||||||||
1950 | ||||||||
1949 | ||||||||
1948 | ||||||||
1947 | ||||||||
1946 | 1'20 モンタナ州ミズーリで誕生 |
インランド・エンパイア 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006全米批評家協会実験的作品賞 2007トロント映画祭主演女優賞(ダーン) 2007文春きいちご賞第10位 2006NYオンライン映画批評家協会トップテン |
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夫と豪邸に暮らす女優ニッキー(ダーン)は新作映画の主演に抜擢された。女優として再起を狙うニッキーだが、この作品「暗い明日の空の上で」は、かつて主演二人が殺されてオクラ入りとなったというポーランド映画「47」のリメイクだと知らされる。そして始まる撮影に主人公スーザンになりきって演じるニッキーは、やがて役と自分自身の生活とが融合し始める… 何かと物議を醸した『マルホランド・ドライブ』から6年ぶりに作られたリンチ監督の最新作。途中までは俳優の私生活を描き、いきなり迷宮に放り込まれると言う構造は『マルホランド・ドライブ』と同様だが、本作ではこの突き放しが比較的早く行われ、しかも上映時間が3時間もあるので、2時間以上も訳の分からん迷宮世界の中に置いてけぼりにされてしまう。観ているこちら側は映像の本流に呑み込まれ、完全に夢現。せめてこれが2時間だったら、ここまで気持ち悪くはならなかったのだが、完全に酔った。比較的決着がきっちり付いているので後味は悪くないのが救いではあるが。 ただ観ている間はまさに悪夢そのもの。リンチの世界観に対し何らかの解釈をしようとすると頭が痛くなり、映像に浸っていると気分が悪くなってくる。いずれにせよ飛びっきりの悪夢世界に連れて言ってくれることだけは確か。 本作の解説は何を書いても野暮になりそうだが、強いて解釈するなら、本作は一種のシチュエーション・コメディなのだろう。いくつもの役柄を演じている役者が舞台を経ているうちに自分人が何を演じているのか分からなくなってしまい、混乱しているのを楽しむと言う。 だから本作の場合、主人公は人間ではなく、むしろ人物を取り巻くシチュエーション、さらに言うなら“部屋”ではないかと思われる。 本作には実にたくさんの部屋が登場する。それは主人公ニッキーの属している(と当初思われていた)セレブな生活様式を持った屋敷だったり、演じるための映画のセットであったり、あるいはわけも分からず放り込まれたパラレルワールド的世界であったり、テレビの中の世界であったり…一見外に出ているかのように見えながら、実はそれ自体が狭い部屋であったりもする。全てが箱の中で行われ、演じられている。 これはあるいは二重三重の世界の中で生きている役者そのものを表しているのかとも思う。彼らは画面の中では強いられた役を演じ、実生活の中では人に見せても良い表層部分と、その中にある人に見せられない実生活。様々な生が同時に入り込んでしまうのだが、それぞれに演じ分けることで生活が成り立つ。だがなんらかの拍子にそれらの区別がつかなくなってしまった人は悲惨になる。自分が一体どんな生を生きているのか、区別をつける前にそこで自分の役を演じている人々によって放り出されてしまうから。 ただ、これは我々にも言えるのかもしれない。こう言った役者に限らず、いわゆるTPOに沿って我々は生活している仕事の上で、家庭で、期の合う仲間同士で、あるいはねっ途上で…様々に私たちは人格を使い分けるし、その人格形成に失敗したりすると、「空気の読めない奴」というレッテルを貼られてしまったりもする。上映されている中で味わった気持ち悪さというのは、多分に「空気の読めなさ」という自分自身のことを語られているような気分にさせられたから。 そう言う意味で改めて考えると、やっぱりこれはリンチ流の悪意のたっぷり込められたコメディなんだろうな。 演出面は相変わらずぶっ飛んでごちゃごちゃにしながらも、リンチらしさはしっかり演出されている。