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| 2024 | きみの色 監督 | ||||||||||
| 2023 | |||||||||||
| 2022 | Garden of Remembrance 監督・演出・コンテ・脚本 | ||||||||||
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| 2021 |
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| 2020 | |||||||||||
| 2019 | |||||||||||
| 2018 | リズと青い鳥 監督 | ||||||||||
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| 2017 | 響け!ユーフォニアム 〜届けたいメロディ〜 シリーズ演出 | ||||||||||
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| 2016 | 聲の形 監督・絵コンテ | ||||||||||
| 響け!ユーフォニアム〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜 シリーズ演出 | |||||||||||
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| 2015 |
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| 2014 | たまこラブストーリー 監督・演出・絵コンテ | ||||||||||
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| 2013 | |||||||||||
| Free!<TV> 演出・絵コンテ | |||||||||||
| 2012 |
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| 2011 | けいおん! 監督 | ||||||||||
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| 2010 |
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| 2009 |
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| 2008 |
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| 2007 |
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| 2006 | |||||||||||
| 2005 | AIR・夏 特別編 AIR IN SUMMER 原画 | ||||||||||
| 2004 | |||||||||||
| 2003 | |||||||||||
| 2002 | |||||||||||
| 2001 | |||||||||||
| 2000 | |||||||||||
| 1999 | |||||||||||
| 1998 | |||||||||||
| 1997 | |||||||||||
| 1996 | |||||||||||
| 1995 | |||||||||||
| 1994 | |||||||||||
| 1993 | |||||||||||
| 1992 | |||||||||||
| 1991 | |||||||||||
| 1990 | |||||||||||
| 1989 | |||||||||||
| 1988 | |||||||||||
| 1987 | |||||||||||
| 1986 | |||||||||||
| 1985 | |||||||||||
| 1984 | |||||||||||
| 1983 | |||||||||||
| 1982 | |||||||||||
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| 1980 | |||||||||||
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| 1975 | |||||||||||
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| 1904 | |||||||||||
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| きみの色 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 地方のカトリック系の女子校に通う日暮トツ子(鈴川紗由)は子どもの頃から特定の人のことが“色”で見えていた。そんな彼女が気になっているのが別のクラスで同級生の作永きみ
(石あかり)だった。彼女の持つ“青”にどうしようもなく惹かれていくのだが、そのきみは突然学校を退学してしまう。その後きみが働いている古本屋を探し当てて再会を果たすのだが、ひょんなことからそこに居合わせた影平ルイ
