叔母の絵画展で知り合った高太郎(永瀬正敏)と風変わりなクロエ(ともさかりえ)は多くの変わった仲間に祝福されて結婚した。しかしある日、クロエの肺が睡蓮の花を宿すという奇病に罹っていることが判明する。手術で回復したものの、もう片方の肺にも蕾があり、それは除去できないと診断されてしまう。自宅で闘病生活を送るクロエに、高太郎は花を近づけると痛みが消えることを発見する。クロエのために新鮮な花を買い求める高太郎だったが、プラネタリウムでの仕事は馘になり、更に新しい仕事に精を出すほどクロエとの時間は無くなってしまうと言う悪循環に陥る…
風変わりで不思議なラブストーリー。死に至る病の闘病生活を送る恋人を必死に看病するパートナーという構図は、古くは愛と死をみつめて(1964)や愛と死の記録(1966)から連綿と作り続けられる邦画の黄金パターンの一つ。分かっていてもこれは結構涙腺を刺激されるもんだ。
本作も確かにそのパターンを踏襲しているが、なんか物語が不思議とふわふわしているというか、どんなに命が危ないとなっても、危機感が薄いというか…つまり新世紀になって台頭した監督作品の設定にはめ込んでいるのが特徴か。
ここで高太郎は確かに妻であるクロエを愛しているし、そのために尽くそうと思っているらしいことはよく分かるのだが、彼にとって世界はそれだけではない。人間関係が希薄に見えても、やはり外のつきあいはあり、それぞれ妙な具合に命に関わる事件に関わっており、そちらの方にも意識を持って行かれてしまい、クロエから意識が離れてしまうこともしばしばあり。看病してる姿も、「より大切なのはどちらか?」という二者選択のなかで結果として妻の方を取ってる。というイメージもあり。愛憎劇をドロドロとさせないのは好感を持つのだが、なんか切実度が足りないというか、泣かせようとしないというか、観終えた時も、ちょっと首を傾げてしまう作品だった。
設定とか面白いし、意外な所に意外な人物が出てきたりして(塚本晋也、鈴木卓爾、青山真治という映画監督やアーサー=ホーランドというキリスト教宣教師まで)、その意味では楽しめる。ただ、演出がちょっと。台詞が分かりづらいのも問題かな?
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