赤いカーテンを次々とめくってみせたり、覗き見用の小さな穴の中を覗き込むことで次々に部屋が現れ、どこまで開けても終わりがないとか、敢えて気持ち悪がらせる老人達の存在とか、童話的モティーフの唐突な挿入とか。映画の端々にリンチの好むガジェットが配されているのが大きいだろう。この辺の小物は大体これまでのリンチ作品に出てくるので、流石にキャリア積むと、何気ない場面でも“らしさ”を演出できるようになるものだ。 それで主人公の不安を示すためだと思うのだが、固定カメラを排したため、画面が小刻みに揺れつつ話が展開する。この不安定さが不安をそそる。だんだん酔って気持ち悪くなるのが問題ではあるけど。 泥沼のような悪夢世界に浸りたい人には絶対にお勧め。ただし観てるうちに酔いそうになるので、これをご覧の場合、それなりの注意が必要であることを申し添えておく。 |
マルホランド・ドライブ 2001 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2001米アカデミー監督賞(リンチ) 2001英アカデミー編集賞、作曲賞 2001カンヌ国際映画祭監督賞(リンチ) 2001NY批評家協会作品賞 2001LA批評家協会監督賞(リンチ 2001全米批評家協会作品賞)、主演女優賞(ワッツ) 2001放送映画批評家協会作品賞 2001インディペンデント・スピリット撮影賞 2001セザール外国映画賞 2002キネマ旬報外国映画第4位 2002オンライン・ムービー・アワード |
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ハリウッドへと続く犯罪とロマンスに満ちた道、マルホランド・ドライブ。ある夜そこで事故が発生した。それが全ての始まり。女優への夢に胸膨らみハリウッドへやって来たベティは、叔母の家で記憶をなくした黒髪の魅惑的な女性と出会う。リタと名乗る記憶を失ったこの女性を保護したベティはリタの失った記憶を取り戻すため、共に行動を開始する。だが、それは彼女の運命のみならず、存在そのものに関わる事態へと発展する… 監督得意のノワール性に、コメディ感覚を加えた不条理作品。 リンチ監督した作品は不条理なものを扱ったものが多い。意識上、意識下、両面の闇を強調して用いる監督とも言えるだろう。 さて、この作品は元々テレビシリーズを目指して作られていたそうだが、テレビ側からNO!を言い渡されてしまったという。内容的にショッキングだし、わからな過ぎる。と言うのが理由だったらしい。それでお蔵入り寸前をプロデューサーが映画として救った作品。 確かにこの映画、前半部分はまさしくテレビ調で、複数の主役級の人間が登場し、それぞれが不思議な体験をしてその意味を探ろうとする。そこで非常に多くの伏線が張られ、これらの謎がどう解けるのか、このバラバラの主人公達がどうつながっていくのか。その辺非常に期待させてくれた。と言うより、この監督のことだから、謎のいくつかは謎のままだろう。と思わないでもなかったが… そして記憶喪失のリタが持っていた青い鍵。この使い方が分かったときから物語は様相を一気に変える。以降はほぼ完全に悪夢の世界。前半に出てきたキャラクターは全員名前と立場、性格まで変わり、ドロドロの人間関係の様相を呈す。当然前半部分の伏線がまるで活かされることなく、ただ前半とは違った人物として登場するに過ぎない。言ってしまえば無茶苦茶だ。謎のいくつか、どころではない。伏線やら謎やら、全て無視されてるじゃないか。 だが、それだけ無茶苦茶やっていて、くだらないのか、と言われたらどうだろう?そんなことはない。確かに面白いのだ。これがリンチ監督の面白いところなのかも知れないな。この監督に関しては、無茶、力業、(伏線の)無視、それら全てが許されてしまう気がしてしまう。この辺がカルト監督と言われる部分なんだろうけどね。 敢えて理由を考えてみると、監督の作品は、闇を効果的に用いている事。そこにあるんじゃないかな?微妙に「怖さ」とは異なる、濃密な、ドロドロした闇。それが描写方法によっては人間の外側を押し包むものになったり、人間の内側から突き上げるものになったりしている。だがいずれにせよ、監督はひたすら“闇”を描いている。そこの巧さが、逆に不条理な部分を良しとしているのかも知れない。 ところで、前半と後半を結ぶ大切なキー・キャラクター。魔術師を思わせるエンターテイナー。彼が「火よ、我と共に歩め」と言って欲しいと思ったのは、私だけではない。と…思うんだけどなあ。 |