(木戸大聖)という男の子と共にバンドを組むことになってしまった。ルイの住む小島に定期的に集まって練習を繰り返し交流を深めていく内、お互いの中にある世界に対する生きづらさを知っていく。 これまで京都アニメーションの顔として数々のアニメの名作を世に出してきた山田監督がスタジオを変えて次に挑んだのは、独特の色の世界だった。 元より山田監督は音に対して並々ならぬこだわりがあるようで、相当フェティッシュな音の表現を用いていた。今回も多くの楽器を用意して音の表現はこだわりを持っているが、今回は視覚情報にも力を入れているのが特徴だった。 それは主人公トツ子が幼少時よりも人の姿を色で観る事が出来るという事にも表されているし、スタジオが変わったことによってキャラデザインも変わり、特徴的な柔らかい人物像の描写にも表されている。またストーリーのあちこちで演奏に合わせてシュールレアリスムのような奇妙な描写も多用される。その意味で映像と音の融合を試みたようだ。お陰でかなりユニークな表現が実現できている。 そして肝心なストーリーだが、これもまた特殊なものになってる。 基本的に本作は三人の男女のバンド活動を描く事になる。恋愛要素も少しはあるのだが、概ねお友達の関係が深まるところだけで終わっているし、かなりジェンダーフリーの物語になっているので、恋愛関係が淡いまま。それが本作の特徴的な良さになってる。 本作は恋愛関係よりもむしろ一人一人の心の内の世界を描くことに注力している。三人が三人ともそれなりにこの世界に適応はしているのだが、この世界にちょっと窮屈さも覚えている。それぞれが違った形で覚える窮屈さをお互いが知ってそれを受け入れ合うことで友情が深まるという物語になる。友情とも恋愛とも言えるが、踏み切れるギリギリのところで留まってお互いの内面世界を大切にしているというのが特徴的。リズと青い鳥でやった内面世界の描写をここで違った形で行った感じ。 大きな展開は無いものの、淡い描写と音楽に乗せたPV味のある画面描写はなかなかに素晴らしく、音楽の演奏風景など観てる間は結構心も持ち上がる。 ただ恋愛要素はなくても構わないのだが、恋愛要素に発展しそうな微妙な距離感をずっと見せられると、もどかしいというか、軽く苛つくというか、その辺がちょっと物語の没入を拒否されている感があって、そこがちょっとマイナス要素となる。 山田監督の良さの一つは没入感なので、それが今回私には無かったのがちょっとだけ残念。 |
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| リズと青い鳥 2018 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 北宇治高校吹奏楽部の三年生で親友のオーボエ担当の鎧塚みぞれ(種崎敦美)とフルート担当の傘木希美(東山奈央)は毎朝の早朝練習にも休まず来て、練習にも余念が無かった。そんな二人も進路を決めねばならなくなるのだが、希美に精神的に依存しているみぞれは、その答えを出せずにいた。そんな中、最後の大会に向けての練習が始まるのだが… 質の高いアニメ作品を作ることで定評のある京都アニメーションが作り上げたテレビシリーズ「響け!ユーフォニアム」は第一期が大好評で、再編集した劇場版『響け!ユーフォニアム〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜』(2016)と、テレビ版2期、更にその劇場版まで公開され、大進撃を続けている。 かくいうわたし自身も第一期を観て、原作に興味を持って読んでみて、その面白さに結構はまった口。 大学生が書いたというその物語は文体が練れておらずにかなり読みにくかったが、作品の質は別。 実質的な盛り上がりがある訳ではないけど、とにかく高校生の描写と心理描写が上手い。誰にでも持っているコンプレックスとか、クラスメイトや上級生に対する距離感の取り方とか、将来的になんら特別なメリットがないのに、だからこそ一生懸命取り組んでぶつかってみる部活動のあり方とか、その辺の描写が全部ありのまま描かれている感じがして、とても面白かった。 ちょっと痛々しさがあって、読みながら何度も本を置いて深呼吸する必要があったけど。 この作品を観た時点で現在私が読んでいるのは主人公の黄前久美子が一年生の時の話までだが、本作は主人公を変え、一年上の先輩を中心に描かれた短編を映画化したようだ。 短編一編を一時間半の映画にするというのはかなり大変である。なんせ物語が進まないのだから。 それを可能にするのはいくつかの方法があって、その中で最も多く採られるのは、いくつものミニエピソードを加えてかさ増しをする方法となる。 しかし本作はそんな手を取らなかった。物語はシンプルなまま、ド直球に演出で短編を徹底的に見せてみせたのだ。最も難しい方法を敢えて使った姿勢には素直に感心する。 その分演出は妥協がない。というか、画面で見せることよりも、ほとんど台詞と間合いだけで演出してしまった。 台詞の一つ一つが凄く、囁き声どころか息づかいさえ演出の一部に取り入れてしまう。 本作の主眼が主人公の心の変化を見せることなので、それが可能になったのだが、よくここまでやったもんだ。 出てくるキャラ一人一人も声に特徴がある人を選んでるようで、絵柄の雰囲気に合わせて、きつい声だったり、ほんわかした声だったり、自信なさげなおどおどした声だったりと、その辺の巧さも光る。 微妙な声で演出される本作だが、それに合わせるように物語も心理的な微妙さを描くものだった。 中学校や高校あたりで、人が「好き」という感情を持つのは、異性よりもむしろ同性に対するものが多い。この場合の「好き」は性的なものではなく、「一緒にいて心地良い」からという部分で、これは一生同じ感情を持つことになる。 だけどそれが時として、「心地よい」が「依存」となり、やがて本当の意味で「好き」という感情に化けることもある。 その辺の感情はとても微妙なところ。先に挙げたように、「心地良い」「依存」「性的に好き」が微妙に絡まり、強く「愛する」とまでいかない心境のまま思春期は過ぎていくことになる。 その微妙な感情はどこかで踏ん切りを付けねばならなくなる。「親友」となるのか「恋人」になるのか、「無関心」になるのか、それとも「敵」になるのか。 どこかで踏ん切りを付けることで、これからの付き合い方が変わることになるが、出来る事ならその踏ん切りを付けたくないという感情も生じる。 こんな微妙な心理描写をしながら、主人公鎧塚みぞれの「踏ん切り」を描くのが本作と言える。 そこで重要になるのがタイトルともなった童話「リズと青い鳥」である。 みぞれは自身をリズになぞらえ、リズが青い鳥を逃がす光景を追体験して、自分には希美を突き放すことが出来ないと思い込む。しかしどこかでその時が来るということを意識もしていた。 ところが先生から、実は自分自身がリズではなく、青い鳥の方であると指摘を受け、気づいてしまうのだ。自分がしなければならないのは、希美を見捨てることではなく、自分が飛び立つことなのだと。 それが出来た時、当の希美自身も本当はそれを望んでいたことを知る事になる。正確に言えば、希美の方は、「今のままではいけない」とみぞれよりも切実に思っていて、何かの踏ん切りを付ける必要性を感じていた。 みぞれが一歩踏み出してくれたお陰で、希美の方も自分の実力を知り、みぞれと一緒にはいられないと言うことを納得させられた。 だから一見起伏の無い物語に見えながら、もの凄いドラマが込められている。 複雑に絡み合う依存を一度断ち切ることで、新たな人間関係が構築されて終わる。まだまだ話はこれからも続くが、高校生活の一エピソードとしてはこれで充分。 |