ストレイト・ストーリー 1999 | |||||||||||||||||||||||
1999米アカデミー主演男優賞(ファーンズワース) 1999カンヌ国際映画祭パルム・ドール 1999NY批評家協会男優賞(ファーンズワース)、撮影賞 1999ゴールデン・グローブ男優賞(ファーンズワース)、音楽賞 1999ヨーロッパ映画インターナショナル作品賞 1999インディペンデント・スピリット主演男優賞(ファーンズワース)、作品賞、監督賞、新人脚本賞 2000キネマ旬報外国映画第5位 |
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偏屈な老人アルヴィン・ストレイト(ファーンズワース)は、ある日十数年間音沙汰がなかった兄が倒れたという知らせを受ける。周囲の反対を押し切り、トラクターで兄の元へと向かう。 1994年に実際にNYタイムスに掲載された実話を元に、リンチ監督が仕上げたロード・ムービー。 幻想的な作風で知られるリンチ監督だが、こういう作品しか作れないのではない。いやむしろ、きちんとした着実な映画作りができることが前提で敢えて幻想的な作風にしてるらしい。 そのバランスがちゃんと取れてさえいれば、おそらくは今も作り続けられているんだろうが、近年どんどん幻想的な方向に傾倒していき、なかなか新作が作られないような状態になってしまっているのだが、そんな監督が、きちんとしたドラマが作れるという事を内外に示したのが本作。実際、むちゃくちゃな作品を数多く作り、カルト作家とされているリンチ監督じしんも、「俺はこれだけの監督じゃない」という思いもあっただろう。 こういう場合、往々にして意識だけ高くて、実際は空回りに終わることも多いのだが、できあがったものは、なんとも自然体で、素直に「面白い」といえるものだった。決して哲学的になったり、殊更退屈なものではなく、静かな物語展開の中、ちゃんと盛り上がりもつけて、飽きさせない。まさしくヴェテラン監督の貫禄たっぷりに作られている。 私が本作観たのは『ブルー・ベルベット』とか『マルホランド・ドライブ』とか観た後なので、初見で本当にびっくりしたものだ。いや、私はこの監督侮ってたわ。 本作は形としては、素直なロード・ムービーとして考えられるだろう。頑なな人物が、旅に出て様々な人との交流を経て、新しくされるという形式は典型的なロード・ムービーの形を取っている。 特徴的なのは主人公が老人であり、旅をする乗り物がトラクターだったところだろう。肉体的にきつい状態の老人が、決してスピードのでないトラクターだからこそ、実にゆっくりゆっくり物語が展開し、そこで出会う人々との交流が丁寧に描かれる。 何よりも圧巻はラストシーンだろう。兄と出会ったアルヴィンが、これまでのわだかまりを捨てるシーンだが、ここで全く言葉を用いず、ただ見つめ合う。これだけで全ての物語をきちんと説明しきっていたから。 とにかく、こんな作品もちゃんと作れるリンチ監督は、やっぱり実力の高さを感じさせられる。 |
ロスト・ハイウェイ | |||||||||||||||||||||||
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ツイン・ピークス ローラ・パーマー最後の七日間 1992 | |||||||||||||||||||||||
1992カンヌ国際映画祭パルム・ドール 1992インディペンデント・スピリッツ音楽賞、主演女優賞(リー) |
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ワイルド・アット・ハート 1990 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1990米アカデミー助演女優賞(ラッド) 1990カンヌ国際映画祭パルム・ドール(リンチ) 1990ゴールデン・グローブ助演女優賞(ラッド) 1990インディペンデント・スピリット撮影賞、助演男優賞(デフォー) |
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自由を象徴する蛇革のジャケットを羽織り、刑務所帰りのセーラー(ケイジ)とその恋人のルーラ(ダーン)は、全てから逃れて、二人の愛を確かめるべくカルフォルニアへの旅に出る。娘のルーラに対して異常な執着を示す母マリエッタ(ラッド)は、執拗な追ってを送り込み、2人を引き裂こうとする。二人の逃避行の行方は… まさにデヴィッド・リンチの魅力爆発!と言った感じ。監督の映像センスは独特で、脈絡があるのか無いのか分からないストーリー(決してこれは悪口じゃない。これが好きなんだから)の中に、不思議な映像を次々に投入する。この作品の場合、キー・ワードに反応して炎の描写とか魔女が突然出てきたりしてどきっとする。 勿論ストーリーだって楽しい。暴力とセックスは監督のお手の物だが、それに加えて愛の逃避行と言うことで、後年のタランティーノ作品にも影響を与えたのではなかろうか?演出過剰とブラックな笑いもほどよく加味され、傑作作品に仕上がった。 演出的にはちょっとやり過ぎって感じもするが、それもリンチ作品だから、で許せてしまう。ルーラの母親の執念のすさまじさは特筆すべきで、途中出てくる魔女のイメージはまさに彼女そのものを表しているのだろう。それにあの歯をむき出して笑うデフォーの顔は必見もの。拳銃で頭吹っ飛ぶところは凄い。途中登場する、交通事故を起こしてあっけなく死んでしまうカップルの女性が、死にかけているのに乱れている髪のことを気にしてるシーンなんか、とてもリアリティに溢れ、ゾッとさせてくれる。 個人的に言わせてもらえば、ニコラス=ケイジは嫌いな役者の部類にはいるのだが、不思議とこの作品でははまって見える。髪型が変だけど(笑) 一般受けする範囲でのリンチの魅力とはこう言うところにあるんだろうな。 ちなみに本作で母娘を演じたダイアン・ラッドとローラ・ダーンは実際の母娘。 |
ブルーベルベット 1986 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
1986米アカデミー監督賞(リンチ) 1986全米批評家協会作品賞、助演男優賞(ホッパー)、監督賞(リンチ)、撮影賞 1986LA批評家協会助演男優賞(ホッパー)、監督賞(リンチ) 1986ゴールデン・グローブ助演男優賞(ホッパー)、脚本賞 1986インディペンデント・スピリット主演女優賞(ロッセリーニ、ダーン)、作品賞、監督賞(リンチ)、主演男優賞(ホッパー)、脚本賞、撮影賞 1987キネマ旬報外国映画第9位 1987アボリアッツ・ファンタスティック映画祭グランプリ |
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ノース・キャロライナ州の田舎町ランバートンに、父の急病を聞いて大学からジェフリー(マクラクラン)が帰ってきた。病院に父を見舞った帰りにジェフリーは野原で人間の片耳を発見。それが悪夢のような事件の始まりとなった… 悪夢のごときループした世界を描くことを得意とするリンチ監督が10年以上あたためてきた企画を投入した奇妙なサスペンス作。『砂の惑星』で酷評されたリンチ監督の再起作となった。 本作は63年のヒット曲「ブルー・ベルベット」をフューチャーした作品で、リンチ作品としては比較的初期に当たるが、後年展開する不条理演出は本作には既に健在。狭い空間からの覗き趣味や、赤いベルベットのカーテン(表題はかなり皮肉なんだが)、容赦ない暴力にさらされ破壊される肉体、耽美的展開と、まさしくリンチ監督が好むフェティ的演出が延々と続く。 