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| 聲の形 2016 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2016日本アカデミーアニメーション作品賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| たまこラブストーリー 2014 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| けいおん! 2011 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2011日本アカデミーアニメーション映画賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 進路も決まり、後は卒業式を待つばかりとなった桜が丘高校の軽音部の面々平沢唯、秋山澪、田井中律、琴吹紬の四人。そのメンバーに後輩の中野梓を加えた5人で卒業旅行を計画する。行き先はロックの本場ロンドン。頼りない先輩達に代わり、全てを差配した梓に率いられるような形で一路メンバーはロンドンへと向かう。 人が幸せを感じる瞬間というのはそれぞれだろうが、時代の共通認識によって幸せというのも変化していくものかとも思える。 特にメディア関係になると、時代が幸せの定義を作り、その定義が時代を作っていくようになっていく。現代においてはネットで話題や考察が拡散していくため、更にその共通認識は深まっているような感じもあり。例えば京都アニメーションによる「涼宮ハルヒの憂鬱」なんてものは、YouTubeというツールによって拡散し、ブームを作った作品でもある。 そんな中、「ハルヒ」と同じく京都アニメーションによって作られたアニメ「けいおん!」は、確かに時代によって作られ、時代を作っていった「幸せ」を提供してくれた作品と言えよう。ここに描かれるのは、バンド生活を通じての女子高校生の日常なのだが、彼女たちはバンド活動を通して何かを達成しようという意識は低く、ちょっと演奏の練習をしながら、放課後でみんなでお茶を飲むのが楽しみと言った、ほんとにどこにでもいるような高校生の姿を描いていく。 現在、それが時代の共通認識による“幸せ”を表しているかのよう。少し言い方を変えれば、オタクにとって、これは“快感”であると共に、一般レベルでも小さな“幸せ”を与えてくれる作品として認識されている。一般に紹介できるオタク系アニメの最右翼。 2009年と2010年の2期に渡り放映されたテレビシリーズは、その時代に乗って(あるいは時代を作って)大ブームを引き起こした。 わたし自身も第一期時点で友人に勧められるように観始め、毎週楽しく観させていただいた。そのほとんどは他愛もない話だが、まるで自分がその空間にいて彼女たちをニヤニヤしながら眺めているような、そんな気にさせてくれる、何というか不思議な“幸せ”を感じる時間でもあった。 …ここまではテレビ版の話だが、映画化に当たり、スタッフは面白い思考で映画作りをしたように思う。 その一番大きな点は、本作がテレビ版の“その後”を描いているのではなく、テレビ版最終回の“ちょっと前”を描いていると言うところにあるだろう。ロンドンに行くのが卒業式の前なのか後なのか、描き方はほとんど変わらないかも知れないが、少なくともテレビ版を観ていた視聴者にとっては、全く意味合いが異なる。 通常テレビシリーズから映画化する場合、たとえそれが日常を描いた作品であっても、日常生活から離れた大きなイベントを用意しておくものだ。本作でもそれが日常とは異なる「ロンドンへ行こう!」となっている訳だが、本作のユニークな点は、物語の中心はロンドンではなく、やっぱりテレビと同じく日常をメインにしているという点にあるだろう。 ただし、その日常とは、単にいつものようにだらだらと続くお茶会ではなく、「卒業式」に向けた日常であることが特徴。 テレビ版でも第二期の方は、最初から最終話を目指して作られていたという指摘を聞いて納得した記憶がある。最終回とは即ち「卒業式」であり、「別れ」を目指して作られたと言って良い(実際には軽音部のメンバーは全員同じ大学に合格して、本当の意味での「別れ」ではないのだが)。話の内容は第一期と変わらないにせよ、その中で「あと一年あるよ」から「これが最後」とか「卒業まであと〜〜ヶ月」とかのキーワードを事ある毎に滑り込ませ、切なさというものを半年かけて徐々に上げていったのだ。最後の方になるとそれを隠しもせず煽り続け、切なさを爆発させる演出に、本当に寂しい思いまでさせてくれたものだ。 この半年かけて造り上げていったその「切なさ」を、最大限再現しようとしたのが映画版と言えよう。 仮にこの映画が卒業式の“その後”を描いているなら、再会と言う事で喜べはするが、一抹の気まずさが残るだろう。だが、卒業式の前に時間を設定することで、観ている側としてはこれは再会ではなく、再びあの切ない時間帯に放り込まれることになる。僅か数日の違いだけでここまで見事に演出を変えるとは実に巧い。 そんなことで、テレビ版第二期を丸ごと使ってやらかした切なさの演出を映画で再現し、観ているこっちがいつの間にかテレビの最終回前を観ているような気持ちにさせられた。 だからこそ前半のロンドン編が重要になる。これは卒業旅行であり、これが終わったらみんなが卒業するのだと言う事を言葉の端々に匂わせ、本当の別れの演出を強調していった。そしてだらだら続くロンドンでの時間の中で、やっぱり「これが最後」を幾度も言葉の端々に上らせ、再び卒業式に向けて切なさを演出していく。 そこで最後の卒業式を角度を変えて描くことによって、最大限切なさを演出。うまいものだな。 映画の出来としては確かにそんなに優れたものとは言えないが、少なくともテレビをリアルタイムで観ていた視聴者にとっては、これほど“幸せ”ってものを感じさせてくれる演出は無かろう。 |
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