一応物語はヒッチコックが得意とした、いわゆる“巻き込まれ型”のサスペンスのジャンルに入るのだろう。後年の意味を失った悪夢世界の描写とは異なり、基本的には物語に重点を起ているためリンチの諸作品の入門編としてはうってつけな作品とはいえよう。そのため比較的分かりやすい物語に仕上げられているのだが、理不尽さはやっぱり健在。 通常のこの手の作品だと、主人公の行動にはきちんと意味を持たせ、それが観ている側にも分かっていると言う暗黙の了解があるが、リンチ作品の場合は主人公が刹那的な行動ばかりを繰り返し、観ているこちらが、その意味を見いだすことが出来ないのが問題。一体こいつは何をしているのか?観てる側にもそれが分からないので落ち着かなくなるし、主人公は何をなせばこの迷宮から逃れられるのかまったく提示されず、ひたすら悪夢の中をあがき続け、偶然が重なった結果生還する。それがたまらなく観ている間落ち着かない気持ちにさせてくれる。 その落ち着かなさこそがリンチ作品の醍醐味だと言えるし、一見破たんしてる物語をビジュアルでここまで見せることが出来るのもリンチならでは。 その演出と、ホッパーやロッセリーニの怪演ぶり、どこかに病んだ表情をみせるマクラクランの演技もあいまって、一風変わった作品に仕上がった。ここでのキャラの個性は他のリンチ作品と比べても抜き出ている。 どこかで読んだが、ヒロインの名前はドロシーだが、これは『オズの魔法使』からとも言われているそうな。OPの耳の中にカメラがズームするシーンは、ドロシーが巻き込まれる竜巻の暗喩とも言われてる。 |
砂の惑星 1984 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1984米アカデミー音響賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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銀河は帝国によって統治されている遙かな未来。辺境にある惑星アラキスは砂だらけの惑星だったが、ここは不老長寿を約束し、宇宙航行に不可欠な薬品“メランジ”を唯一算出する星で、それ故帝国の命綱を握っていた。そのアラキスを新しく統治することになったアトレイデス侯爵家だったが、これは実は皇帝とアトレイデスの仇敵ハルコネン男爵による陰謀だった。着任草々何者かの襲撃を受け、殺されてしまうアトレイデス家の当主レト(ブロホノフ)。辛くも王宮を逃げ出した侯妃のジェシカ(アニス)とその息子のポール(マクラクラン)は、アラキスの現住民族フレーメンの元に逃げ込む… フランク・ハーバートによる壮大なSF帝国史“DUNE”の初映像化作品。これは製作のラファエラ・デ・ラウレンティスによる夢の企画だったそうだが、それを何を考えたのか、リンチ監督に監督を依頼してしまった。お陰で“5000万ドルの巨費を投じた大失敗作”の烙印を押されることとなる(現在では「カルト作」として新しい価値が付与されてるようだが)。 ところでこのデューンという作品にはちょっとした思い出がある。この作品、私の中学生時代のSF好きな友人から最初の「砂の惑星」を全巻借りて読んだのだが(確かイラストは石ノ森章太郎だったはず)、高校になったばかりの時にこれはちょっと難しかった。その友人とも色々と話し、かなり話自体は理解した(あの当時彼は珍しいネットワークを持っていたらしく、えらく詳しかった)。その友人が「今度これ映画になるんだ」と目を輝かして教えてくれたものだが、残念ながら私の田舎には来ることなく、結局私が本作を観たのは大学に入り、レンタルビデオでだった。それで帰郷した時その友人と再会した時に真っ先に「これ観たよ」と言った時の、彼の複雑な表情…私はすごく面白いと思ったんだけど、この作品は実は“駄目作品”の烙印を押された失敗作だったと言うことを知ったのはその後の話だった。 いや、でも本当に面白いと思ったんだよ。確かにSFで基本的にやってはいけない言葉での説明部分が多すぎるとか、重要なポールの開眼シーンがダイジェストだけで済まされてしまったとか、この小説の最も重要な、腹に一物ある人同士の駆け引きの会話が一切抜けていたとか、SFとしては致命的な問題があるのは認める。 だけど、それを超えた面白さってのがこの作品にはあると思うぞ。 何よりあの妙な映像世界と、ストーリーよりもドラマを偏重した挙げ句、物語部分をばっさり切り、人間の感情まで全く描かずに作ったのは、逆にこれだけ壮大な作品を映画化するには絶対に必要な措置だと思ったし、逆に本作のお陰で原作の分からなかった部分だって分かったところもある。むしろ物語は分かりやすかったとさえ思うのだが…(単に先に小説読んでいたからかな?) だが当時世間は(と言うかDUNEマニアは)そうは思ってくれなかったようだ。曰く、「原作冒涜」、「名作を訳の分からない世界にしてしまった」、「理解不能の物語展開」などなど…しかし、そう言う奴らに言ってやりたい。だからリンチにまっとうな物語を期待する方がおかしいんだって。なんでマニアはそれに気付かない? でも、今観てもこの作品の映像のぐっちゃんぐっちゃんぶりは凄いぞ。ストーリー上ほとんど意味がない宇宙航行シーン(特殊能力者がメランジで観た夢によって超空間航行させる)を時間かけたり、ポールの最初の試練である体が溶ける幻想や、サンドウォームの生物的質感など、わざわざ生物感たっぷりに描写するためだけに割いた時間の数々…スペースオペラの服を着た極めてフェティッシュな作品として、もう少しマニア受けする作品なんだが。 ちなみにリンチは『スター・ウォーズ』の新作と本作のどちらを作るか、という申し出を受けていたらしい。いや、少なくともこの人が本作作ってくれたお陰で『ジェダイの復讐』はまっとうな物語になったんだから、それだけでも本作は評価されて然りじゃないの?それと以降リンチ作品の常連カイル・マクラクランとの出会いでもあったわけだし。 |
エレファントマン 1980 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1980米アカデミー作品賞、主演男優賞(ハート)、監督賞(リンチ)、脚色賞、作曲賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞、編集賞 1980英アカデミー作品賞、主演男優賞(ハート)、プロダクションデザイン賞、監督賞、脚本賞、撮影賞 1981アボリアッツ・ファンタスティック映画祭グランプリ 1981セザール外国映画賞 |
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19世紀末ロンドン。ロンドン病院の外科医フレデリック=トリーブス(ホプキンス)は、ある日見世物小屋で見世物にされているエレファント・マンと呼ばれる男ジョン=メリック(ハート)を見て興味を覚え、研究材料として持ち主のバイツ(ジョーンズ)からゆずり受けた。ものもほとんどしゃべれず、おびえるだけのジョンだったが、研究を進めていく内、その中に聡明な知性を発見していく。フレデリックや院長のカー=ゴム(ギールグッド)らに支えられ、人間として生きていく道を見つけ始める… 同名の舞台劇の映画化。『イレイザーヘッド』(1976)で鮮烈なデビューを果たしたリンチ監督の才能を見いだしたメル・ブルックスが監督を任せた作品で、全世界的なヒットを飛ばしてリンチの名を一躍高めた出世作(リンチ自身の回想によると、試写室で一緒に『イレイザーヘッド』を観たブルックスはリンチの手を取って「あんたは完全に頭がおかしいな。気に入った」と言われたとか)。あまり宣伝には力を入れてなかったらしいがクチコミで一気に流行り、コメディ畑とばかりしか見られなかったブルックスの目の確かさも証明された。 最初に私が本作を観たのは中学生のころのTVだったと記憶している。ホラー作品だと思ってビクビクしながら観始めたが、全然怖くなく、さらに途中で飽きたらしい両親がチャンネルを変えてしまったので、最後までは観られず。その時に“あんまり面白くない作品”として認識されてしまったので、本作を完全に最後まで観たのは先行していくつかのリンチ作品を観て、ずいぶん後になってからだった。 やはり歳を食ったためだろうか?最初のイメージからは随分違った印象を受けた。 確かに尺が長く、ダレ場も多いので結構退屈はするが、少なくとも、リンチは本作を制作するに当たり、偽善的にならないよう随分注意を払っていることは分かる。その押しつけを感じることはないことだけは評価して良かろう。ここでメリックに親切にする医者や女優は、それぞれ自分の名を売るためにメリックを利用しているが、それを隠そうとはしていない。彼らの場合、メリックをしっかり手段として使っているのだ。だが彼らはそれを肯定しているし、そう言う接し方もある。という単純な事実を示しているのだから。描写としてもかなり突き放したものになってるのだが、それがかなり上手くはまってる。単にメリックが寝るだけのラストシーンも、実はあれは本来仰向けに寝ることの出来ないメリックが敢えてああいう行動を取ることで、満ち足りた気持ちで自殺した。と解釈も可能だろう。 それよりも本作で評価すべきは画面効果で考えるべきかもしれない。本作は全編モノクロで展開するが、ざらついた画面処理と、すっきりした描写との対比が不思議な効果をもたらし、不思議な空間に放り込まれた気にさせられる。軽い悪夢経験と言えば良いだろうか?それが妙に心地悪く、逆に心地良い。様々なガジェットを用い、わざと意図を分かりづらくするリンチ特有の描写も本作で確立された感もある。 リンチでなければ確かにこんな作品は作れなかっただろうことだけは分かる。製作者としてのブルックスの目も確かだったことは確か。確かに長くて退屈はするけど。 ちなみに本作は日本でも大ヒットしたが、映画のプリントは定額で購入(通常は儲けは歩合制)したため、日本で配給した東和映画(現東宝東和)は大儲けしたのだとか。 |
イレイザーヘッド 1976 | |||||||||||||||||||||||||||
1978アボリアッツ・ファンタスティック映画祭黄金のアンテナ賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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消しゴムのような特殊な髪型をした主人公ヘンリー(ナンス)は、女友達メアリー・Xから、彼女の家で子供が生まれた事を告げられる。彼女の家族に責められ、やむなく結婚を決意するヘンリーだが、病院から引き取られたのは、ヒナ鳥のような奇怪な赤ん坊だった。狭いアパートで、赤ん坊の悲鳴にもにた鳴き声が響く中、ノイローゼに耐えかねたメアリーは実家に戻り、ひとり残されたヘンリーは赤ん坊の世話をすることになる 監督のリンチは「夢を見る天才」と呼ばれたりするが、これを観て良く分かる。彼は間違いなく、とびっきりの悪夢を見る天才だ。まさにこの作品、悪夢のような映像に満ちている。不快さの演出と言う点において、この作品に関してはとびっきりの冴えを見せている。 基本的に音楽は用いず、言葉も少なめ。それをカバーするための効果音がとにかく不快さを増している。冒頭で登場する悪夢を見続ける男、血を流しながら悶えるチキン、夫婦でありながら会話も接触も無く、ただ冷たい沈黙があるだけの家庭生活。夢の中で見る蛇のような奇怪な生物を潰すシーン、やはり夢の中で自分の頭が落ち、それが文字通り消しゴム(イレーザー)となるシーン。そして不快さを否応なしに増し加える、自分が生ませたのではない(はずの)子供の泣き声。その子供の襁褓の中にあるもの…全ては悪夢そのもの。それを映像化してしまうとは、本当に凄まじい。 様々な意味をこの作品から取る向きもあるだろうけど、基本的に、これは「悪夢そのもの」を映像化しようとした試みなんじゃないかな?決してホラーに分類されることは無いはずだが、下手なホラー作品よりよっぽど怖く、何より精神の方に激しい不快感を残してくれる。う〜ん。とにかくこれは好みだぞ(笑)。 こんな作品であるとは知らず、ビデオを食事の時に観てしまうという失策を犯した。この時の夕食の不味かったことよ。腹の中で本当にこなれたんだろうか?(笑) |